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3件
急な「十分綺麗」はやばい...🤦♀️。
もう第98話、一気に読んじゃいました。いちごみるくさん、今回も胸がぎゅっとなるお話をありがとうございます。 〇〇が廉くんと過ごす時間は「ちゃんと楽しい」のに、胸の奥にずっと引っかかってた違和感。それが「第二の家」って言葉でスッと腑に落ちる瞬間、すごく好きでした。北斗くんの家が「何も考えなくていい場所」になってたんだね。あのひと言で、〇〇の心の居場所がはっきり見えた気がします。 それと同時に、北斗くんの切なさもひしひしと伝わってきて。彼が「安心する場所」にはなれても「恋する相手」として見られてない現実に胸が痛みました。でも、最後に「もう少しだけ頑張る」って決めた北斗くんの強さに、心が震えました。 ふたりでたこ焼きを作るシーン、北斗くんが〇〇をベッドに運んで額にキスを落とす場面、朝の何気ないやりとり…どのシーンも温かくて、思わず笑顔になりました。〇〇の無自覚な距離感と、それに振り回される北斗くんの心情描写が丁寧で、読んでいて感情移入しっぱなしでした。 次のエピソードも楽しみに待っていますね。お疲れさまでした🌷
続き
〇〇side
車が止まる。
警備スタッフが周囲を確認してから、
後部ドアが開く。
廉「着いたで」
〇〇「うん」
マスクとキャップで軽く変装したまま、
二人とも車を降りる。
カフェは落ち着いた通り沿いの奥。
人通りはあるけど、入口は少し奥まっていて視線が届きにくい。
廉が先に歩いてドアを開ける。
カラン、と鈴の音。
中は木目調で静かだった。
スタッフに案内されて、奥の席へ。
窓際の少し囲われたスペース。
廉が向かいに座る。
〇〇もその前に座る。
メニューを開く。
廉「何にする?」
〇〇「……コーヒー」
廉「了解」
すぐに店員を呼ぶ。
注文が終わるまでの間、
小さな沈黙。
〇〇は窓の外を見ている。
でも視線は落ち着かない。
運ばれてきたカップ。
白い湯気。
〇〇は一瞬それを見てから、
手を伸ばさないまま止まる。
廉「どうした?」
〇〇「……やっぱり紅茶にしていい?」
廉「ええよ。変えよか」
すぐに店員を呼び直す。
その対応は自然で、引っかかりもない。
紅茶が来るまでの間。
廉はスマホを少し見ているだけで、
無理に話を続けない。
その静かさが、
逆に落ち着かない。
〇〇は手元の水を少しだけ飲む。
そのときふと、
朝の家を思い出す。
北斗が無言で置いたコップ。
「飲め」とだけ言われた水。
何でもないのに、
やけに残っている感覚。
紅茶が運ばれてくる。
〇〇はやっと少しだけ手を伸ばす。
飲んだ瞬間、
少しだけ息が整う。
廉はそれを見ているけど、
何も言わない。
ただ静かに、
同じ空間にいるだけ。
会話は少ないのに、
空気は穏やかだった。
それなのに。
〇〇の頭のどこかだけが、
ずっと別の場所を思い出していた。
紅茶を一口飲む。
温かさが喉を通っていくのに、
気持ちはあまり落ち着かない。
〇〇「……」
カップを置く。
別に嫌じゃない。
廉といるのも、
この空気も。
むしろ静かで、優しくて、ちゃんとしてる。
なのに。
何かだけが引っかかっている。
それが何なのか分からない。
〇〇(なんでだろ)
視線を窓の外に逃がす。
通りを歩く人たち。
ゆっくり流れる車。
いつも通りの昼。
廉はスマホを軽く見ているだけで、
特に何も言わない。
気を遣っている感じもない。
それがまた、楽なはずなのに。
〇〇(……変)
さっきからずっと同じ。
“変じゃないのに変”。
説明できない。
楽しいはず。
普通のはず。
嫌なことなんて何もない。
それなのに、
胸の奥だけ少し落ち着かない。
カップを指でなぞる。
温度が少しずつ下がっていく。
廉「大丈夫?」
〇〇「……うん」
即答する。
でも、その“うん”は自分でも少し薄いと分かる。
廉はそれ以上聞かない。
ただ少しだけ視線を上げて、
またスマホに戻る。
その距離感は変わらない。
優しいまま。
ちゃんとしてるまま。
それでも。
〇〇の頭のどこかに、
朝の光景が勝手に浮かぶ。
北斗の家。
無言のコップ。
ソファの沈み方。
「普通でいいからな」って言い方。
何が違うのか分からないのに、
そこだけがやけに残っている。
〇〇(……なんであれ思い出すの)
目の前にいるのは廉なのに。
ちゃんとここにいるのに。
理由のない違和感だけが、
静かに胸の奥に残り続けていた。
カップを持ったまま、〇〇は視線を落とす。
何が引っかかってるのか、まだ言葉にならない。
そのとき。
廉「ちょい待ってな」
そう言って、廉が席を立つ。
〇〇「ん?」
廉「砂糖取ってくる」
軽くそう言って、カウンターの方へ歩いていく。
その背中を見送りながら、
〇〇は一人になる。
一瞬、空気が静かに沈む。
カップの中の紅茶だけが、
小さく揺れている。
〇〇(……今の時間、なんだろ)
誰もいないわけじゃないのに、
急に“間”ができる。
その瞬間。
また浮かぶ。
朝のキッチン。
北斗が水を置いた音。
「飲め」って言い方。
あの時は何も考えなかったのに、
今はなぜか引っかかる。
〇〇(優しかっただけじゃん……)
そう思う。
それで終わりのはずなのに。
終わらない。
廉が戻ってくる。
小さなスプーンと砂糖をテーブルに置く。
廉「入れる?」
〇〇「……うん」
廉が紅茶に砂糖を入れる。
ゆっくりかき混ぜる音。
カチャ、カチャ。
その音を聞きながら、
〇〇は自分の胸の奥を探る。
楽しい。
嫌じゃない。
ちゃんとしてる。
それなのに。
さっきからずっと、
別の空気が混ざってくる。
説明できない何か。
〇〇「……なんかさ」
ぽつり。
廉「ん?」
〇〇「変なんだよね」
廉の手が止まる。
〇〇はカップを見たまま続ける。
〇〇「別に嫌じゃないのに」
〇〇「ちゃんとしてるのに」
〇〇「なんか落ち着かない」
言葉にした瞬間、
少しだけ胸が軽くなる。
でも同時に、
まだ正体は分からないまま。
廉は少しだけ黙って、
混ぜる手を止める。
そして静かに一言。
廉「……そっか」
それだけ言って、
また紅茶を混ぜる。
追い詰めるでもなく、
否定するでもなく。
そのまま時間が流れる。
けれど〇〇の中では、
その“落ち着かなさ”だけが、
ずっと静かに残り続けていた。
廉はスプーンを置く。
カチャ、と小さな音。
少しだけ間が空いてから、視線を上げる。
廉「……でもさ」
〇〇「ん?」
廉「今は俺見てほしいな」
さらっとした言い方。
重くないのに、
ちゃんと届く距離で置かれる言葉。
昨日と同じ。
同じなのに、少しだけ違って感じる。
〇〇は一瞬止まる。
〇〇「……」
紅茶のカップを持ったまま、
視線が揺れる。
正面に廉がいる。
ちゃんと見てくる目。
逃げ道を塞ぐわけじゃないのに、
自然とそこに視線が戻る。
〇〇「……見てるじゃん」
小さく返す。
廉「今じゃなくて」
「…………」
その言い方で、
少しだけ空気が変わる。
優しいままなのに、
少しだけ“真っ直ぐ”になる。
〇〇はカップを置く。
ゆっくり廉を見る。
廉はそのまま視線を外さない。
〇〇(……なんで今これ言われてるんだろ)
昨日も言われた言葉。
その時は、
ただドキッとしただけだった。
でも今は。
何かが少しだけ引っかかる。
理由は分からない。
嫌じゃないのに。
むしろちゃんとしてるのに。
〇〇「……なんかさ」
ぽつり。
廉「ん?」
〇〇「それ言われると、ちょっと困る」
廉「なんで?」
軽く返す。
いつも通りのトーン。
でも〇〇はすぐ答えられない。
〇〇「……分かんない」
正直なまま。
廉は少しだけ目を細めて、
それ以上は追わない。
ただ紅茶を一口飲んで、
廉「まぁ、ええよ」
とだけ言う。
空気は崩れない。
むしろ優しいまま続いている。
なのに〇〇の中では、
さっきからずっと同じ“引っかかり”だけが、
静かに形にならないまま残っていた。
パスタがテーブルに運ばれてくる。
湯気と一緒に、オイルの香りがふわっと広がる。
〇〇「……おいしそう」
廉「せやろ」
軽く笑って、二人とも食べ始める。
最初は静かにフォークが動く音だけ。
〇〇も少しずつ緊張が抜けて、
普通に食べられるようになっていく。
〇〇「これおいしい」
廉「よかったやん」
そのやり取りも、自然で、ちゃんとしてる。
少しだけ空気がやわらかくなる。
〇〇がパスタを巻きながら、
一口食べた瞬間。
「……ん」
ソースが少しだけ、口元につく。
気づかないままフォークを置く〇〇。
廉「ちょい待ち」
〇〇「ん?」
顔を上げた瞬間。
廉がテーブル越しに少し身を乗り出して、
ナプキンで〇〇の口元をそっと拭く。
「……っ」
ほんの一瞬。
近い距離。
手つきは自然で、
何も特別なことみたいにしないのに。
その一瞬だけ、
空気が止まる。
〇〇の心臓が少しだけ跳ねる。
〇〇(……なにこれ)
優しい。
慣れてる。
ちゃんとしてる。
なのに。
胸の奥が、さっきよりはっきり動く。
廉「付いてたで」
〇〇「……あ、ありがと」
声が少しだけ遅れる。
廉は何事もなかったみたいに座り直して、
また食べ始める。
その自然さが、
余計にずるい。
〇〇はフォークを持ったまま、
一瞬だけ止まる。
さっきの感覚が残っている。
嫌じゃない。
むしろ。
少しだけ嬉しい。
〇〇(……好きなのは、そうなんだよね)
頭の中で、
はっきり言葉になる。
廉のこと。
ちゃんと好き。
そう思ってるはず。
なのに。
さっきから胸の奥に残ってる“別の何か”は、
まだ名前がつかないままだった。
ーーーーーーーーー
北斗side
楽屋。
メンバーがそれぞれ準備や雑談をしている中、
北斗だけがソファに座ったまま動かない。
スマホも見てない。
台本も開いてない。
慎太郎「ねぇ北斗、今日ほんとどうした?」
樹「朝からずっとその顔してるよな」
高地「珍しいね」
ジェシー「何かあった?」
北斗は少しだけ間を置いて、
視線を落とす。
北斗「……今日の朝さ」
慎太郎「うん」
北斗「〇〇が出かけたんだけど」
一瞬、空気が少し変わる。
北斗「廉と」
樹「あー」
短く反応する。
北斗「別に普通なんだよ」
北斗「迎え来て、普通に出てって」
言いながらも、
言葉が少しだけ重い。
北斗「ちゃんと“いってきます”って言ってたし」
北斗「別に問題もない」
高地「うん」
北斗「なのにさ」
少しだけ笑う。
北斗「それ見送ったあとからずっと変」
慎太郎「どう変?」
北斗「……分かんねぇ」
正直に言う。
北斗「静かすぎるというか」
北斗「いつもある音がないだけで、こんな違うんだなって」
樹「音?」
北斗「〇〇の」
その言葉に、少し沈黙。
北斗「どうでもいい会話とか」
北斗「朝のバタバタとか」
北斗「それがないだけで、家じゃなくなる感じ」
少し笑っているのに、
目は笑ってない。
北斗「で、朝さ」
続ける。
北斗「廉と一緒に車乗ってって」
慎太郎「うん」
北斗「玄関で、普通に“いってきます”って言ってて」
そこを言った瞬間、
一瞬だけ言葉が止まる。
北斗「……あれ、ちゃんと見たのにさ」
北斗「なんか引っかかる」
そのとき。
きょもが静かに口を開く。
きょも「それさ」
全員がそっちを見る。
きょもは少し考えてから、
いつもの落ち着いた声で言う。
きょも「見送った“事実”じゃなくて」
きょも「そこにいた“空気”が変わったからじゃない?」
北斗「……空気?」
きょも「うん」
きょも「今までそこにあった“当たり前の場所”が、ちょっと違う方向向いた感じ」
少しだけ間。
きょもは続ける。
きょも「それ、たぶん普通に寂しいやつだと思うよ」
楽屋が一瞬だけ静かになる。
北斗は何も言わない。
ただ、
その言葉だけがゆっくり残っていく。
慎太郎は空気を変えるみたいに笑う。
慎太郎「でもさ、北斗がそれ言うのちょっと意外」
樹「だな」
ジェシー「ちゃんと人間してるじゃん」
軽く笑いが戻る中でも、
北斗だけはまだ、
朝の玄関を思い出していた。
〇〇の「いってきます」。
廉の隣。
その“当たり前の外側”に行ってしまった感じが、
ずっと消えなかった。
17:00。
予定よりかなり早く、今日の仕事が一区切りつく。
スタッフの「お疲れさまでした」が飛び交う中、
北斗は軽く頭を下げるだけで控室を出た。
慎太郎「早くね?」
樹「珍しいな今日」
高地「どっか行くの?」
北斗「帰る」
一言だけ。
ジェシー「即答だ」
軽く笑いが起きるけど、
北斗はもう廊下に出ている。
エレベーターに乗る。
下がっていく数字を見ながら、
頭の中はずっと同じまま。
朝の玄関。
〇〇の「いってきます」。
廉の隣。
それだけが、何回も再生される。
北斗「……」
エレベーターが開く。
外の光。
夕方の空気は少しだけ冷たい。
車に乗り込むと、すぐにスマホを開く。
何もない。
当然だ。
まだ昼過ぎに出たばかり。
それでも指が一瞬止まる。
北斗「……早いな」
ぽつり。
車が動き出す。
窓の外を流れる景色。
いつもと同じ帰り道なのに、
今日はやけに長く感じる。
家に近づくにつれて、
静かさが増していく。
到着。
マンション前。
エントランスを抜けて、オートロック。
エレベーター。
いつも通りの動作なのに、
どこか無意識で動いてる感じがする。
部屋の前に立つ。
鍵を回す。
カチャ。
ドアを開ける。
北斗「……ただいま」
返事はない。
分かってる。
