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倍相岳斗が新入社員として土恵商事に入ってきた時のことを、大葉はよく覚えている。
恵介伯父から『うちにはもったいないくらい優秀な子が入ってくる』と聞かされていたからだ。
持っている資格や、入社試験の成績などを鑑みても、倍相岳斗という人間は大企業を希望してもすんなり入社出来てしまえるだろう逸材だったらしい。
面接の際、為人に難があるのかと身構えていた上層部も、やんわりとした物腰の、非の打ちどころがない青年の登場に、逆に頭をひねったらしい。
当時ただの係長に過ぎなかった大葉は面接官側にはいなかったのだが、プライベート――甥っ子として土井恵介と会ったとき、恵介伯父からそんな話を聞かされた。
『その子ね、たいちゃんの下に付けようと思ってるんだ』
そんな優秀な新人を自分なんかが見ていいのだろうか?と懸念したら、『たいちゃんだから任せられるんだよ』と、社長の顔で太鼓判を捺されて、大葉は身の引き締まる思いがしたのだ。
***
「俺は……お前にそんなに酷いことをしていたか?」
もしかしたら気負い過ぎて知らず知らずのうちに倍相岳斗を追い込んでいたのかも知れない。
当時は大葉も今より随分若かったし、青臭かったはずだ。
ふと眉根を寄せて問い掛けたら、倍相は「まさか」とつぶやいた。
「逆に……とてもよくしていただきましたし、いい上司に恵まれたと嬉しく思っていました」
記憶の中の倍相岳斗は、むしろあの頃は自分を頼れる上司として慕ってくれていたように思う。
それが大葉の思い違いでなければ、どこかで倍相が自分を憎むようになったきっかけがあったはずだ。
「だったら何で……」
「……大葉さんが……社長の身内だと知ったから……です」
そこまで話した倍相は、何かを決意したように小さく吐息を落とすと「少し長くなるかもしれないんですが……聞いて頂けますか? 僕の生い立ち……」と大葉の顔を真剣に見つめてきた。
そんな倍相に、大葉は「ああ」とうなずくことしか出来なかった。
***
一通り壮絶な生い立ちを話した後、服をまくり上げてみせた倍相岳斗の腹には、大小さまざまな痣がついていて――。
それを見せられた大葉は言葉を失った。
「義母は煙草を吸いません。なのでこの辺りのは……お香とか、そういうのを押し当てられて付けられた火傷痕です。小さい頃は布団叩きの柄で力任せに背中やお尻を叩かれたり……過失を装って熱い飲み物を掛けられたり……そういうのもしょっちゅうでした。――僕の身体が彼女より大きくなってからは抵抗されるのが怖くなったんでしょうね。身体に対する暴行はなくなりましたが、言葉での暴力はずっと続きました」
義母・花京院麻由が、岳斗に当てがわれた勉強部屋へ単身〝可愛い息子の様子見〟と称してお茶請けのお菓子を持ってくる時は、いつも虐待とセットだったらしい。
岳斗の部屋は、息子が勉強しやすいようにと花京院岳史の指示で防音仕様になっていたから、少々の音は外へ漏れ聞こえないというのも義母には都合が良かったんだろう。
「あれば飲みたいときにすぐお茶が飲めて便利だから……ともっともらしい理由を付けて、義母が僕の部屋に設置した電気ケトルや紅茶のセットは、お茶を淹れるためというよりも僕に熱々のお湯を浴びせるためにあったんです」
そんなとんでもない告白をして、倍相が淡い笑みを浮かべるから。
大葉は何と言葉を掛けたらいいのか分からなくて、羽理の家で紅茶を出した時、こいつはどんな気持ちでそれを見ていたんだろう?とか今更なことを思ってしまった。
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