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(俺の名前強調して出すってことは、他の奴だったらこんな反応見せないってことだよな……うん、そう、そーゆうこと)
意識されている。しかし喜ばしいことではない。何故なら”よろしくないほうで”意識されているのだから。
「ははは……」と、また無意味に乾いた笑い声を出して、それから情けなくも言葉が続かない。
(やっべ……、え、女と気まずい空気の時って俺何話してたっけ? 思い出せないんだけどマジで?)
こんな経験はあまりなかった。誰が相手でも、とりあえず何らかの会話を続けられるし、沈黙を作ってしまうことなどこれまでなかった。
要は、どんなに凍りついた空気の中でもペースを崩さずにやっていたということ。
しかし、今……真衣香を前に、頭が真っ白だ。
「あ、なんかの書類? 持ってきてくれたの?」
真衣香は坪井の手元を見て言った。ハッと我に返った坪井は「そうそう!」と、何とかいつもどおりの陽気な声で答える。
誤魔化せているだろうか? 不安がよぎる。こんな坪井の動揺は、真衣香に何の非もない、身勝手なもので。
それでも気が付いてしまっては彼女は優しいから、気に病むかもしれない。
普通に、普通に。そうやって何度も呪文のように坪井は繰り返し、努めて陽気な声で会話を続ける。
「八木さんにうちの部長が、手が空いてないからっておつかいさせられてんの。酷いよなぁ、俺も忙しいのにさ」
「おつかいって。 あはは、そっか。年末だしクリスマスだし……で、忙しいよね。営業部のみんなは特に」
(あ、笑った……え、可愛いな、やっぱ可愛い)
はにかむ程度だが真衣香が見せてくれた笑顔に激しく胸が鳴り、力んでいた身体がほぐされてゆく。
例えるなら12時間の寝溜めよりも身体の隅々まで回復できた――ような気がする。そんな感じだ。
だが、そんな幸福感はすぐに消える。脳内で『クリスマス』と真衣香の声が反復されてしまったから。
ドクドクと、次は奥から殴りつけられるような心音。
「あー、っと、あのさ……クリスマスっていえばさ」
「うん?」
「お前はなんか予定あるの?」
「……え?」
真衣香が黒目がちな愛らしい目を大きくあけて真っ直ぐに坪井を見上げた。
(あ、やば……。なんで聞いたんだって俺、バカだろ)
真衣香の唇が動きを見せた途端、怖くなった。
気になっていたことは確かだ。けれど、知りたかったかと己に問い掛ければ、悩まずとも答えは『ノー』だ。
しかも真衣香にしてみれば『何であんたなんかが私のクリスマスの予定聞いてくんのよ、頭大丈夫?』くらい言いたくもなるだろう。
……まあ、真衣香はこんな口汚く罵ってきたりはしないだろうが。
「……どうして、急にクリスマス……」
「や、ほら、イブだなぁ今日! とか、思い出してさ。た、他意はないからほんとに!」
「……他意って」
「今日は平日ど真ん中だしさ、まぁそんな気にもならないけど。明日は金曜じゃん、クリスマス当日。 八木さんと約束でもしてるのかなって。ははは……」
(聞いてどうするよ……)
語尾が小さくなってく自分の声が悲しいほどに惨めだった。
「や、八木さんとは……」
真衣香が何やら気まずそうに視線を逸らして八木の名を出した。
しかしその声の続きは「俺が、なんだって?」と、明らかに真衣香のものではない声で。
真衣香が「あ」と声を出して、坪井の背後をじっと見た。
坪井はそれに続くようにゆっくりと振り返ると。
「何こんなとこで突っ立って話してんだよ、寒いだろが風邪ひくぞ」
グレーのスーツに同色のネクタイ。ピンクのシャツを嫌味なく、そして憎らしいほどにスラリと着こなす、八木の姿がそこにあった。