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どうか許して下さい。

総ての発端となった己だけが生き延びている事を。

あなた達を暗く冷たい土の下に追いやった後もこうして生きている事を、どうか許して下さい────。


「────っぁ!!」

夢の中で響いた、忘れたくても忘れられない光景に身体が驚きに飛び上がり、その反動で一気に震え出す。

ダブルベッドに座り込んで腕を抱き、震え始めた身体を鎮めようと何度も深呼吸を繰り返すが、幼い頃からの癖のようになったそれを鎮める為の方策が全く役に立たなかった。

その理由を探ろうと視線を彷徨わせたとき、ベッドサイドに置いたデザイン性の高いキューブ型の時計に表示された日付を見て靄が晴れたように納得してしまう。

世界的にも有名になっている祭りが開催される時期が近付いてきたのだ。

その祭りはこの街の名を顕す一つのイベントでもあり、国でも有名なそれだったが、彼にとってのその名は忌まわしい過去を思い出させるものだった。

己の中で長年秘かに向き合ってきた過去だが、常日頃は長年の訓練の賜物で何とか心の平静さを保っていられるが、この祭りが近付く頃になると心がざわめき立ってしまい、結果今のように繰り返し繰り返し何度も夢を見てしまうのだ。

20年以上も昔のある日の午後、祭りがそろそろ始まると街中が浮き足立ち、会場に設営される遊園地などの準備も整いつつある最中、彼と彼の家族に降りかかった事件はそれまでの日常を一変させた。

誰もが羨むような家族仲の良さはいわゆる上流階級と呼ばれる人達の間でも有名で、中でも三人の子供達の仲の良さ、末っ子が年の離れた兄にべったりとくっついている姿は近所でも有名だった。

そんな仲の良い家族が巻き込まれた事件の結果、以前とは全く違った、目には見えない深くて広い溝を挟んで憎み合うような関係になってしまったのだ。

彼と彼が愛していた家族の関係を大きく変化させた事件からもう20年以上は経過するが、今でも彼にはその事件で受けた傷が心の奥深くや身体に残され、時々その傷が顕在化したりもしていたのだ。

これからの日々を少しでも人と同じように過ごして欲しい両親と兄姉の強い希望から、家族の主治医が全力を挙げて彼の治療に励んだ結果、漸く人並みの暮らしが出来るようになり、メンタルクリニックのドクターという職業をも得る事が出来るようになったが、幼い頃に受けた傷はそう容易くは消え去らなかった。

周囲は最早事件の影響から脱したと安堵するが、彼自身をも騙すほどの巧妙さで覆い隠しているだけで、傷は今でも心の中に在って血を流し続けている事を教えるように夢という形で再現されていた。

漸く震えが納まりだした為に震える呼気を吐いてベッドに横になった彼は、額に腕を押し当てて目元を覆うと溜息を吐く。

その時、くすくすと楽しげな笑い声が耳の奥で響き渡り、びくんと肩が揺れてしまう。

『・・・ウーヴェって泣き虫だな。泣かなくても良いよ。僕がいるだろ』

腕の下で目を瞠った彼の耳の底で響く優しい声と同じ色合いの笑い声。それから思い浮かんだのはあの頃の彼と同じ年頃の、くるくると黒い髪が巻いていて、明るい茶色の大きな瞳を楽しそうに動かす少年の笑顔だった。

その言葉が聞こえてきた次の瞬間、彼の脳裏には忘れたくても決して忘れる事の出来ない、また目を背ける事も出来なかった哀しい光景が一瞬にして広がる。

「────っア・・・っ!!」

脳裏に広がる光景を掻き消したくて白っぽい髪を両手できつく握りしめ、小さく小さく身体を丸めて口から流れ出す悲鳴を噛み殺そうと唇を噛みしめると、程なくしてぶつりと小さな音が響いて鉄の味が口内にふわりと広がる。