誰もいない。
でも口から出るのは癖みたいなもの。
中に入ると、
朝のままの空気がまだ少し残っている。
ソファ。
テーブル。
洗面所の気配。
でもそこにあるはずの“音”がない。
北斗はゆっくり靴を脱ぐ。
一歩、部屋に入る。
静かすぎる。
北斗「……ほんとにいねぇな」
誰にでもなく呟く。
そのままリビングに立ち尽くす。
朝よりも、
もっと静かな部屋。
ただそれだけなのに、
やけに広く感じた。
ーーーーーーーーー
〇〇side
カフェの席。
窓の外は少しだけオレンジが混じり始めている。
紅茶はもう半分くらい減っていた。
廉「ここ、前も来たことあるよな」
〇〇「……そうだっけ」
廉「あるって。ドラマのあとやったかな」
〇〇「あー……そんな気もする」
曖昧に笑う。
その“昔の記憶”は、ぼんやりしている。
廉はスマホを置いて、
少しだけ椅子に体重を預ける。
廉「なんかさ、あの頃よりは落ち着いたよな」
〇〇「何が?」
廉「いろいろ」
その言い方は深く掘らない。
でも意味はちゃんとある。
〇〇はカップを指でなぞる。
昔。
仕事でバタバタしてた頃。
すれ違いが多かった頃。
喧嘩ってほどじゃないけど、
距離が空いていった時期。
〇〇「……あの時、ちゃんと言えなかったよね」
廉「何を?」
〇〇「いろいろ」
廉「まぁな」
あっさり。
でも責めない。
その軽さが、
逆に昔より大人に感じる。
廉「でも今は、ちゃんと話せてるやん」
〇〇「うん……」
少しだけ頷く。
紅茶を一口飲む。
廉は続ける。
廉「正直あの頃さ、もう終わるんかなって思ってた時もあったで」
〇〇「え」
廉「でも結局さ、タイミング合わんかっただけやろ」
〇〇は黙る。
その言葉は軽いのに、
ちゃんと重い。
廉「今こうやって普通に飯食えてるし」
廉「それでええやん」
〇〇「……うん」
返事はできる。
できるけど。
さっきから胸の奥にある違和感は、
まだ名前がつかないままだった。
廉はそれ以上追い込まない。
ただ普通に、目の前の時間を進めていく。
その優しさが、
ちゃんとしてるのに。
〇〇の中ではなぜか少しだけ、
さっきから別の景色が混ざっていた。
朝の玄関。
無言の水。
「普通でいいからな」って声。
理由は分からない。
でもその“違い”だけが、
ずっと残っている。
カフェの空気は落ち着いている。
紅茶の温かさも、廉の声も、全部ちゃんと“今ここ”にある。
〇〇は一度、軽く息を吐く。
〇〇「……まぁ、いっか」
小さく呟いて、カップを持ち直す。
廉「ん?」
〇〇「なんでもない」
すぐに笑ってごまかす。
廉はそれ以上聞かない。
いつも通り、ちゃんと距離を取ってくれる。
その感じが心地いいはずなのに、
さっきまでの引っかかりはまだ少しだけ残っている。
でも〇〇は、それを無理に掘らないことにした。
今はこの時間にちゃんといる。
そう決める。
〇〇「でさ、昔の話の続きなんだけど」
廉「どれ?」
〇〇「ドラマのときのやつ」
廉「あー、あの時な」
そこから少し空気が柔らかくなる。
昔の撮影のこと。
バタバタしてた時期のこと。
すれ違いかけたけど笑って終わった話。
廉がたまにふざけて当時の失敗を思い出して、
〇〇が笑って返す。
〇〇「あれほんと最悪だったよね」
廉「お前が一番焦ってたやつやん」
〇〇「違うし!」
少しずつ、
ちゃんと“楽しい”が戻ってくる。
さっきのモヤッとした感覚は、
話しているうちに薄れていく。
〇〇(……うん、大丈夫)
そう思える。
ちゃんとここにいる。
廉と話してる。
笑ってる。
それでいいはず。
紅茶をもう一口飲む。
ちゃんと温かい。
今はちゃんと、
この時間を楽しめている。
カフェの話がどんどん広がっていく。
昔の現場の裏話。
共演者とのやらかし。
移動中のくだらない会話。
〇〇も廉も、気づけばずっと笑っていた。
〇〇「それ絶対嘘でしょ」
廉「ほんまやって」
〇〇「信じない」
廉「いやほんまやからな」
そんなやり取りを繰り返しているうちに、
窓の外の光が少しずつ変わっていく。
さっきまで明るかった店内に、
オレンジ色が差し込み始める。
〇〇「……え、もうこんな時間?」
廉がちらっと時計を見る。
廉「ほんまやな」
17:00。
思っていたよりずっと時間が経っていた。
〇〇「やば、普通に長居してた」
廉「話してたらこうなるやつやん」
軽く笑う。
スタッフが空気を読んで、
そっと水を入れ替えていく。
その静かな動きで、
ようやく現実に戻る感じがする。
〇〇はカップを持ったまま、
少しだけぼーっとする。
さっきまでの違和感はもうほとんどない。
楽しかった。
それはちゃんと本当。
廉「このあとどうする?」
〇〇「うーん……帰る?」
廉「送るで」
〇〇「ありがと」
自然に返す。
立ち上がる準備をしながら、
〇〇はバッグを手に取る。
そのときふと、
スマホを見る。
通知はない。
何気なくロック画面に戻す。
それだけ。
それだけなのに。
ほんの一瞬だけ、
朝の玄関が頭に浮かぶ。
でもすぐに、
廉が席を立つ気配で上書きされる。
廉「行こか」
〇〇「うん」
〇〇はそのまま立ち上がって、
カフェを出る準備を始めた。
カフェを出ると、夕方の空気が少し冷たかった。
廉が先にドアを押さえて、
〇〇が続いて外に出る。
警備の車はすぐ近くに待機している。
廉「ここ乗るで」
〇〇「うん」
マスクをつけ直して、二人とも車へ。
ドアが閉まると、外の音が一気に遠くなる。
車内は静かで、さっきまでの余韻だけが残っていた。
廉「今日結構喋ったな」
〇〇「ほんとね」
廉「久しぶりに普通に長かったわ」
〇〇「楽しかった」
素直に言うと、廉は少しだけ笑う。
廉「それならよかった」
車がゆっくり動き出す。
窓の外は夕方の街。
光がビルの隙間に落ちていく。
〇〇はぼんやりそれを見ている。
さっきまでのカフェの空気。
笑ってた時間。
それはちゃんと“楽しかった”のに。
ふと、ほんの一瞬だけ。
朝の部屋の静けさが混ざる。
でも〇〇はすぐ首を振るようにして、
考えを切る。
〇〇(もういいや)
今はちゃんとここにいる。
廉と話して。
帰っている。
それで十分。
廉「このあとちゃんと休めよ」
〇〇「うん、そうする」
廉「また連絡するわ」
〇〇「ありがとう」
会話は軽いまま続く。
車はそのまま、ゆっくりとマンションの方へ向かっていく。
窓の外の景色だけが、
静かに流れていった。
鍵を回す音。
カチャ。
ドアが開く。
北斗「……おかえり」
その声を聞いた瞬間だった。
〇〇の中で、何かがすっと繋がる。
玄関に立つ北斗。
いつも通りの顔。
でもその瞬間までの“全部”が、一気に線になる。
朝の家の静けさ。
水のコップ。
「いってきます」の空気。
廉といる時間の“ちゃんと楽しい”感じ。
なのにずっと残っていた違和感。
〇〇「……あ」
小さく声が漏れる。
北斗「?」
〇〇は靴を脱ぎながら、玄関で止まる。
〇〇(……これだ)
やっと分かる。
あの引っかかりの正体。
廉といる時間は楽しかった。
優しかったし、ちゃんとしてた。
でも。
“当たり前の空気”じゃなかった。
北斗の家みたいに、
何も考えずに息ができる場所じゃなかった。
ここは——
第二の家。
〇〇の中で、言葉になる。
〇〇「……ここ、だ」
北斗「は?」
〇〇は靴を揃えながら、
ゆっくり顔を上げる。
〇〇「ずっと違和感あったの、これ」
北斗はまだ分からない顔をしている。
〇〇は一歩玄関に入る。
リビングの空気。
ソファ。
洗面所の明かり。
朝と変わらないはずなのに、
ちゃんと“帰ってきた”って感じる場所。
〇〇「……ここが、もうそうなってた」
北斗「何が」
〇〇は少しだけ笑う。
〇〇「第二の家」
その言葉で、北斗の動きが一瞬止まる。
〇〇は続ける。
〇〇「廉といるのも楽しかったよ」
〇〇「でもね」
靴を脱ぎ終えて、
リビングの方を見る。
〇〇「ずっと“外”だった」
北斗のいるここだけが、
何も考えなくていい“中”だった。
天然で、鈍くて、
ようやく気づくくらい遅い自分でも。
それだけははっきり分かる。
〇〇「……ただいま」
小さくそう言う。
北斗は少しだけ黙ってから、
北斗「……おう」
それだけ返す。
それで十分だった。
玄関の空気が、
やっといつも通りに戻る。
〇〇が玄関からリビングへ歩き出す。
北斗の横をすれ違う、その瞬間——
ふわっと香りが残る。
北斗「……」
足が一瞬止まる。
さっきまでなかった匂い。
柔らかい香水。
北斗は無意識に視線だけ動かす。
〇〇は気づかずそのまま靴を揃えている。
北斗「……」
もう一度、短く息を吸う。
匂いの正体はすぐ分かる。
廉の香水。
さっきまで一緒にいた“痕跡”。
北斗の手が一瞬だけ止まる。
でも声には出さない。
〇〇は振り返る。
〇〇「ん?」
北斗「……いや」
何でもない、と言いかけてやめる。
視線を逸らす。
〇〇はそのままリビングへ向かう。
北斗はその背中を見る。
そしてまた、すれ違った場所に残る香りに気づく。
北斗(……行ってたな)
当たり前の事実。
分かってたはずなのに、
“匂い”になると急に現実になる。
ソファに座る〇〇。
何事もなかったような顔。
でも北斗は分かってしまう。
さっきまでどこにいたか。
誰といたか。
どれくらい近かったか。
北斗はキッチンへ向かいながら、
コップを取る。
水を注ぐ音だけが響く。
〇〇「今日さ」
普通の声。
北斗「ん」
〇〇「楽しかったよ」
その一言で、北斗の動きが少し止まる。
〇〇は続ける。
〇〇「ちゃんと」
北斗は何も言わない。
ただ水を飲む。
喉が少しだけ重い。
北斗「……そりゃよかった」
それだけ返す。
でも視線は一瞬だけ、
また玄関に戻っていた。
残っている香りだけが、
やけに静かにそこにあった。
〇〇はソファに座ったまま、
バッグを隣に置く。
北斗はキッチンで水を飲み終えて、
コップをシンクに置く。
静かな音。
〇〇「……?」
その背中を見ながら、
少し首を傾げる。
〇〇「北斗、疲れてる?」
北斗「別に」
即答。
でも声が少し低い。
〇〇はソファから立ち上がる。
そのまま北斗の方へ歩いていく。
また近づいた瞬間。
ふわっと香る。
廉の香水。
北斗は無意識に息を止める。
〇〇は全然気づいてない。
〇〇「今日仕事どうだった?」
普通に話しかけてくる。
北斗「まぁ普通」
〇〇「早く終わった?」
北斗「17時くらい」
〇〇「え、めっちゃ早いじゃん」
そう言いながら、
〇〇は冷蔵庫を開ける。
その動きが自然すぎる。
もう本当に、
この家の住人みたいに。
北斗はその後ろ姿を見ながら、
さっきの“第二の家”って言葉を思い出す。
嬉しかった。
正直。
でも今はそれ以上に、
鼻に残る香りが邪魔だった。
北斗「……廉と何してた」
ぽつり。
〇〇「え?」
振り返る。
北斗は冷蔵庫にもたれたまま、
視線だけ向ける。
〇〇「普通にご飯行って、ずっと喋ってた」
北斗「ふーん」
短い返事。
〇〇は少しだけ笑う。
〇〇「なんか事情聴取みたい」
北斗「してねぇよ」
でも声はあまり軽くない。
〇〇はそこでやっと少し近づく。
〇〇「……変なの」
北斗「何が」
〇〇「今日ずっと」
〇〇は首を傾げながら、
北斗を見る。
〇〇「なんか北斗、静か」
「…………」
北斗は答えない。
代わりに、
近づいたことでまた強くなる香水の匂いに気づく。
廉が触れた空気。
廉と過ごした時間。
それが全部、
〇〇に残っている気がした。
北斗「……別に」
そう返すのが精一杯だった。
〇〇は冷蔵庫から水を取り出しながら、
ふと思い出したみたいに口を開く。
〇〇「そういえばさ」
北斗「ん」
〇〇「廉、新しい香水買ったんだって」
「…………」
北斗の動きが一瞬止まる。
〇〇は全く気づかないまま続ける。
〇〇「今日なんかいつもと匂い違くて」
〇〇「聞いたら変えたらしい」
そう言いながら、
水を飲む。
北斗は視線を逸らしたまま、
小さく息を吐く。
……やっぱり。
さっきから残ってる匂い、
間違ってなかった。
〇〇「なんか大人っぽいやつだった」
北斗「へぇ」
短い返事。
でも声は少し低い。
〇〇はソファへ戻りながら、
まだ普通に話し続ける。
〇〇「前のも好きだったけど」
〇〇「今日のも似合ってた」
北斗「……」
その一言で、
胸の奥が妙にざわつく。
〇〇は天然だから、
本当に何も考えてない。
ただ思ったことを言ってるだけ。
でも北斗からしたら、
破壊力が高すぎる。
廉の香りを覚えてる。
似合ってたって思ってる。
しかも今、
その匂いをまとったまま、
この家に帰ってきてる。
北斗「……気に入ったんだ」
ぽつり。
〇〇「え?」
北斗「その香水」
〇〇「あー、うん」
〇〇「なんか落ち着く匂いだった」
無邪気に答える。
北斗は少しだけ目を閉じる。
その“落ち着く”って言葉が、
妙に引っかかった。
でも同時に思い出す。
さっき〇〇は、
ここを“第二の家”って言った。
外じゃなくて、
帰ってくる場所だって。
北斗「……そっか」
それだけ返す。
〇〇はまだ気づかない。
北斗が今、
どれだけ複雑な顔してるか。
〇〇は水を飲みながら、
急に何か思い出したみたいに顔を上げる。
〇〇「あっ!」
北斗「……なに」
〇〇「そうだ」
そのまま北斗の方へ近づいてくる。
〇〇「北斗さ、この前の香水ちゃんと使ってる?」
北斗「……は?」
〇〇「ほら、SixTONESみんなで買いに行った時の」
北斗の動きが止まる。
〇〇は全然気づかないまま続ける。
