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#日常組
tagu2026226
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第11話「今度は、僕から」
朝の光が、カーテンの隙間から静かに差し込んでいた。
ルカはゆっくりと目を開けると、ぼんやりと天井を見つめた。
昨夜のことが、少しずつ頭の中によみがえってくる。
リンデンに抱きしめられたこと。
自分の気持ちを聞いてもらえたこと。
そして、眠りにつくまで、ずっと手をつないでいてくれたこと。
「…………っ」
思い出した途端、ルカの頬が熱くなった。
「ど、どうしよう……」
誰に聞かせるつもりもない小さな声が、部屋にこぼれる。
昨夜のリンデンは、いつもよりずっと優しかった。
けれど、それだけではない。
自分のそばにいてほしいと、彼自身も願ってくれたのだ。
そう考えると、胸の奥がくすぐったくなる。
今までは、リンデンから向けられる優しさに戸惑ってばかりだった。
何かをしてもらうたびに、申し訳なさを感じてしまう。
自分には、それほど大切にされる理由などないと思っていたから。
けれど、昨夜は少しだけ違った。
自分から「そばにいてほしい」と伝えられた。
そして、リンデンはその願いを喜んでくれた。
ならば。
「……僕からも、何かできたらいいな」
小さく呟いたルカは、そっと胸元に手を当てた。
いつも守ってもらってばかりではなく、自分からもリンデンを喜ばせたい。
彼が嬉しそうに笑ってくれるところを、もっと見てみたい。
そんな気持ちが、自然と湧き上がっていた。
*
身支度を整えたルカは、いつものように皇太子の執務室へと向かった。
扉の前で一度深呼吸をする。
「……よし」
小さく気合いを入れてから、扉をノックした。
「殿下、ルカです。失礼いたします」
「入れ」
聞き慣れた声に迎えられ、ルカは室内へ足を踏み入れた。
リンデンはすでに執務机に向かっていた。
銀色の髪はきちんと整えられ、黒と金を基調とした皇太子の衣装を身にまとっている。
いつもと変わらない、凛とした姿。
けれど、ルカと目が合った瞬間、その青い瞳がほんのわずかに和らいだ。
「おはよう、ルカ」
「お、おはようございます、殿下」
「よく眠れたか?」
「はい。おかげさまで……」
そこまで答えて、ルカは昨夜のことを思い出した。
眠るまでそばにいてくれたリンデン。
つないだ手の温かさ。
「…………」
「……ルカ?」
「な、何でもありません!」
慌てて首を振るルカに、リンデンはわずかに眉を上げた。
「そうか?」
「はい……!」
リンデンはそれ以上追及しなかったものの、内心では少し不思議に思っていた。
今朝のルカは、どこか様子がおかしい。
いや、正確に言えば、いつもより表情が豊かなのだ。
照れたり、慌てたり、こちらを見ては目を逸らしたり。
そのひとつひとつが気になって仕方がない。
「……何か、私に言いたいことでもあるのか?」
「えっ?」
「先ほどから、ずいぶんとこちらを気にしているようだが」
「そ、それは……」
ルカは言葉に詰まった。
まさか、リンデンのことを考えていたとは言えない。
昨夜、自分からもっと近づきたいと思ったばかりなのに、いざ本人を目の前にすると、何をすればいいのか分からなくなってしまう。
けれど、せっかく決めたのだ。
今日は自分からも、少しだけ勇気を出してみよう。
ルカはぎゅっと手を握りしめると、リンデンのそばへ歩み寄った。
「……殿下」
「何だ?」
「あの……襟元が、少しだけ乱れております」
リンデンは自分の衣服に視線を落とした。
「そうか。気づかなかったな」
「……直しても、よろしいでしょうか?」
その言葉に、リンデンは一瞬だけ目を見開いた。
普段なら、身支度は侍従たちに任せている。
