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1 微熱
「たまの休みくらい、豪勢な夕食でも作りますかっと!」
朝方帰宅し、同時に出社する親友を見送った伊奘冉一二三は、仮眠を済ませて買い物の算段をしていた。
こう見えてもぉ〜俺っち家事が大得意なんだよね〜!
「およ」
両手を上げ、ぐっと背伸びをしたところで、メールの着信に気付く。
ついでとばかりに首を左右に伸ばしてから、一二三はスマートフォンを手に取った。
「んーどっぽちんか。なになに……」
『すまん。今日、後輩を連れて帰ってもいいか?』
「へー!なんか珍し!『おけまるー!オムライスとポテサラ作って待ってんね★』っと」
独歩も立派に先輩やってんだなーとしみじみしながら、次のメールに目を通す。
『助かる。業務の引き継ぎがあるんだが、社内メンテナンスの関係で停電するらしく、会社に残れないんだ……』
「帰って来てまで仕事かよーっ!」
明日は土曜日だぜ?華金だぜ?
どっぽちん……後輩クンもか……
これは、アルコールも用意せねばなるまい。
ツマミはどうしようか、と唇に指を当てたところで今度は電話の着信音が鳴り響く。
「もっしー」
『あっ……一二三か?』
ずーん……と、暗いくぐもった声が聞こえる。
何かあったのだろうか。
「正真正銘俺っちだけど……どしたん?」
わざと明るく応えると、今度はふーっと長い溜め息が返ってきた。
溜め息はいつものことながら、今日はいつものように遅くならないはずだが……
「独歩?」
『すまん。一二三。その……』
「えっ、なになに?」
勿体ぶった様に言い淀む声に被せて次の言葉を催促すると、沈黙の後、再び溜息が聞こえてきた。
『その、な。後輩っっていうのが、女の子なんだ』
自販機の横の壁に向かい合うように頭を預け、観音坂独歩は本日何度目になるかわからない溜息を吐いた。
「先輩?大丈夫ですか?やっぱり、リモートにしましょうか?」
少し顔を動かすと、可愛らしい瞳がこちらを覗いていた。
「あ、ああ。すまない。大丈夫だ」
「でも……事情が事情ですし……あ、うちに来ますか?」
良いこと思いついた!と、後輩の陽葵は、両手を勢いよく上げた。
所謂【ぶりっこ】……
しかし仕事もそつなくこなし、気も利く頭の良い子だ。
愛されキャラと言うやつだ。
(俺なんかには、ほんと勿体無いくらい良い後輩だよ)
『観音坂ぁ。お持ち帰りされそうになってんぞ〜』
近くにいた同僚のヤジが入る。
「失敬な!独歩先輩なんて襲いませんよ!セクハラで訴えますよ」
まったくもう!と、ぷりぷりする後輩を横目に、独歩は今後起こりうるであろうありとあらゆる最悪の展開に考えを巡らせていた。
夕飯を食べて、後輩女子の家で仕事の引き継ぎをしてってなると、終電無くならないか?
陽葵は優しいから、当然俺を泊らせる。
何も起こらなかったとしても、後日根も葉もないセクハラで訴えられたり、はたまた変な噂が立って左遷……もしかしたらクビ!……はっ!それはうちに招いても同じことじゃないのか?ああ俺はもう駄目だおしまいだ……何もかも俺のせいなんだ……俺が俺が俺が——
「せんぱい?」
「はっ!」
気が付くと、下から顔を覗き込んだ陽葵が、ハンカチで汗を拭ってくれていた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。すまない」
「もー。このやり取り、五億回くらいしてますよ!」
ハンカチで口元をおさえながら、陽葵が笑う。
豪快なのか、お淑やかなのか、よくわからん奴だ。
(でも、すごくいい子なんだよな)
こんな会社……いや、俺なんかの下にいてもいい人材ではないのではないだろうか。
「先輩。仕事できるんですから、その直ぐ沈む性格直した方がモテますよ」
——でも、そのお陰でわたしたち社畜は救われてるんですけどね——
先週のラップバトルの映し出されたワイドショーを観ながら呟いているのを、独歩は聞き逃さなかった。