「ただいまー…」
仕事を終えて帰宅すると、奥の部屋からバタバタと騒がしい足音がこっちへ向かってきたと思えば、ふわっとした温もりが胸にぶつかってきてスリスリと顔を寄せにきた。
「てるとくん、遅ーい」
「わ、ごめん、メルメル‥ただいま」
腕の中にいる彼は顔を上げて甘えたそうな表情で見つめてくる。…か、かわいい。
「ぼく、ちゃんとお留守番出来たよ?」
「うん、偉かったね」
「だから、てるとくんご褒美ちょーだい?」
「えっ」
「ちゅーして?」
「えっ!?、ちゅ、ちゅー??、」
言葉に詰まって、動揺を隠せない。
「なんで急にそんなこと言うの‥!」
「え、だって猫の時はしてくれたことあるもん」
「あ、あれはだって、……猫だから。」
慌てて視線を逸らすと、メルトは頬を膨らませた。
「ねぇ〜、猫の時は僕のこと抱っこしてスリスリしたりクンクン匂い嗅いできたりキスしてくれてたのに!」
「えっと、だからそれは‥色々出来ない事情があるんだよ、うん。」
「…色々って?」
「…色々だよ、メルメル」
「じゃあ、その“色々”ってどんなこと?俺、興味あるー」
「…そこは、掘り下げなくていいの、ばぁう。」
部屋の奥からもう1人出迎えにきてくれたばぁうは悪戯そうに笑っていた。
ばぁうがぐいっと顔を寄せてきて、近いっ!と思って後退りすると、後ろのドアに背中が当たる。
「ちょ、ばぁう!?」
「てか、猫の時はメルトとキスしたんだ?」
「いやだから、スキンシップ!ばぁうともしたことあるでしょ、?!」
「俺以外の奴と、どういうキスしたの?…確認していい?」
「!?…っち、近いって!ほんとだめっ‥!」
息がかかる程の数センチの距離に思わず体が固まって目を瞑って震えていると、
「——はい、そこまで。」
低く落ち着いた声が割り込む。
僕たちの間にすっと腕が伸び、ばぁうの動きを止めたて、あっとが、無表情で立っていた。
冷静。だけどその目は、少しだけ鋭く見えた。
「いいとこだったのに〜。」
「ばか。距離近すぎる。メルトもあんまりてるちゃんを困らせんな」
「‥あっと、」
「おかえり、てるちゃん」
にっこり微笑み返してくれたのはいつもの優しいあっとだった。少しだけ怖く見えたのは僕の気のせいかもしれない。
「てるちゃん、ご飯用意したから一緒に食べよ?」
「え!ほんとに?作ってくれたの?」
ローテブルに並べられた料理を見ててるとは目を輝かせた。
「え、めっちゃ美味しそう‥!」
「てるちゃんの手料理より全然劣るけどね」
「そんなことないよ!あっと、ありがとう!」
「……」
「あっと?」
あっとにじーっと静かに見つめている。目と目が合う時間が少し長く感じ、てるとの頬がじんわり熱くなった。
「てるちゃんって本当、天使みたいだね」
「な、何?てんし?」
「うん。俺の心をすぐ温かく癒してくれるから」
あっとの目が優しく笑いかけてきて、不意にそんなこと言われてしまいてるとの顔がみるみる赤くなった。
「なんか、よく分かんないけど、そういうの照れるからやめて?」
「…ずっと、見ていたいな。」
「…っ!、ちょ、ちょっと手洗ってくる!」
「うん」
ふう。。
鏡に映る自分の顔が思った以上に赤くなっていた。蛇口から出た水で熱を冷ますように両手で顔を洗う。
タオルを手探りで取ろうとすると、そっと柔らかい布を渡された感触があった。
「てるきゅん、おかえりっ」
「…あ、やなと。ただいま。」
振り向くと洗濯類を抱えたやなとが立っていた。
「洗濯、畳んでくれたの?」
「うん。お天気良かったからお外に干したんだー!お日様の匂いして気持ち良いよ?」
「ありがとう。やなとも洗濯畳むの上手くなったね。」
「えへへ、てるきゅんが教えてくれたから!」
にこにこ嬉しそうに笑いかけてくれるやなとを見てホッと気持ちが落ち着いた感覚になる。
「てるきゅん、まだ濡れてるよ?」
「あ、そう?」
「ちゃんと拭かなきゃ、風邪引いちゃうよ?」
やなとはタオルを広げててるとの髪や顔を包んで優しく拭く。
「ふふ、もう大丈夫だよ、」
「もうちょっとだけ…ほら、動かないで?」
やなとの普段あまり見ない真剣な顔に目を奪われた。胸の奥がじんわり温かくなる。
「てるきゅんの髪、さらさら」
「…そう?」
「毎日、お風呂で髪の毛ケアしてるもんね。」
「えっ」
「ふふ、猫の時、いつも見てたからね」
「見っ…」
た、確かにそうだったけれど、、!
