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この場所に、特別おかしなところはない。少なくとも私にとっては、すべてが普通に見える。ただ、この部屋の隅にいつも突然現れる二つの姿を除けば。
もしかすると、ここは本来、彼らの住処なのかもしれない。
私は扉の枠にもたれながら、無表情のまま彼らを見つめる。本当に彼らなのかどうか、確かめるように。
気に入らないのは、その視線の向きだ。彼らは私を見ていない。まるで今この瞬間、私のそばに彼ら以外の“何か”がいるかのように。
静寂が、冷たい手となって首筋を這い上がる。
もう耐えきれず、私は交互に名を呼ぶ。
「ラファエル? モルフェル?」
呼ばれた二人は、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「またここへ来たのか?」
ラファエルはそう言い、私の肩に止まった。
ラファエル。それがこのカラスの名だ。なぜその名なのか、誰がつけたのかも知らない。
その姿と並べると、皮肉としか思えない名前だ。
「答えなくても、もう分かっているんでしょう?」
「こんなことを続けてはいけない。いつか、この世界の軌道がずれたとき、お前は戻れなくなる」
ラファエルの小言は無視し、私はモルフェルの存在に視線を留める。
モルフェル――それは私が仮につけた名だ。この場所と共に出会った子ども。
あのとき、夜空には無数の星が無秩序に散らばり、月と共に草原を照らしていた。
遠くには、外界と広い中庭を隔てる境界に囲まれた城が見えていた。
彼と出会ったのは、あの場所だ。
寒さに身を丸めて横たわる小さな身体を、私は偽物の温もりで抱き上げた。
最初は、ただの夢だと思っていた。
だが繰り返すうちに、その儚い夢は現実味を帯び始めた。
夢は毎晩、異なる内容で訪れる。そして私の行動は、必ず彼に影響を与える。
森の奥で立ち往生し、言葉を話すカラスに出会うこともあった。
彼は問いかける。
お前は何者なのか。なぜ“門”の番人たちは、いつもお前に扉を開くのか。
私自身にも分からない。
カラスは自らを「ラファエル」と名乗り、ここにあるあらゆる誘惑に惑わされるなと警告する。特に「あの少年」には気をつけろと。
誘惑?
ここで私が受け取るものは、美しさと、現実では決して得られなかった在り方だけだ。
まるで、私が望んできたすべての希望を作り替えたかのように。
だがラファエルは、それ以上を語らない。
それなのに、なぜここへ戻るたび、黒い羽根が私の周囲に散らばっているのだろう。
だが今回は、そのカラスがこの場所で堂々と姿を現した。
モルフェルとラファエルは視線を交わす。しかし次の瞬間、モルフェルはその場を破るように部屋を飛び出した。
ラファエルは窓枠へ移り、沈黙へと身を沈める。
「あなたが怖がらせたのよ」
私は近づきながら言う。
ラファエルは窓の外を見つめている。私の視線もそれを追う。
太陽の円盤は、今や月に覆われていた。
下には、ただ空虚な草原が広がっている。
だが瞬きをした瞬間、黒い影のような存在が静止して立っていた。
私はわずかに眉をひそめ、ラファエルを見る。
「彼らは、いつも先に来ているの?」
ラファエルは沈黙を選ぶ。その沈黙が、私を確かに苛立たせる。
「もういい。本人に聞くわ」
そう言って部屋を出る。
そして入口の前で足を止めたとき、不思議と彼の存在を感じ取った。
「モルフェル? あなたなの?」
近づいた瞬間、先ほどの黒い存在が彼の背後に現れ、彼を引き寄せ、そのまま唐突に消え去った。
すべてが一変する。
蝕まれていた太陽が突如として強烈な光を放ち、痛みに目を閉じる。
再び開いたとき、私は木々に囲まれた空虚な草原の中央に立っていた。
空には依然として蝕が残っている。だが北の空には、もう一つの太陽が輝いている。
「だから言っただろう」
胸を刺すような単調な声に振り向くと、そこにはラファエルがいた。
「ラファエル?」
私は問いかける。
「一体、何が起きたの?」
ラファエルは再び沈黙を選んだ。
その静寂の隙間で、彼は私にひとつの物を差し出す。
小さく、触れた瞬間に刺すような冷たさを持つもの。
針? しかしそこには巻かれた羊皮紙が添えられている。
ラファエルはそのまま、南へ向かって飛び去っていく。
いったい、これは何なのだろう。
そこにはこう記されていた。
「モルフェウスの子らは、束縛なき美を分かち合うために創られた。
そのうちの一人が満たされたとき、双子が向かい合えば、扉は閉ざされる」
「つまり、私は謎解きをさせられているの?」
見上げながら、私は小さく呟く。
――双子が向かい合えば、扉は閉ざされる。
もし太陽が重なったら、私は帰れなくなるということ?
