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この作品は6章配信前に執筆したものです
よって捏造が多く含みます。本編と異なる内容に不快感を感じる方の閲覧は推奨しません
君がため 惜しからざりし命さへ 長くもながと思いけるかな
──藤原義孝 百人一首より
*
「ゼッテーおかしいって」
オンボロ寮の談話室のほつれの目立つソファにどかりとふんぞり返りながら、エースは唇を尖らせた。
「ここまでくると……流石にな」
デュースもきょろきょろと周囲を見回しながら頷く。
二人はこのオンボロ寮に在籍する一人と一匹の姿を探している。魔法史の課題に困っているであろうという適当な理由をこじつけて部活の終わった途端にオンボロ寮に走ってきたのだ。
しかし寮の扉を開いてみればそこには無人の廃墟と化したオンボロ寮が静かに佇んでいる。
「いつもならグリムとユウは夕飯の準備してるハズだろ? グリムはこの時間だったら腹空かしてここでゴロゴロしてるっつーのに」
ソファに身を預けながら不満げにエースは呟く。
「休み時間になった途端に急ぎ足でどこかに行っちまうしな……ここのところ放課後でユウとグリムの姿を全く見ない……」
デュースは腕を組みながら溜め息を吐く。
すると背後から扉の開く音。
エースはソファから跳ねるように腰を上げ、デュースは扉に駆け寄る。
「うわっ!」
しかし扉の向こうに居たのは探し人ではなく愛らしい姫林檎。
「エペル?」
「ジャックにセベクも。ユウに用か?」
扉の向こうに立つ三人組は意外な人物の登場に目を丸くした。
「えと……僕はヴィルサンから頼まれてコレ、ユウクンに届けに……そしたらジャッククンとセベククンに居合わせて……」
エペルが差し出した小さなバスケットの中には化粧水やら美容液やらが入っているであろう小瓶が詰められている。ヴィルが書いたであろう、手紙も挟んであった。
「俺はこの前のような事があって流石に心配になってな……ユウの奴も堪えたと思って様子を見に来た。最近様子おかしかったろ?」
ジャックはやや顔を反らして素っ気なく答える。
「僕は若様の遣いだ! 若様もあの人間を気にかけておられたからな! 友人である僕が相応しいだろうと若様から直々に使命をいただいた! 故に顔を出したまでだ!」
セベクは相変わらずの堅苦しい口調を大声で話す。
「俺らもそう!」
エースはジャックとセベクに頷く。エペルは身を乗り出すエースに目を丸くしている。
「エペル、そのバスケット、ひとまずは談話室に置いておこう。今、ユウもグリムも留守なんだ」
「ああ……やっぱり」
デュースの言葉にエペルは頷く。彼もここ数日のユウの様子を気にかけていたようだ。
「……とりあえず、中入れよ皆」
「お前の寮じゃないだろ……」
エーデュースの誘いに、呆然としつつも成り行きで三人はオンボロ寮の敷居を跨いだ。
*
「……という訳で俺達はここでアイツらを待ってたって訳」
エースの説明にそれぞれ思考を巡らせて居るのか唸った。
「……そのことなんだけど」
エペルは恐る恐る手を挙げる。
「僕も気になって、ヴィルサンに相談したんだ。ユウくん、あの日から様子が変って」
「……で、ヴィル先輩は何て」
エペルは背筋を伸ばして続ける。どうやらヴィルの真似らしい。
「あんな子じゃがの事気にしている余裕があったら、まず自分を磨きなさい……って……」
「はは……ヴィル先輩らしいな」
デュースは笑いながら相槌を打つも、エペルはでも……と言葉を続けた。
「……ヴィルサン、何か知ってるみたいだったんだよね」
「どーいう事?」
エースは片眉を上げる。
「僕が相談した時、何というか、こんな相談してくるの分かってるような感じで微笑んでたんだ。いつもの余裕そうな笑い方じゃなくて、何かこう……優しげだった」
一同は再び唸る。
「その様子じゃあ、ヴィル先輩に話を聞く方が手っ取り早そうだな」
ジャックは微笑んで続けた。
「あの人がそんな顔して答えたっつーんなら、俺達が考えるよりはそう深刻な事じゃあないだろうな」
「流石は幼なじみだな」
デュースは少し胸を撫で下ろしたように頷く。