思い出したくなど無かった。

だが決して忘れてはいけない事も分かっていた。

その狭間で藻掻き苦しんだ20余年。どう対処すればいいのかも分かっていた筈なのに思い出せず、抜けてしまうほど髪を握りしめて痛みを感じない唇を噛みしめる。

助けて欲しかった。

この苦しみから抜け出す為の光を与えて欲しかった。

だがそれを得られない事も、彼は十分に理解していた。

頭を抱えたまま何度も左右に寝返りを打ち、サイドテーブルに置いた時計を肘で弾き飛ばしてしまった時、時計の横に置いていた携帯が絨毯の上に転がり落ちる。

その時、床に落ちた携帯からただ一人を現す音楽が流れ出し、苦痛に顔を歪めていた彼の耳にそっと届く。

「・・・ッ・・・────っ!!」

聞こえてきたそれだけが唯一の救いであるようにベッドの上から手を伸ばし、軽快な映画音楽を流すそれを震える手で掴むと、通話ボタンを押そうとする。

だがその震える指を押し止めるような声が脳裏でけたたましく響き渡り、びくんと身を竦めてベッドに座り込む。

今この電話に出てしまえば勘の良い恋人は自分の様子がおかしいことに当然気付くだろう。

そうなればその理由を黙っていることなど不可能になる。

付き合い出した頃ならば何とか誤魔化せていた過去だが、それから大小様々な口論や喧嘩を経験し、互いのことを一つずつゆっくりと知るようになった今、黙っていられる自信がなかった。

忌まわしい過去を知ればきっと自分から離れていくだろう。

その思いが胸の奥のもやもやから昇華されて言葉として脳裏に浮かぶと、鳴り続ける携帯をきつく握りしめる事しか出来なかった。

今すぐ携帯を鳴らす恋人の声が聞きたかった。今己を苦しめる過去を洗い浚い話してしまい、助けてくれと子供のように縋り付きたかった。

だがそれをする事で離れて行ってしまうかも知れない強迫観念にも近い思いが突如として胸の中で溢れかえり、いつまでも鳴り続ける携帯を握りしめ、何もかも諦めた顔で横になる。

事件の夜、さっきまで脳裏に浮かんでいた同じ年頃の黒髪の巻き毛の少年は、優しい笑顔を彼の脳裏に刻んだ後、二度と笑顔を浮かべられない無残な姿となって彼の前に横たわってしまい、彼がガラス玉のような目でその姿を見つめ続けた時にはただ一つの感情以外を喪失していた。

感情を喪失した夜を彷彿とさせる顔で携帯を見つめた彼が枕に頭を預け、次々に脳裏で再生される過去を何処か遠い世界の出来事のように見つめ続けていると、いつしか携帯が静かになってしまう。

しんと静まりかえった無駄に広い寝室のベッドの上で横臥したままの彼だったが、恋人からのコールが途切れた事に漸く気付いたらしく、手が白くなるほど握りしめていた携帯を何とか手放すと、着信があったことを示すアイコンを見つめ、ぽつりと恋人の名を呼ぶ。

その瞬間、一切の感情を忘れたような心がじわりと温まり、それと同時に身体中の血が沸騰したような錯覚に襲われる。

名を呼ぶだけで身体に力が戻り、過去へと引きずられそうになった心が現在へと戻ってくる。

その温もりを得たくて、まるで言葉を覚えたばかりの子供のように名を呼べば、握りしめていた手から力が抜け始め、不意に唇に痛みを覚えてしまう。

痛覚が戻り手の感覚も戻ったことに無意識に安堵の溜息を零した彼は、何度も瞬きを繰り返した後そのまま目を閉じると、今までの経験からすれば信じられない速さで乖離感が消え去って行く事に気付く。

そうして指先にまで血が巡った事を実感した瞬間、彼の脳がたった一人の笑顔を思い浮かべた為、きつく目を閉じてじわりと浮かび上がる感情を押し殺す。

「・・・・・・リオン・・・」

携帯を撫でた後ぽつりと呟いて眉間に込めていた力を緩めれば、程なくして極度の緊張を強いられた身体に睡魔が忍び寄ってくる。

もうすぐ思い出すことすら辛い季節が巡ってくる。今年もまたクリニックを休診し、事件に巻き込まれた人々の魂が鎮まることを祈る為、皆が眠る場所へと向かわなければならないのだ。その為の力を少しでも蓄えておく必要があったが、また先程の夢の続きを見てしまう恐怖は拭い去れなかった。

だがそんな恐怖を、真夏を象徴する大輪の花を思い出させる笑顔があれば何とかなると心の何処かがひっそりと自慢げに囁いた為、それに答えるように小さく頷くと次第に意識が遠くなっていく。

最愛の恋人に告げる事無くこの街を離れる事になる、その事実だけが重くのし掛かってくる中、漸く訪れた浅い眠りに身を委ねるのだった。



彼が過去を夢見るようになってから数日後、いつものように仕事を頑張った事を互いに誉め合おうと恋人のクリニックにやって来たリオンは、真剣な顔で向き合っている男女の姿を発見して首を傾げる。