――双子が向かい合えば。
モルフェルには、双子がいるのだろうか。
無数の疑問が思考を襲う。
その次の瞬間、指先に鋭い痛みが走った。見ると、針によって小さな赤い点が滲んでいる。
物体は淡く輪郭を残す円盤の上で回転し、やがて一方向を指して止まった。
方角? 南?
ラファエル?
思考が問いかける。
私はそれを掴み、歩きながら持ち運ぶ。立ち止まっている時間はない。
最初から、すべては理不尽だった。
奇跡であるはずなのに。
彼の出自は? 姓は?
なぜ捨てられた?
どうして彼らには意識がある?
これが答えなのか。
思考が遠くへ進むほど、私の足もまた暗い森の奥へ踏み込んでいく。
木々は鬱蒼と生い茂り、しかも蝕が空を覆っている。
深く進むほど、暗い海へ潜るような感覚に変わっていく。
もう何も見えない。
ただ、手にした鋭い物の淡い光だけが頼りだ。
一歩踏み出した瞬間、足場が崩れ、深い穴へと落ちた。
底はないかと思われたが、やがて水に叩きつけられ、底へ沈む。
明らかに動揺しながら、私は必死に水面へと浮かび上がろうとする。
重く絡みつく水が、それを拒む。
岸へ這い上がると、激しく咳き込んだ。
息を吸うたび、まるでそれが私の思考までも侵す毒のように感じられる。
この物は、期待したほど役に立たない。
ラファエルもまた、見た目以上に不可解だ。
ラファエル……
「その名は嫌いだと、言ったはずだ」
息が詰まる。
再びその声を聞き、耳鳴りが走る。
虚無の中、ひとつの光がゆっくりと大きくなっていく。
視界に夜の鷲(フクロウ)の動きが映る。
白い羽が、この場の正気を打つように揺れた。
「今度は何?」
私は低く呟く。
それは私の前に降り立つ。
何度も対峙してきた、あの馴染んだ気配。
だがその視線もまた、私に向けられてはいない。
彼らはいったい、私のそばの“何”を見ているのか。
次の瞬間、その目は私の握る物へと移る。
「ラファエルは、もう話したのか?」
口を開くより先に、答えは拒まれる。
「すぐに去れ、ラル。」
閉ざされるのを待つには、お前の時間は足りない」
理性がそれを拒絶する。
だが次の瞬間、自分の名が呼ばれたことに気づく。
反射的に顔を上げる。
「どうして、その名前を知っているの?」
しかし、支配するのは虚無だけだった。
姿あるものさえ、視界から消えている。
ここでの奇跡は、悪夢へと姿を変えた。
――向き合う孤独の中、水面の上に黒く濃い影がぼんやりと浮かんでいるのが見える。
視界の端でそれを窺う。大きな目は瞬きもせず、まるで私の魂と正気を喰らおうとしているかのようだ。
これが、いわゆる幻覚なのだろうか。
前触れもなく、大きな二つの手が私を強く掴み、そのまま闇へと引きずり込む。
すべてがあまりにも速い。
一度瞬きをしただけで、私はまた別の場所へ移されていた。
耳を打つ静寂。
周囲を覆う盲目の闇が、私を拘束する。
目を、本来の役割へと無理やり戻そうとする。
足音だけが乾いたノックのように響き、思考の奥ではいくつもの咆哮が反響する。
「もういい……私は、何のために足掻いているの?」
小さく呟く。」
ここで終わっても構わない。
