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アシェルは１７歳の時、見知らぬ誰かから呪いを受けて失明したせいで、王位継承権を剥奪された。
現国王陛下が、目の見えぬ人間が国を統治することはできないと判断したからである。
とはいえ王位継承権を剝奪されてもアシェルは王族であり、王族というのは死ぬまで国民の為に身を尽くす役目にある。
だからアシェルは、盲目王子となっても政務をする。補佐兼側近の手を借りながら。毎日、雨の日も、風の日も、雪が降っても、ずっとずっと。
目が見えないアシェルが、どうやって政務に励んでいるのと疑問にお思いだろう。例にもれず、ノアも思った。そして、単刀直入に聞いてみた。
返ってきた返事はこうだった。
『──ああ、書類はすべてグレイアスの魔法で文字に触れたら解読できるようになっているんだ。１7歳までは目が見えていたから、土地勘もあるし各領地の状況もある程度理解しているよ。ま、絶えず変化するものだから、その都度側近が視察に行って報告はもらうけど』
つまり、もともとあった膨大な知識をベースに、毎度毎度情報を上書きしているということだ。
人知を超えるその能力に、ノアは途中で理解するのを放棄した。
そんなお仕事中の王子の執務部屋にノアがなぜ居るかというと、雨が降っていて庭でお茶ができないから、ここにおいでと誘われたからである。
と言ってもノアは最初は辞退した。
当たり前だ。国を左右する（かもしれない）大事な御政務室で茶をすするなんてできないし、機密情報を一般国民が見聞きしてはいけないはずだ。
でもノアは、アシェルの『一緒に居てくれたら、嬉しいな』という寂しげな笑みに絆されて政務室にいる。
我ながら甘いと思うけれど、アシェルが寂しそうに笑えば、妙に『何とかしてあげたい』という庇護欲を持ってしまうのだ。
きっと、アシェルの側近二名を筆頭に、この政務室に出入りする偉いおじさん達も同じ気持ちなのだろう。
初日こそ入室するなり、ノアに気づいて目を見開いたものだ。その目はありありと『お前、なんなん？』と語っていた。ノアは心の中で「わかるー」と返した。
今では、手を振り合う仲になったが、これはアシェルへの庇護欲から生まれた絆だ。
……そんなこれまでのことを、ノアが現実逃避からぼぉーっと考えていただけなのだが、アシェルからしたら行きたくないという意思表示に受け止めたのだろう。
盲目王子は、ノアの返事を聞かぬまま側近の一人に声を掛けた。
「ワイアット、すぐにグレイアスに今日の授業は中止にするよう伝えてくれ」
「かしこまりました」
側近その２であるワイアットは、なんの異議も唱えることなく慇懃に礼を取り部屋を出ていこうとする。
「あああああああっ、待って！ちょっと待ってください！！」
ぼんやりしていたノアは、キノコ図鑑を手にしたまま慌てて立ち上がった。
「ノア、時には休息も大事だよ。これまでずっと頑張っていたんだから、今日は、お休みしよう」
立ち上がったノアの肩に手を置いて優しく諭したのは、アシェルだった。ちなみにアシェルは執務机に着席して、ノアはそのすぐ隣のソファに座っている。
「さ、もう一度座って。ゆっくりしなさい」
今にも出ていこうとするノアを引き留めるために、アシェルは執務机から立ち上がると、ノアの肩に手を置いた。
「え、で、でも……」
「でもじゃない。今日は、お休みするんだ。たまには自分にご褒美をあげないと。ね？」
優しい言葉をいただいても、休みなく政務に励んでいる彼からの発言では、説得力ゼロである。
「いえ、大丈夫です。ちょっくら行ってきます」
「ううーん。でも、グレイアスは今日、兄上とちょっと揉めてたから機嫌が悪いかも……。それにノア、課題は完璧に終わっている？」
顎に手を当て呟いたアシェルは、最後にノアを覗き込む。
「あ……あー……」
（実は完璧どころか、終わってないんだよねー）
日に日に授業内容は難しくなっていくのに、自分の頭は初級の初級で理解を止めている。
それでも一応お仕事として毎日授業を受けるし、課題もできる範囲でやっている。
努力が実を結ばない状態で、怖い怖い先生に中途半端にしかできていない課題を提出するのは相当な勇気が必要になる。
「だ、だ、大丈夫……です」
無言のままではいけないという気持ちから、強がりを口にしてみたけれど本当は行きたくない。
その気持ちはアシェルにダイレクトに伝わったのだろう。
アシェルはくすっと笑うと「なら、こうしよう」と言って、ノアの手を強く引いて強引にソファに着席させると、そのままノアの隣に座り、ごろんと横になる。
アシェルの頭は、ちょうどノアの膝に収まった。
「私が君の膝で眠ってしまったから、ノアは動けない。私は一応王子と呼ばれる存在だから、グレイアスだって文句は言えないさ」
そう言いながらアシェルは、ノアを抱きかかえるように腕を腰に絡めた。
対してノアは、びっくり仰天だ。
こんな授業のさぼり方があるなんて考えつかなかった。それに何よりも、これまでアシェルとずっと過ごしてきたが、こんな触れ合いをされるなんて初めてだ。
「……と、いうわけだからワイアット、グレイアスに事情を説明してきてくれ」
「かしこまりました」
グレイアスの側近その２は、素早く部屋を出て行ってしまった。
今度はノアは引き留めることはしなかった。いや、できなかった。
＊
その後、側近その１のイーサンも部屋を出た。
年中腰に剣をぶら下げているので脳筋のように見えるが、彼は空気を読める人種だ。
とはいえ、扉の前で護衛に徹していなければならないので、盗み聞きをするような立ち位置になるのは、少々倫理的に胸が痛む……はずなのに、どこか楽しそうだった。
「さあて殿下は、どんな手を使ってお嬢さんを引き留めるかな。こりゃあ見ものだ」
イーサンは、アシェルの気持ちを知っているし、彼がどんな人間なのかも熟知している。
アシェルは一見、無欲で穏やかな盲目王子だが、その中身は大変な策士で、欲しいと思ったら絶対に手に入れる強い意思を持った男なのである。
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