「…あ!今日、一緒にお風呂入っても良い?」
「っ!?」
「そういえば、人になってから一緒に入ってなかったなーと思って!」
「だ、だめだよ!!」
「どうして?」
「だって、僕たち人間同士だし…、」
「うーん…?人間同士でも別に入れるよね?」
「は、はいれるけど、入れないの!」
顔を真っ赤にしててるとは制止する一方で、やなとは首を傾げて、真剣に考えてるような顔をしている。
「何でダメなの?」
「えっとぉ…、ほ、ほら!2人だと狭いし!」
「……なるほど。じゃあピッタリくっついて入れば…」
「だーーっ!この話はおしまい!ほら、ご飯食べよっ」
やなとの天然さと真剣さのギャップに翻弄されながら、無理矢理話を流してリビングへ逃げ出した。
彼らが突如、猫から人間になったあの日から一週間程経っていた。猫に戻る様子はなく、彼らはすっかり人の暮らしに馴染み始めていた。僕が仕事の間は、大人しく留守番してくれているのだが、人間になってから、ご飯の準備や掃除など家の家事をしてくれるようになった。
それぞれ家にあるゲームで遊んでみたり、本やネットワークを使って人間としての知識を色々調べていると話を聞いた時は本当に驚いた。
時には猫の頃のように日向ぼっこをしてお昼寝もしている時間もあるみたいで、所々猫感が出てくる場面もある。
みんなでテーブルを囲んで夕食を食べていると、あっとが不意に話を切り出した。
「もう少し人間の生活に慣れてきたら、働こうと思ってるんだ。」
思いがけない提案に驚いててるとは箸を止めてあっとを見る。
「……えっ、働く!?」
横で聞いていたメルトが頷きながら話題に入ってきた。
「確かに。そういうのも視野に入れとかないとだよね。」
「ね。てるちゃんばっかり働いてほしくないし。」
「うん。何か良いのあるかなー。」
「さっきネットで求人見てて、何か色々あるし、俺たちに出来ることありそう」
あっととメルトがご飯を食べ勧めながらする真面目な話にてるとは驚愕するばかりだ。
まだ一週間しか経ってないのに、、?え、この子たちもしかしてめっちゃ天才なの?学習能力高くない!?
「ちょ、ちょっと2人共待って!働くのは少しマズイんじゃ‥」
「え、なんで?俺も色々やってみたいんだよねー」
「うん!なんか雑誌に載ってるみたいな制服?着てみたい!カッコ良い!」
ばぁう自身も乗り気な様子で、やなとも目を輝かせて好奇心旺盛だ。
「え、ちょっとみんな落ち着いて…本気なの??」
あっとは穏やかに頷く。
「焦らず一歩ずつだけど、みんなでなら大丈夫」
てるとの胸の奥がぎゅっとなる感覚。
「みんなが思っているより、外の世界は厳しいと思うよ?…それに、突然猫に戻ったらどうするの?」
「んーーー、その時はその時だな。」
ばぁうは少し考えて気楽に笑って返してきた。
そんなあっさり…
「それに俺、てるととずっと居たいし」
「!」
「…うん、僕もてるとくんの役に立ちたい」
ばぁうとメルトが決意した様な目を宿してこちらを見つめてくる。
「…色々人間としての生活が出来るように準備してくれて、いつも通り俺たちの側に居てくれて…俺もてるきゅんに恩返しがしたい。」
「多分、不慣れの部分もあるし、大変かもしれないけど…俺たち、家族だから。」
やなととあっとも真剣な眼差しで見つめてきて、それぞれの熱意を感じる。不安がある中で一人ひとりの想いが凄く嬉しくて、本当にそれだけで十分なのに。
「…みんな、色々考えてくれてるんだね。嬉しいよ。…でも焦らなくていいからね?まだ一週間しか経ってないし、僕も力になるから。ゆっくり一緒に考えよ?」
てるとが彼らの想いを胸に静かに息を吸い込む。
少し前まで心の奥で渦巻いていた不安が、みんなの言葉に触れて、ゆっくりと溶けていく感じだ。
「それにまず、みんなは外の世界にも慣れなくちゃね。」
てるとの言葉に彼らはキョトンとした顔で一瞬黙り込んで、静かにやなとが…確かに!と先に呟いた。
「そっかー、てるきゅん以外の人とも関わっていかなきゃだもんねー…俺ちょっと不安になってきた」
「分かる。ていうか、てると君以外の人興味ないんだけど。」
メルトが真顔で呟いた言葉にあっとは吹き出して笑う。
「いやいや、それじゃあ社会デビューできないでしょ。」
「…そりゃあ、てるとくんと家族のために努力はするけどさ。」
「大丈夫。少しずつでいいから。まずは僕と一緒に、外の空気を感じてみよう?」
てるとの言葉に、みんなが頷きかけていた時、
「じゃあさ」
ばぁうがぽん、と手を叩いた。
「明日、デート行こうよ!」
「……え?」
てるとが瞬きをする。
「だって外の練習って言っても、目的あったほうが楽しいじゃん? 俺、てるきゅんと歩いてみたいー」
「て、てるきゅんとデート?う、うわぁドキドキするねそれ!」
ばぁうの言葉にやなとが目をキラキラ輝かせて興奮気味な様子だ。
「ずるい!そんなのオレも行く!てるとくんとデートしたいっ」
メルトは抜け駆けされまいと必死にアピール。
「…ほんと、ばぁうって大胆だよね。てか、外の世界に慣れるっていうより、みんなてるちゃんとデートしたいだけじゃない?」
あっとが苦笑しながらも、どこか楽しそうに笑う。
「でも、いいんじゃね? みんなで行こうよデート。」
「みんな一緒に行くのはデートって言わないだろ」
みんな明日のデートの話題で子どものように無邪気に騒いでる。そんな様子に思わず笑みが溢れた。彼らを外の世界へ連れ出すのは少し緊張もあるし、ちゃんとフォローしなくちゃとか色々考えてたけど。。
彼らのやりたい事はできるだけ叶えてあげたいし、僕も一緒の時間をもっと共有したいって思う。
「そうだね、行こっか。」
「「やったー!!」」
それぞれ期待を膨らませ、今日はいつもより早めに就寝をとった。静かな夜、眠りにつく直前のてるとの心には、明日を迎えたら未知の世界がどんな一日になるのか、自然と想像が広がっていた。
次回はデート回‥かな笑
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続き楽しみにしています作品最高すぎる主さん最高です