そもそも私は、すでに手にしたものの中から何を探していたのだろう。
「お前は、何を得たというのだ?」
再び、出所の分からぬ声が耳に届く。
意識を逸らされた瞬間、足取りが乱れる。
闇を探る視線の中、冷たい鋭利なものが足を貫いた。
ぼんやりと視界に映る。
この狂気へと私を導いた、小さな金属片。
いったい、これは何なのだろう。
指の間にある奇妙な物体が、悪夢を美へと強制的に塗り替えていく。
絶望のまま、私はそれを二つに折った。
「双子はすでに向き合った」
耳元で擦れるような囁きが、恐ろしく響く。
身体が硬直する。
目は縛られていた盲目から解き放たれる。
「太陽が……」
見上げた瞬間、理解した。
すでに、重なっている。
光速のような衝撃が私を打ち、
燃え盛る爆発の中で、周囲は溶け崩れていく。
追われるように荒れる呼吸。
開こうとしない瞳とぶつかり合う。
薄れかけていた意識が、突然引き戻される。
荒い呼吸。
速く打つ鼓動。
見開かれた瞳孔と、重たい息遣いがぶつかる。
「……帰って、きた?」
周囲を見渡す。
整えられたはずの物、見慣れた景色。
だがどこか曖昧だ。
何が起きたのかを脳が処理しようとする一方で、耳は音を探す。
しかし何もない。
ゆっくりとベッドから降り、階下へ向かう。
そこにあったのは、ただの孤独だった。
帰ってきたはずなのに。
皆はどこへ行ったのか。
私が“あちら”にいた間、何が起きたのか。
その最中、私はようやく、ずっと見過ごしてきた違和感に気づく。
ここには、時計がない。
視線を強引に巡らせる。
そして玄関前に置かれた金属に、完全に釘付けになる。
私の手の中で砕けたはずの物が、そこにある。
二本の針は、それぞれ三と七を指している。
残された円盤の裏には、こう刻まれていた。
「モルフェウスの子らは、すべて見つかった」
その瞬間、私はいつも突然現れる二つの姿へと視線を向ける。
だが今回は違う。
一人は白い翼を持ち、もう一人は人の姿をしている。
誰だ。
白い翼を持つ者が、息苦しい沈黙を破る。
「なぜここにいる、ラル?
私と共にいる方が、お前の世界へ戻るよりも楽しいだろう?」
「モルフェル……?」
「来い、ラル。共に戻ろう」
柔らかな微笑みを浮かべながら、彼は言う。
初めて聞くその声。
そして与えられたのは、あの場所へ閉じ込められる誘いだった。
私は鋭く彼を見据え、ゆっくりと後ずさる。
「できない。あなたも分かっているはず。
ここに、私の現実がある」
彼は揺るがない。
明らかに、今の私を試している。
隙を与えず、私は握っていた物を投げつける。
それは彼に当たり砕け、破片がその肌を裂く。
私は踵を返す。
だが彼は動かない。
その瞬間、もう一人が素早く背後へ回り込む。
荒々しい腕が私を引き寄せる。
巨大な黒い翼がゆっくりと広がり、私を包み込み、閉じ込める。
そして――意識は奪われた。
今になって、ようやく理解する。
得たすべての美は、
本物の自由には到底及ばない。
モルフェルの望みは、私の望みではない。
そして私は知った。
手にしたものの中から探していた答えは、
明確な導きなしには、どこにも存在しないのだと。
The End?