テラーノベル
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プロローグ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
その村には、奇妙なルールがあった。
「他人が見える」と言ってはならない。
「誰かが話しかけた」と言ってはならない。
見えたとしても、感じたとしても、
それを“言葉”にした瞬間、その人は存在を失う。
それが“しきたり”であり、“守り”であり、
なにより――“信仰”だった
ーーー第一章 透明の村
駅には誰もいなかった。
電車が去ったあとの線路には、風と音だけが残った。草の匂いがした。案内板は古びていて、駅名すら読み取れなかった。
正直なところ、帰りたいと思った。だがそれを裏切るように、僕の足は村へと向かっていた。
仕事で来たわけじゃない。ただ、見たんだ。ネットで。
「絶対に声をかけてはいけない村がある」
「村人は皆、“ひとり芝居”をして生きている」
「見えているのに見えていないフリをしている」
「話しかけたら、“自分の存在が消える”」
胡散臭い話だった。でも、映像があった。
村を歩く男に、誰も声をかけない。なのに、ぶつからない。
誰も彼を見ようとしないのに、彼を完璧に避けている。
理解できなかった。それがずっと脳裏にこびりついて、
気づけば、ここにいた。
村は静かだった。
畑で作業する人、道を歩く子ども、店先で何かを並べている老婆。
日常の風景。でも、ひとつだけ異常なことがある。
誰も、僕を見ない。けれど、皆が僕を避ける。
少年がこちらへ歩いてくる。道は狭い。すれ違うにはどちらかが避けなければならない。
僕が立ち止まると、少年は一瞬ピタリと止まり、
そして僕の左脇、数センチを正確に通っていった。
目も合わない。声も出さない。まるで、僕が“いない”かのように。
いや、正確には、**いないことに“されている”**かのように。
通りの角に、雑貨屋のような古い建物があった。
のれんをくぐる。中には老婆がひとり。棚に品物を並べている。
「すみません」と声をかけた。
老婆はぴたりと動きを止めた。
だが、こちらを見ない。なにも言わない。動かない。
……冷たい汗が背中を流れた。
呼吸を整えて、僕は再び言った。
「聞こえていますよね? 返事を……」
老婆は棚に手をかけた。
ゆっくりと、まるで壊れた機械のように、動き出す。
その動作の途中、かすかに、こんな言葉が聞こえた。
「……また……風が、しゃべってる……」
それだけだった。
老婆は僕の横を通り、奥の部屋に消えていった。
まるで最初から“独り言を言いながら芝居をしていた”かのように。
……これは、本当に芝居なのか?
誰が演じていて、誰が演じさせられているんだ?
僕は村の中を歩いた。
何度も人に声をかけた。手を振った。前に立ちはだかってみた。
誰一人として、僕の存在を「見た」とは言わなかった。
だが、皆、僕を避ける。
声も届かない。視線も合わない。
でも、僕の“輪郭”だけは、完璧に感知されている。
そう――まるで、ここでは僕が透明人間なのだ。
存在しているのに、存在してはいけない。
見えているのに、見えていないとされる。
それが、この村の“日常”なのだ。
そしてこのとき、僕はまだ知らなかった。
この村を出る手段が、もう存在しないことを。
───第一章 終わり。
ーーー第二章 透明の声
昼を過ぎたころ、腹が減った。
村の中心に小さな食堂があった。暖簾が風に揺れていて、「営業中」と木札に書かれていた。
誰かはいる。何かは出てくる。
でも僕は、いま自分が**「存在を拒否される世界」**の中にいることを知っていた。
それでも、入るしかなかった。
引き戸を開ける。鈴が鳴る。誰かが厨房にいる気配がある。
誰も出てこない。注文を取りにも来ない。
仕方なく席に座り、周囲を見回す。
「すみません」
返事はない。
「誰か、いますか?」
……沈黙。
それでも待っていると、十分ほどして、
湯気の立ったうどんが、いつの間にか目の前に置かれていた。
僕は厨房を覗き込む。誰かが立ち去る気配。だが、姿は見えない。
