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結局、ノアは無事ディナーにありつくことができた。
激高したグレイアスが怒涛の説教を始めようとした瞬間、アシェルの護衛騎士であるイーサン・クルゴが「そろそろご飯だよー」と迎えに来てくれたのだ。
そして現在、豪華な食堂で、ノアはアシェルと二人っきりで晩餐を楽しんでいる。
「──ははっ、それは災難だったね。でも、グレイアスに上げ底の質問をするのは禁句だよ」
「はいっ、もう二度と口にしません!」
元気よく返事をしてからノアは、アシェルの背後に立つイーサンに向け、感謝の笑みを向ける。
これまでイーサンとは特に接点もなく、こちらとしても別段仲良くなる必要がなかったので程よい距離を保っていたが、この一件でノアは一気にイーサンに好意を持った。
目の前にキノコのご馳走が並んでいても、つまみ食いもできず、護衛に徹する彼に尊敬の念すら持ってしまう。
(結局、グレイアスさんから”そんなこと”の真相は聞けなかったなぁ)
ノアはキノコのスープをスプーンですくいながら、ぼんやりと考える。
グレイアスは、この偽り婚約の提案者であるだけあって、ノアがどれだけ出来損ないの生徒であっても「殿下に相応しくない」とか「もうやめろ」とか否定的なことは言わない。
勉強ができなくて嫌味を言うのは、彼に堪え性がないだけで、見放すことは絶対にしない。
誘拐犯とはいえ、今ではグレイアスのことを先生と呼ぶのに抵抗はない。
「ノア、グレイアスのことはもう気にしなくていいよ。勉強も、少し頑張り過ぎているから、ちょっとお休みしようか」
スープ皿にスプーンを突っ込んだまま固まってしまったノアに、アシェルは優しい言葉をかける。
「殿下、ご心配かけて申し訳ございません。でも、まだ頑張ります」
そう言われてしまうと逆に頷くことに抵抗を持ってしまうのは、自分が天邪鬼なのだろうかと、ノアは自己嫌悪してしまう。
(つくづく自分は、可愛げがないなぁー)
でも、奇麗な服を着てお茶を飲んで、キノコ料理に舌鼓を打って、昼寝して、アシェルの話し相手になるだけにしては高すぎる給金をもらっているのも現実だ。
楽して稼げるなんて夢のような話だけれど、やはり、お給料分働くのが筋だろう。
そんな気持ちからノアがスプーンをテーブルに置いて、姿勢をきちんと正せば、アシェルは花がほころぶように笑った。
「ありがとう、ノア。私は君と出会えて本当に嬉しいよ。でも、無理は禁物だよ。何かあればちゃんと私に言うんだよ。いいね?」
「はい!」
食い気味に頷いたノアは、再びスプーンを手にする。
明日、グレイアス先生に顔を合わせるのは気が重いが、きのこスープは安定の美味しさだ。
(きっとシェフは、キノコの精霊と仲良しなのだ)
そんなことを考えながら、ノアはまた一口スープを口に含んだ。
「……おやまぁ、扱いがお上手で」
ぼそっと呟いたのは、ずっとグレイアスの傍にいる護衛騎士のイーサンだった。
それに気付いたアシェルは、ノアに気付かれぬよう彼に顔を向ける。
意味ありげな、それでいて何かを企んでいるかのような、不敵な笑みを──
*
雨が降っている。ざあざあと窓を叩きつけるように。
ここハニスフレグ国は、季節の変わり目には必ず長雨になる。精霊が、天からの恵みである雨を降らせるよう、精霊王に頼んでいるからだそうだ。
精霊を見ることができない魔力ゼロのノアでは、それが嘘か本当なのか確認することはできないが、大多数の人間がそうだと言っているなら、それでいいと思っている。
ただ、もし精霊が人の為に雨を降らせてくれるなら、屋根に穴が空いている貧乏孤児院にだけは降らせないで欲しいとも思っていたりする。
─── ボーン、ボーン。
小鳥の彫刻が美しいご立派な柱時計の2本の針がカチッと揃った瞬間、ずっしりと重たい音が鳴り部屋に響き渡る。
(……ああ、時間だ)
ソファでだらしなく座っていたノアは、手にしていたキノコ図鑑をパタンと閉じた。こっそり、ため息も吐く。
グレイアス先生の底上げ事件から、半月経過した。
ノアは未だにアシェルの仮初の婚約者として頑張っているけれど、次のお給料日で目標額を達成するので、あと3日で退職するつもりだ。
そのことをアシェルには、まだ伝えていない。
決して彼との契約を軽んじているわけじゃないし、急な出費があるかもしれないから、保険をかけてギリギリに伝えようというセコイ考えを持っているわけでもない。
ただ単にアシェルが何かにつけて「一緒に居られて嬉しい」と口にするもので、言い出せないのだ。
誰かに必要とされることは、純粋に嬉しい。
”要らない存在”と捨てられた過去が、余計にそう感じさせているだけだとわかっているが、やっぱり嬉しいものは嬉しい。
逆に、自分の言動のせいで相手ががっかりするのは、見たくない。
だから明日伝えよう、明日こそ伝えよう、明日は絶対に言おう!そんなことを繰り返して、残り3日となってしまったのだ。
そして今日も「まぁ、ディナーの時間に伝えよう」と狡い結論を下す。
だから何食わぬ顔をして、グレイアス先生の元に行かなければいけない。でも、気が重いし、ぶっちゃけ行きたくない。
「ノア、時間だけど今日はお休みするかい?」
キノコ図鑑をぎゅっと抱きしめて、むむむっと唸っていると、すぐ横から気遣う優しい声が降ってきた。
今更ではあるが、ノアは現在アシェルの執務室にいる。
付け加えると、アシェルはここで絶賛お仕事中だったりもする。