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止まらない自転車のベル、鳩が空へ飛んだときに聞こえた羽音、ふと普段は通りもしない道をずんずん進んでいくと何やら親しい人物が綺麗な雑貨屋の前に立ちすくんでいた。久しぶりに文恵と会った。喜びの感情に浸る栞は、間髪入れずに文恵の右肩をぽんぽんと叩いた。
「文恵、お久しぶり」
叩かれた振動に体を震わせ驚いている文恵はまるで怯えた子鹿のようだった。
「あ、あぁ、栞かぁ!お久しぶり、買い物中?」
「まぁ、そんなところかな。文恵は文房具?」
「うん。もうシャー芯使い切っちゃってさ、ルーズリーフもちょっとしかなかったし買い溜めしとこうかなって⋯」
「もうJKだもんね!」
「そうね、栞は何を買いに?」
「これ」
そう言い、栞は白いポリ袋の中から今日買ったブックカバーを取り出した。
「新作らしいの!鈴蘭のワンポイントが可愛いでしょ?高校生になったからその記念に買ってみたの。」
「鈴蘭かぁ⋯白で部屋、統一してるもんね。いい買い物してるね」
「でしょ!それに、ほら、ちょっとくすんでるの、葉や茎の部分が」
一つの鈴蘭に指でなぞる。
「おー、凄いわね。栞に合ってるよ」
「んふ、ありがとう!文恵」
久しぶりの再開に胸が高鳴る。だが、ここでゆっくりしている暇はない。文恵の背中を最後にしてその場から去った。
栞の足取りは軽く軽やかなリズムで歩く。ふと、普段は立ち寄らない裏道に出た。たばこのゴミや、未使用のゴミ袋、カチカチと物音をたてる証明、割れた焼酎の瓶、至る所に混沌が存在していて、それを直視しようにも気持ちが進まない。
この通りを抜けたらいつもどうりの日常がただ、ゆっくりと流れていた。綺麗な噴水も、赤く燃え上がる太陽に照らされたショーウィンドウも、都会特有の喧騒もない。
栞は先程の混沌とした世界を見て、『環境保護』について、興味を持った。もしかしたら、物を拾う癖はこの時のためにあったのかも。
そんな事さえ考えて口角が上がる。栞は、もっとこの街を良くしていきたい。そんな思いを抱えつつ、帰路に着いた。
「ただいま⋯」
たった今、帰ってきたことを言語化して伝えた。だが、家には栞以外誰も居ない。まだ、買い物に行っているのか。それとも、また、喧嘩して二人とも別々の場所で寝泊まりするのだろうか。考えただけでも反吐が出る。
「あはは⋯」
もう、疲れた───そんな甘えの足しにもならない精一杯の甘えを自分に向けた。
ソファの上でクッションへ横たわり動画サイトを閲覧しようと思い、アイコンをタップする。コルクが空いたかのような音と共に画面が暗転した。だが、その暗転は動画サイトのものでは無かった。その暗転とした画面が通話アプリに飛んで『母』という連絡先へ移動した。そこからは咽び泣く母の声が聴こえてきた。
『ごめんなさい⋯急で悪いんだけれど、今すぐ、家⋯空けてくれない?』
それを聴き、栞はいつものナップサックとバッグを持って
「おっけー、お母さん。おやすみなさい⋯」
と、言い通話を切った。毎日、この調子だ。ご飯も満足に食べられない。労働時間よりも両親が一緒にいる時間が少ないのだ。お金があっても家族と過ごす時間が少ない栞にとっては日常茶飯事だった。
栞は母親の経営しているビジネスホテルの特別な部屋、いわゆるVIPと呼ばれる部屋の事だ。そこでよく住み込みで働いている母の第二の家だ。父親との喧嘩で一週間、家に帰って来なかった日もある。栞にとってもそこが第二の拠点だ。
慣れた手つきで素早くカードを通す。そして、受付の隣に高級感溢れるアメニティが置かれてある。それらを持ってその部屋に向かった。いつもと変わらない状態にどこか安心感すら感じさせる。ベッドはダブルでシーツも枕も全てがレースの刺繍が施されてある。幼い頃からその刺繍を見ているため、刺繍に興味を持った栞。栞は、今日購入した鈴蘭の刺繍が施されてあるブックカバーを見つめベッドの近くにそれらを置いた。そのままの勢いで眠りについた。