いつもとは何かが違う、深刻さよりも何故か哀しさが伝わってくる二人の様子に内心で眉を寄せるが、それを微塵も感じさせないいつもの陽気さで片手を挙げる。

「ハロ、オーヴェ」

「・・・もう仕事は終わったのか?」

「うん。難しい話か?」

それならば外で待っていると立てた親指でドアを指し示すと、髪を解いて仕事が終わった事を伝える表情でオルガが小さく首を左右に振る。

「構わないわ、リオン。────お疲れ様でした、ドクター・ウーヴェ」

「お疲れ様、フラウ・オルガ」

いつも交わされる挨拶を見守ったリオンは、あなたもお疲れ様と腕を撫でた後何故か重く感じる足取りで出て行く背中を見送り、くるりと振り返って目を細める。

オルガが仕事をする為に座っているデスクがそこにはあるのだが、そのデスクの表面を何度も撫でるウーヴェの伏し目がちの訳と唇に出来ているかさぶたの由来が気になってしまう。

「オーヴェ」

「何だ?」

「唇どうしたんだ?」

かさぶたが出来てるなんて珍しいとリオンが手を伸ばすと、意味の分からない笑みを微かに浮かべたウーヴェが首を振って気にするなと苦笑する。

「────リオン」

「ん? どうした?」

「ヴィーズンはどうするんだ?」

まるでデスクを愛おしむように撫で続けるウーヴェの問いに首を傾げたリオンだったが、気に入っているテントがある為に皆でそこに顔を出そうと今日話していたと笑うと、ふわりと笑みを浮かべて目を細められる。

「そうなのか?」

「うん、そう。確か何処かの企業テントだったと思うんだけど」

去年か一昨年に見つけたのだが、料理の味も当然ビールの味も良かったと笑い、一緒に行こうとウーヴェを誘うと笑みが苦笑に切り替わり、白くて綺麗な指が眼鏡のフレームをそっと撫でる。

「そうだな」

「・・・うん。絶対に行こうぜ」

去年は都合が合わないから一緒に行けなかったが、年に一度のお祭りシーズンなのだ。一緒に行けないのはやはり寂しいと笑ったリオンに穏やかに目を細めたウーヴェが今日はどうすると問い掛けるが、ゲートルートでディナーが良いと返事を得ると、帰り支度をするから少し待っていてくれと残して診察室へと向かう。

その背中をリオンが無言で見送るが、その顔は何時かのように何かを真剣に考え込んでいる表情で、それはウーヴェが出てくるまでずっと顔に張り付いているのだった。



ウーヴェが運転する車でいつものようにゲートルートに向かい、これまたいつものように忙しさの中でも明るさを失わないベルトランに出迎えられる。

「良い所に来たな、キング!今日は最高のチーズが手に入ったからラクレットにするか?」

「いやっほぃ!オーヴェ、ラクレットだってさ」

「良かったな」

いつも二人が座る窓際のテーブルに向かいながら満面の笑みを浮かべるリオンを眩しそうに目を細めたウーヴェが見つめ、ラクレットを早く食べたいと急かす恋人に苦笑する。

「オーヴェ」

「どうした?」

「今日は白と赤だとどっちが良い?」

メニューを見ながら問い掛けてくるリオンに首を傾げ、今日は白ワインが良いとオーダーを聞きに来たチーフに告げると、自分はノンアルコールビールを注文し、ラクレットの他に軽いものを注文する。

「オーヴェは去年のヴィーズンは学会でいなかったよな?」

頬杖をつきながら何気なく問われて小さく頷いたウーヴェは、同じように頬杖をつきながらすっかりと日暮れが早くなった街並みへと視線を向け、笑みを浮かべて通り過ぎる人達や忙しなく歩く背中を見送る。

一人で歩く姿もあれば仲間達と歩く背中もあり、その姿からどんな暮らしを送っているのかを職業病のように読み取っていた時、小さな小さな疑問符が流れ込む。

「リオン?」

「・・・・・・ヴィーズンのマスビールがまた値上がりしたんだって。酷い話だと思わねぇか?」

「本当なのか?」

「うん。コニーが嘆いてた」

リオンの愉快な仲間達と称する同僚達もどうやら年に一度の祭りを心待ちにしているようで、必要不可欠なビールの値上がりに文句たらたらだったと肩を竦めるリオンに軽く目を瞠り、それはそれは気の毒だなと笑えばオーヴェも一緒に行けば気の毒な目に遭うんだぜと、顔を突き出すように寄せて囁かれ、言われてみればそうだと苦笑する脳裏ではその言葉を明確に否定する言葉が浮かんでは消えていた。