声をかけても、返事はない。
だが、うどんは確かにあたたかく、
味は――驚くほど、うまかった。
まるで、誰かが僕の存在を“見ていないフリ”をしているだけのようだった。
そうだ。これも芝居なんだ。
見えない“設定”を守っているだけなんだ。
ならば、と僕は考えた。
設定を壊してみればいい。
そうすれば、誰かが“素に戻る”かもしれない。
誰かが「それは違う」と言ってくれるかもしれない。
誰かが僕を見てくれるかもしれない。
僕は立ち上がった。
厨房の奥の戸を開けようとした。手をかける。
その瞬間。
「――“見えている”ことを言葉にしたら、いけない」
どこからともなく、それだけが聞こえた。
男の声だった。けれど、姿は見えない。
厨房には誰もいないはずだった。
それが、幻聴なのか、それとも――
村そのものが、僕に警告を発しているのか、判断がつかなかった。
僕は逃げるように店を出た。
その背中に、誰かの視線があった。いや、“ないフリをしている”視線だ。
見られていない。けど、見られている。
声をかけても誰も応じない。
それでも、僕の動きすべては、村に“把握されている”。
夜がきた。
宿を予約していたわけじゃなかったが、一軒の古い民宿が明かりを灯していた。
玄関を開けると、誰もいない。帳場にも、人の気配だけがある。
手帳が置かれている。中には、僕の名前がすでに書かれていた。
風間カズマ様 一泊
部屋:二階 松の間
食事:不要
――不要? 僕は何も伝えていない。
けれど、その「設定」が先回りして決まっているようだった。
二階へ上がる。部屋に入る。布団が敷かれていた。
窓の外には、灯りの消えた村が広がっている。
誰もいない。誰も歩いていない。
だけど、「誰かがいる音」だけが聞こえてくる。
木のきしむ音。畳を踏む音。襖が閉まる音。
でも誰もいない。姿がない。声がしない。
僕はその夜、まんじりともせずに布団に横たわった。
視線を感じながら、誰も返してくれない声を胸の中で押し殺しながら、ただ時間が過ぎるのを待った。
夜明け。
宿の玄関を出たとき、僕は確信した。
この村には、もう僕を助けてくれる人間はいない。
いや、最初から誰も“助ける”などという発想を持っていなかった。
そのとき、足元の地面に、白いチョークで何かが書かれているのに気づいた。
昨夜はなかった。
それは、まるで僕だけに宛てた手紙のような一文だった。
「演目から外れた者は、舞台から退場してください」
その“舞台”とは、どこで、
“退場”とは、どういう意味なのか――
もう、この村では誰も教えてくれなかった。
───第二章 終わり。
ーーー第三章 退場の道
目が覚めると、宿の布団は片付けられていた。
僕が寝ていたはずの敷布も、枕も、すべて消えていた。
まるで――最初から、誰も泊まっていなかったかのように。
階段を下りると、帳場には何も置かれていなかった。
昨日の手帳も、鍵も、何も。
僕が何かを言おうとして口を開くと、どこかで木の板が“ピシリ”と鳴った。
玄関を出ると、村の空気が変わっていた。
“僕の痕跡”が、すべて消されていた。
足跡もない。
昨日、声をかけた老婆も、畑の男も、誰ひとりとして見かけない。
いや、もしかしたら、いるのかもしれない。
だが彼らはもう、“僕を避ける”ことすらしなくなった。
人は通り過ぎていく。
ぶつかりはしない。
けれど、まるで僕の存在が完全に“透過されている”かのようだった。
「聞こえてますか……」
声が出ない。
――いや、出ている。喉は動いている。息もしている。
だが、音がしない。
僕は叫んだ。自分の名前を。何度も。
けれど、その声はまるで空気に吸収されたように、響かなかった。
村の外れに、白い建物があった。
昨日はなかった。いや、昨日も“あったのに、気づけなかった”のかもしれない。
無意識に引き寄せられるように、僕はその建物の扉を開けた。
中には誰もいない。椅子が一脚。壁一面に、何かが貼られている。
それは、台本だった。
村人ひとりひとりの名前、設定、セリフ、立ち位置。
すべてが綴られていた。
そのなかに、僕の名もあった。
【風間カズマ】
・役割:旅人(観察者)
