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男の足が止まった。目の前で蠢く影は確かに妻の姿をしている。だが顔立ちは痩せこけ、瞳は虚ろだった。
一年前とは別人のような細さなのに腹部だけが異様に膨れ上がり、まるで巨大な肉塊を抱えているかのように蠢いている。
「君……本当に明子なのか?」
声を絞り出した瞬間、女の喉から耳障りな鳴き声が漏れた。それは人の声ではなく、昆虫が羽を擦り合わせる音にも似ていた。
お腹の表面が波打ち、皮膚の下で何か。が急速に移動するのが見える。まるで魚の大群が泳いでいるかのような……。
「お願いだから……答えてくれ」
一歩踏み出そうとした時、地面に落ちた赤黒い液体に気づいた。それは血液でもあり消化液でもあるような粘度の高い液体だった。お腹の中から溢れ出ているものだ。
ふと脳裏に一年前の光景が蘇った。妻が行方不明になった日、近所の山中で奇妙な虫が大量発生していたという噂があった。もしや……妻はあの時に何かに取り憑かれてしまったのか?
恐怖と共に湧き上がる好奇心。もう一度よく見るとお腹の表面に微かな亀裂ができていて、そこから透明な膜に包まれた丸い物体が覗いていた。それは卵のように見えた。
「君は……一体誰なんだ」
言葉と同時に女の体が大きく跳ね上がった。お腹が破裂し、中から無数の黒い触手と白い幼虫のような生き物が飛び出してきた。部屋中に広がる悪臭。目の前で繰り広げられる惨劇。
そして次の瞬間――男の視界は闇に包まれた。意識が途切れる直前、「おかえり」という妻の優しい声だけが聞こえた気がした。