今年だけでなくこれから先もずっと祭りに行くつもりのない己にとって、祭りの時に飲まれるビールの値段が上がろうが下がろうが関係のない話だった。

その言葉が脳裏を巡って胸の奥底に落ち込んだとき、不意に胸の中央辺りに痛みを感じて顔を顰めてしまう。

一緒に祭りに出掛け、リオンの同僚達とともに賑やかに過ごす。それを楽しみにしていると笑うリオンと一緒に行く事は出来ないのだ。

今年も、そしてこれからも。

「・・・皆に程々にしないとビールの死体になるぞと言っておいてくれないか、リオン」

「はは。本当だな」

満面の笑みで答えるリオンに覚えた痛みを悟られないように目を細め、運ばれてきた前菜のサラダを食べようと声を掛けるが早いかリオンが食べ始める。

「美味しいか?」

「うん、美味い。サラダはあんまり好きじゃねぇけどさ、ここのは好きだな」

嘘偽りのない事を示す様にあっという間にサラダを食べ終えたリオンに無言で肩を竦めたウーヴェは、同じように、だがリオンに比べれば遙かにゆっくりとそれを食べいく。

幼馴染みが経営するこのレストランには二人揃って頻繁にと言うよりは、週に一度は必ず訪れていたが、祭りの時期には来る事が出来なくなる。

その思いからワインを飲むペースも速くなるのだが、あっという間に空いたワインボトルを驚きの顔で眺めたリオンが苦笑し、もう一本お代わりを注文する。

「随分とペースが速いな、ウーヴェ」

「・・・ああ」

料理が美味しいからだと御世辞ではない言葉を告げると、エプロンで手を拭いていた幼馴染みの顔が一瞬だけ曇り、次いでくすんだ金髪を見下ろすように微かに俯いてしまう。

「ベルトラン」

「何だ?」

「ラクレットさ、テイクアウト出来る?」

最高のチーズで作ったラクレットをここで食べられないのは残念だが、多少味は落ちてもそれでも美味いだろうそれを家で食べると笑って問い掛けたリオンを二人が同じ表情で見つめ、一方は大丈夫だがと顔を曇らせ、もう一方はどうしたと心底驚いた顔で目を瞠る。

「急用思い出したから」

「そうなのか?それなら仕方がないなぁ。用意するから少し待ってろよ」

「ごめんな、ベルトラン」

そう言う事ならば仕方がないと肩を竦めた後、厨房へと戻るベルトランにひらひらと手を振り、驚愕に目を瞠るウーヴェに片目を閉じたリオンがそっと手を伸ばし、白い頬に掌を宛がう。

「家に帰るまでガマンな」

「何を・・・だ?」

「お前が今抱えてる事だ」

分かっているだろうと、お前が一番理解している事だろうとも苦笑されたウーヴェが更に目を瞠った時、リオンが今夜初めてウーヴェの前で表情を笑みから切り替える。

「刑事の目を甘く見るなよ」

ぎらりと光る青い眼に息を呑み、そんなつもりはないと漸く否定をしたウーヴェが更に言葉を紡ごうとした時、ワインボトルとラクレット、後はおまけのガレットをケイタリング用のケースに詰めたものをベルトランが運んできた為、リオンが目を細めて沈黙を促す。

正直それに救われたと内心で溜息を吐いたウーヴェが席を立って手洗いへと向かうが、その背中を見送ったリオンは、小さな溜息の音が聞こえてきたことに気付いて顔を振り向け、ベルトランが深刻な顔で腕を組む姿を発見して思いも掛けない事を告げられて目を瞠る。

「・・・あいつから目を離さないでくれないか、キング」

「どういう事だ?」

ベルトランとリオンの二対の双眸がトイレへと向かった背中を思い出すように細められるが、二人の視線が重なることはなかった。

それでも理由を問い掛けたリオンにもう一度吐息を零したベルトランは、幼馴染みの様子がおかしい事をしっかりと見抜いていたようで、リオンもそれに気付いていたと知らされて苦笑する。

