下り坂が、緩いカーブの先で消えた。窓から入り込む風に長髪をなびかせている健太は、ミッションボックスのニュートラルにシフトノブを入れて、左右に二回振った。アクセルから足を離す。フェスティバは自然の重力と慣性の法則に従って進み、空気抵抗、車軸、タイヤと路面との摩擦力によって僅かずつ減速する。初夏の太陽が前を走る車のトランクに跳ね返り、群青色のサングラスを通って目に伝わってくる。
アイスコーヒーの染みがTシャツの胸元についているツヨシが、助手席から板ガムを差し出してきた。健太は無言で受取り、口の中に入れると固かった。荷台に積まれたバーベキューセットが、路面の継ぎ目ごとに騒がしい金属音をたてている。
「随分安かったな、四ドルとは驚いたよ」と健太は言った。
ツヨシは顎を突き出した。
「中古情報誌だって人を見るんだよ。君と違って俺みたいな好青年が読めば、ちゃんといい情報をくれる」
「今日のところは好きなように言わしといてやるよ」
ルームミラーに映るセットの蓋は、錆びが目立って見栄えは悪いが、パーティでは充分活躍してくれるだろう。
「もちろんマレナ、連れてくるんだろ」とツヨシは聞いてきた。健太はそのつもりだと言った。
「まあ、うまくやれよ。おあついの」
健太は、まだそんな段階じゃないよとか、あの娘は妹のようなものだとか、ノートを見せてくれる気のきいた友達だとか言ってみたが、ツヨシはせせら笑うだけだった。
「でもさ、バアチャンが言ってただろ。『いいかい、この街じゃ人を信用しちゃいけないよ』って。俺とマレナの噂だって、あてになんかなんないぞ」と健太は言ってみた。「バアチャン」とはツヨシと健太の住むアパートの管理人の老女で、彼女が知っている日本語はその一語だけだ。今朝も出かけるときにばったり会った。
ガムの味がなくなった。もう一枚くれと健太がせがむと、ツヨシは肩を小さくすぼめ、続いてシートのリクライニングの角度を緩めて、頭の上にあった茶色いサングラスを目元に下げた。そのあと助手席がおとなしくなったと思っていたら、いびきが聞こえてきた。
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