「どれくらい外泊が続いたの?」
「そのときは一週間くらいかな」
「一週間? それは随分忙しいのね」
園香の仕事も時期によっては残業続きという場合もあるが、さすがに何日も家に帰れない、なんてことなはい。
「……そのときの自分の気持ちが分からないから何とも言えないんだけど、私たち新婚半年だったんでしょ? それで外泊が続いたら不満に思っても仕方ないかなとは思う」
今の園香はかなり客観的な視点でいる。それでもさすがに外泊が多過ぎると感じた。
「それ程仕事が忙しいのならオフィスの近くに引っ越ししたらいいんじゃないかな? 私は仕事を辞めて専業主婦なんでしょ? 住まいが変わっても問題ないと思うけど」
通勤に片道一時間は時間のロスだ。そもそも新居選びのときに、なぜそんな遠くを選んだのだろうと、再び疑問が浮かび上がる。
「……そうだね。いずれ転居を考えてもいいかな」
瑞記は口ではそう言いながらも、乗り気でない様子に見えた。
(仕事のことを家族に口出しされるのを嫌がるタイプなのかも)
夫だと言われても彼について何も分からない。
(こんなことでこの先、大丈夫なのかな)
早くも不安がこみ上げてきた。
園香は、スマートフォンの画面を眺めて眉をひそめた。
【出張が一日延びたから、病院に行くのは明後日になりそうだ】
夫からのメッセージの送信日時は三日前。瑞記が園香の病室に来た日の夜だ。
「つまり今日来るってことよね? まだ来てないけど」
あと三十分で、面会時間が終了する。今日は来ないと思っていいだろう。
園香がスマートフォンを手にしてをメッセージアプリを確認したのはたった今だから、当然返信していない。
それなのに瑞記からのメッセージは、それ以降何も入って来ていなかった。
仕事が増えて出張が延長になったのだろうか。
もしそうだとしても普通は事情を説明したり、返事が無ければ再度メッセージを送りそうなものだけれど。
園香は小さな溜息を吐いた。
瑞記と話した日からずっと抱いている疑問が、確信に変わりつつある。
「私たちって上手くいってないよね……」
新婚半年と聞くと、まだまだ恋人同士のように仲が良いイメージがあるけれど、園香たちはそれに当てはまらないようだ。
何らかの事情で早くも冷めた夫婦になっている可能性が極めて高い。
言葉は柔らかいものの、行動に優しさや愛情が見えない瑞記の様子から、園香はそのように受けとめている。
だって妻を愛していたらもっと心配するだろうし、大切にしてくれるはず。
少なくとも園香だったら、記憶を失い不安であろう夫を放ったままにはしないし、どうしても外せない仕事があったとしても、なんとか連絡を取ろうとする。
何より愛する人が自分の存在を忘れてしまったらもっとショックを受けるものでは?
忘れられても淡々としている彼からは、何の想いも感じない。
(早くも離婚を考えるような状況だとか?)
昨日、見舞いに来てくれた母にそれとなく聞いてみた。
『ねえ、お母さんから見て私と瑞紀ってどんな夫婦だった?』
『上手くいっているように見えたわよ。瑞記くんは優しくて穏やかだから、喧嘩もなかったみたいね』
『そうなの……』
その場では話を合わせて頷いたものの、信じられなかった。
多分、母には実情を話していなかったのだろう。
結局、夫は訪れなかった。
来られないと、たった一言のメッセージすらない。
(見かけは優しそうだけど、実は冷たい人なのかも)
過去の自分は彼のどんなところを好きだと感じたのか。
全く覚えていない為分からないけれど、今はそれでよかったと思う。
彼に対しての気持ちがあったら、こんな状況が悲しくて仕方ないだろうから。
ふと思い立って瑞記とのメッセージ履歴を遡ってみる。
やり取りを見たらどんな夫婦なのかある程度分ると思ったからだ。けれど。
「あれ……」
ここ一カ月の履歴しか残っていなかった。
機種変更をしているから、その際何等かのトラブルがあり消えてしまったのだろうか。
念の為、家族と友人とのトークも確認してみる。やはり過去の履歴は残っていなかった。
(あーあ……バックアップ取っていたらいいんだけど、分からないな)
記憶だけではなく記録もないなんて、あまりに心もとないではないか。
園香は重苦しい気持ちに陥っていたが、しばらくすると気を取り直してメッセージを作成した。
【お仕事お疲れさまです。メッセージを送って貰っていたのに、確認するのが遅くなってごめんなさい。今日来るということだったけれど、来られないようなので何かトラブルが有ったのかと心配してます】
夫に送るにはあまりに固く遠慮がにじみ出た文面。
けれど、瑞記に対して慣れなれしい態度を取るのは無理だと感じるのだから仕方がない。
内容をもう一度確認してから送信する。
どっと疲れが襲って来て、園香はベッドに倒れ込んだ。
まだ怪我は癒えていない。体の痛みは続いているし、すぐに疲れてしまうのだ。
(なんて返事が来るのかな)
目を閉じながら考えたけれど、何一つ思い浮かぶことはなかった。
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