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野々さくら
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#高校生
しらぬい
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奇跡の目覚めから一週間。時間はあまりにも穏やかに、しかし確実に進んでいた。
最終選考に選出された。あいつの意識が戻った時、母親は一番にそれを告げたらしい。
すると途端に閉じかけていた目をパチリと開かせ、口をパクパクさせ、スマホを手に取ろうと手を伸ばした。
それが、あの時にかかってきた電話だったらしく、俺が並木道で間抜けに呆けている間に色々と起きていたようだ。
それから見違えるように活気だったあいつは、ベッドで座れるぐらいにまで回復し、好きだと言っている苺を口に出来るぐらいになっていた。
全く、小説のことになると、なんでもありだなあいつは。
専門医が、すごい生命力だと思わず呟くぐらいにすごいらしいぞ、お前?
学校が終わり、直行するのは近所のスーパー。
文化祭の買い出しで、あいつが値引き交渉していたあの店だ。
自動ドアが開いた途端に聞こえる、ベタすぎる運動会の音楽が今日も俺を迎えてくれる。
早く終わってくれねーかと思いつつ果物売り場に寄っていつものを手に取り、レジに向かう。
会計が終わりサッカー台で袋詰めすると、目に付くのは昨日まで居なかったカボチャの化け物。
スマホを向けるブレザーを着た女子共が、「エモい!」と言いながら写真をパシャパシャ撮ってる。
……そんなもんなのか?
じっと眺めるが、どう見てもただのカボチャが、変にくり抜かれて帽子と変な布を被らされているようにしか見えねぇし、女子の考えなんか全く分からねーな。
『これ、可愛いっー!』
不意に過った、鈴の音が鳴るような声。
確か二年前、文化祭の買い出しの下見にきた時に、女子らがギャアギャア騒いでいたよな。
『毎年、帽子と服が変わるんだよ!』
あいつ、嬉しそうに言ってたな……。
去年は入院していたらしいし、今年も当然ながら見ることは出来ないだろう。
『ご自由に撮影してください』
素通りしたはずなのに、その一文が目につき、スルスルと引き戻されていく足取り。
いやいやいや。場所見ろよ? 周り、どんだけ人居ると思ってんだ?
こんな女や子供が楽しむもん、俺がスマホ向けたらヤベーだろ?
大体、あいつの母親が見せるかもしれねーし、俺がしなくても……!
スーパーの自動ドアが開けば、淡い青色が一面に広がっていた。
雲一つなくて、差す光りは優しくて、風に乗ってくるのは甘い金木犀の香り。
『うーん、良い香りだねー! 私、この季節大好きなんだー!』
また過ぎる、天真爛漫な声。
前を歩いていた俺は思わず振り返り、チラッと目を向けちまった。視線が合った途端にあいつは華のような笑顔を返してきやがって、俺は……。
……って。いやいや、匂いは持っていけねーからな!
左手のスーパーの袋、右手のスマホ。それらを強く握り締め、火照った体は柔らかな風に吹かれる。
ピリリリリ、ピリリリリ。
俺の手元より鳴る、メッセージアプリ以外の着信音。
前までどーでも良かったが、今はその音を聞くたびに心臓が跳ね、全身まで広がっていく。
大丈夫だ、どうせくだらねぇ迷惑電話とかだからよ。
喉の奥より湧き出てくるムカムカとしたもんを抑え、スッと息を吸った俺はスマホに視線を向ける。
……余計に心拍が上がっていくのが、全身で感じられた。
せっかく気持ちを落ち着かせたと言うのによ、どうしてなんだよ?
表示された名前はあいつの母親で、何度も鳴る着信音が事実を受け入れろと言うようにやたら大きく聞こえてきやがる。
おい、まさか。
とりあえず、落ち着けよ。昨日も笑ってただろ。大丈夫だし!
