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窓の外は、もう何時間も前から雨が降っている。
湿った空気と、安っぽい芳香剤、それに彼女が好んで吸う煙草の匂いが混じり合い、この六畳一間のワンルームを「世界」として完成させていた。
「ねえ、また勝手に私の財布触ったでしょ」
低い、けれどどこか楽しげな声。
ソファに深く腰掛けた彼女が、細い指で煙草を灰皿に押し付ける。その視線は、床に座り込んで彼女の膝に顔を寄せている僕を、まるで道端に落ちた空き缶でも見るような冷ややかさで射抜いていた。
「……ごめん。どうしても、君に怒られたくて」
僕はわざとらしく、震える声で答える。
本当だ。僕は彼女に蔑まれるたび、言いようのない全能感に包まれる。彼女が僕を「ド屑」と呼び、その瞳に軽蔑の色を浮かべる瞬間、僕は彼女にとって「特別なゴミ」になれるのだ。
「本当に救いようがないわね。あんた、私がいなきゃ明日には野垂れ死ぬんじゃない?」
彼女はそう言いながら、僕の髪を乱暴にかき回す。爪が少しだけ頭皮に立って、鈍い痛みが走る。それが心地いい。
彼女は僕の無能さを愛し、僕は彼女の支配を愛している。
世間一般の「幸せ」なんて、僕らには眩しすぎて吐き気がする。清潔な服を着て、真っ当に働き、愛を誓い合う。そんな薄っぺらな物語よりも、この泥濘のような部屋で、お互いの欠陥をなめ合う方がずっと「本物」に近い気がした。
「ほら、こっち見て」
顎を強引に持ち上げられる。
至近距離で見つめる彼女の瞳は、濁っていて、それでいて宝石のように綺麗だった。
彼女は僕という「屑」を飼い慣らすことで、自分の正気を保っている。僕を否定すればするほど、彼女の存在意義は強固なものになっていく。
「……ねえ、もっと私を困らせてよ。もっと、私なしじゃ息もできないくらいに壊れて。そうすれば、私が一生、あんたをこのゴミ溜めで守ってあげるから」
彼女の唇が耳元に寄る。吐息が熱い。
それは救済の言葉ではなく、永遠の服従を強いる呪文だった。
僕は彼女の腰に腕を回し、その細い体に縋り付く。
「愛してるよ、ド屑くん」
その言葉が、頭の中で反響する。
僕たちは、この部屋から一歩も出ない。
外の世界がどれだけ輝いていても、僕らにはこの薄暗い掃き溜めこそが、唯一の聖域なのだ。
二人で沈んでいこう。
底なんてないけれど、彼女となら、どこまでだって落ちていける。