・登場:○年○月○日
・終了予定:三日後、退場
僕は、その“終了予定日”が、今日であることを知った。
背後に、気配がした。
振り返っても、誰もいない。
だが、確かに、何かがそこに**“存在していた”気がする。**
足元に、白い紙が滑り込んできた。
誰かが置いたのではない。**“物語の一部”として、自然に挿入された”ように。
そこには、たったひとこと――
「おつかれさまでした。あなたの演目は、終了です。」
僕は部屋を出た。
村はいつものように静かで、日常のように動いている。
だが、誰ももう、僕を見ようとすらしない。
畑の男も、店の老婆も、通学路の子どもも、
みんな、僕のことなど最初からいなかったように生活している。
存在を否定されるとは、こういうことだ。
生きているのに、生きていると誰にも証明できない。
声が出ても、届かない。目が合っても、見えていない。
僕は、もう“退場”したのだ。
日が沈む。
村には今日も静かな夜が訪れる。
誰も語らない。誰も見ない。
そして誰も、“透明人間になった僕”のことを、もう覚えていない。
なのに僕だけが、この世界に取り残されている。
“見えないフリ”をされながら、
“消えたこと”にされながら、
それでもまだ、ここにいる。
───第3章 終わり。
最終章 ラストシーン
気づけば、僕は再び駅に立っていた。
あの日、電車を降りたホーム。
線路の先には誰もいない。風だけが吹いている。
ポケットには何もない。財布も、スマートフォンも、身分証も。
カバンがあった気がしたが、いまはもう持っていない。
いや、そもそも――僕は誰だった?
名前が思い出せない。
声を出しても音がしない。喉は動いているのに。
僕は村を歩いた。何度も、何日も、何週間も。
時計もカレンダーもない。村の人々は誰も話さない。
僕も、話さなくなった。
そのうち、“誰かに見られていないこと”に慣れていった。
自分がここにいるかどうか、確かめる手段がないのに、
それでも、“在るフリ”をすることが、だんだん心地よくなっていった。
ある日、広場に、電車が止まっていた。
駅でもなく、線路でもない地面に、ぽつんと。
ドアが開いていた。中は、真っ暗だった。
中に人の気配はなかったが、“誰かを迎えに来た”雰囲気だけがあった。
僕は、ゆっくりと乗り込んだ。
ドアが閉まる。
その瞬間、列車の窓にひとつの貼り紙が見えた。
手書きのような、タイプされたような、判別のつかない不確かな字体でこう書かれていた。
「退場、完了。次の配役をお待ちください。」
そこで、ふと、気づいた。
あの「台本」の部屋にあった、役名――
風間カズマ。
旅人。観察者。
7年周期で村に来る。
“設定を壊す”役割を持つ。
そのとき、記憶の底に、かすかな“前回の訪問”の感覚が蘇る。
景色も、空気も、誰かの顔も――全部、見たことがある。
僕は――初めてこの村に来たわけじゃなかった。
そして、ここを“出られる者”でもなかった。
僕はこの村の“配役のひとつ”だった。
「設定を破ることで、“設定を保つ側”の恐怖を強化する役」
つまり、反面教師としての狂人。
僕は、村の人々にとって、“いけない例”として演じられていた。
あの老婆が震えながら棚を並べたのも。
子どもがぎりぎりで僕を避けたのも。
すべて、“予定された演技”だった。
僕ひとりだけが、本気だった。
でも彼らは、“本気のフリ”をしていた。
全員で、見えていないフリを続けていた。
その中で、僕は「消えていくべき存在」だった。
車内には、鏡があった。
だが、そこには僕の姿は映っていなかった。
そうか――ようやく、“完全に退場できた”のだ。
列車は動き出す。
村がゆっくりと遠ざかっていく。
あの舞台の幕が下りていく。
次にこの席に座る“旅人”が、またこの地を訪れるのだろう。
“見えていることを口にしてはならない”舞台の中へ。
“設定を壊しに来る役”として。
そしてまた、狂って、消えていく。
だからこれは、終わりではない。
これは――新たな「開幕」だ。
───終幕。
完
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