〇〇「私と北斗、お揃いで買ったやつ!」
そう言って、
北斗の服の袖を軽く掴む。
〇〇「ちゃんとつけてる?」
北斗「……まぁ」
〇〇「嘘だ」
即答。
北斗「なんでだよ」
〇〇「今日匂いしないもん」
そう言いながら、
〇〇が少しだけ近づく。
北斗「……おい」
〇〇「待って確認する」
冗談みたいに言って、
首元あたりへ顔を寄せる。
その瞬間。
北斗の呼吸が止まる。
近い。
しかも今、
〇〇からはまだ廉の香水がする。
その状態で、
自分の匂いを探される。
北斗「……してるだろ普通に」
〇〇「んー……」
真剣に確認してる顔。
天然すぎる。
北斗は視線を逸らしたまま、
動けない。
〇〇「……あ、ほんとだ」
小さく笑う。
〇〇「よかった」
北斗「何が」
〇〇「だってお揃いなのに使ってなかったら嫌じゃん」
「…………」
北斗、
完全に止まる。
〇〇は何も考えてない。
ただ本音で言ってるだけ。
でもその言葉、
北斗には十分すぎた。
廉の香水がまだ残る距離で、
〇〇は北斗と同じ香りを“嫌じゃない”どころか、
嬉しそうに確認している。
北斗「……お前ほんと」
〇〇「?」
北斗は途中で言葉を飲み込む。
鈍感。
天然。
無自覚。
なのに時々、
一番欲しい言葉だけを平気で置いていく。
〇〇は満足したみたいに離れる。
〇〇「よかった〜」
そのままソファへ戻ろうとする。
でも北斗はまだ動けない。
さっき一瞬近づいた距離。
〇〇の髪。
廉の香水。
その奥に、微かに混ざる自分と同じ香り。
全部がぐちゃぐちゃに残ってる。
北斗「……お前さ」
〇〇「ん?」
振り返る。
北斗は少しだけ視線を落としてから、
小さく息を吐く。
北斗「距離感おかしいんだよ」
〇〇「え?」
北斗「急に顔近づけてくんな」
〇〇は数秒きょとんとして、
それからやっと理解したみたいに目を丸くする。
〇〇「あ、ごめん」
でも謝りながら笑ってる。
全然分かってない顔。
北斗は頭を抱えたくなる。
〇〇「でも気になったんだもん」
〇〇「せっかくお揃いなのに」
またそれを言う。
北斗「……」
〇〇はそのままソファに座って、
クッション抱える。
〇〇「今日ね、廉にも香水の話したの」
北斗の眉が少し動く。
〇〇「そしたら“〇〇って匂い覚えるタイプやんな”って言われた」
北斗「……覚えてんだろ実際」
〇〇「うん、結構覚えるかも」
無意識。
本当に全部無意識。
北斗は冷蔵庫から炭酸水を取り出す。
開ける音がやけに大きい。
〇〇「北斗の香水もすぐ分かるし」
「…………」
北斗の手が止まる。
〇〇はクッション抱えたまま、
当たり前みたいに続ける。
〇〇「帰ってきた時とかさ」
〇〇「北斗いるって匂いで分かる時ある」
北斗「……やめろ」
〇〇「なんで?」
北斗「なんでも」
炭酸を一気に飲む。
喉が痛い。
でもそれくらいじゃないと、
今の感情を誤魔化せなかった。
〇〇はまだ不思議そうな顔してる。
何で北斗がこんな反応してるのか、
全然分かってない。
でも北斗の中では、
さっきから心臓だけがずっと落ち着かなかった。
〇〇「そうだ」
急にスマホを手に取る。
ソファの上で足を折りながら、
アルバムを開く。
〇〇「見てこれ」
北斗の方へスマホを向ける。
画面には、
今日カフェで食べたパスタの写真。
綺麗に盛り付けられた皿。
窓際の光。
その端に、
少しだけ廉の腕が写り込んでいる。
〇〇「これめっちゃ美味しかった」
北斗「……へぇ」
〇〇「このエビやばかったんだよ」
楽しそうに説明する。
北斗はスマホを見る。
写真自体は普通。
ただの食事。
ただのカフェ。
でも。
そこに写ってない時間まで想像できてしまう。
向かい合って食べて。
笑って。
話して。
廉が撮ったのか、
〇〇が撮ったのかも分からない写真。
〇〇「あとね」
スワイプする。
次の写真。
今度はデザート。
その次。
またパスタ。
〇〇「これ廉が撮ってたやつ送ってもらった」
北斗「……」
胸の奥がまた少し重くなる。
でも〇〇は全然悪気ない。
ただ今日楽しかったことを共有してるだけ。
〇〇「この店また行きたいかも」
北斗はスマホから目を逸らす。
北斗「……楽しかったんだな」
〇〇「うん、楽しかったよ」
その返事は真っ直ぐ。
迷いがない。
北斗は小さく頷くだけ。
でもその時。
〇〇がまたスマホを覗き込みながら笑う。
〇〇「この時さ、私口にソースついてたらしくて」
北斗の動きが止まる。
〇〇「廉に取られた」
さらっと。
何でもないみたいに言う。
でもその瞬間。
北斗の中で、
何かがざわっと揺れる。
〇〇はまだ写真を見て笑ってる。
全然気づいてない。
北斗が今、
どんな顔してるか。
〇〇はスマホを見ていた手を止める。
写真を閉じて、
そのままソファに身体を預ける。
〇〇「……でもね」
北斗「ん」
〇〇は少し天井を見る。
〇〇「今日ずっと、朝のこと考えてた」
北斗の視線がゆっくり向く。
〇〇「北斗のことも」
「…………」
空気が少し静かになる。
〇〇はまだ気づいてない。
その言葉がどれだけ北斗を止めてるか。
〇〇「なんかずっと変だったんだよね」
〇〇「廉といて楽しかったし、ちゃんと好きなのに」
北斗の指先が少しだけ動く。
〇〇「でも落ち着かなくて」
ぽつりぽつりと、
自分の中を整理するみたいに話す。
〇〇「何でだろって思ってたんだけど」
そこで少し笑う。
〇〇「やっと分かった」
北斗は何も言わない。
〇〇はクッションを抱え直して、
まっすぐ北斗を見る。
〇〇「さっき言ったやつ」
〇〇「第二の家」
その言葉。
また静かに落ちる。
〇〇「ここに帰ってきてさ」
〇〇「ドア開いて北斗いた瞬間、“あ、これだ”ってなった」
北斗の呼吸が少しだけ止まる。
〇〇は続ける。
〇〇「廉といる時間は特別なの」
〇〇「でも、北斗といるここは普通なの」
〇〇「良い意味で、何も考えなくていい場所」
その言葉に嘘はない。
だからこそ、
北斗には刺さる。
〇〇「たぶん私」
〇〇「ここが安心する場所になってたんだと思う」
北斗は視線を落とす。
嬉しい。
でも。
それだけじゃない感情も混ざる。
安心する場所。
帰ってくる場所。
でも〇〇の“好き”は廉に向いてる。
それもちゃんと分かってる。
〇〇「だから今日ずっと変だったんだ」
〇〇は納得したみたいに笑う。
〇〇「やっとスッキリした」
その顔は本当に晴れている。
北斗だけが、
その言葉を簡単に飲み込めなかった。
ーーーーーーーーー
北斗side。
〇〇の「スッキリした」が、
頭の中で何回も響く。
ソファで笑ってる〇〇は、
本当に納得した顔をしていた。
第二の家。
安心する場所。
何も考えなくていい場所。
その言葉だけ聞けば、
十分嬉しいはずだった。
実際、
胸の奥は少し熱くなる。
北斗「……」
でも同時に、
苦しくもなる。
〇〇にとってここは“帰る場所”でも、
“恋する場所”ではない。
廉といる時間は“特別”。
自分は“普通”。
それを〇〇は悪気なく、
真っ直ぐ言っている。
北斗はキッチンにもたれたまま、
静かに息を吐く。
頭の中に浮かぶのは、
今日一日の〇〇。
廉の香水をまとって帰ってきた姿。
「楽しかった」って笑った顔。
口元を拭かれてキュンとしたんだろうなって、
容易に想像できる表情。
でも。
そのあと、
ここへ帰ってきた。
そして“落ち着く”って言った。
北斗(……ずりぃな)
小さく思う。
好きな相手に、
「安心する」って言われるのは嬉しい。
でも、
“恋愛対象じゃない安心”だと分かるから余計に苦しい。
〇〇はクッション抱えたまま、
まだ何かスマホを見てる。
完全にいつもの顔。
無防備。
信頼しきった顔。
北斗はその姿を見る。
この家でだけ見せる顔。
仕事の時でも、
外でもなく。
ここでだけ、
力を抜いてる〇〇。
北斗「……帰ってきてよかった?」
ぽつり。
〇〇「え?」
顔を上げる。
北斗は少しだけ視線を逸らして、
もう一度言う。
北斗「ここ」
〇〇は一瞬きょとんとして、
すぐ笑う。
〇〇「うん」
即答。
〇〇「めっちゃ落ち着いた」
その返事。
北斗は小さく笑う。
でも胸は、
全然落ち着かなかった。
北斗は小さく笑ったまま、
炭酸水の缶を指で回す。
〇〇はソファでクッション抱えながら、
まだリラックスした顔をしている。
その姿を見て、
北斗はゆっくり息を吐く。
北斗「……俺、決めた」
〇〇「ん?」
北斗は少し天井を見上げる。
北斗「俺も、好きな人に向いてもらうために」
北斗「もう少しだけ頑張るか」
「…………」
〇〇は数秒止まる。
でも次の瞬間には、
ぱっと顔を明るくする。
〇〇「え、いいじゃん!」
北斗「……」
〇〇「頑張れ!!」
即答。
しかもめちゃくちゃ応援モード。
〇〇「北斗好きな人いるならちゃんと行った方がいいよ!」
北斗「お前な……」
〇〇「絶対その方がいいって!」
全然気づいてない。
目の前。
今話してる相手。
その“好きな人”が、
自分だなんて一ミリも思ってない顔。
北斗は思わず笑ってしまう。
北斗「鈍すぎるだろ」
〇〇「え?」
北斗「なんでも」
〇〇は首を傾げる。
でもすぐまた笑う。
〇〇「でも北斗優しいし絶対モテるよ」
〇〇「ちゃんといけばいける!」
北斗「“ちゃんといけば”って何」
〇〇「えーなんか北斗って自分から行かなそうじゃん」
図星すぎる。
北斗は苦笑いしながら、
ソファの方へ歩く。
〇〇はまだ楽しそう。
完全に、
友達の恋バナを応援してるテンション。
北斗はその隣に座って、
少しだけ〇〇を見る。
無防備。
安心しきった顔。
自分の言葉が、
全部自分に返ってきてるとも知らずに。
北斗「……まぁ、頑張るよ」
小さく言う。
〇〇「うん!」
満面の笑み。
その笑顔見ながら、
北斗は心の中だけで思う。
北斗(その“好きな人”がお前だから厄介なんだよ)
〇〇「でも海鮮の気分じゃないかも」
北斗「さっき美味そうって言ってただろ」
〇〇「言った。でも今違う」
北斗「めんどくせぇ……」
ソファでごろごろしながら、
〇〇はスマホをスクロールし続ける。
ラーメン。
寿司。
韓国料理。
中華。
全部見てるのに、
全部「んー……」で終わる。
北斗「もうお前絶対腹減って判断力なくなってる」
〇〇「だって決まんない!」
クッション抱えたまま暴れる〇〇。
北斗は呆れながら笑う。
その時。
〇〇「あ」
急に起き上がる。
北斗「何」
〇〇「たこ焼きプレートあるじゃん!」
北斗「……は?」
〇〇「この前私の家から持ってきたやつ!」
思い出したみたいに立ち上がって、
収納の方へ向かう。
ガサガサ探したあと、
〇〇「あったー!!」
嬉しそうな声。
北斗「マジでやるの」
〇〇「タコパ!」
北斗「今から?」
〇〇「今から!」
即答。
北斗は時計を見る。
もう夜。
でも〇〇は完全にやる気モード。
〇〇「材料ある?」
北斗「たこは……冷凍あった気する」
〇〇「最高!」
〇〇はそのまま冷蔵庫を開ける。
ネギを見つけて喜び、
チーズを見つけてさらにテンション上がる。
〇〇「チーズたこ焼きできる!」
北斗「お前絶対それやると思った」
キッチンに並んで準備し始める。
〇〇はキャベツ刻きながら、
めちゃくちゃ楽しそう。
さっきまで恋愛の話してた空気が、
もう完全に消えている。
北斗「切り方雑」
〇〇「食べれればいいの!」
北斗「国民的女優の発言じゃねぇ」
〇〇「今オフだから!」
意味不明な理論。
でも北斗は笑ってしまう。
気づけば、
さっきまで感じてた静けさも薄れていた。
キッチンに〇〇の声が響く。
油の音。
笑い声。
北斗はたこ焼きプレートを出しながら、
ふと思う。
やっぱり。
この家は、
〇〇がいるとちゃんと“家”になる。
リビング。
ソファ前の大きなテーブルに、
たこ焼きプレートが置かれる。
材料も全部並んで、
完全にタコパ状態。
〇〇「よし!」
袖をまくって、
やる気満々で座る。
北斗「ほんとにできんの?」
〇〇「失礼だな〜」
そう言いながら、
手つきは意外と慣れている。
生地を流して、
具を入れて、
テンポよく進めていく。
見た目はちょっと雑。
生地めちゃくちゃはみ出してるし、
ネギも散らばってる。
でも動きに迷いはない。
北斗「……大阪出身だもんな」
〇〇「こう見えて」
得意げ。
北斗は笑いながら隣に座る。
〇〇「料理は苦手だけど」
〇〇「たこ焼きだけは別!」
北斗「そこだけ信頼感あるな」
ジュウゥゥ、と音が広がる。
部屋にたこ焼きの香りが満ちていく。
〇〇はピックを持った瞬間、
さらに動きが早くなる。
くるっ。
くるっ。
形を整えていく。
でもやっぱり少し雑。
丸じゃなくて楕円っぽいやつもある。
北斗「形終わってるのあるぞ」
〇〇「味一緒だから!」
北斗「開き直んな」
〇〇は笑いながら、
チーズ入りをひっくり返す。
中身が少し溢れる。
〇〇「あっ」
北斗「ほら」
〇〇「大丈夫大丈夫!」
全然大丈夫じゃない。
でも楽しそう。
北斗はその様子を見ながら、
自然と肩の力が抜けていく。
〇〇「はい、最初北斗ね」
北斗「毒味扱い?」
〇〇「違う!」
熱々のたこ焼きを皿に乗せて渡してくる。
北斗は一口食べる。
熱い。
北斗「……あつ」
〇〇「でしょ!」
〇〇は爆笑してる。
北斗「いやお前分かってて渡しただろ」
〇〇「ふふっ、ごめん」
笑いながら、
自分も食べる。
その瞬間。
〇〇「っあつ!!」
北斗「お前もじゃねぇか」
二人同時に口を押さえる。
その空気が、
やけに平和だった。
