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父は解剖室を見渡す。
瓶詰めの胎児、頭蓋骨の群れ、赤い蠟で作られた肺の脈管模型。
「……また増えたのか、気味の悪い」
軽く鼻を鳴らす。
その言葉に、名無しの男の眉がピクリと動いた。
「気味が悪い?」
父がようやく男に気づく。
「……誰だ、そいつは? そっちの二人と同じチンピラか? というか、死体は何処だ? もう片付けたのか?」
リゼは一瞬言葉に詰まり、それでも答えた。
「……彼が、今日運び込まれるはずだった死体です。棺の名から運び出されたとき、まだ息があったようなので、私が蘇生しました」
「蘇生? お前がステラの真似事を? できるはずがない」
その声には、明らかな嘲りが混じっていた。
しかし、男の頭には裂傷と、縫合の跡がある。父も観察し、リゼが治療を施したと理解したらしい。
何かが彼のプライドを傷つけたのか、父は不機嫌そうに言った。
「なら、殺すか」
解剖室の空気が止まる。
リゼは目を瞬いた。
「……お父様? 何を言って……」
「その男は死人だった。違うか?」
「……だってこの人はもう、回復して」
「お前が治した? 認めんよ。大体、その男が生きていても、私に得はない。しかし、死ねば報告書が一冊増える。それだけのことだ」
父が指を鳴らす。
次の瞬間、床に白い霜柱が広がった。
男の足元から数本の氷柱が突き出し、簡易的な檻が作られた。同時に、男の両足は氷で覆われ、動かなくなる。
ノアが息を呑む。
「氷魔法……!」
父がベアトリスに合図する。
ベアトリスは「面倒ね」と気だるげに言って、リゼに右手をかざす。
目には見えない細い糸が、リゼの腕に絡みついた。
リゼの意思とは無関係に、身体が勝手に動きだす。
リゼの指は机上のメスを持ち上げた。
「……え……え?」
リゼの肩が震える。
突然身体の自由が奪われ、思考が追いついていない様子だ。
「お義母さま! これは、一体?」
「殺すのはあなたよ、リゼ」
「……私が? なんで?」
ベアトリスは、どうしてこんな簡単なこともわからないのかと、うんざりした顔をした。
「なぜ私たちが、人殺しをしなくてはならないの? 穢れ仕事はあなたの役目。本来ならすすんでやってほしいくらいだわ」
「……嘘……だって、人を、殺すなんて!」
「恨むなら、解剖の仕事さえ全うできなかった、愚かな自分を呪いなさい」
リゼの腕が、勝手に持ち上がる。
メスの刃先が男の胸へ向く。
涙が浮かびかけた目で、リゼは必死に腕を止めようとする。
「……嫌ッ!」
リゼの眼に涙が貯まる。
それでも、糸は容赦なく動く。
死に瀕した男は、恐れている様子はなかった。
じっとリゼを見つめている。
彼の脳裏に、治療中、おぼろげな意識で聞いた、少女たちの会話が蘇る。
『リゼが、生きがいを失うよ? ……この人を見捨てれば、リゼ、死なないよ?』
『ごめんね、メイジー、それじゃどの道、医学者としての私は死ぬんだ』
男が歯を噛み締める。
――何故だ?
――どうして、医学者としての彼女は、こうも簡単に死ぬ?
メスが男の胸を裂く。
肉を押し切り、刃先が心臓に届こうとしたその瞬間――氷が砕けた。
乾いた破裂音。
男の周囲を覆っていた氷柱が、一斉に粉々に砕け散る。
同時に、リゼの腕を操っていた糸も、ぱちんと弾けて消えた。
父とベアトリスの目が見開かれる。
「……!?」
男の目が、静かに父とベアトリスを見据える。
「……理解できない。なぜお前たちが、彼女の高潔な魂を踏みにじる」
ベアトリスが顔を歪めた。
「貴方……今、何をして?」
男は静かに言う。
「思い出したんだ。俺は、魔術式が見える。お前の魔法はもう、俺のものだ」
空気が震える。
床に広がっていた氷が、ベアトリスや父の足元へと伸び、二人を氷柱の檻で覆った。
「……馬鹿な」
父が目を見開き、息を呑んだ。
「魔術式の解析と乗っ取り……それは、王族にしか使えない血統魔術だぞ!」