テラーノベル
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◆第五章 器の座標 ーコンテイナー・ポイントー 第51話「ケースの中の声」 朝の光が、埃っぽい空間を白く薄く切り裂いていた。
木崎の倉庫――。
古い段ボールとスチール棚に囲まれた一角だけが、
昨夜から不自然に“片づいて”いる。
折りたたみテーブルの上。
黒い耐衝撃ケースが一つ。
その中に、五つの透明カプセルが並んでいた。
雲賀ハレルは、寝起きの頭の重さを押し込みながら、
そのケースを見下ろしていた。
(……夢じゃない)
薄い毛布。簡易ベッド。コンクリートの床。
どれも、ちゃんと冷たい。
全部が現実の感触を持っている。
木崎が、湯気の立つ紙コップを三つ持って近づいてきた。
「コーヒー。インスタントだけどな。……飲めるか?」
「……ありがとうございます」
受け取った紙コップの熱を指先で感じながら、
ハレルは視線だけケースから離せない。
隣でサキが、膝を抱えたままテーブルを覗き込んでいた。
「……ねえ、お兄ちゃん」
「ん」
「これ、本当に……人、なの?」
カチ、とロックを外す音。
木崎が無言でフタを開ける。
中から、ひんやりした空気がふわりと立ちのぼった。
五つのカプセル。
どれも手のひらに収まるサイズの円筒形で、内部に淡い光が漂っている。
色はばらばらだ。青、琥珀、淡い桃色、薄緑、無色に近い白。
ハレルは無意識に息を詰めた。
(……行方不明者五名の“意識”)
昨夜、あの地下でリオたちと一緒に掴み取ったものだ。
それぞれに、薄いラベルが貼られている。
「ID-01」
「ID-02」……と殺風景な番号だけ。
ただ、その端に小さく――手書きの名前が走り書きされていた。
《一ノ瀬 ユナ》
その文字を見た瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。
(リオの姉さん……
一年前、クロスゲート・テクノロジーズで
“クロスワールド・ゲート”の開発に関わってて、行方不明になった――)
前にリオから聞いた話が、断片的に蘇る。
頭がよくて、いつも優しい姉。
アプリの“裏側”にまで関わってしまった人。
――そして今、その「中身」はここにある。
「体」の方は、あの砂の迷宮の事件で異世界側へ連れていかれたまま。
王国警備局の医療棟の一室で、ユナは今も眠り続けている
――と、セラから聞いている。
(体は向こう。意識はこっち。
……変な話だ。でも、それが現状なんだ)
木崎が腕を組む。
「中身の仕組み、少しはわかったか?」
ハレルは紙コップをテーブルに置き、ゆっくり言葉を探した。
「……さっき、少しだけセラと繋がりました。
向こうの分析をやってる人から聞いたって……セラが教えてくれて」
「分析?」
「“これは脳から抜き出された意識信号を、
そのまま固定保存したものだ”って。
……全部まとめて、『生きたデータ』だと」
木崎が、ふむ、と低く唸る。
「生きたデータ、ね。
……死体じゃないが、生身でもない、と」
サキが、小さく息を呑んだ。
「じゃあ、やっぱり……この中に“その人たち”がいるんだ」
ハレルは、ラベルを一つひとつ追った。
《ID-02 佐伯 蓮(さえき・れん)》
《ID-03 村瀬 七海(むらせ・ななみ)》
《ID-04 日下部 奏一(くさかべ・そういち)》
《ID-05 ???》
最後だけ、名前の部分に太い線が引いて塗りつぶされている。
文字の痕跡だけが、かろうじて残る。
「……ここ、だけ変ですね」
ハレルがそう言うと、木崎が頷いた。
「そこも、例の“向こう側の解析結果”だな」
「はい。セラが言ってました。
ラベルに使われてた元データを調べたけど、
この一つだけ、名前の情報だけがぐちゃぐちゃに壊れてて……
文字化けみたいに読めなかったって」
「名前だけ、抜かれてる……ってことか」
嫌な響きだった。
名前がわからない、ということは――
“誰にも気づかれない”ということだ。
サキが、その匿名のカプセルをじっと見つめる。
「ねえ……この人。寂しそう」
「……わかるのか?」
「うん。なんか、そういう感じがするだけ。
あとの四つは……それぞれ違うけど、ちゃんと“誰か”って感じするのに、
これだけ、ぼんやりしてる」
ハレルは、無意識に喉を鳴らした。
「……一人も、置いていけないな」
そう呟き、視線は自然と――青白い光のカプセルへと吸い寄せられる。
《一ノ瀬 ユナ》