〇〇「ねぇ」
北斗「ん?」
〇〇はピックを持ったまま、
急にニヤッとする。
〇〇「どっちが綺麗に早く作れるか勝負しない?」
北斗「急だな」
〇〇「負けた方、言うこと一個聞く」
北斗「……小学生かよ」
〇〇「やるの?やらないの?」
完全にやる気。
北斗は少し笑って、
自分の前にプレートを寄せる。
北斗「後悔すんなよ」
〇〇「それこっちのセリフ!」
そのまま二人同時に生地を流し始める。
距離が自然と近くなる。
肩がぶつかるくらい。
でもどっちも気にしてない。
〇〇「ちょ、そこ私のエリア!」
北斗「早い者勝ち」
〇〇「ずる!」
プレートの前で、
本気でたこ焼きを回す二人。
〇〇は慣れてるだけあって手が速い。
見た目は雑なのに、
なぜかちゃんと丸くなる。
北斗「なんでそれで完成すんだよ」
〇〇「センス」
北斗「絶対違う」
〇〇は笑いながら、
チーズ入りをくるっと返す。
その瞬間、
少しバランスを崩して北斗側へ倒れる。
〇〇「わっ」
北斗「危な」
咄嗟に北斗が肩を支える。
距離が一気に近づく。
でも〇〇は全然気にしてない。
〇〇「ありがと!」
そのまま普通に戻って、
またたこ焼きへ集中。
北斗だけ少し遅れて呼吸する。
〇〇「負けないからね!」
北斗「こっちのセリフ」
気づけば二人ともかなり本気。
リビングには笑い声と、
ジュウジュウ音が響いている。
そして数分後。
〇〇「できた!!」
北斗「は?」
〇〇が皿を見せてくる。
形はちょっと雑。
でもちゃんと完成してる。
北斗「……早」
〇〇「勝ち〜!」
両手上げて喜ぶ。
北斗は自分の皿を見て、
小さくため息。
北斗「マジか」
〇〇「はい、負け〜」
勝ち誇った顔で、
ソファに身を乗り出してくる。
距離が近い。
〇〇「じゃあ言うこと聞いてもらお〜っと」
〇〇は勝ち誇った顔のまま、
たこ焼きを一つピックで持ち上げる。
湯気が出てる。
北斗「……絶対熱いだろそれ」
〇〇「うん」
即答。
でもそのままニヤッと笑う。
〇〇「だから、ふーふーして食べさせて」
北斗「は?」
〇〇「言うこと一個聞くんでしょ?」
北斗「いやそれは……」
〇〇「はい負けた〜」
楽しそう。
完全に悪ノリ。
北斗は呆れながらも、
結局たこ焼きを受け取る。
〇〇はソファの上でちょこんと待機。
本当に待ってる。
北斗「……お前なぁ」
〇〇「熱いの無理」
猫舌全開。
北斗は小さく息を吐いて、
たこ焼きにふーっと息をかける。
〇〇「もっと」
北斗「うるせぇ」
もう一回冷ます。
〇〇はじーっと待ってる。
その顔が妙に無防備で、
北斗は少しだけ視線を逸らしたくなる。
北斗「……ほら」
〇〇「あー」
当たり前みたいに口を開ける。
北斗「待て待て待て」
〇〇「え?」
北斗「なんでそんな自然なんだよ」
〇〇「?」
本当に分かってない顔。
北斗は頭を抱えそうになる。
でも結局、
冷ましたたこ焼きを口元へ持っていく。
〇〇はぱくっと食べる。
数秒後。
〇〇「……おいしい」
嬉しそうに笑う。
北斗「ガキか」
〇〇「勝者だから」
得意げ。
北斗は呆れながら笑う。
でもその瞬間。
〇〇がまた自然に北斗の肩へ寄りかかる。
〇〇「次チーズね」
近い。
距離感がおかしい。
なのに本人だけ、
完全に無自覚だった。
〇〇はそのまま北斗の肩にもたれたまま、
次のたこ焼きを見ている。
〇〇「これ絶対チーズ伸びるやつ」
北斗「服につけんなよ」
〇〇「大丈夫〜」
全然大丈夫そうじゃない。
北斗はプレートを見ながら、
隣の重みを意識してしまう。
〇〇は完全にリラックスしてる。
帰ってきてからずっと、
空気が柔らかい。
〇〇「ねぇ次北斗焼いて」
北斗「なんで」
〇〇「私食べる係する」
北斗「一番楽なやつじゃねぇか」
〇〇「勝者特権!」
意味不明。
でも〇〇は楽しそうに笑っている。
北斗は結局、
また生地を流し始める。
〇〇はその横から、
普通に覗き込んでくる。
距離が近い。
肩も腕も当たりそうなのに、
〇〇は気にしてない。
〇〇「北斗って意外と器用だよね」
北斗「“意外と”いらない」
〇〇「でもちょっと雑」
北斗「お前に言われたくねぇ」
〇〇は笑いながら、
出来上がり待ちのたこ焼きをつつく。
そしてまた熱そうなやつを持とうとする。
北斗「待て」
〇〇「いける」
北斗「絶対無理」
案の定、
口に入れた瞬間。
〇〇「っあつ!!」
北斗「だから言っただろ!」
〇〇は涙目でソファに沈む。
北斗は笑いながら、
水を渡す。
〇〇「学ばない……」
北斗「知ってる」
そのやり取りが自然すぎて、
もう同居人というより家族みたいだった。
〇〇は水を飲みながら、
ふと北斗を見る。
〇〇「……なんか今日平和だね」
北斗「なんだそれ」
〇〇「いや、なんとなく」
たこ焼きの匂い。
テレビの小さい音。
散らかったテーブル。
隣にいる北斗。
〇〇はクッションを抱え直しながら、
少しだけ笑う。
〇〇「こういうの好きかも」
その言葉に、
北斗の手が少し止まる。
でも〇〇は気づかない。
ただ目の前のたこ焼きを見ながら、
次何入れるか真剣に考えていた。
プレートの上。
最後の数個だけになったたこ焼きが、
ジュウジュウ音を立てている。
テーブルの上はかなり散らかっていた。
ソース。
マヨネーズ。
ネギ。
使い終わった皿。
〇〇「……食べたねぇ」
ソファに沈みながら、
満足そうに呟く。
北斗「ほぼお前な」
〇〇「えー?」
でも否定できない顔。
〇〇はクッション抱えたまま、
少し眠そうに目を擦る。
北斗は最後のたこ焼きを回しながら、
その横顔を見る。
メイクも少し薄れて、
完全にオフの顔。
家でしか見せない姿。
〇〇「あと何個?」
北斗「これで最後」
〇〇「最後かぁ」
少し寂しそう。
北斗「またやればいいだろ」
〇〇「……たしかに」
すぐ元気になる。
単純。
北斗は小さく笑う。
最後のたこ焼きを皿に移す。
〇〇はすぐ手を伸ばそうとして、
北斗「待て」
止められる。
〇〇「……」
北斗「冷ます」
〇〇「お願いします」
素直。
北斗は慣れた手つきで、
軽くふーっと息をかける。
〇〇はその様子をぼーっと見てる。
静かな時間。
テレビの音だけが小さく流れている。
〇〇「……なんか今日あっという間だった」
北斗「まぁな」
〇〇「朝は変だったのに」
北斗「今は?」
〇〇は少し考える。
それから小さく笑う。
〇〇「落ち着いた」
その言葉に、
北斗は少しだけ視線を落とす。
〇〇は気づかないまま、
冷めたたこ焼きを受け取る。
ぱくっと食べて、
幸せそうな顔。
〇〇「おいしい」
北斗「よかったな」
その会話も、
もう自然だった。
気づけば夜はかなり深くなっていて。
二人の距離も、
ソファの隙間がなくなるくらい近くなっていた。
食べ終わった皿がテーブルに並ぶ。
たこ焼きプレートの熱も、
少しずつ落ち着いてきていた。
〇〇「……動きたくない」
ソファに沈んだまま、
ぐでっと呟く。
北斗「片付けるぞ」
〇〇「えぇー……」
完全にオフモード。
北斗は呆れながら、
空いた皿を重ね始める。
〇〇は数秒その姿を見ていたけど、
さすがに罪悪感が出たのか、
ゆっくり立ち上がる。
〇〇「やるよぉ」
北斗「信用ねぇ声」
〇〇「失礼」
二人でテーブルを片付け始める。
〇〇は皿を運びながら、
途中でソースこぼしかける。
北斗「危な」
〇〇「セーフ!」
全然セーフじゃない。
北斗がティッシュを取って拭く。
〇〇「ありがとう」
そのまま自然に隣へ来て、
今度は空き缶をまとめる。
完全に生活の動き。
キッチンに並ぶ。
北斗が洗う係。
〇〇が拭く係。
〇〇「北斗泡ついてる」
北斗「どこ」
〇〇「ここ」
指で頬についた泡を取る。
自然すぎる動き。
北斗だけ一瞬止まる。
〇〇は何も気にせず、
そのまま皿を拭いている。
〇〇「今日たこ焼き正解だったね」
北斗「まぁ楽だったな」
〇〇「またやろ」
北斗「お前また猫舌で騒ぐだろ」
〇〇「それはしょうがない!」
開き直る。
北斗は笑いながら、
プレートを洗う。
その横で、
〇〇は鼻歌混じりに皿を拭いてる。
本当に、
ここに馴染みきっている。
北斗はふと思う。
朝はあんなに落ち着かなかったのに。
今は。
こうして隣にいるだけで、
ちゃんと呼吸ができていた。
テーブルもキッチンも綺麗になって、
さっきまでのタコパの痕跡はほとんど消えていた。
〇〇「はぁ〜終わったぁ」
伸びをしながら、
そのままソファへ倒れ込む。
北斗「床で寝んなよ」
〇〇「まだ寝ないし」
でも声はかなり眠そう。
北斗は洗った手を拭きながら、
時計を見る。
もうかなり遅い時間。
北斗「先風呂入れば」
〇〇「……入る」
そう言いながらも、
ソファから動かない。
北斗「ほら」
〇〇「わかってる〜」
やっと起き上がる。
そのまま自分のバッグを持って、
洗面所の方へ歩いていく。
途中で振り返る。
〇〇「北斗」
北斗「ん」
〇〇「今日ありがとね」
急に真面目な声。
北斗は少しだけ目を瞬かせる。
〇〇「なんか、落ち着いた」
またその言葉。
北斗は小さく息を吐いて、
少し笑う。
北斗「……ならよかった」
〇〇は満足そうに頷いて、
そのまま洗面所へ消えていく。
しばらくして、
シャワーの音が聞こえ始める。
北斗は一人リビングに残る。
静かな部屋。
でも朝みたいな静けさじゃない。
ちゃんと、
“誰かがいる家”の音だった。
リビング。
北斗はソファに座りながら、
ぼんやりテレビを眺めていた。
洗面所からはシャワーの音。
その時、
スマホが震える。
画面を見る。
風磨。
北斗「……タイミング」
小さく呟きながら電話に出る。
北斗「もしもし」
風磨『おー、生きてる?』
北斗「失礼だな」
風磨『今日どうだったんだよ』
いきなり本題。
北斗は少しだけ天井を見る。
風磨『廉と会ってたんだろ?』
北斗「会ってた」
風磨『で?』
北斗は少し黙る。
今日一日を思い出す。
朝の違和感。
静かな家。
帰ってきた〇〇。
“第二の家”。
たこ焼き。
笑ってた顔。
北斗「……なんかさ」
風磨『うん』
北斗「俺、多分安心する場所にはなれてんだよな」
風磨『おぉ』
北斗「でも“好きな相手”として見られてるかって言われたら、まだ違う」
風磨は少し黙る。
北斗「今日それめちゃくちゃ分かった」
洗面所から微かに水音が響く。
北斗はその方向を見ながら続ける。
北斗「でも」
少し笑う。
北斗「もう少し頑張る」
風磨『……お』
北斗「向いてもらえるように」
その言葉は、
今日初めてちゃんと口にした本音だった。
風磨『やっと言ったな』
北斗「うるせぇ」
風磨『でもまぁ、お前変わったよ』
北斗「何が」
風磨『前なら諦める方向行ってたじゃん』
北斗は少し黙る。
確かにそうだった。
〇〇が廉を好きなら、
それでいいって。
自分は“そばにいられればいい”って、
どこかで思ってた。
でも今は違う。
今日、
〇〇が“ここに帰ってきて落ち着いた”って笑った瞬間。
もう少し欲しくなった。
北斗「……欲張りになっただけ」
風磨『恋愛ってそういうもんだろ』
北斗は小さく笑う。
その時。
洗面所のドアが開く音。
北斗は反射的にそっちを見る。
風磨『あ、出てきた?』
北斗「……切るぞ」
風磨『おー頑張れ片想い男』
北斗「黙れ」
通話を切る。
そして視線を上げた先には、
風呂上がりの〇〇が立っていた。
湯気と一緒に、
〇〇が洗面所から顔だけ出す。
髪はまだ少し濡れていて、
完全に風呂上がりのオフ姿。
〇〇「ほくとー」
北斗「ん?」
〇〇「洗面台の収納にある新しいヘアオイル取って〜」
北斗「自分で取れよ」
〇〇「今パックしてる!」
北斗は小さくため息をつきながら立ち上がる。
洗面所へ向かう。
扉を開けると、
〇〇は髪をタオルでまとめたまま鏡の前に立っていた。
顔にはパック。
かなりシュール。
北斗「……怖」
〇〇「失礼」
北斗は笑いながら収納を開ける。
中には〇〇のスキンケア用品がかなり増えていた。
もう完全に、
この家に生活が入り込んでる。
北斗「どれ」
〇〇「茶色いやつ!」
北斗「多すぎて分からん」
〇〇「えーっとね、金の蓋!」
北斗は一本取って渡す。
〇〇「それ!」
受け取った〇〇は、
そのまま髪にオイルを馴染ませ始める。
ふわっと香りが広がる。
北斗「また匂い増えた」
〇〇「これ好きなの」
北斗は洗面台にもたれながら、
その様子を見る。
鏡越しに目が合う。
〇〇「……なに」
北斗「別に」
〇〇「変なの」
〇〇は髪を乾かしながら、
また自然に喋り始める。
〇〇「今日たこ焼き美味しかったね」
北斗「お前食いすぎ」
〇〇「だって美味しかったもん」
ドライヤーの音が響く。
北斗はその横顔を見ながら、
さっき風磨に言った言葉を思い出していた。
——もう少し頑張る。
〇〇はまだ何も知らない。
でも北斗の中では、
少しだけ何かが変わり始めていた。
〇〇はドライヤーを止める。
静かになった洗面所で、
ふとさっきのことを思い出したみたいに振り返る。
〇〇「……あ」
北斗「ん?」
〇〇「さっきヘアオイル取ってもらった時思ったんだけど」
北斗は洗面台にもたれたまま視線を向ける。
〇〇「背高いね北斗」
北斗「今さら?」
〇〇「177だっけ?」
北斗「そう」
〇〇は少し計算するみたいに指を折る。
〇〇「え、じゃあ22センチ差じゃん!」
北斗「……そんなある?」
〇〇「あるよ!」
〇〇は鏡越しに並ぶ身長差を見る。
自分が少し見上げる位置。
棚の上に自然に手が届く北斗。
〇〇「だから取りやすかったんだ」
