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「荒れたね。あの時だけは泣き崩れていた。傷付くまいとしてたやすく人を心に入れないようにしていたのに、スッと入られてやっぱり裏切られた。……彼女は裏切ったわけじゃないと思うけど、結果的に尊は深く傷付いた。正直、見てるのがしんどいぐらいボロボロだったよ」
分かっていたつもりだけど、尊さんがいかに宮本さんを深く愛していたかを聞かされると、私もつらい。
「尊は深く傷付き食えなくなって、眠れなくなった。機械的に出社して仕事をして、淡々と生きている姿を見ると、もう生きる希望をなくしたのかと思った」
そこで涼さんは私を見て微笑んだ。
「でもすべてを無くしたわけじゃない。尊には縋るべき思い出があった。生きる価値がないと思い込んでいた自分が一人の少女を救えたという成功体験は、尊に大きな自信を与えていた。尊はずっと朱里ちゃんを大切に思っていたよ」
私の名前が出て、不覚にも泣いてしまいそうになる。
「つらい時だけ思い出に縋ったわけじゃない。あいつは日常的に朱里ちゃんの名前を出して、遠くに住んでいる妹みたいな感じで語ってた。どこから情報を仕入れていたんだか分かんなかったけどね。あいつは呆れるほどの執念で、自ら蜘蛛の糸をたぐり寄せていたんだよ」
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を例に出され、私は照れくさくなって座り直す。
「話を纏めると、確かに尊は宮本さんをとても愛していたし、突然去られて悲しんだ。同時に絶望した時の救いとなったぐらい、あいつは朱里ちゃんを想い続けていた。その君と巡り会って結婚しようとしてるんだから、……君たちは運命の二人だと思ってるよ」
そこまで言い、涼さんは私に向かってグラスを掲げ、ニヤッと笑ってみせる。
「ま、恋する乙女の気持ちは分からないでもないから、言える事はすべて言った。付け加えるけど、君が宮本さんを気にするほど過去の思い出は美化されていく。大事なのは〝今〟を生きている自分たちだよ。君は尊に気持ちを伝えられるし、抱き締めてキスできる。過去の人を気にするより、尊と過ごす時間を大切にしたほうがいいんじゃないかな」
優しく笑う涼さんの顔を見て、なんだか色んなものが吹っ切れた気がした。
私はお水を飲み、深呼吸する。
すると今まで心の中で燻っていたものが、綺麗に消えたように思えた。
「ありがとうございます。聞けて良かったです。これで私も〝次〟にいけます」
お礼を言うと、涼さんはにっこり笑った。
「頑張って」
「さて、私の愛しい尊さんは……」
気持ちを切り替えてカウンターを見て、私は目を丸くした。
なんと先ほどの女性たちが、尊さんを挟むように座ってるじゃないか! こらぁ!
「行ってきます!」
スックと立ちあがった私に、涼さんはクスクス笑って「いってらっしゃい」と手を振りお酒を呷った。
そんな感じで涼さんとのファーストコンタクトは終わり、ランドについては恵に話したあと、後日改めて連絡をとる事にした。
**
それから水曜日の春分の日までは、あっという間だった。
「だ、大丈夫かな……」
「知らんよ。俺も不安だ」
私たちは午前中に青山霊園に向かい、さゆりさんとあかりちゃんに手を合わせる事にした。
速水家の人たちもお墓参りに来るけど、バラバラにお参りしたあと、小牧さんが「お祖母ちゃんの家でお茶しよう」と発案し、お菓子を持ち寄って集まる予定だ。
その時に私たちは小牧さん、弥生さんと一緒に速水家に上がり込む事になっている……んだけど、怖い。
とりあえず失礼がないように、私はベージュのプリーツワンピースを着て、まとめ髪にしてナチュラルメイクをした。
尊さんはストライプシャツに黒いテーパードパンツ、紺のジャケットだ。
私たちは予約していたお花屋さんで仏花を買い、ひとまず霊園に向かう事にした。
緑豊かな敷地内はまるで公園のようだけれど、立派な墓地だ。
三月下旬になって暖かくなってきているからか、敷地内にある桜の木は色づき、もうそろそろ開花しそうだ。
「このへんに来ると、泥酔事件を思い出しますね」
「事件にするなよ……。なんかサスペンスみが出てくる」
尊さんは私に介抱された事を思いだし、しょんもりする。
「泥酔して潰れていた所に、白いチョークで人型が……」
「殺すな!」
尊さんに突っ込まれ、私はケラケラと笑う。