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奈良時代、藤原氏の祖となる中臣鎌足は、蘇我氏の圧倒的な権力に対抗し、政治的な野心を抱いていた。鎌足は、蘇我氏を打倒し、自らの一族を日本の支配層へと押し上げるために、あらゆる手段を模索していた。しかし、蘇我氏の権力は絶大で、表立った攻撃だけでは容易に崩すことができないことを悟る。
中臣鎌足:
「このままでは我が一族は、永遠に蘇我氏の陰に隠れてしまう。力を持たねば、勝利は遠い…。」
そこで鎌足は、裏の力を使うことを決意する。それは陰陽道の秘術、特に禁じられた術の一つである「蠱毒」の編み出しだった。
蠱毒は、陰陽道において最も恐れられる術の一つだが、正式には伝わっていなかった。中臣鎌足は、古くから伝わる陰陽術の文献や、山奥に隠れ住む陰陽師たちの知識を集め、最も破壊的で邪悪な力を生み出す方法を探し始めた。
彼が着目したのは、自然界に存在する生命力を利用し、怨霊や邪念を増幅させる術だった。この術では、特定の生物や魂を閉じ込め、極限まで憎悪や破壊の感情を育てることで、恐るべき力を得ることができるとされていた。
陰陽師の導師:
「蠱毒は、数多の生物を一つの容器に閉じ込め、最後に生き残った一匹にすべての邪念を集約する。残ったものは、破壊を招く存在となる。」
この言葉を聞いた鎌足は、すぐにこの禁断の術を使うことを決意した。
中臣鎌足は、選ばれた陰陽師たちを集め、奈良の奥深い山々で蠱毒の儀式を開始した。彼は、蘇我氏に対する激しい憎しみを込め、儀式に用いる生物や魂を集めるよう命じた。儀式には、蛇、虫、動物、そして処刑された囚人の魂さえも使われ、最も強力な怨霊を生み出すために、ありとあらゆる手段が取られた。
数週間にもわたる儀式の末、ついに一匹の蠱毒が誕生した。それは、黒い瘴気に包まれた恐ろしい存在であり、見ただけで周囲の者が恐怖に凍りつくほどの力を持っていた。
中臣鎌足:
「これが蠱毒…この力があれば、蘇我氏を倒すことができる…。」
蠱毒は、鎌足自身の手によって制御され、その力を蘇我氏を打倒するために使われることとなった。
鎌足は、蠱毒の力を巧みに使い、蘇我氏に不運や災いを次々ともたらした。謎の病気や不慮の事故、自然災害が相次ぎ、蘇我氏は次第にその力を失っていった。
最終的に、蘇我入鹿が討たれ、蘇我氏の支配は終焉を迎えた。その背後には、蠱毒の力があったとされ、鎌足はその力をもって藤原氏の基礎を築くことに成功した。
中臣鎌足:
「これが、我が一族の新たな始まりだ。蠱毒の力は我々を導いてくれた…。」
しかし、蠱毒の力はあまりに強大であり、鎌足自身も次第にその呪いに蝕まれていくことになる。彼は蠱毒を再び封印しようと試みたが、その力は完全には制御できず、後の世にまでその影響を残すこととなった。