リオの姉。
ハレルはそっと、そのカプセルの近くに指先を伸ばした。
――瞬間。
胸の奥に、誰かの息が流れ込んできた。
あたたかくて、少し早口で、真っ直ぐな声。
《リョウ、またゲームばっかりして……》
《ほら、画面ばっか見るな。たまには“空”も観測しなさい》
《あんたには、ちゃんと見えるんだから》
断片的な声。
映像も途切れ途切れ。
でも、それが“姉”の声だとわかるのに、理由はいらなかった。
(これが……一ノ瀬ユナさんの……)
胸の奥が熱くなった。
「お兄ちゃん?」
サキの声に、ハレルははっとして手を引っ込める。
「……ごめん。少し、来ただけ」
「痛い?」
「ううん。変な感じはしたけど……嫌な感じじゃない。
むしろ、こっちが“呼ばれてる”みたいな……」
木崎が腕を組み直す。
「リオと強く繋がってる分、
こっちにも反応しやすいんだろうな、そいつは」
ハレルは、ネックレスに触れた。
昨夜、あの柱に差し込んだ主鍵。
今はただの金属片に見えるが、微かに脈を残している気がする。
「……これから、どうする?」
木崎の声は現実的だった。
「いつまでも、こんな倉庫に置いとくわけにはいかない。
かといって、下手に動かせば目をつけられる」
「目……?」
「昨夜のあれだけ騒ぎになったんだ。
警察だけじゃない。どこかの省庁が本格的に嗅ぎまわり始めても、おかしくない」
サキが不安そうに聞く。
「でも……返さなきゃ、意味ないんでしょ?
この人たちの“体”に」
その一言が、倉庫の空気を少しだけ重くした。
そうだ。
意識だけ守っても、器がなければ――ただの“閉じ込められた声”だ。
ハレルは、ゆっくりとうなずいた。
「行方不明者のリスト……
木崎さんが前に言ってた、“昏睡状態で見つかった人たち”……
その中に、ユナさん以外の何人かの“器”があるかもしれないんですよね」
「可能性は高いな。クロスゲート周辺の案件だ。
……そこを洗うのが、次の仕事だ」
木崎はそう言いながらも、目だけはカプセルから離さない。
「ユナの体の方は、向こうの“王国警備局・医療棟”だっけな。
セラ経由の報告じゃ、今も脈と呼吸は安定、意識は空席、って話だった」
(器は向こう。中身はこっち。
結局、どこかの座標で、両方を“合わせ直す”しかない)
「ただし――“戻す”タイミングを狙ってる奴もいる」
カシウス。
葛原レア。
もう一度、あの名を心の中で噛み締める。
(こっちがこのコアを持ってる限り、あいつらは追ってくる)
サキが、そっと青いカプセルに向かって微笑んだ。
「大丈夫。
……絶対、ちゃんと返すから。
一ノ瀬ユナさんも、他の人たちも」
その言葉に、カプセルの光がほんの少しだけ強くなった気がした。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都/解析室】
薄暗い部屋を、魔術スクリーンの光だけが照らしていた。
ノノ=シュタインは、丸椅子に正座したような姿勢でコンソールと向き合っている。
二本の三つ編みが左右に揺れ、指先は止まらない。
スクリーンには、世界の地図と、その上に散った無数の点。
そのうち一つだけが、他よりも強く脈を打っていた。
スクリーンの隅には、王都の立体図も小さく表示されている。
王国警備局の敷地、その一角――医療棟の最奥の個室に、小さな印が灯っていた。
砂の迷宮から救い出された一ノ瀬ユナの“肉体”は、そこで静かに眠り続けている。
生命反応は安定している。だが、意識層は空席のまま――
その空席を埋めるべき“本体データ”が、今、別の世界でケースに入れられている。
器は異世界に。
中身は現実世界に。
その分離状態が長引けば長引くほど、“再結合”の難度は上がる。
――と、ノノは数字で理解していた。
「……やっぱり、この子だけ“向き”がある」
小さく呟き、ノノは指でその点を拡大する。
一ノ瀬ユナの記録核から拾ったベクトルデータ。
それは単なる位置情報じゃない。
“どの方向を向きたいか”という、指向性の記録。
そこに、境界地図から得た薄点の分布を重ねる。
「ここ最近で濃くなってる薄点が……三つ。
そのうち二つは、ユナと相性が悪い。
一つだけ……“共振”してる」
ノノの声は自然と早口になる。
「器の状態、境界の厚さ、観測層のノイズ……
全部合わせて考えると――
この座標で“再会イベント”が起きる確率が、一番高い……」
本当は、王国警備局・医療棟に敷いた魔術陣を“基準”にして、
現実側の主観測鍵とユナのコアを同期させるのが一番安全だ――