いや。でも……。
記憶にあるのは遠いもので、俺が学校に上がる前だった。初雪が降った日、母さんの面会が終わり、あの人と家で夕飯を食ってるぐらいだった。
電話に対応したあの人が、突然その場に崩れたのは。
母さんは急変だった。
昼に会った時、クリスマスに合わせて家に帰ると笑っていたくせに、いきなり呼吸が止まって、そのまま。
人間の命は、あまりにもあっけない。
余命半年だと宣告されていた母さんは、|俺《息子》がランドセルを背負った姿を見られると喜んでいたらしい。しかし結局それすら叶わず、母さんは俺達が駆け付ける頃には救命処置を受けていて、泣き叫ぶあの人と、立ち会えなかった俺がいた。
呼吸は荒くなり、心臓が痛い。
頼む、母さん。あいつを守ってくれ。あいつの物語を、まだ終わらせないでくれ。
大きく息を吐き、震える手で通話ボタンにそっと触れた。
『もしもし。藤城くん、ですか? ……未来の母です』
受話口から聞こえるのは、嗚咽を漏らした声だった。
あいつの母親は、幼少期より病気を抱えた娘を支えてきた強い人だった。
俺に病気について話してくれた時も冷静で、病状の進行に関しても冷静に話してくれる人だ。そんな人が、ここまで取り乱すなんて。
「はい」
息を呑み、目を閉じ、唇を強く噛み締める。
全てを受け入れる覚悟で──。
「……えっ?」
あいつの母親にはしっかりとした受け答えをすると決意していたのに、出てきたのはあまりにも気の抜けた間抜け声。
でもよ、今はそんなことどうでもいい。
車道を過ぎる車の音も、サワサワと鳴る木の葉の音も、すれ違っていく奴らのうるせぇ声も。全てが聞こえず、その事実だけが脳内に響き渡っていた。
スマホをポケットに突っ込んだ俺は、一目散に走り出す。
喉が焼けそうに痛くても、息切れを起こしても、足が痛くても。
あいつに会いたい。あいつに。
ただ、その一心で。
病棟に着くと、そこには俺を見かけて笑いかける。あいつの母親。
ことの経緯を聞き、そんなことも知らなかった自分に呆れ。おそらくあいつも知らずに十月中旬まで待っていたのだろうと、なんか笑えてしまう。
そして、俺にこんな大役を任せてくれるなんて。
あいつの母親に頭を下げて、病室に向い、ノックをする。
前の時、俺は失敗しちまった。
だからこそマスクをしっかり付け、制服や髪が不潔になっていないか確認し、風邪とか引いてないよな? と自問自答をする。
そして何より、女子の部屋には勝手に入らない。どんな時でも。
「直樹くん?」
「ああ! 入れろ!」
「……え? あ、うん。どうぞ」
いつも以上に荒い声に、あいつは戸惑ったような返しをしてくる。ドアを開けると分かりやすく、目をキョロキョロさせてきやがる。
「直樹くん、今日早いね? それに、すごい汗。どうしたの?」
いつもと同じ鈴の音を奏でるような可憐な声に、俺の胸に浸透していく安堵感。
ああ、こいつは今日を生きている。
そう思い、深呼吸を繰り返した。
「いいか、落ち着いて聞けよ?」
俺は、ベッドに座っていたこいつの肩をそっと掴む。驚き過ぎてぶっ倒れちまったら、元も子もねぇ。こいつはこれから、新たな闘いが始まるのだからよ。
「え? あ……。もしかして、結果出た? ……予定より早くて、見逃してたみたい……」
眉を下げ、大きな瞳を逸らし、口角がどんどんと下がっていく。
「……仕方がないよね。みんな頑張ってるから、負けても。それに最終選考に残れただけでも、私は……」
無理に作った笑顔と、Vサインを向けるこいつ。
何度となく、見てきた姿。だけど、やっと今回見られるようだ。
諦めなかった者だけが辿り着く、頂点で輝く姿を。
「バカヤロウ! 大賞だよ! お前の作品、書籍化確約だってっ!」
感情のまま、ただ叫ぶ。
「えっ? ええっ! ……あ、待って。えっと……」
震える指でこいつが操作しだしたのはスマホで、映し出されたのは小説賞の選考欄。まだ最終選考のままで止まっており、「何かの間違いじゃあ……?」と、声を曇らせる。
「俺も知らなかったんだけどよ。公式発表前に受賞者に連絡しているらしいんだ。実は最終選考が出る前にも連絡がきてたって、お前の母さんが言ってたし」
未成年者は連絡先を保護者にするという出版社の方針で、母親の番号を記載して応募していた。
そして今回、受賞だと出版社から電話があったらしい。
……まあ、普通に考えたら事前連絡なんて当たり前なんだけどよ、そこまで行ったことのない俺には想像もしたことない遠い世界の話だった。
「さあ、これから大変だぞ!」
俺の言葉に口元を抑え、目が泳ぐ。
突然のこと過ぎて、話についていけないようだ。
しばらくし、俺の顔をまじまじと見つめていたその瞳から、宝石のように美しいものがポロポロと落ちていく。
こいつの中でようやく受け止められたようで、感情が溢れていく。
「直樹くん……、ありがとう。わたし、私が、ここまで……、これたのは……」
そう言い、俺の背中に手を回してきてギュッと力を入れてきた。
俺は、その小さな背中をただ包み込んだ。