もちろん、ルカが手伝ってくれることもあるが、彼のほうから申し出てくるのは珍しかった。
「……構わない」
リンデンが答えると、ルカはそっと襟元を整え始めた。
近づいたことで、二人の距離が自然と縮まる。
ルカは緊張しながらも、丁寧に布地を整えていった。
「……これで、大丈夫です」
顔を上げると、すぐ目の前にリンデンの顔があった。
「……っ」
思った以上の近さに、ルカの手が止まる。
リンデンもまた、彼の顔を見つめていた。
「ありがとう、ルカ」
「い、いえ……! これくらい、当然ですから……」
「当然、か」
リンデンは少し考えるように黙ったあと、静かに口を開いた。
「だが、私は嬉しかった」
「……え?」
「お前が、自分から私のために何かをしてくれたことが」
ルカの胸が、どくんと跳ねた。
ほんの少し襟元を直しただけ。
それなのに、リンデンはこんなにも喜んでくれる。
「……本当、ですか?」
「ああ」
リンデンは迷いなく頷いた。
「お前がしてくれることなら、どんな些細なことでも嬉しい」
「…………っ」
ルカは、とうとう顔を上げていられなくなった。
けれど、胸の奥は不思議なくらい温かかった。
自分にも、彼を喜ばせることができる。
その事実が、何よりも嬉しかった。
*
午前の執務が始まると、リンデンはいつものように書類へ目を通していた。
ルカは少し離れた場所で、必要な書類を整理している。
……はずだった。
「……ルカ」
「はい、殿下!」
「その書類は、こちらに」
「は、はい!」
ルカは慌てて書類を差し出した。
その際、指先がほんの少し触れ合う。
たったそれだけのことなのに、ルカの頬が赤くなった。
「……失礼いたしました」
「いや。気にするな」
リンデンは平静を装いながら書類を受け取った。
しかし、内心では落ち着かなかった。
今朝から、ルカがいつも以上に近い。
自分から話しかけてくる回数も増えたし、目が合うと恥ずかしそうに微笑むこともある。
昨夜、互いの気持ちを少しだけ確かめ合えたからだろうか。
それとも、何か心境の変化があったのだろうか。
どちらにしても。
「…………」
リンデンは手元の書類へ視線を戻した。
文字が、まるで頭に入ってこない。
普段なら一読すれば理解できる内容なのに、今日は同じ箇所を何度も読み返してしまう。
原因は分かっていた。
少し離れたところで、ルカが真剣な顔をして書類をまとめている。
時折、こちらを気にするように視線を向けてくる。
そして、目が合うと、嬉しそうに微笑むのだ。
……困った。
これは、非常に困った。
「……殿下?」
「何だ」
「先ほどから、同じ書類をご覧になっているようですが……何か問題でもございましたか?」
リンデンは、ぴたりと動きを止めた。
見られていたらしい。
「……問題はない」
「そうですか? もしお疲れでしたら、お茶をお持ちしますが……」
「いや、必要ない」
そう答えた直後、リンデンは少し考え直した。
「……いや。頼めるか?」
「はい! すぐにご用意いたします」
嬉しそうに返事をして、ルカが部屋を出ていく。
その後ろ姿を見送りながら、リンデンは深く息を吐いた。
自分からお茶を頼んだのは、もちろん喉が渇いていたからでもある。
だが、それだけではなかった。
ルカが自分のために動いてくれることが、思いのほか嬉しかったのだ。
「……まったく」
リンデンは片手で額を押さえた。
これでは、どちらが相手を振り回しているのか分からない。
今まで自分は、ルカの何気ない仕草ひとつで心を乱されてきた。
それでも、彼は自分の気持ちに気づいていないのだと思っていた。
けれど、今朝からのルカは違う。
まるで、自分から距離を縮めようとしているようだった。
もし、本当にそうなのだとしたら。
「……これ以上、私を喜ばせてどうするつもりだ」
誰もいない執務室で、リンデンは小さく呟いた。
その声には、困惑と、それ以上の喜びが滲んでいた。
*
昼過ぎ。