北斗「そこ?」
〇〇「うん」
真顔。
北斗は思わず笑う。
〇〇「いいなぁ、背高いの」
北斗「お前は小さい」
〇〇「平均!」
北斗「嘘つけ」
〇〇はむっとした顔をして、
そのまま北斗の横へ並ぶ。
〇〇「ほら!」
北斗「全然ちっちゃい」
〇〇「失礼だな〜」
鏡の前。
並ぶと身長差はかなりはっきり分かる。
〇〇は少し見上げながら、
また笑う。
〇〇「22センチって結構すごいね」
北斗「まぁな」
〇〇「……なんか不思議」
北斗「何が」
〇〇「一緒にいると普通だから」
その言葉に、
北斗は少しだけ目を細める。
〇〇は気づかず、
また髪を乾かし始めていた。
〇〇はドライヤーを止めて、
髪を軽く触る。
〇〇「よし」
北斗はまだ洗面所の入口にもたれたまま。
〇〇は鏡越しに北斗を見る。
〇〇「北斗も入れば?」
北斗「んー」
〇〇「今日仕事だったし疲れてるでしょ」
北斗「まぁな」
〇〇はヘアオイルを片付けながら、
そのまま横を通る。
また自然に距離が近い。
〇〇「お風呂あったかいよ」
北斗「感想いる?」
〇〇「大事じゃん」
北斗は少し笑う。
〇〇はそのままリビングへ戻って、
ソファに座る。
テレビをつけながら、
タオルでまだ少し濡れてる髪を拭く。
〇〇「私その間テレビ見てる〜」
北斗「寝んなよ」
〇〇「たぶん寝ない」
“たぶん”の時点で怪しい。
北斗は着替えを持って、
洗面所へ入る前に一瞬振り返る。
ソファでくつろぐ〇〇。
完全に家モード。
その姿に、
北斗はまた小さく笑う。
北斗「……ちゃんと起きてろよ」
〇〇「はーい」
返事はゆるい。
でもその声があるだけで、
朝感じてた静けさはもうどこにもなかった。
ーーーーーーーーー
北斗side
浴室。
シャワーの音だけが静かに響く。
北斗は髪をかき上げながら、
さっき洗面所で並んだ時のことを思い出していた。
177。
155ない。
たぶん。
北斗「……153くらいだろあれ」
小さく呟く。
普段は厚底履いてること多いし、
ヒールの時もあるからそこまで小さく感じない。
でも家だと違う。
今日も裸足で歩き回ってた〇〇は、
思ってるよりずっと小さかった。
冷蔵庫開ける時も。
ソファで丸まってる時も。
たこ焼き食べて熱がってる時も。
全部なんか、
小動物みたいだった。
北斗「……」
思い出して少し笑う。
距離感もおかしい。
急に近づくし、
普通に肩寄せてくるし、
匂い確認しにくるし。
でも本人は全部無意識。
北斗からしたら、
心臓に悪すぎる。
湯気の中で、
北斗は壁にもたれる。
今日一日、
感情が忙しかった。
廉の香水。
“第二の家”。
「落ち着く」。
「頑張れ!」って笑った顔。
全部思い出す。
でも最後に浮かぶのは、
ソファで笑ってた〇〇だった。
北斗「……頑張るか」
ぽつり。
今までみたいに、
隣にいるだけじゃなくて。
ちゃんと。
少しでも、
“好きな人”として見てもらえるように。
シャワーを止める。
浴室に静けさが戻る中、
北斗は濡れた髪をかき上げながら息を吐く。
今日色々ありすぎた。
そう思いながら、
着替えを取ろうとして——止まる。
北斗「……あれ」
数秒固まる。
北斗「シャツ……」
持ってきてない。
下はある。
でも上がない。
完全に忘れた。
北斗は額を押さえる。
さっきまで〇〇のこと考えてたせいだ。
北斗「最悪……」
このまま出ると、
普通に上裸。
いや別に男だし問題はない。
ないけど。
今リビングには〇〇がいる。
しかも風呂上がりで、
完全リラックスモードのやつが。
北斗「……」
少し考える。
でも取りに戻るしかない。
北斗はタオルで髪を軽く拭きながら、
観念したみたいにため息をつく。
北斗「……一瞬で取るか」
そう呟いて、
浴室のドアへ手をかけた。
リビング。
〇〇はソファで膝を抱えながら、
ぼんやりテレビを見ていた。
でも内容はほとんど入ってない。
お風呂上がりの眠気で、
かなりふわふわしている。
その時。
洗面所のドアが開く音。
〇〇「……?」
何気なくそっちを見る。
そして固まる。
北斗「……悪い、シャツ忘れた」
タオルを首にかけたまま、
上裸の北斗。
濡れた髪。
まだ水滴の残る肌。
仕事で鍛えられた体のラインが、
そのまま目に入る。
〇〇「…………」
北斗はそのままクローゼットへ向かおうとする。
でも途中で気づく。
……視線。
北斗「何」
〇〇はソファの上で停止したまま。
目だけが完全に北斗を追っている。
〇〇「いや……」
北斗「いや?」
〇〇は数秒黙ってから、
ぽつり。
〇〇「……すご」
北斗「は?」
〇〇「え、待って」
〇〇「ちゃんと見たことなかった」
北斗「見るな」
〇〇「いやでもすごい」
視線がめちゃくちゃ素直。
隠す気ゼロ。
北斗は一気に恥ずかしくなる。
北斗「お前ほんと遠慮ないな」
〇〇「だってテレビとか雑誌だと服着てるじゃん!」
北斗「当たり前だろ」
〇〇はまだ見てる。
完全に興味津々。
〇〇「腹筋やば……」
北斗「感想いらん」
北斗は急いでシャツを取ろうとする。
でも〇〇はソファから少し身を乗り出す。
〇〇「北斗って細いのにちゃんと筋肉あるんだね」
北斗「男だからな」
〇〇「え、なんかずるい」
北斗「何が」
〇〇「スタイル良すぎ」
その言葉で、
北斗の動きが少し止まる。
〇〇は完全に無自覚。
ただ本気で思ったことを言ってるだけ。
北斗はシャツを掴みながら、
小さく息を吐く。
北斗「……お前さ」
〇〇「ん?」
北斗「そんな無防備に褒めんな」
〇〇はきょとん。
意味が分かってない顔。
その反応に、
北斗は余計頭を抱えたくなった。
〇〇はソファの上でまだ北斗を見ている。
北斗は急いでTシャツを被る。
でももう遅い。
〇〇の頭の中には、
さっきの映像がしっかり残っていた。
〇〇「いやほんとびっくりした」
北斗「もう忘れろ」
〇〇「無理かも」
即答。
北斗「おい」
〇〇はクッション抱えながら笑う。
〇〇「だって普段あんな隠れてるのに」
北斗「隠してるわけじゃねぇよ」
〇〇「でも衣装とかゆるい服多いじゃん」
北斗は髪をタオルで拭きながら、
ソファの後ろを通る。
〇〇はそのまま見上げる。
〇〇「しかも北斗って肩広いんだね」
北斗「……まだ見るのかよ」
〇〇「観察してる」
北斗「やめろ」
でも〇〇は楽しそう。
完全に“新発見した!”みたいなテンション。
北斗は呆れながらソファの端へ座る。
〇〇「なんかさ」
北斗「ん」
〇〇「北斗って普段静かだから、そういうギャップずるい」
北斗「何の話」
〇〇「いやなんか、細いのにちゃんと男っぽいというか」
北斗「……」
さらっと言う。
悪気ゼロ。
無意識。
北斗は片手で顔を覆う。
〇〇「?」
北斗「お前マジで気をつけろよ」
〇〇「何を?」
北斗「色々」
〇〇は意味が分からず首を傾げる。
でもすぐ眠気の方が勝ったのか、
ソファにまた沈み込む。
〇〇「んー……」
クッション抱えて丸くなる姿は、
さっき北斗が思った通り本当に小動物みたいだった。
北斗はその姿を見ながら、
小さく笑う。
そして心の中で思う。
北斗(……これで無自覚なの反則だろ)
リビングの照明は少し暗め。
テレビの音も小さくなって、
部屋全体が眠る前みたいな空気になっていた。
〇〇はソファで丸くなったまま、
半分うとうとしている。
北斗「……寝るならベッド行け」
〇〇「まだ寝てない……」
全然説得力ない声。
北斗は笑いながら、
濡れた髪を軽く乾かす。
〇〇はぼんやりその音を聞きながら、
ふとまた北斗を見る。
Tシャツ着た後なのに、
さっきの印象が残ってる。
〇〇「……北斗ってさ」
北斗「ん」
〇〇「ちゃんとアイドルなんだね」
北斗「なんだその感想」
〇〇「いや、普段家だと静かだから」
〇〇は眠そうな目のまま、
クッションに顔を埋める。
〇〇「ステージだとキラキラしてるのに」
〇〇「家だと普通すぎて忘れる」
北斗「忘れんな」
〇〇「でも今日びっくりした」
また言う。
北斗はため息混じりに笑う。
北斗「引っ張りすぎだろ」
〇〇「だってギャップすごいんだもん」
北斗はソファの背もたれに腕を乗せながら、
その小さい背中を見る。
完全に安心しきってる姿。
“第二の家”。
その言葉がまた浮かぶ。
〇〇は薄く目を閉じながら、
ぽつりと言う。
〇〇「……なんか今日楽しかったな」
北斗「たこ焼きだけで?」
〇〇「全部」
その返事は静かだった。
北斗も少しだけ目を細める。
北斗「……まぁ、俺も」
〇〇はその言葉に小さく笑って、
そのままソファに頬を埋める。
数秒後。
〇〇「……ねむい」
北斗「だから言っただろ」
北斗は立ち上がって、
ブランケットを取る。
そして自然に、
ソファで丸くなる〇〇へかける。
〇〇「ん……ありがと」
眠そうな声。
北斗はそのまま少しだけ髪を見る。
ドライヤーしたばかりの柔らかい髪。
小さい身体。
安心した顔。
今日一日色んな感情があったのに、
最後にはこうしてここにいる。
その事実だけで、
少しだけ満たされてしまう自分がいた。
北斗はソファの前にしゃがみ込む。
〇〇はブランケットに包まったまま、
完全に眠気に負けかけていた。
テレビの光だけが、
薄暗いリビングをぼんやり照らしている。
北斗「……風邪ひくぞ」
〇〇「んー……」
返事がほぼ音。
北斗は小さく笑う。
さっきまであんなに騒いでたのに、
静かになると一気に子どもみたいだ。
〇〇はブランケットをぎゅっと掴きながら、
うとうとしたまま口を開く。
〇〇「……ねぇ北斗」
北斗「ん?」
〇〇「今日さ」
北斗は静かに続きを待つ。
〇〇「なんか、“帰ってきた”って感じした」
その言葉に、
北斗の目が少しだけ揺れる。
〇〇は半分寝てるから、
多分深く考えて言ってない。
でも本音なのは分かる。
〇〇「……落ち着いた」
北斗は少しだけ視線を落として、
ブランケットを整える。
北斗「そりゃよかった」
〇〇は小さく笑う。
そのまままた目を閉じかけて、
ぽつり。
〇〇「北斗いると静かで好き」
「…………」
北斗の手が止まる。
でも〇〇はもう限界らしい。
本人は多分、
褒め言葉くらいの感覚。
数秒後には、
もう眠そうにブランケットへ顔を埋めている。
北斗はしばらくその顔を見てから、
小さく息を吐いた。
北斗(……ほんとずるい)
そんなこと言われて、
平気でいられるわけがない。
でも〇〇は、
何も知らないまま安心した顔で眠りかけていた。
リビングは静かだった。
テレビの音も、
もうほとんどBGMみたいに小さい。
〇〇はソファで眠りかけている。
ブランケットから少しだけ出た手が、
無意識にクッションを掴いていた。
北斗はその横に腰を下ろす。
近い距離。
でも〇〇は全然警戒してない。
安心しきった顔。
北斗「……ほんと無防備」
小さく呟く。
〇〇は聞こえてない。
寝息が少しずつ深くなっていく。
北斗は背もたれに頭を預けながら、
天井を見る。
今日一日を思い返す。
朝の電話。
廉の話。
帰ってきた時の香水。
“第二の家”。
そして今。
〇〇は自分の隣で、
こんなに安心した顔して眠ろうとしてる。
北斗「……」
嬉しい。
でも足りない。
その二つがずっと混ざってる。
〇〇は少しだけ身じろぎして、
無意識に北斗側へ寄る。
肩が軽く触れる。
北斗の呼吸が止まる。
でも〇〇はそのまま、
落ち着いたみたいにまた静かになる。
北斗「……お前なぁ」
苦笑い。
本当に、
全部自然にやる。
北斗は少し迷ってから、
そっと〇〇の頭を撫でる。
柔らかい髪。
シャンプーとヘアオイルの匂い。
〇〇は嫌がるどころか、
少しだけ安心したみたいに力を抜く。
その反応に、
北斗の胸がぎゅっとなる。
北斗(……好きだな)
改めて思う。
長年隣にいて。
もう家族みたいになって。
それでも全然、
気持ちは薄れない。
むしろ今日、
もっと欲しくなってしまった。
北斗は眠る〇〇を見ながら、
小さく笑う。
北斗「……頑張るって決めたしな」
誰に言うでもなく、
静かに呟いた。
〇〇の寝息が、
完全に深くなる。
ソファで丸まったまま、
もう起きる気配はない。
北斗「……寝たな」
小さく呟く。
このままだと絶対身体痛くなる。
北斗は少しだけ迷ってから、
そっと〇〇へ手を伸ばす。
背中と膝裏に腕を入れる。
軽い。
北斗「……ほんと小さい」
そのままゆっくり抱き上げる。
〇〇は一瞬だけ眉を動かしたけど、
起きない。
むしろ安心したみたいに、
無意識に北斗の服を軽く掴む。
北斗の心臓が跳ねる。
北斗「……やめろって」
寝てるから聞こえてない。
リビングを抜けて、
寝室へ向かう。
静かな廊下。
腕の中の温もりだけがやけに近い。
〇〇の髪が首元に触れる。
シャンプーの匂い。
小さな呼吸。
全部近すぎる。
北斗はなるべく平静を保ちながら、
ベッドの横へ行く。
そしてゆっくり、
〇〇を下ろす。
マットレスが沈む。
〇〇は眠ったまま、
自然にブランケットへ潜り込む。
北斗は少しだけその顔を見る。
完全に無防備。
家でしか見せない顔。
北斗「……おやすみ」
小さく呟いて、
前髪をそっと避ける。
その瞬間。
〇〇「……ほくと」
寝言みたいな声。
北斗の動きが止まる。
〇〇は目を閉じたまま、
小さくブランケットを掴く。
〇〇「……いる?」
寝ぼけてる。
完全に。
北斗は少しだけ笑って、
ベッドの横へ腰を下ろす。
北斗「いるよ」
その返事を聞いた瞬間、
〇〇は安心したみたいにまた眠りへ落ちていく。
北斗はその顔を見ながら、
静かに息を吐いた。
