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医務室の廊下は、静かだった。
人払いがされたわけではない。
ただ、自然と誰も近づかない時間帯。
その角の陰に、ゾムはいた。
壁にもたれ、端末をいじっているように見せかけて、
視線だけを医務室の扉に向けている。
――音。
かすかな慌ただしさ。
医務員の足音が一瞬、早まった。
それだけで、十分だった。
「……吐いたか」
声には出さない。
でも、
“撃たれて逃げてきた人間”の反応じゃない、
という確信が、胸の奥で形になる。
ゾムは、過去に何人も見てきた。
恐怖で吐く人間。
感染で吐く人間。
薬の副作用で吐く人間。
――どれとも、違う。
「タイミングが、雑すぎる」
独り言。
規則性がない。
誘因が見えない。
それなのに、
身体だけが“処理”を始める。
まるで――
人間の意思を無視したシステム反応。
扉の向こうから、エーミールの声が聞こえた。
落ち着いている。
必要以上に騒がない。
「……参謀長が、あの態度取る時点でなぁ」
ゾムは、少しだけ笑う。
興味本位なら、
とっくに踏み込んでいる。
だがエーミールは、
距離を保ち、言葉を選び、
**“研究対象として扱わない努力”**をしている。
「ほな、逆に」
ゾムの思考が、静かに鋭くなる。
「研究対象として扱われてきた人間、ってことや」
医務室の扉が一瞬だけ開く。
見えたのは、
ベッドに戻されたロボロの横顔。
青白い。
だが、意識ははっきりしている。
「……あー」
ゾムは、目を細める。
「この顔や」
恐怖でも、混乱でもない。
“起きる前提で耐える顔”。
予測していた。
経験してきた。
慣らされていた。
それが、決定打だった。
ゾムは、端末を閉じる。
記録は取らない。
報告もしない。
今は、
情報として固定する段階じゃない。
「確信、六割」
心の中で数値化する。
「人間やけど、
人間として扱われてへん時間が、長すぎる」
それ以上を、今は考えない。
医務室から、しんぺい神が出てくる。
ゾムは、何も言わずに道を譲る。
「……」
しんぺい神は、一瞬ゾムを見るが、
何も聞かずに通り過ぎた。
それもまた、答えだった。
ゾムは、背を向けて歩き出す。
「大丈夫や」
誰にともなく、心の中で言う。
「まだ、誰も踏み込んでへん」
でも。
「俺は、覚えた」
ロボロという存在を。
“普通じゃない”理由を。
そして、
この国が、どう扱うかを見る覚悟を。
廊下の影が、長く伸びていた。