ひと通りの仕事を終えたリンデンは、窓辺で庭を眺めていた。
その背後から、ルカが声をかける。
「殿下」
「……どうした?」
振り返ると、ルカは少し緊張した面持ちで立っていた。
両手を胸の前で重ね、何かを言おうか迷っているようだった。
「……あの、午後のご予定ですが」
「次の謁見までは時間がある。何かあるのか?」
「いえ、その……」
ルカは一度視線を落とした。
本当は、ずっと考えていた。
今日、自分からリンデンに何かを伝えたい。
昨夜、そばにいてほしいと願ったように。
今度は、自分から一緒にいたいと伝えたい。
けれど、いざ言葉にしようとすると、途端に恥ずかしくなってしまう。
それでも、ルカは小さく息を吸った。
「……殿下と、一緒にお茶をいただけたらと思いまして」
リンデンは、目を瞬かせた。
「……私と?」
「は、はい。お忙しいとは思うのですが……もし、お時間があれば」
言い終えたルカは、不安そうにリンデンの表情を窺った。
断られてしまうかもしれない。
忙しいからと、いつものように気遣われるかもしれない。
そう考えると、急に自信がなくなってしまった。
「……やはり、ご迷惑でしたでしょうか」
「いや」
リンデンは、思いのほか早く答えた。
「迷惑なわけがないだろう」
「……本当ですか?」
「ああ。むしろ、私から誘おうと思っていたくらいだ」
その言葉を聞いて、ルカの表情がぱっと明るくなった。
「……よかった」
ほっとしたように微笑むルカ。
その笑顔を見た瞬間、リンデンは胸の奥を強く掴まれたような気がした。
自分と過ごす時間を、こんなにも喜んでくれる。
そのことが、どうしようもなく嬉しかった。
「では、庭でいただこうか」
「庭、ですか?」
「ああ。今日は天気もいい」
リンデンは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……お前と、ゆっくり話がしたい」
ルカは頬を染めながら、嬉しそうに頷いた。
「はい……!」
*
庭園には、白や淡い桃色の薔薇が咲いていた。
柔らかな風が吹き抜け、花びらが静かに揺れている。
二人は庭の東屋に腰を下ろし、用意された紅茶を楽しんでいた。
最初は少し緊張していたルカも、リンデンが穏やかに話しかけてくれるうちに、次第に自然な表情を取り戻していった。
「……殿下は、こちらの庭がお好きなのですか?」
「そうだな。執務の合間に来ることもある」
「そうだったのですね」
ルカは周囲を見渡した。
「とても綺麗です。僕は、ここの薔薇が好きです」
「……そうか」
リンデンは、ルカの横顔を見つめた。
「では、また一緒に来よう」
「……え?」
「お前が好きだと言った場所なのだから」
あまりにも自然に言われて、ルカは目を丸くした。
「……僕と、ですか?」
「他に誰がいる」
「そ、そうですよね……!」
ルカは慌てて頷いた。
けれど、その胸の中には嬉しさが広がっていた。
以前の自分なら、きっと遠慮していた。
皇太子の時間を自分のために使ってもらうなんて、申し訳ないと思っていたから。
でも今は。
「……僕も、また殿下と来たいです」
ルカは、少しだけ勇気を出して伝えた。
リンデンの手が、カップを持ったまま止まる。
「……ルカ」
「は、はい」
「今日は、ずいぶんと素直だな」
「……いけませんか?」
ルカは不安そうに首を傾げた。
「昨日、殿下が……僕の気持ちを、もっと教えてほしいとおっしゃったので」
「ああ」
「それで……僕も、ちゃんと伝えたいと思ったんです」
ルカは恥ずかしそうに微笑んだ。
「殿下に喜んでいただけると、僕も嬉しいので」
リンデンは、しばらく何も言わなかった。
その言葉を、心の中で何度も繰り返す。
自分が喜ぶと、ルカも嬉しい。
自分と一緒にいたいと、ルカも思ってくれている。
それは、今まで何よりも欲しかった言葉だった。
「……そうか」
ようやく口にできた返事は、少しだけ掠れていた。
