師が走ると書いて、師走。
ここで言う「師」はお坊さんのことだとか聞いた気がするけれど、記憶が定かではない。
……まあ、お坊さんだろうが会社勤めだろうが自営業だろうが、年末というのは忙しい。
それは、アイドルだって例外ではなく――特に、デビューの予定が決まったアイドルとなれば、なおさらだ。
冬の穏やかな陽射しが差し込む部屋の中、ローザは段ボールを畳んでいた。
「よいしょ、っと……これ、こっちに重ねておいていい?」
「ん。ありがとう、ローザ」
「ふふっ、どういたしまして~」
十二月も第三週を迎え、ニゲラの通う高校は冬休みに突入した。
念願の長期休み、その手始めにニゲラが着手したのが――隣駅の研修生寮から社員寮への引っ越しである。
あの日の収録はまだ放送されていないが……翌週に発売された雑誌を始めとするメディア露出、そしてSNSの影響により、『NearNight』は爆発的にその名を轟かせた。
その反響は予想を遥かに上回るもので――各種メディアや小売りといった業界関係者から、「円盤の発売はいつ頃になるのか」「店頭プロモーションに参加させてほしい」との問い合わせが殺到。
これを受け、尾崎社長を始めとしたテイルプロ関係者は緊急で協議を行い……半年の猶予期間を待たずして、ニゲラのTale of Petalsプロジェクト参画――すなわち、正式なデビューが決定したのだった。
「しかし……すごいな、『城下』は」
「ん~? やっぱり研修生寮とは全然違う?」
「ああ。あんまり変わらないと思ってたけど……セキュリティがすごい」
そんなこんなで、ニゲラはデビュー組や一部のタレントが住まう社員寮へと居を移した。
引っ越し自体は強制ではなかったのだが……やはりデビュー組となると、レッスンや収録後の移動時間を少しでも減らせるに越したことはないという会社側からの打診を、ニゲラが承諾した形だった。
「あと、食事が自由にできる。すごい」
「っふふふ! それ、前も言ってたね!」
うんうん、と感慨深そうに頷くその表情に、ローザは軍手を外しながら笑いを零す。
育ち盛りで食べ盛りな高校生にとって、味も量も手頃さも一級品の社食を使い放題というのは、確かに大きな魅力だ。
「あ、食事といえば……今日はどうする? せっかくだから、引っ越し祝いに俺が作ろうか?」
「えっ」
「俺も明日休みだし……寒くなってきたから、すき焼きとかしたいな~って」
「……いいのか?」
「いいよ~! まだ食器とか揃ってないだろうから、俺の部屋おいで?」
言いながら、ローザは背中を預けている白い壁をコンコンと叩く。
壁一枚隔てた向こう側――隣室は、ニゲラも幾度となく足を運んだローザの部屋だった。
「い、行く。お邪魔します」
「うんうん、じゃあ片付け終わったら買い物行こっか!」
「ん!」
頬をりんごのように染めて何度も頷くニゲラの姿を見て、ローザは自然と笑顔になるのだった。
「……そういえば、年末年始は実家に戻るの?」
ふつふつと煮立つ鍋の中身をつつきながら、ローザはニゲラに問う。
時刻は二十時を回っているが……今日からニゲラが帰る先は隣の部屋なので、お互いに初めて時間をさほど気にせず過ごすことができていた。
「あっ、でも……冬に秋田はちょっとキツいか。行くとしたら春休みかな?」
「……いや、今年は帰る。前後に雪で足止め食らう可能性も考えて、年末から五日くらい」
「そっかあ……じゃあ、こっちはちょっと寂しい年明けになるかな~」
「……ローザは帰らないのか?」
「うん。今年はパパとママもこっちに来ないし、梨琥ちゃんも帰らないって言うから。時期を合わせて別途、って感じかな~……って、どうかした?」
言いながら鍋に牛肉を少し足したところで、ローザはニゲラが少し居心地が悪そうにしていることに気付く。
肉が煮えるのを待っている……という訳ではなさそうな神妙な面持ちに、ローザは軽く首を傾げた。
「……ニィ?」
「…………その、」
「うん」
「よかったら、なんだけど」
「ん……?」
ニゲラが箸を置き、ごそごそと姿勢を正す。
そして、背筋を伸ばしてローザに向き直ると――
「……一緒に、来てくれないか」
「…………へ?」
――真っ直ぐにローザを見つめ、そう言い放った。
「き、来てって……秋田?」
「……うん」
「……ご実家?」
「…………うん」
「あ、遊びに行くの……かな……?」
「………………」
問い掛けを重ねるたびに、ニゲラの頬が段階的に赤くなっていく。
そして、その赤さが最高潮まで達したところで……ニゲラは向かいに座っていたローザの隣へと這い寄って、その手を掬い上げた。
「……紹介したいんだ、両親に」
「……ぇ」
「だから……来てほしい。俺と一緒に」
「…………に、ニィ……それって……」
それってアレの時の言葉とリアクションだよ、と口にしたら、ニゲラは真っ赤なまま俯いてしまって。
「……えぇ……!?」
遠くない昔――この部屋で浮かんだ「プロポーズみたいだ」という呑気な考えが今一度頭に過って、ローザはくらくらとした眩暈のようなものを覚えるのだった。
煌びやかなものが、好きだ。
ナパージュでつやつや輝く、有名店のフルーツタルト。
軽やかに春風と踊る、ジョーゼット生地のワンピース。
高さを出して盛り付けられた、真っ赤なトマトクリームのパスタ。
明かりを消した部屋で灯す、花の香りのアロマキャンドル。
シャンデリアの光の下、きらきら弾けるロゼ・シャンパーニュ。
細番手の糸で織られた、上等な生地のスリーピーススーツ。
絢爛な花弁を開いて豊かに香る、大輪の薔薇の花。
全部、全部。
全部好きで。
だけど……本当はどれも不可欠ではなくて。
幾重にも花弁を重ねて包み隠した、震えて泣きじゃくる本当の姿。
それを見つけて、愛して、手を引いてくれる――そんな唯一無二さえ居てくれれば、きっとどこまでも行けるのだろう。
だから今日も君と並んで、眩い光の中に立つ。
愛される自分、幸せな自分――なりたい自分を、君と一緒に作るために。
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