テラーノベル
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チャイムが鳴っても、誰も動かなかった。教師が来ないのは“調整された日課”だった。
この時間の主導権は、生徒たちにある。
──正確には、命令する側と命令される側の、だ。
「──ほら、今日もよろしく」
誰かが笑いながら言う。
名指しはない。けれど全員が、誰のことか知っていた。
窓際の席から、遥がゆっくり立ち上がった。
何も言わずに、何も問わずに。
そこに“選択肢”はない。
ただ、順番に従うことだけが役割だった。
「昨日の“声”、ちょっと弱かったよ?」
女子の一人が、明るく笑った。
頬杖をついて、クスクスと。
「ほら、“気持ちいいふり”のやつ。ちゃんと練習しよ?」
笑いが教室を満たす。
誰もが、舞台の“役者”と“観客”を同時に演じていた。
遥は、声を出した。
──ひくり。唇の端だけを持ち上げて。
そして、笑う。
「……あぁ、そっか。“昨日の”か」
自嘲とともに、自分を商品化するような声色。
わずかに首をかしげ、視線だけで“誰に見せるのか”を確認する。
「じゃ、ちゃんと“抜ける”ようにやんなきゃな」
舌先が、言葉の輪郭をなぞるように動いた。
──その瞬間、数人の男子が笑いを堪えられなくなる。
机を叩く者。スマホを掲げる者。
「いいね、マジでうまくなったよな」「なんかもうプロじゃん」
遥は“わかっている”。
どの言葉が笑いを引き、どの動作が命令の前借りになるか。
だからこそ、演じる。
「ほら、“喘ぎ声”ってこれくらいでいいの? “ねぇ、もっとして”って感じ?」
視線は誰にも合わせない。
けれど、全員に届いている。
笑い声が上がり、誰かが近づいて──
遅れて入ってきた教師が、その空気を嗅ぎ取り、
何も言わずに出ていく。
机に押し倒される真似をしながら、
遥は笑っていた。
──もう、誰も止めない。
止められない。
遥が“自分で壊れている”ように見える限りは。
その奥にある、“本当の破壊”に気づこうとする者は──
もう、いない。
日下部でさえ──
その目で見るだけで、触れない。
遥は、机の上に額をつけながら、静かに笑った。
口角が上がっている。
でも──喉の奥では、息が詰まりそうな音が、ずっと鳴っていた。
(“選んだふり”って、楽だよな。
でもこれ、どこまでやったら終わんの?)
終わりは、ない。
誰も止める資格を持たない。
遥自身が、“止めない”と決めたから。
──ただし、その決意の根にあったのは、日下部の言葉だった。
あの日、かけられた“悪意なき一撃”。
その痛みだけが、遥の中でまだ燻っている。
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