ノノはそう試算している。
だが、境界が荒れている今、その“理想条件”を整えるのは簡単ではない。
扉の向こうから、足音。
アデルとリオが入ってきた。
リオはまだ脇腹をかばうように歩くが、表情は以前より落ち着いている。
「ノノ。様子はどうだ」
アデルの声に、ノノはくるりと椅子を回した。
「……決まりつつある。
一ノ瀬ユナのコアが“行きたがってる地点”と、
世界側が勝手に薄くなってる地点が、
少しずつ、でも確実に重なってきてる」
リオの喉が、ごくりと鳴った。
「……そこが、“次の場所”か」
ノノは真剣な目で頷く。
「うん。
ここから先、コアを無理に抑え込むと“反発”が出る。
でも、自然に任せると……カシウスに横取りされるリスクが上がる」
アデルが腕を組んだ。
「つまり、こちらから先に動く必要がある。
コアが指し示す場所に先回りして、“こっちの条件で”再会させる」
それは、王国警備局・医療棟で眠るユナの“器”の座標と、
現実世界で保管されているコア、そして主観測鍵――
三つを同時に制御できる、ごく限られたチャンスを掴みに行く、ということだ。
「それが一番、被害が少ないシナリオ。
……成功率が高いとは言ってないけど」
ノノは小さく息を吐いた。
「ねえ、リオ」
「なんだ」
「ユナのコアはね、
“世界のどこかにある器”と、
“あんた”と、
“ハレルの持ってる主鍵”
その全部を一緒に見てる感じがする」
リオは目を伏せる。
(そんな器用な真似を、ユナが自分で選んだのか……
それとも、そういう仕組みを押しつけられたのか)
アデルが、ちらりとリオを見る。
「怖いか」
「……怖いよ」
リオはあっさりと言った。
「もし、失敗したら……
ユナだけじゃなくて、他の四人も、“本当に”戻れなくなる」
ノノが、そっと口を挟む。
「でも、何もしなければ――
いずれ誰かに“勝手に使われる”」
器だけが取り残され、別の何かの“入れ物”にされる未来。
その最悪のシナリオを、ノノは数字の上で何度も見てしまっている。
「……そうだな」
リオは顔を上げた。
瞳の奥に、迷いと同じくらい強い意志がある。
「だったら、俺たちが先に動く。
こっちで決める。
誰を、どの順番で、どうやって“戻すか”を」
アデルが小さく笑った。
「やっと“警備局の顔”になってきたな」
「……褒めてるのか、それ」
「当然だ」
ノノは、二人のやり取りを見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「じゃあ、決まり。
こっちは座標を精度ギリギリまで詰める。
ハレルには、またセラ経由で“断片”を送る」
その時だった。
スクリーンの一点――ユナのベクトル表示が、ぴくりと跳ねた。
「……!」
ノノが即座に操作する。
数値が、一桁だけ変わっていた。
「指向性が強くなった……!?
今、“誰かが触れた”……?」
リオの胸が、良い意味と悪い意味の両方でざわつく。
(ハレル……? それとも――)
◆ ◆ ◆
【現実世界・木崎の倉庫】
ハレルは、気づかないうちにもう一度ユナのカプセルへ手を伸ばしていた。
さっきより、はっきりとした感触。
夏の匂い。
白衣の袖口。
ゲームのスタート画面の音。
そして――
《リョウ、ちゃんと“帰ってきなさいよ”》
声が、まっすぐ頭の奥に届いた。
「……っ」
ハレルは思わず手を引っ込める。
木崎がすぐに覗き込んだ。
「どうした」
「今……
“帰ってきなさい”って……」
自分で言いながら、不思議な感覚に襲われる。
それは自分に向けられた言葉じゃない。
けれど、ハレルの耳を通して、確かにこの場に届いた。
サキがそっと笑った。
「きっと、リオさんに言ってるんだよ。
でも、ここにいるのはお兄ちゃんだから……
とりあえず“預かり”だね」
「預かり……か」
ハレルはカプセルを見つめる。
「……ちゃんと届けるよ。
リオにも、一ノ瀬ユナさんにも。
それから――まだ名前もわからない“あなた”にも」
名前の消されたカプセルが、かすかにきらりと光った。
倉庫の中で、五つの光が静かに脈を打つ。
それぞれが、どこかを向いている。
まだ“同じ場所”ではない。
けれど――確実に、何かを探し始めていた。
(器のある場所へ。
帰るべき、座標へ)
その光は、ハレルたちの次の戦いの場所を、ゆっくりと指し示し始めていた。
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