ルカが不思議そうに見つめる。
「……殿下?」
「いや」
リンデンはカップを置くと、そっと手を差し出した。
「……手を、つないでもいいか?」
ルカは驚いたあと、すぐに微笑んだ。
「……はい」
差し出された手を、自分の手で包み込む。
その瞬間、ルカはもうひとつ、伝えたいことを思い出した。
「……あの、殿下」
「何だ?」
「……明日も」
一度言葉を切り、ルカはリンデンを見上げた。
「明日も、僕から殿下に会いに来てもいいですか?」
リンデンは、今度こそ完全に言葉を失った。
いつもなら、自分からルカを呼ぶ。
自分から会いに行き、そばにいてほしいと願う。
それなのに、ルカのほうから会いたいと言ってくれた。
「……ルカ」
「……はい」
「お前は……本当に」
リンデンは言葉を探した。
嬉しい。
愛おしい。
今すぐ抱きしめたいほど、大切だ。
けれど、そのすべてを一度に伝えてしまえば、きっとルカはまた真っ赤になってしまうだろう。
だから彼は、つないだ手を優しく握り返した。
「……いつでも来い」
そして、静かに微笑んだ。
「私は、いつだってお前に会いたい」
「…………っ」
ルカの顔が、耳まで赤く染まった。
「……殿下も、ずるいです」
「何がだ?」
「僕ばかり、恥ずかしくなってしまいます……」
そう言いながらも、ルカは手を離そうとはしなかった。
むしろ、ほんの少しだけ、自分から握る力を強めた。
リンデンはその小さな変化に気づき、目を細める。
「……ルカ」
「はい?」
「もう少し、このままでいよう」
ルカは嬉しそうに頷いた。
「……はい」
薔薇の香りが漂う庭園で、二人はしばらく手をつないでいた。
今まで、リンデンばかりが差し出していた手。
その手を、今度はルカが、自分の意思で握り返している。
それだけのことが、二人にとって大きな一歩だった。
ルカはまだ、恋という気持ちのすべてを理解しているわけではない。
リンデンが自分に向ける愛情の深さにも、気づいていないことがたくさんある。
それでも、もう以前のように、ただ遠慮するだけではいたくなかった。
自分から会いたいと伝えたい。
自分から隣にいたいと願いたい。
そして、いつか。
リンデンが自分を大切にしてくれるのと同じくらい、自分も彼を大切にできるようになりたい。
「……殿下」
「何だ?」
「今日は、一緒にお茶をしてくださって、ありがとうございました」
「礼を言うのは私のほうだ」
リンデンは、つないだ手を見つめながら答えた。
「……お前から誘ってくれたことが、嬉しかった」
ルカは照れくさそうに笑った。
「……では、また誘いますね」
その言葉に、リンデンは穏やかな笑みを浮かべた。
「ああ。楽しみにしている」
春の風が、二人の間を優しく吹き抜けていく。
昨日までは、リンデンがルカの心に一歩ずつ近づいていた。
そして今日、ルカもまた、自分の足でリンデンのもとへ歩み寄った。
その小さな一歩が、二人の関係を少しずつ変えていく。
まだ知らない未来も、伝えきれていない想いも、たくさんある。
けれど、これからは一人だけが手を差し伸べるのではない。
互いに手を伸ばし、互いに応えながら。
二人は、ゆっくりと同じ道を歩き始めていた。
コメント
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「今度は、僕から」—もうタイトルから胸がきゅっとなりました。今までリンデンが一歩ずつ近づいてくれていたのを、今度はルカが自分の意思で彼の手を握り返す。襟元を直すとか、お茶を一緒にどうかとか、本当に小さな行動なんですけど、その一歩がどれだけ勇気のいることかと思うと感動しました。「僕ばかり恥ずかしくなってしまいます」って言いながらも手を離さないルカ、可愛すぎます…。リンデンが集中できなくなるのも、分かるなあ。差し出した手が、今度は握り返される喜びって、何にも代えがたいですよね。