この場所が、
〇〇にとって“帰る場所”になってる。
その事実だけで、
今日は少しだけ救われる気がした。
北斗はベッドの横に座ったまま、
眠る〇〇を見つめる。
静かな寝息。
柔らかい表情。
さっきまで笑って、
騒いで、
たこ焼きで熱がってた人とは思えないくらい静かだった。
〇〇は安心しきったまま眠っている。
北斗がいることを確認しただけで、
また眠りに落ちた。
北斗「……無防備すぎ」
小さく笑う。
でも視線は自然と離れない。
今日だけで、
何回心を揺らされたか分からない。
廉の話をして。
“第二の家”って言って。
無意識に距離を詰めてきて。
最後には、
「北斗いると静かで好き」なんて言う。
北斗はゆっくり息を吐く。
そして、
そっと〇〇の前髪に触れる。
起きないように。
本当に優しく。
そのまま少しだけ身を屈めて——
額へ軽くキスを落とす。
触れるだけの、
短いキス。
北斗「……おやすみ」
小さく呟く。
〇〇は気づかない。
ただ安心した顔のまま、
静かに眠っている。
北斗は少しだけ困ったように笑って、
その寝顔を見つめた。
好きだと自覚してから何年も経つのに。
今日が一番、
“手放したくない”って思ってしまっていた。
ーーーーーーーー
☀️朝。
カーテンの隙間から差し込む光が、ゆっくり部屋を満たしていく。
ベッドの上。
〇〇はまだ半分夢の中にいた。
〇〇「……ん……」
小さく寝返りを打つ。
ふわっとした布団の感触。
いつもより少し深い眠りだった気がするのに、理由はうまく思い出せない。
〇〇(……昨日……)
ぼんやり記憶をたどる。
たこ焼き。
ソファ。
北斗。
そこで一瞬だけ、意識がはっきりする。
〇〇「……あ」
ゆっくり上半身を起こす。
寝室は静かだった。
でも、空気がちゃんと“誰かがいた気配”を残している。
ベッドの横。
布団が少し整えられている場所。
〇〇「……北斗?」
呼んでみる。
返事はない。
でも、いない感じじゃない。
妙に落ち着いた空気。
〇〇は髪をぐしゃっと押さえながら、ベッドから降りる。
スリッパを探して履くと、そのまま寝室のドアを開ける。
リビング。
光が少しだけ強くなっている。
そして、キッチンの方から音。
カチャ、カチャ。
〇〇「……いる」
ぽつりと声が出る。
近づくと、
北斗がコーヒーを淹れていた。
白いTシャツ。
少し乱れた髪。
いつも通りの朝の顔。
北斗「起きた」
〇〇「うん……」
まだ完全に起動してない声。
北斗はちらっと見るだけで、またコーヒーに視線を戻す。
北斗「水飲む?」
〇〇「飲む」
即答。
冷蔵庫を開けると、昨日のままの空気が少しだけ残っている気がした。
〇〇「……昨日さ」
コップを持ちながらぽつり。
北斗「ん」
〇〇「たこ焼き美味しかった」
北斗「知ってる」
即答。
〇〇「あとね」
北斗「ん」
〇〇「途中からあんま覚えてない」
北斗「……だろうな」
コーヒーをカップに注ぐ音だけが続く。
〇〇はソファに座る。
少し沈んで、ぼーっとする。
〇〇「なんか途中で寝た気する」
北斗「寝た」
〇〇「え、ちゃんと?」
北斗「ちゃんと」
北斗はコーヒーを持って戻ってくる。
テーブルに置いてから、隣に座る。
少しだけ距離が近い。
〇〇はそれに気づかず水を飲む。
〇〇「……迷惑じゃなかった?」
北斗「別に」
即答。
〇〇「ほんとに?」
北斗「ほんと」
少し間。
〇〇は安心したように肩の力を抜く。
〇〇「よかった」
その一言に、北斗はコーヒーを一口飲むだけで返事しない。
でも視線は一瞬だけ、〇〇に向く。
北斗「……お前さ」
〇〇「ん?」
北斗「昨日のこと、覚えてない方がいいこともあるぞ」
〇〇「え、なにそれ気になる」
北斗「気にすんな」
〇〇「絶対なんかあるじゃん」
北斗「ない」
即答が早すぎる。
〇〇はじっと見る。
北斗はコーヒーを飲み切る。
そのまま立ち上がる。
北斗「朝飯どうする」
〇〇「え、決まってない」
北斗「またそれかよ」
〇〇「だって朝だし」
北斗「関係ねぇだろ」
軽く呆れながらも、キッチンへ向かう。
〇〇はソファで伸びをしながらついていく。
〇〇「なんかさ」
北斗「ん」
〇〇「朝って感じする」
北斗「今朝だろ」
〇〇「そういう意味じゃなくて」
北斗は少しだけ振り返る。
〇〇はまだ眠そうなのに、妙に落ち着いた顔をしていた。
〇〇「ちゃんと帰ってきた感じ」
北斗の手が一瞬止まる。
でもすぐ、何事もなかったようにトースターを入れる。
北斗「……ならいい」
短くそれだけ言う。
〇〇は気づかず、冷蔵庫を開ける。
〇〇「パンあるー?」
北斗「ある」
〇〇「チーズ乗せる」
北斗「好きだなそれ」
〇〇「美味しいもん」
昨日と同じやり取り。
なのに、朝だと少し違って聞こえる。
リビングにはトースターの小さな音。
光が部屋の隅まで届き始めている。
〇〇はキッチンの端に寄りかかって、
ぼーっと北斗を見ている。
〇〇「北斗」
北斗「ん」
〇〇「昨日さ」
北斗の手が止まる。
〇〇「……安心した」
北斗は振り返らない。
でも耳だけ少し動く。
〇〇「なんか、ここ」
少し考える。
〇〇「ほんとに落ち着く」
北斗はトースターを見たまま、小さく息を吐く。
北斗「……知ってる」
それだけ。
でもその声は、昨日より少しだけ柔らかい。
チン、と音が鳴る。
朝がちゃんと始まる音。
北斗はパンを皿に置いて、〇〇の方へ差し出す。
〇〇「ありがと」
受け取って、かじる。
〇〇「ん、おいしい」
北斗「よかったな」
短いやり取り。
でもそれだけで十分だった。
窓の外は明るい。
昨日の続きみたいな朝なのに、
少しだけ違う。
〇〇はパンを持ったまま、
ふと笑う。
〇〇「なんかさ」
北斗「ん」
〇〇「昨日よりちゃんと朝って感じする」
北斗「意味わかんねぇけど」
〇〇「でもそう」
北斗は軽く笑う。
そして、ぼそっと一言。
北斗「……それでいい」
その声は、朝の光に混ざって静かに消えた。
パンをかじりながら、〇〇はふと思い出したように顔を上げる。
〇〇「ねぇ北斗」
北斗「ん」
トースターの前でコーヒーを飲みながら、北斗は短く返す。
〇〇は少し間を置いて、めちゃくちゃどうでもいいテンションで言った。
〇〇「昨日さ」
北斗の動きが一瞬だけ止まる。
〇〇「……筋肉、すごかったね」
北斗「…………は?」
コーヒーのカップがほんの少しだけ傾く。
北斗「何の話?」
〇〇「え、昨日」
〇〇は普通の顔。
まるで“天気いいね”くらいのテンションで続ける。
〇〇「夜ちょっと見えたやつ」
北斗「見てねぇよ」
即答が速すぎる。
〇〇「見た」
北斗「見てない」
〇〇「見たってば」
北斗「見るな」
被せが早い。
でも〇〇は全く気にしてない。
パンをもう一口かじる。
〇〇「いや、ほんとびっくりした」
北斗「何に」
〇〇「ちゃんと筋肉あった」
北斗「“ちゃんと”って何だよ」
〇〇「いやさ、アイドルってさ」
〇〇は真面目な顔になる。
北斗「やめろ、その導入嫌な予感する」
〇〇「細いイメージあるじゃん?」
北斗「あるかもしれないけど今それ関係ないだろ」
〇〇「でも昨日の北斗さ」
一拍置いて、
〇〇「ちゃんと“男”だった」
北斗「……」
コーヒーを置く音が少し強くなる。
北斗「朝から何言ってんの」
〇〇「褒めてる」
北斗「褒め方おかしいだろ」
〇〇は首をかしげる。
本気で分かってない顔。
〇〇「え、だってすごくない?」
北斗「何が」
〇〇「肩とか」
北斗「言うな」
〇〇「腕とか」
北斗「やめろ」
〇〇「腹筋とか」
北斗「ストップ」
全部言われるたびに、北斗の声が一段ずつ低くなる。
でも〇〇は止まらない。
むしろ思い出してる顔。
〇〇「あとさ」
北斗「もういい」
〇〇「近くで見た時、なんかこう……」
北斗「言うなって」
〇〇「ちゃんとアイドルの裏側って感じした」
北斗「だから何の裏側だよ」
〇〇はパンを持ったまま、真剣にうなずく。
〇〇「ギャップ」
北斗「朝からその単語出すな」
北斗は片手で顔を覆う。
本気で疲れるタイプの朝だった。
〇〇はようやく水を飲んで、満足そうに息を吐く。
〇〇「いやでも安心した」
北斗「何に」
〇〇「ちゃんと健康そうで」
北斗「そこ?」
〇〇「大事じゃん」
北斗「大事だけど今じゃねぇ」
少し沈黙。
トースターがまた小さく音を立てる。
北斗はパンを取り出しながら、わざと冷静な声で言う。
北斗「お前さ」
〇〇「ん?」
北斗「朝からそういう話するのやめろ」
〇〇「なんで?」
北斗「俺が落ち着かない」
〇〇「え?」
本気でキョトン。
北斗はその顔を見て、さらにため息をつく。
北斗「……自覚ないのが一番厄介」
〇〇「何が?」
北斗「なんでもない」
そう言いながらパンを皿に置く。
でも耳までちょっとだけ赤い。
〇〇はそれに気づかず、普通にチーズを乗せ始める。
〇〇「でもさ」
北斗「まだあるの?」
〇〇「うん」
北斗「もういいって」
〇〇「昨日さ、たこ焼きの時もさ」
北斗「筋肉関係ねぇだろそれ」
〇〇「なんか動きがちゃんとしてた」
北斗「料理の話に戻せ」
〇〇「でも全部つながってる」
北斗「どこが」
〇〇はチーズを乗せながら、めちゃくちゃ真剣な顔。
〇〇「生き方?」
北斗「デカすぎるだろ」
思わず笑ってしまう北斗。
その笑いで少し空気がゆるむ。
北斗はコーヒーを一口飲んで、視線を外す。
北斗「……もういいからそれ」
〇〇「えー」
北斗「終了」
〇〇「はーい」
でも全然納得してない顔。
パンをかじりながら、まだ何か言いたそうにしている。
北斗はその横顔を見て、軽く息を吐く。
北斗(ほんと自由だな)
でもその自由さが、
昨日も今日もずっとこの家を“ちゃんと家にしてる”理由でもあった。
北斗「……で」
〇〇「ん?」
北斗「その話、廉にはするなよ」
〇〇「なんで?」
北斗「するな」
〇〇「別にしないけど」
即答。
北斗「ならいい」
〇〇はパンを食べながら、ぼそっと言う。
〇〇「北斗ってさ」
北斗「ん」
〇〇「たまに変なとこ気にするよね」
北斗「お前のせいだろ」
〇〇「えー」
朝の光の中で、
いつも通りのやり取りが続く。
でも北斗だけは少しだけ思っていた。
(昨日の記憶、消せるわけないだろ)
そしてもう一つ。
(こいつ、ほんとに無自覚すぎる)
パンをかじりながら、〇〇は何でもないように続ける。
〇〇「ねぇ、北斗」
北斗「ん」
コーヒーを片手に、北斗は短く返す。
〇〇「私さ、今日ちょっと予定あるかも」
北斗「仕事?」
〇〇「うん、多分」
そのとき、テーブルの上のスマホが震える。
着信。
画面を見た瞬間、〇〇の表情が少しだけ変わる。
〇〇「……あ、マネージャーだ」
北斗「出れば」
〇〇「うん」
軽く答えて、電話に出る。
〇〇「おはようございます」
マネージャー「おはよう。今ちょっといい?」
〇〇「大丈夫です」
北斗はそのままコーヒーを飲みながら、何となく視線だけを向ける。
マネージャー「急なんだけど、anan決まった」
〇〇の手が一瞬止まる。
〇〇「……え?」
マネージャー「anan。特集。ビジュアルメインで撮影入る」
北斗の視線も、少しだけ動く。
〇〇「anan……」
マネージャー「そう。今の〇〇を撮りたいってオファー来てて、通った」
〇〇は一拍置いてから、小さく笑う。
〇〇「昨日筋肉の話してたのに、今日それ来るんだ」
マネージャー「タイミングはたまたまだけどね。今日から準備入る」
〇〇「了解です」
マネージャー「スケジュールすぐ組むからまた連絡する」
〇〇「はい」
電話を切ったあと、〇〇はしばらくスマホを見つめたまま固まっていた。
北斗「……何」
〇〇「……露出多めらしい」
北斗の手が止まる。
北斗「は?」
〇〇「anan」
北斗「いや聞こえてる」
〇〇はゆっくり北斗を見る。
〇〇「やばい」
北斗「何が」
〇〇「鍛えてない」
北斗「急に?」
〇〇「いや急じゃない。現実が急に来た」
真顔。
かなり真顔。
〇〇「待って、どうしよう」
北斗「知らねぇよ」
〇〇「え、でもananだよ?」
北斗「うん」
〇〇「肌見えるじゃん」
北斗「まあ企画によるだろ」
〇〇「絶対見える」
〇〇は自分の腕を見る。
そのあと静かにソファへ沈む。
〇〇「終わった……」
北斗「大げさ」
〇〇「違うの。女優の“細い”とananの“綺麗に見える身体”って違うの」
北斗は少し黙る。
〇〇「私いま完全に“仕事で生きてるだけの身体”」
北斗「言い方」
〇〇「筋肉ない……」
その瞬間、北斗が昨日の会話を思い出す。
〇〇「北斗の筋肉見てる場合じゃなかった……」
北斗「蒸し返すな」
〇〇「いやでも本当にちゃんとしてた」
北斗「だからやめろって」
〇〇はクッションを抱えながら天井を見る。
〇〇「鍛えるしかない……?」
北斗「知らないけど必要ならやれば」
〇〇「やだ」
即答。
北斗「早いな」
〇〇「筋トレ嫌い」
北斗「知ってる」
〇〇「疲れる」
北斗「そりゃそうだろ」
〇〇「しかも続かない」
北斗「なお悪い」
〇〇は完全に嫌そうな顔になる。
〇〇「でも今回たぶん肩とか出る」
北斗「……」
〇〇「背中とかもあるかも」
北斗「……」
〇〇「腹筋うっすら必要かな」
北斗「待て」
〇〇「ん?」
北斗「お前、今どこまで想像してんの」
〇〇「ananの世界」
北斗「雑すぎるだろ」
でも〇〇は本気で悩み始めている。
〇〇「え、どうしよう本当に」
北斗「そんな変わんねぇだろ短期間で」
〇〇「でも気持ちの問題!」
北斗「急に熱量上がったな」
