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「アッ、スイマセン!」
アタシは反射的に玄関のドアを閉めた。
部屋の中におかしな格好をした男性が1人、ちょこんと座っていたからだ。
「アカンやん、アタシ」
廊下に立ち尽くし、1人でツッこむ。
今日引っ越してきたばかりにしても、自分の部屋を間違えるなんてヒドイ。
あらためて玄関脇を見上げる。
『多部(たべ)リカ』
その時だ。
すぐそばから「ヒャッ」と悲鳴。
隣りの部屋の人だ。
アタシよりちょっと年上の女の子が玄関扉を細く開けてこっちを覗いている。
目が合うと「こ、ここ……こんにちは」と言ってそそくさと部屋に入っていった。
アタシが1人でブツブツ言ってたものだから、不審に思ったに違いない。
あとでちゃんと挨拶に行こ。
そう考えながら、アタシは(多分)自分の部屋の扉を開ける。
「ちょっと! 何なん、アンタ! 他人の部屋にッ」
ちゃぶ台の前に正座していた小男がクルリとこっちを振り向いた。
「な、何……ッ?」
男はスーツを着ていた。
ピンクのネクタイを締めている。
家の中なのに、何故だかワラジを履いていた。
分厚い丸メガネをかけて、額には『日本一』と筆書きされたハチマキを巻いているではないか。
前髪は眉毛の上できれいにパッツン切りそろえられ、後ろ髪は頭のてっぺんでチョンマゲにしてる。
「そちは何者じゃ。名を名乗れぃ」
そいつはアタシに向かって人差し指を突きつけ、変に高い声で叫んだ。
真新しい表札にはそう書かれていた。
「アタシの名前やん。じゃあ、ここはアタシの部屋やん。何なん、あの人……幻?」
一瞬、思考が停止する。
「ア、アタシは多部リカや。こ、ここの部屋の住人や……」
何でアタシが狼狽せんといかんねん。
「アンタこそ誰や!」
思いっきり叫ぶと、奴は涼しい顔してこう言った。
「余は桃太郎じゃ」
アカン! キタ!
困った人、やってキタ!
「余…ヨって……アンタ、どこの殿様やねん! い、いや、あの……部屋、間違えてますよ?」
関西人のサガで反射的にツッこみかけたところをグッと堪えた。
アカン。こういう人に対しては、あまり刺激しないように穏やかに喋らないと。
桃太郎──と名乗ったメガネはゆっくりと肩を竦めた。
チラリと横目でアタシを見やる。
「日本の人口は約1億3,000万人。約5,000万世帯もあって、狭い国土に隙間なくウサギ小屋が建ち並んでおる。その中の一つに、余が紛れ込んでもバレはすまいと思っての」
「そりゃバレるわー!」
アタシは声を大にして叫んだのだった。
「何やコイツ。何なんやコイツは。やっぱりトーキョーって怖い街なんや……」
ブツブツ言ってるうちにちょっと我に返った。
「そうや、警察や。こんな時こそ警察やで」
アタシは携帯を持っていない。
この部屋には電話もない。
アパートの廊下の端に公衆電話があった事を思い出して、立ち上がった。
コイツ、絶対おかしいもん。
これは警察のお世話になるしかないで?
「まぁまぁまぁ」
立ち去りかけたアタシの足を桃太郎がガシッとつかんだ。
あやうく転びかけ、アタシはキッと奴を睨む。
「まぁまぁまぁ」
「まぁまぁちゃうわ! 宥めんといて!」
こうなったら実力行使や。
アタシはガーッと叫んだ。
「なめとったら後悔するで! アタシはな、バドミントン部の星って呼ばれてたんや!」
両手を振り回し、立ち向かう。
「まぁまぁまぁ」
太腿ガッと押さえられ、アタシは空しく畳の上を転がった。
ヨロヨロ起き上がるのを桃太郎が手助けしてくれる。
「しっかりいたせ」とか言って。
うぅ、情けないことこの上ナシや。
しかし今のところ、コイツはアタシに危害を加える気はなさそうや。
ちょっとアレな感じ……そう、デンパさんなだけで、話せば分かる人かもしれない。
「あ、ありがとう。あの……桃太郎ってことはアレか? 実家がきびだんご屋さんとか? つまり、そういうシャレやろ」
そうであってほしい。
だが、桃太郎は真面目な顔してメガネを押し上げた。
「桃から生まれたので、余に実家はない」
そうきたかッ!
「桃から生まれたので余には戸籍もない。学校にも行ってなければ、選挙権もない」
「そ、そうなんや……」
アタシは確信した。間違いない。コイツは…関わったらアカンやつや。
「ムゥ。どないしよ。もしかしたらコイツ、宇宙人かもしれんしなぁ」
地球の人間の2分の1、つまり半分はもう宇宙人だ。
ヤツらは人間に混じってアタシ達と同じように日常生活を送っているのだ。
これは事実だ──小さい頃、お姉がしたり顔で言ってた。
「どうしたらいいんや……」
外がにわかに暗くなってきた。
遠くでゴロゴロ、雷の音がしている。
桃太郎はあくまでノンキに窓辺へ寄った。
「季節外れの雷光か。珍しいよのぅ。ほれ、そちもこちらへ来て見てみよ」
優雅に手招きされ、カチーンときた。
「アレは、アタシの怒りの稲光やっ!」
畳を蹴って飛び上がる。
奴に向かって飛び蹴りかました。
そして尻から落ちた。
ドシーンと古典的なすごい音かまして板間に墜落する。
「おおぅ、痛た……。失敗した」
目の前がチカチカして、頭がボーっとなってくる。
「しっかりいたせ! しっかりいたせぇ!」
桃太郎が叫んでいるが、アタシは何が何だか訳が分からなくなってきていた。
もしかしてコイツはアタシだけに見えている幻なのかもしれない。
「……だってオカシイやん」
『日本一』ってハチマキして、髷結わえてスーツ着た人間なんて。
もしかしたらコイツの姿も、訳の分からない理屈も全部、アタシの幻覚、幻聴なのかも。
何もない空間に向かって1人で怒鳴って飛び蹴りしているアタシ……。
うん、最近ストレスたまってたからな。
アタシはフラフラ玄関に向かった。
「これ、話はまだ終わっておらぬぞ。その方、大丈夫か。雷が……」
桃太郎の声が次第に遠退いていく。
階段を下りてアパートを出て、フラフラさ迷った。
アタシはとりあえず逃げ出したのだった。
桃太郎からも、別の何かからも。
そう。逃げの人生。
自販機が品切れになるまでコーラをがぶ飲みして、聞いたことないゲップが出たとこまでは覚えてる。
そう。体がフワーっと気持ち良くなったとこまでは……覚えているんだけど。
次の瞬間、全身にバチッと衝撃が走ってアタシの身体は空中にえび反りになっていた。
「2.不毛姉妹~妹が高圧電流を全身に浴びた話」につづく