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静かになった。あの一言のあと、まるで喉を詰まらせたように、日下部は何も言わなかった。
蓮司の腕を掴んで、笑いながら言った遥の顔を──
どこか見たことのないものを見るように、じっと見つめていた。
笑ってる。
いつもの“壊れたような”笑い顔。
でも、その目の奥の、かすかな震えを──日下部はたぶん、見ていた。
けれど、何も言わなかった。
拳を握りかけて、だが振り上げることもせず、唇を噛んで。
「……そうかよ」
しばらくして、吐き捨てるように、それだけ。
そして、踵を返した。
その背中には、怒りも失望も混ざっていて──
けれどどこか、“あきらめた人間の背”だった。
遥はその後ろ姿を、ただ無言で見送った。
蓮司が口元で笑っていた。
無音の笑い。
面白くて仕方がない、という顔だった。
帰り道。
自販機の明かりがじんわり足元を照らしている。
蓮司はコーヒーの缶を取り出しながら、無言のまま遥を横目で見ていた。
遥は何も言わない。
腕を組んだまま、虚空を見ていた。
「……お前さ」
蓮司が缶を傾けながら、ぼそっと言った。
「“付き合ってる”とか言い出すとは思わなかったわ」
遥は何も返さない。
だが、口元がほんの少しだけ歪んだ。
蓮司は一歩近づいて、わざとらしく目線を合わせた。
「もしかして、俺に惚れた?」
「バカかよ」
吐き捨てるように言って、遥は顔を逸らした。
「じゃあ、なんでそんなこと言ったの?」
「……言った方が、面倒が消えると思っただけだ」
「へぇ。
でもさ、それ──
日下部に“見せたかった”だけだよね?」
遥の手が、一瞬だけ強張る。
「……お前、わかってて聞いてんだろ」
蓮司は缶を一口飲んで、くすりと笑った。
「うん。
でもさ──お前が“誰を見てるか”くらいは、気づいてるからさ」
遥は何も言わなかった。
沈黙のなかで、夜風が通り抜けた。
蓮司の声が、次は少しだけ低くなる。
「演技ってのはさ、
“見せたい相手がいる”からやるんだよ。
見せたくもない相手に、あんなに綺麗な“嘘”つくわけないだろ」
遥は答えない。
ただ──指先が、じわりと震えていた。
蓮司はそれを面白がるように見ていた。
まるで獲物の反応を観察するような目で。
「次から、“彼氏のフリ”しよっか?」
「……は?」
「俺は全然かまわないよ。
キスでも、腕組んでも。
そういうの、“壊れてるお前”に似合ってるし」
その言葉に、遥は思わず舌打ちした。
「ふざけんな。
お前なんか、ただの“道具”だろ」
蓮司の目が少しだけ細まった。
「“ただの”って言われると、なんかムカつくな」
言いながらも、口元には笑みがあった。
「ま、いいや。
次はもうちょっと“恋人らしく”してくれよ?
せっかく俺、“興味出てきた”んだからさ」
──その笑顔は、冗談の皮を被った本物の嗜虐だった。
遥は、顔を背けたまま、
自分のついた“嘘”の重さを、じわりと抱えながら歩き出した。
(……なんで、あんなこと言ったんだ)
でも、もう取り消せない。
取り消さなくてもいいと思った。
“あきらめた”顔を、また誰かに見せたくなかったから。
自分が“何かを望んでる”と気づかれることが──
この世界でいちばん怖い。
だから今日も、笑う。
全部わかってる風の演技で、
誰よりも、“壊れてるふり”をして。