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静かな音楽と、甘い紅茶の香り。そのどちらにも蓮司は興味がなかったが、沙耶香の部屋に入ると、勝手に深く腰を下ろした。
「ふーん。……“付き合ってる”んだってさ、俺と」
蓮司が言うと、沙耶香は紅茶を注ぎながら、わずかに目を細めた。
「遥が?」
「うん。突然、俺の腕掴んで。
『こいつと付き合ってるから』だって。かわいくない?」
沙耶香は微笑んだ。
穏やかで、しかし何かが削げたその笑いは、飾りではなかった。
「へぇ……で、嬉しかった?」
「びっくりしただけ。
あんな顔、あいつに出来ると思ってなかったから」
カップを回しながら、沙耶香はふっと目を伏せる。
「嘘だって、わかってて?」
「うん。
あいつ、たぶん“誰を見てたか”自分でわかってなかった」
蓮司は脚を組み直して、少しだけ表情を歪めた。
「ただなぁ……あの“言い方”、なんかムカついたんだよね」
「ムカついた?」
「俺を“使った”って感じがさ、ちょっとだけ」
沙耶香はそこで、少しだけ声を低くした。
「……でも、それ、蓮司がずっとしてきたことじゃない」
「まあね」
蓮司はあっさりと笑う。
認めることに何の痛みもなかった。
「でも、“使われ返す”ってのは、意外と悪くないなと思って」
「飽きてないの?」
「全然。むしろ最近、いい顔するようになってきたし。
今日なんか、もう最高にひねくれててさ──“壊れたふりしてる俺”を見せつけてくるの。
わざと汚れてみせて、誰かの目を試してる。歪みすぎてて、もう芸術」
沙耶香は少しだけカップを傾けた。
「……それ、好きってこと?」
蓮司はその言葉に、ほんの一瞬だけ無言になった。
そしてゆっくりと首を振る。
「ちがう。全然。
お前も知ってるだろ? あいつに恋愛感情なんか、1ミリもない」
「うん、知ってる。
でも、そうやって語る時の蓮司──少し楽しそう」
「そりゃ楽しいよ。壊れてく人間ほど、面白いものないから」
静寂が落ちた。
沙耶香はその静けさを破らず、ただ、蓮司の顔を見ていた。
やがて、沙耶香が低く呟いた。
「……それで? 日下部くんは?」
蓮司は肩をすくめた。
「さあ。なんか複雑そうだったよ。
でもたぶん、“正しさ”を武器にするタイプだね。
あいつもあいつで、“正義の仮面”かぶってる」
「じゃあ、蓮司はまた、煽るつもり?」
「もちろん。
せっかくこんな面白い構図できたのに、放っとく手はないでしょ?」
「ふふ。……やっぱり蓮司は、ひどい人間ね」
「うん。でもお前、そういうとこが好きなんだろ?」
沙耶香はそれに答えず、ただ静かに微笑んだ。
その笑みには、“全てを知って受け入れている”という、
ある種の狂気のようなやさしさが滲んでいた。
蓮司はそれを見て、ふと目を細めた。
「でもさ──」
紅茶を一口飲んで、続ける。
「俺が“嘘の彼氏”って、遥が言い出した時、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、“可愛い”って思ったのは秘密な」
沙耶香の笑みが、ほんのわずかに冷たくなった。
「それは──ちょっとだけ、嫉妬するかも」
二人は、笑い合った。
でもその笑いは、どこまでも歪で、どこまでも冷たい、
観察者と共犯者の笑みだった。