「さすがはクリポだな」

「・・・オーヴェは俺がクリポだって事をすぐに忘れるようだけどな」

「そう・・・だな。・・・なぁ、キング。あいつを頼む」

ベルトランの切羽詰まったような声に一体何が心配なんだと目を細めると、お前と付き合い出してからは明るくなったとぽつりと呟かれて口を閉ざす。

初めて出逢ったのは不幸な事件の最中だったが、その事件に関連して顔を合わせた時は取っ付きにくい皮肉屋な冷たい男だと思っていた。

だが最初は友として、そして恋人として付き合い出してから大小様々な出来事を二人で経験し、それでも今傍にいられる様になる度に互いを深く知るようになった。

そして恋人の何処までも深く広い情愛を知り、付き合い出した頃とは比べものにならない程の思いを抱くようにもなっていた。

その思いから大丈夫だと告げれば、頼れるのはお前だけだと言うように見つめられて内心かなり驚いてしまう。

自分とよく似た表情や陽気さでいつも出迎えてくれるが、こんな表情は今まで見た事はなかったし、ベルトランは付き合っている自分よりも恋人の過去を知る男なのだ。その人物に頼むと言われればやはり驚きは隠せなかったが、辛うじてそれを胸中で押し止める。

「あいつを頼む、キング」

「俺は絶対にオーヴェを独りにしない。────安心して良いぜ、ベルトラン」

クリポの目で頷いた後、誰もが安心して任せられると思う顔で笑ったリオンは、頬杖をついてラクレットをどうすれば自宅でもここと同じように美味く味わえるんだと問い掛け、戻ってきたウーヴェにお帰りと笑顔を見せる。

「そうだろうと思ってこれを入れておいたから使えよ」

袋から取り出されたのは小さなラクレット用のフライパンで、リオンが顔を輝かせてウーヴェを見つめれば、深々と溜息を吐きながら分かったと頷く。

「いやっほぃ! これでラクレットが無駄にならなくて済む!」

「良かったな、キング」

椅子に座らずに背もたれを優しい手つきで撫でながらウーヴェが友人に謝意を伝えると、リオンが小さく伸びをして立ち上がる。

「ダンケ、ベルトラン。またゆっくり来るな」

「おぅ、そうしろよ。・・・ウーヴェ」

「何だ?」

「ガレットも入れておいたから二人で食えよ」

ベルトランが笑顔でウーヴェの肩をぽんと叩くと、リオンがそれも食えるのかぁ、今日は幸せだなぁと言葉通りの表情で宙を見つめた為、幼馴染み達が顔を見合わせてどちらもほぼ同時に苦笑する。

「じゃあまたな!」

荷物を持って笑顔で片手を挙げたリオンに続く様に小さく手を挙げたウーヴェは、一足先に店を出たリオンに視線を向けた後、素早くベルトランの腕を掴んで引き寄せる。

「────リオンには言わないでくれ」

「・・・もう良いじゃねぇか。あいつなら大丈夫だろ?」

幼馴染みの様子がおかしい事を見抜いていたが、それが間違いではない事を切羽詰まった様子とレジの卓上カレンダーから理解したベルトランは、もうあいつに黙っている事は無いだろうと語気を荒げるが、ウーヴェの白っぽい髪が左右に揺れたかと思うと、頼むと悲痛な声で告げられて口を閉ざす。

これから暫くの間、リオンには何も告げずに姿を隠すが、頼むから自分が不在の訳を言い繕ってくれと眉を寄せるが、そんなウーヴェにベルトランも苦しそうに顔を顰める。

「去年は付き合いだしたばかりだから誤魔化せたが、あいつが聞いてくれば知らないぞ」

「バート・・・っ!」

家族以外ではウーヴェの身に起きた不幸な事件の顛末を唯一知るベルトランがやるせなさを隠さないで舌打ちをし、畳み掛けるように名を呼ばれて頭を振る。

「もう終わりにしろよ! 一番の被害者はお前だろうが!」

「─────彼らは今どこにいる? 俺だけが・・・生きている」

俺に関わったせいで強制的に生を終えさせられたのだ。その償いは一生しなければならないだろう。

ウーヴェの言葉にベルトランが息を飲み、言いたい言葉が出てこないもどかしさを隠さないで頭を振るが、頼むからリオンにだけは行き先を言わないでくれと懇願されてきつく目を閉じる。

お前が心底愛する人間にいつまでも過去を黙っていられるはずがない、そしてその男は間違い無くお前の過去を知っても逃げ出すこともなければ手を離すこともない。それだけの信頼関係を今まで二人のペースで築いてきたのだろうと告げたかったが、今は何を言っても無駄だと気付いたベルトランがグッと口を閉ざすと、ウーヴェが何もかもをも諦めたような笑みを浮かべて店を出て行く。

その姿を見送ったベルトランは、一部始終を見ていたチーフの視線に気付くが、それに答えることも視線を向ける事もせずに厨房へと戻り、他の客の為の料理に取りかかるのだった。

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