〇〇は勢いよく立ち上がる。
〇〇「決めた」
北斗「何を」
〇〇「今日から鍛える」
北斗「三日で終わる」
〇〇「失礼」
北斗「事実」
〇〇「……」
反論できない顔。
北斗は少し笑う。
北斗「で、何すんの」
〇〇「腹筋?」
北斗「疑問形やめろ」
〇〇「スクワット?」
北斗「聞くな」
〇〇「腕立て……?」
北斗「絶対やらないだろ」
〇〇「やりたくはない」
北斗「正直だな」
〇〇はまたソファに崩れ落ちる。
〇〇「ananってなんでみんなあんな綺麗なの……」
北斗「仕事だからだろ」
〇〇「プロ怖い」
北斗「お前もその側だろ」
〇〇「気持ちは一般人」
北斗「嘘つけ」
少し沈黙。
〇〇はぼそっと言う。
〇〇「……北斗さ」
北斗「ん」
〇〇「筋トレ教えて」
北斗「は?」
〇〇「最低限でいいから」
北斗は一瞬黙る。
そしてゆっくりコーヒーを置く。
北斗「嫌だ」
〇〇「なんで!?」
北斗「絶対途中で文句言う」
〇〇「言わない!」
北斗「言う」
〇〇「……ちょっとは言うかも」
北斗「ほらな」
でも北斗は小さく笑って、ため息をつく。
北斗「……まあ、軽いやつなら」
〇〇「ほんと!?」
北斗「ただしサボんなよ」
〇〇「……」
北斗「もう怪しい」
〇〇「いや、頑張る。ananだし」
その言葉を聞いて、北斗は少しだけ視線を逸らす。
(露出多め、ね)
昨日の記憶がまた勝手に浮かぶ。
北斗「……はぁ」
〇〇「何そのため息」
北斗「なんでもない」
そう言いながら、北斗は空になったコーヒーカップをシンクへ置く。
〇〇はソファに座ったまま、自分の腕を見ている。
〇〇「え、ほんとにどうしよう……」
北斗「まだ言ってんの」
〇〇「だって露出多めだよ?」
北斗「仕事だろ」
〇〇「それはそう」
でも顔は全然納得していない。
北斗は時計を見て、小さく息を吐く。
北斗「ほら、準備しろ」
〇〇「うー……」
北斗「現場遅れるぞ」
〇〇「分かってる」
そう言いながら立ち上がる動きが遅い。
北斗はその様子を見て少し笑う。
北斗「筋トレの前に支度の速度上げろ」
〇〇「ひど」
北斗「事実」
〇〇は不満そうにしながら洗面所へ向かう。
その後ろ姿を見送ってから、北斗も自分の部屋へ戻る。
家の中に、準備の音が少しずつ増えていく。
ドライヤーの音。
クローゼットを開ける音。
洗面所から聞こえる〇〇の声。
〇〇「北斗ー!」
北斗「何」
〇〇「今日って雨降る?」
北斗「知らない」
〇〇「えー見てー」
北斗「自分で見ろ」
〇〇「今髪乾かしてる!」
北斗「じゃあ後で見ろ」
〇〇「冷たい!」
北斗「朝からうるさい!」
少しして、洗面所からまた声が飛ぶ。
〇〇「ねぇ!」
北斗「今度は何!」
〇〇「ananって腹筋必要かな!?」
北斗「知らねぇって言ってんだろ!」
廊下越しに返しながら、北斗はネクタイを結ぶ。
でもその顔は少し笑っている。
〇〇「でも絶対みんな綺麗なんだよなぁ……」
北斗「お前も十分だろ」
何気なく返したその一言に、
洗面所の音が一瞬止まる。
北斗「あ」
数秒後、ドアが少し開く。
〇〇「……今なんて?」
北斗「別に」
〇〇「いや聞こえた」
北斗「気のせい」
〇〇「“十分”って言った」
北斗「言ってない」
〇〇「言った!」
北斗は視線を逸らしながらジャケットを羽織る。
北斗「ほら、早く準備しろ」
〇〇はドアから半分だけ顔を出したまま、じーっと北斗を見る。
〇〇「……珍しい」
北斗「何が」
〇〇「そういうこと言うの」
北斗「朝だから」
〇〇「理由になってない」
でも〇〇は少しだけ嬉しそうに笑う。
その顔を見た北斗は、一瞬だけ言葉に詰まる。
北斗「……とにかく急げ」
〇〇「はーい」
また洗面所のドアが閉まる。
北斗は小さく息を吐いて、スマホを手に取る。
そのタイミングで、〇〇が再び顔を出す。
〇〇「北斗」
北斗「今度は何」
〇〇「筋トレメニュー、夜ね」
北斗「……覚えてたのか」
〇〇「ananなめないで」
北斗「絶対途中で嫌になる」
〇〇「その時は励まして」
北斗「無理」
〇〇「えー」
朝の慌ただしい空気の中、
いつも通り二人の声が飛び交う。
でも北斗は少しだけ思っていた。
(“十分”どころじゃないんだけどな)
ただ、それを本人に言う気はまだなかった。
〇〇「ねぇ北斗」
洗面所の前で髪を乾かしながら、〇〇が鏡越しに声をかける。
北斗「んー?」
ネクタイを片手で整えながら、北斗は気のない返事をする。
〇〇「ananってさ」
北斗「うん」
〇〇「露出多めなんだよね」
北斗「らしいな」
〇〇「……嫌だ」
北斗「急だな」
〇〇はドライヤーを止める。
鏡の前で真顔。
〇〇「鍛えなきゃじゃん」
北斗「まあ、多少は」
〇〇「えぇ……」
心底嫌そうな声。
北斗は思わず笑う。
北斗「そんな嫌?」
〇〇「嫌。筋トレ向いてない」
北斗「お前すぐ飽きるもんな」
〇〇「三日坊主を舐めないで」
北斗「威張ることじゃない」
〇〇はソファに倒れ込む。
〇〇「だってさぁ、なんで撮影のために腹筋しなきゃいけないの」
北斗「世の女優みんなやってるだろ」
〇〇「みんな偉すぎる」
北斗「仕事だからな」
〇〇「北斗やって」
北斗「は?」
〇〇「鍛えて」
北斗「なんで俺が」
〇〇「昨日見た感じ、経験者じゃん」
北斗「またその話戻すな」
〇〇「だって説得力ある」
北斗「嫌だよ」
〇〇「えー」
北斗「自分でやれ」
〇〇はじーっと北斗を見る。
北斗「……その顔しても無理」
〇〇「一週間だけ」
北斗「短ぇな」
〇〇「頑張れる限界」
北斗「限界早すぎるだろ」
〇〇「じゃあ北斗も一緒にやる?」
北斗「なんで俺まで」
〇〇「連帯責任」
北斗「何の?」
〇〇「筋肉見せた責任」
北斗「理不尽すぎる」
北斗は笑いながら腕時計をつける。
その横で〇〇はまだぶつぶつ言っていた。
〇〇「はぁ……絶対筋肉痛になる……」
北斗「なる前提なんだ」
〇〇「もう未来が見える」
北斗「とりあえず今日から腹筋でもしろ」
〇〇「何回?」
北斗「20」
〇〇「多い」
北斗「少ないわ」
〇〇「5でいい?」
北斗「交渉するな」
〇〇は不満そうに頬を膨らませる。
でも次の瞬間には、急に北斗の腕を掴んだ。
〇〇「待って」
北斗「何」
〇〇「やっぱ腕すごい」
北斗「触るな急に」
〇〇「硬っ」
北斗「お前なぁ……」
朝から距離感が自由すぎる。
北斗は軽く額を押さえる。
でも〇〇は本気で感心してるだけの顔。
〇〇「いいなぁ」
北斗「何が」
〇〇「努力したらちゃんと出るタイプの筋肉」
北斗「知らん」
〇〇「私、やっても変化薄そう」
北斗「お前意外とつくぞ、多分」
〇〇「ほんと?」
北斗「知らんけど」
〇〇「適当」
北斗「お前が急に聞くからだろ」
マネージャーから再び通知が入る。
“30分後出発です”
〇〇「あ、やば」
北斗「メイク道具入れた?」
〇〇「……忘れてた」
北斗「ほら」
北斗は自然にポーチを渡す。
〇〇「ありがと」
北斗「財布」
〇〇「ある」
北斗「スマホ」
〇〇「ある」
北斗「台本」
〇〇「……ない」
北斗「ほらな」
棚から台本を取って渡す北斗。
〇〇は受け取りながら笑う。
〇〇「北斗ってほんと保護者」
北斗「誰のせいだと思ってんだ」
〇〇「えへへ」
北斗「誤魔化すな」
〇〇はスニーカーを履きながら、小さく伸びをする。
〇〇「よし」
北斗「切り替え早」
〇〇「仕事モードです」
さっきまで筋トレ嫌だと騒いでいた人とは思えない顔。
北斗はそれを見て少し笑う。
北斗(こういうとこなんだよな)
どれだけだらけてても、
仕事になると一瞬で空気が変わる。
だからみんな〇〇を求める。
北斗「……じゃ、行くか」
〇〇「うん」
玄関のドアが開く。
いつもの朝。
ーーーーーーーーー
〇〇side
車に乗った瞬間、〇〇はスケジュール表を見て静かに閉じた。
〇〇「……いや、詰めすぎじゃない?」
マネ「今日まだマシな方」
〇〇「嘘つけ」
助手席のマネはコンビニのカフェラテを開けながら普通の顔。
マネ「朝CM、昼バラエティ収録、夕方ドラマ、夜打ち合わせ。綺麗」
〇〇「どこが綺麗なの」
マネ「無駄がない」
〇〇「休憩がない」
マネ「気合い」
〇〇「ブラックだ」
マネ「国民的女優って大変なんだよ」
〇〇「他人事みたいに言うな」
でもこういう会話も、もういつものことだった。
車は最初のスタジオへ向かって走る。
〇〇は台本を開きながら、ふと窓の外を見る。
まだ朝。
なのに今日はもう一日終わったくらいの気分。
〇〇「……眠」
マネ「昨日遅かったしね」
〇〇「北斗のせい」
マネ「はいはい」
〇〇「信じてない」
マネ「どうせまたくだらないことで騒いでたんでしょ」
〇〇「失礼だな」
でも否定できない。
マネは笑いながらスマホを確認する。
マネ「anan、正式に解禁タイミング決まった」
〇〇「え、もう?」
マネ「来月頭」
〇〇「早……」
一気に現実味が増す。
〇〇は静かにシートに沈んだ。
〇〇「やっぱ鍛えるべきかな……」
マネ「今さら?」
〇〇「その“今さら?”やめて傷つく」
マネ「腹筋くらいしなよ」
〇〇「みんな言う」
マネ「だって露出多いし」
〇〇「うぅ……」
マネ「でもファン絶対喜ぶよ」
〇〇「それはまぁ……」
マネ「ほら」
〇〇「単純だと思ってる?」
マネ「思ってる」
〇〇「正解」
スタジオに着くと、一気に空気が変わる。
スタッフ「おはようございます!」
〇〇「おはようございます!」
さっきまで車でぐだぐだだったのに、
現場に入った瞬間、自然と背筋が伸びる。
メイク、衣装、カメラチェック。
CM撮影はテンポが速い。
監督「〇〇さん、もう少し柔らかく笑えます?」
〇〇「はい!」
モニター確認。
角度調整。
髪直し。
秒単位で進んでいく。
でも不思議と嫌じゃない。
むしろこの忙しさが落ち着く。
スタッフ「OKです!」
拍手が起きる。
〇〇「ありがとうございました!」
次は移動して収録。
楽屋に入った瞬間、〇〇はソファに倒れ込んだ。
〇〇「むりぃ……」
マネ「5分後スタンバイ」
〇〇「鬼?」
マネ「仕事です」
〇〇「冷たい」
でも時間になるとちゃんと立つ。
衣装を整えて、笑顔を作る。
共演者「〇〇ちゃん久しぶり!」
〇〇「お久しぶりですー!」
収録中はずっと笑って、ツッコんで、盛り上げて。
スタッフが笑ってくれる空気が好きだった。
気づけばあっという間に終了。
でも休む暇なく次はドラマ現場。
車に戻った瞬間、〇〇はぐったり座席に沈む。
〇〇「今日まだ終わんないの?」
マネ「あと半分」
〇〇「半分!?」
マネ「ドラマメインだから」
〇〇「うそだぁ……」
マネ「でも今日重要シーンじゃん」
その一言で少しだけ気持ちが切り替わる。
〇〇は静かに台本を開いた。
セリフを確認する。
感情の流れを頭の中でなぞる。
さっきまで騒いでたのに、
こういう時だけ自然と集中していく。
マネはそんな〇〇を見ながら小さく笑った。
マネ「切り替えだけは天才」
〇〇「生き残るための技術です」
マネ「アイドルみたいなこと言うじゃん」
〇〇「国民的女優なので」
マネ「自分で言った」
〇〇「事実です」
二人で笑う。
車は夕方の街を抜けながら、次の現場へ向かっていった。
ドラマ現場に着く頃には、空が少し暗くなり始めていた。
スタッフ「〇〇さん入りまーす!」
〇〇「お願いします!」
現場はすでに慌ただしい。
照明調整、カメラ移動、衣装確認。
その空気の中に入ると、〇〇の顔つきも自然と変わる。
監督「〇〇ちゃん、今日ラスト感情かなり重いからね」
〇〇「了解です」
監督「リハ一回やって、そのまま撮るかも」
〇〇「大丈夫です」
マネは少し離れた場所でスケジュールを確認している。
でも時々こっちを見てるのが分かる。
〇〇は台本を閉じ、小さく深呼吸した。
共演俳優「今日泣かせにくるシーンだよね」
〇〇「そっちが強すぎると普通に引っ張られるからやめてください」
共演俳優「はは、責任重大」
軽く笑い合う。
でもカメラ前に立った瞬間、
空気が一気に変わった。
監督「……よーい」
静寂。
〇〇の目がゆっくり役のものになっていく。
さっきまで眠いとか筋トレ嫌だとか言ってた人とは別人みたいだった。
感情を抑えた声。
震える息。
視線。
一つずつ積み重ねるように芝居を作っていく。
そして最後。
静かに涙が落ちた瞬間。
監督「……カット!」
少し間が空く。
そのあと現場から一気に息が漏れた。
スタッフ「すご……」
監督「OK!いいね!」
〇〇は涙を拭きながら軽く頭を下げる。
〇〇「ありがとうございました」
さっきまで張っていた空気が少し抜ける。
すると後ろからマネの声。
マネ「はい、天才終了。次移動」
〇〇「余韻!!」
マネ「押してます」
〇〇「世知辛い」
でもすぐに荷物を持って歩き出す。
その切り替えの速さに、スタッフが笑っていた。
スタッフ「〇〇さんほんと切り替え早いですよね」
〇〇「長年の技術です」
マネ「ただお腹空いてるだけ」
〇〇「バレた」
車に戻った瞬間、〇〇はシートに沈む。
〇〇「終わったぁ……」
マネ「まだ打ち合わせ」
〇〇「あぁぁぁ……」
マネ「でも今日かなり良かったよ」
〇〇「ん?」
マネ「最後の涙」
〇〇は少しだけ黙る。
マネは普段あまり芝居に感想を言わない。
だから珍しかった。
〇〇「……珍しく褒めるじゃん」
マネ「ちゃんと良かったから」
〇〇「へへ」
ちょっとだけ嬉しそうに笑う。
その直後。
ぐぅぅ……
静かな車内に響く音。
マネ「腹減ってんじゃん」
〇〇「限界です」
マネ「コンビニ寄る?」
〇〇「寄る」
即答。
マネ「切り替え早」
〇〇「生き残るための技術です」
マネ「さっき聞いた」
車はコンビニへ入っていく。
長い一日は、まだもう少しだけ続いていた。
コンビニに入った瞬間、〇〇は真っ先に飲み物コーナーへ向かった。
〇〇「もう糖分しか勝たん……」
マネ「語彙終わってる」
〇〇「今日使い切った」
カゴを片手にふらふら歩いていると、
ふと前から聞き慣れた声がした。
「あれ?」
〇〇が顔を上げる。
そこにいたのは 中村嶺亜 。
帽子を少し上げながら、嶺亜が目を丸くする。
嶺亜「え、〇〇?」
〇〇「えぇ!?嶺亜!?」
完全に偶然。
しかも二人とも仕事終わり丸出しの格好。
マネ「あ、久しぶり」
嶺亜「うわ、マネさんもいる」
〇〇「何してんの?」
嶺亜「それこそ仕事終わり。そっちは?」
〇〇「CM、収録、ドラマ」
嶺亜「うわ、やば」
〇〇「今日まだ終わってない」
嶺亜「売れっ子怖……」
〇〇「今それ一番聞きたくない」
二人とも笑う。
久しぶりなのに、空気は昔のままだった。
嶺亜「てか変わってなくない?」
〇〇「そっちも」
嶺亜「いや絶対大人っぽくなったわ」
〇〇「急に褒めるじゃん」
嶺亜「本当のこと」
マネはそのやり取りを見ながら小さく笑っている。
昔からこの二人を知ってるからこその顔。
〇〇「嶺亜こそ髪伸びた?」
嶺亜「気づく?」
〇〇「わかるわ」
嶺亜「嬉し」
その自然な会話に、
周りから見たら“仲良い幼馴染”みたいだった。
でも実際は、
嶺亜が昔〇〇に告白して、
そして振られている。
しかもかなり真っ直ぐ。
でも気まずくならなかったのは、
嶺亜がちゃんと笑って引いたからだった。
嶺亜「てか最近会わなすぎじゃない?」
〇〇「お互い忙しいじゃん」
嶺亜「まぁなぁ」
〇〇「嶺亜ずっと仕事してるイメージ」
嶺亜「人のこと言えないだろ」
〇〇「確かに」
嶺亜は飲み物を取りながら、ふと〇〇を見る。
嶺亜「でもちゃんと寝てる?」
〇〇「……寝てる」
マネ「嘘」
嶺亜「やっぱり」
〇〇「なんでバラすの!」
マネ「クマすごい時ある」
〇〇「やめて今女優」
嶺亜「ははっ」
久々に聞く嶺亜の笑い声は、昔と変わってなかった。
嶺亜「ちゃんと休めよ」
〇〇「お母さん?」
嶺亜「心配してんの」
〇〇「ありがとー」
〇〇は軽く笑って返す。
でも嶺亜はその笑顔を少しだけ静かに見ていた。
昔から変わらない笑い方。
無防備で、
人懐っこくて、
距離が近い。
だから好きになった。
……なんて、
今さら本人には絶対言わないけど。
マネ「〇〇、時間」
〇〇「あ、やば」
〇〇は慌てておにぎりと飲み物を抱える。
〇〇「またね嶺亜!」
嶺亜「ん、また」
〇〇「今度ちゃんとご飯行こ!」
嶺亜「……それ期待していいやつ?」
〇〇「え?」
嶺亜「いや、なんでもない」
〇〇「?」
本気で分かってない顔。
嶺亜は思わず笑ってしまう。
嶺亜「その感じ、懐かしいわ」
〇〇「何それ」
嶺亜「じゃ、仕事頑張れ」
〇〇「そっちも!」
手を振りながら出ていく〇〇。
嶺亜はその背中を見送りながら、小さく息を吐いた。
嶺亜「……相変わらず無自覚すぎるだろ」
車に戻ると、〇〇はコンビニ袋を抱えたままシートに沈み込んだ。
〇〇「はぁ〜〜〜生き返る……」
マネ「単純」
〇〇「人間、糖分と炭水化物」
マネ「終わってる食生活」
〇〇はおにぎりの袋を開けながら、ふと窓の外を見る。
さっきの嶺亜がまだ少し頭に残っていた。
〇〇「……久々だったなぁ」
マネ「半年ぶりくらい?」
〇〇「そんな空いてた?」
マネ「みんな忙しいしね」
〇〇「嶺亜変わってなかった」
マネ「〇〇もね」
〇〇「えー、絶対大人になった」
マネ「図太くなった」
〇〇「悪口?」
マネ「褒めてる」
〇〇は笑いながらおにぎりを頬張る。
でもマネはちらっと横を見る。
マネ「嶺亜、まだ優しかったね」
〇〇「ん?」
マネ「いや別に」
〇〇「何その言い方」
マネ「だって昔さぁ」
〇〇「やめて」
食い気味。
マネは吹き出す。
マネ「まだ何も言ってない」
〇〇「絶対あの話する流れだった」
マネ「正解」
〇〇「しなくていい!」
〇〇は本気で嫌そうな顔をする。
マネは面白そうに笑っていた。
マネ「でもほんと真っ直ぐだったよね」
〇〇「はいはい終わり!」
マネ「ちゃんと告白して」
〇〇「終わりって!」
マネ「ちゃんと振られて」
〇〇「聞こえなーい」
〇〇はイヤホンするフリまで始める。
子供みたいな反応。
マネ「でも気まずくならなかったの偉いよ」
〇〇「嶺亜が大人だったの」
マネ「まぁそれはある」
少し静かになる。
車は夜の道路を流れていく。
〇〇「……でも普通に嬉しかったな」
マネ「再会?」
〇〇「うん」
〇〇はペットボトルを開けながら小さく笑う。
〇〇「なんか、“変わってない場所”って感じした」
マネはその言葉に少しだけ優しい顔になる。
マネ「〇〇さ」
〇〇「んー?」
マネ「そういうとこあるよね」
〇〇「何が」
マネ「昔仲良かった人、ずっとそのまま大事にする」
〇〇「え、普通じゃない?」
マネ「普通に見えて結構難しいよ」
〇〇は少しだけ首を傾げる。
でも本人に自覚はない。
マネ「だからモテるんだろうけど」
〇〇「また始まった」
マネ「北斗も廉も嶺亜も大変」
〇〇「ちょっと待ってなんで並べた」
マネ「なんとなく?」
〇〇「やめて怖い」
マネはケラケラ笑う。
〇〇「ほんとそういうのやめて」
マネ「でも嶺亜、昔より落ち着いたね」
〇〇「うん、なんか大人だった」
マネ「〇〇見る目は変わってなかったけど」
〇〇「……は?」
マネ「いや別に」
〇〇「待って今なんか言った」
マネ「言ってない」
絶対言った顔。
でもマネはもうスケジュールを見始めている。
〇〇「気になるんだけど!」
マネ「はい次、打ち合わせ資料読んで」
〇〇「雑!!」
でも結局、〇〇は素直に資料を受け取る。
マネはそんな横顔を見ながら思っていた。
(……ほんと鈍感)
あれだけ真っ直ぐ好かれても、
本人だけがずっと気づかない。
そして多分、
今一番近くにいる北斗に対しても。
打ち合わせ部屋の扉を開けた瞬間。
〇〇「お疲れさまでーす」
軽く頭を下げながら入った〇〇が、
次の瞬間ぴたりと止まる。
〇〇「……え」
ソファに座っていた男が顔を上げる。
しょう「お、来た」
〇〇「なんでいるの!?」
しょう「その反応ひど」
部屋にいたスタッフ達が笑う。
マネ「言ってなかったっけ」
〇〇「聞いてない」
マネ「サプライズ成功」
〇〇「いらないサプライズ」
でも顔は普通にうれしそうだった。
しょうは昔から〇〇と仲がいい。
デビュー前からの付き合い。
最近も普通に会ってる。
だから久々感はない。
でも。
“仕事で二人きりに近い形で並ぶ”のは、
かなり久しぶりだった。
編集スタッフが資料を開く。
「今回のananなんですが」
机の中央に置かれたラフ案。
そこには大きく書かれていた。
『5年ぶり共演』
『大人の色気』
〇〇「うわ、テーマ強」
しょう「もう逃げられない感じ?」
スタッフ「逃がしません」
笑いが起きる。
ページをめくるたび、
ラフ写真や衣装案が並んでいく。
黒ベース。
距離感近め。
視線重視。
空気感重視。
かなり“魅せる”構成だった。
〇〇「え、これやばくない?」
しょう「思った」
マネ「しかも露出多め」
〇〇「最悪」
しょう「俺も嫌だわ」
スタッフ「でも絶対かっこいいです」
〇〇は資料を見ながら、
じわじわ嫌そうな顔になる。
〇〇「待って、今からでも筋トレ間に合う?」
マネ「遅い」
〇〇「北斗に昨日筋肉褒めたのに」
マネ「なんの話?」
〇〇「なんでもない」
しょうが吹き出す。
しょう「北斗巻き込まれてんじゃん」
〇〇「いやだってほんと今回やばいもん」
ページをめくる。
そこには、
肩を見せるスタイリング案。
背中が開いた衣装。
ソファで密着気味の構図。
〇〇「うわぁ……」
しょう「編集部本気だ」
スタッフ「5年ぶりなので」
マネ「世間が待ってたやつ」
〇〇「知らない知らない」
でも。
しょうがふと〇〇を見る。
しょう「でもさ」
〇〇「ん?」
しょう「今のほうが絶対いい」
〇〇「何が?」
しょう「空気」
一瞬だけ静かになる。
しょう「昔より自然」
〇〇は少しだけ目を丸くする。
でもすぐ笑った。
〇〇「大人になったってこと?」
しょう「たぶん」
マネ(いやこの二人空気強すぎるな……)
スタッフ達も、
なんとなく察し始めていた。
この撮影。
かなり強い。
スタッフ「今回、“綺麗”だけじゃなくて」
資料をめくる。
「ちょっと危うい空気感も入れたいんです」
テーブルの上に並ぶラフ。
ジャケットを軽く羽織るだけのスタイリング。
ネクタイが緩んだカット。
ソファに座って視線を合わせる構図。
肩が少し見える衣装案。
“大人っぽさ”をテーマにした、
かなり攻めた内容だった。
〇〇「……おぉ」
しょう「本気だ」
編集スタッフが笑う。
「5年ぶりなので、中途半端にはしたくなくて」
マネ「なるほどねぇ」
〇〇は資料をじっと見る。
〇〇「これ絶対SNSざわつくやつ」
しょう「もう今から見える」
スタッフ「でもいやらしくじゃなくて、“空気感”重視です」
別スタッフも頷く。
「距離感とか、表情とか」
「二人の自然な雰囲気を撮りたい」
しょう「自然が一番危ない時あるけどね」
〇〇「それはそう」
みんな笑う。
次のページ。
少しラフなシャツスタイル。
撮影イメージには、
ソファに座ったしょうの隣で、
〇〇が笑っている写真の参考案。
髪が少し乱れていたり、
撮影後みたいな空気感が強い。
〇〇「え、これすご」
マネ「空気映画じゃん」
スタッフ「まさにそのイメージです」
しょうは資料を見ながら、
ふっと笑う。
しょう「でも〇〇こういうの似合うよね」
〇〇「ほんと?」
しょう「作り込みすぎないやつ」
スタッフ達も頷く。
「ナチュラルなのに雰囲気出るんですよね」
「だから今回かなりハマると思います」
〇〇は少し困ったように笑う。
〇〇「でも緊張するなぁ」
しょう「珍しいじゃん」
〇〇「だってテーマ強いもん」
マネ「しかも世間が“待ってました”状態」
〇〇「やめてプレッシャー」
しょう「でも楽しそう」
〇〇「それはちょっとある」
スタッフ「絶対いい撮影になります」
その瞬間。
打ち合わせ室の空気が、
もうすでに少し完成し始めていた。
時計を見ると、
もう21:30を回っていた。
長かった打ち合わせもようやく終了。
資料を閉じながら、
スタッフ達が立ち上がっていく。
「今日はありがとうございました!」
「撮影楽しみにしてます!」
〇〇「よろしくお願いしますー!」
しょう「お疲れさまでした」
バタバタしていた部屋が、
少しずつ静かになる。
〇〇は椅子にもたれながら大きく息を吐いた。
〇〇「つっかれた……」
マネ「今日朝からずっと働いてるもん」
〇〇「CMから始まって収録してドラマ行ってこれだよ」
しょう「化け物スケジュール」
〇〇「ほんとそれ」
マネがスマホを確認する。
その表情が少しだけ真面目になった。
マネ「……で、今日どうする?」
〇〇「ん?」
マネ「今ちょっと一人移動させたくない」
空気が少し変わる。
ここ最近続いている、
ストーカー騒動。
事務所もかなり警戒していた。
今日も移動ルートを変えていたし、
現場にも警備がついていた。
〇〇は少しだけ黙る。
しょうもその空気を察した。
しょう「じゃあうち来る?」
〇〇「え」
しょう「飯まだでしょ」
〇〇「まだ」
しょう「なんか作るよ」
マネ「それ助かるかも」
〇〇「え、でも悪いじゃん」
しょう「今さら?」
〇〇「……たしかに」
即納得。
マネが苦笑する。
マネ「じゃあ警備だけちゃんとつける」
〇〇「うん」
しょう「車こっち地下だし、そのまま入れる」
マネはすぐ電話を始める。
警備スタッフとの確認。
移動ルート。
マンション入口。
エレベーター導線。
かなり細かい。
〇〇はその横で、
ソファにぐったり沈む。
しょう「眠そう」
〇〇「限界」
しょう「顔死んでる」
〇〇「今日何時間しゃべったと思ってんの」
しょう「知らないけど今の声めっちゃ低い」
〇〇「もう女優の声帯終わった」
しょうが笑う。
でもそのあと、
少しだけ真面目な顔になる。
しょう「……大丈夫?」
〇〇「ん?」
しょう「最近」
〇〇は少しだけ視線を落とした。
ストーカーの件。
平気なふりはしてる。
でも普通に怖い。
仕事終わりの視線。
家の近く。
知らない番号。
積み重なると、
さすがに神経は削られる。
〇〇「まぁ……大丈夫」
しょう「大丈夫って顔じゃない」
〇〇「眠いだけ」
しょうは少しだけ黙る。
それ以上は聞かなかった。
昔から、
〇〇が“無理してる時”を知ってる。
だからこそ、
無理に触れない。
しょう「とりあえず飯食お」
〇〇「食べる」
しょう「何食いたい」
〇〇「温かいもの」
しょう「ざっくりすぎ」
〇〇「今脳みそ動いてない」
その時。
マネが戻ってくる。
マネ「警備OK。下にも配置つく」
〇〇「ありがと」
マネ「今日はしょうんち直帰ね」
しょう「了解」
マネ「あと絶対一人で外出ないで」
〇〇「はーい」
しょう「子供みたいになってる」
〇〇「今もう思考力ゼロ」
しょう「知ってる」
そう言いながら、
自然に〇〇の荷物を持つしょう。
〇〇「ありがとー……」
マネはその背中を見ながら、
小さく息を吐いた。
(この空気感だからanan強いんだよなぁ……)