「しかしあの人間はやはり要注意だ! 何せ幾度もオーバーブロットの事件に関わっている! 若様は非常に気にかけておられたぞ! 此度のイデア・シュラウドの件も然り!」
セベクの言葉に再び一同は表情を堅くした。
「そこなんだよなあ……」
エースも頷いた。
セベクが言う、イデア・シュラウドの件。先日、オーバーブロットを起こした本人の名だ。
全国魔法士養成学校総合文化祭も終わり、三年生に迫るインターンの季節となったナイトレイヴンガレッジに起こった事件の事だ。
シュラウド家の呪い。イデアが弟と呼ぶロボットのオルトと二人で一人として学園に入学した経緯。そしてイデアの過去。
それまで謎に包まれていたイグニハイド寮長の素顔が学園に明るみに出た。
それまで数々の事件に関わってきた監督生だったが、仲の良いオルトとその兄のイデアの問題は彼女の心に大きなダメージを与えたのは想像に難くない。
「……授業は出てるし、パッと見いつも通りではあるんだけどよ……」
エースは頭をポリポリと掻きながら目を伏せた。
「監督生、仲良くなったばかりのオルトとシュラウド先輩の境遇を気にしてたからな……特にオルトはグリムも随分と気に入ってたからな」
デュースもそう言うと再び溜め息を吐いた。その後、一同の間に沈黙が流れる。
「あ!だったらさ……」
エペルがポンとこぶしを手のひらに当てる。
「エースクンとデュース、ユウクンの連絡先知ってるでしょ? 電話してみたら?」
エペルに視線が集まる。
「……いや、そんなのとっくにやってるだろ? あの二人なら」
「機械に頼らない僕でもすぐに思い付くぞ」
「……あ……アハハ、そうだよね」
ちらり、とエペルはサファイア色の瞳をエーデュースに向ける。
『それだあああああああ!』
二人は一斉にスマホを取り出す。
「そうじゃん俺らアイツのメアド知ってたわ!」
「電話なんて滅多にしないからな! ありがとな! エペル!」
その二人の様子を呆然と眺めながら、ジャックは呟いた。
「……やっぱりアイツらバカだ」
*
スマートフォンが震えている事に気付き、ユウは懐をまさぐる。イグニハイド寮談話室の独特な青い電飾がユウの指を青白く照らす。
「わ! デュースから着信! エースからメールも来てる! 何かあったのかな?」
ユウはちらりと視線を向ける。その先には、小さなバスケットを手に困惑するイデア。そして美容品の使い方を淡々と説明していたヴィルの姿があった。
「な……何故拙者を見るでござる?」
「いや、あの、話し声とか苦手かなって思いまして……」
イデアは視線を泳がせるとあやふやに頷く。
「いいから早く出なさい。どうせまた厄介事でも押しつけるつもりでしょう?」
ヴィルは呆れた様子を露骨に態度に出しながらイデアに向き直る。
「ええと、じゃあすみません、ちょっと電話に出ますね、イデア先輩」
ユウはそう言うと、席を立ち、談話室の片隅に駆け寄る。
「もしもし、デュースどうしたの?」
『ああ! やっと掛かった! ユウ、今どこにいるんだ?』
デュースの口調は随分と焦っている。
「今どこって……」
『心配したんだからな! 今エース達とオンボロ寮に居るんだが、一向に帰ってこないじゃないか!』
「ええ? なんでまた……」
『とりあえず、今何処だ? 迎えに行ってやる!』
「ええっと……」
ユウは頬を掻きながら言葉を濁す。
「いや、いいよ。僕とグリムは今、イグニハイド寮に居るんだ」
『イグニハイド寮だと? どうしてそんな所に!』
電話の向こうがざわつく。
「いや……その、からかわないでね?」
デュースが頷く声。ユウは深く溜め息を吐く。
「実は……イデア先輩に夕飯作りに来てるんだ」
『夕飯?』
「うん……あはは」
『笑い事じゃないぞ! もしかして、前の件の口止めで幽閉されてるのか?』
「いやいや! そうじゃないよ。ただ……」
ユウは言葉を切る。本当は秘密にしておきたかったのになあ、と内心で呟くと、観念して続けた。
「僕が和食作るの得意って話したら、オルトくんに必死に頼まれちゃって……それに僕も心配だったし。イデア先輩、これからインターンがあるんだし、体力つけてほしいからさ。こうしてグリムの部活が終わったらイグニハイド寮に来るようになったんだ」
『…………』
電話の向こうが刹那沈黙する。すると次に返ってきたのは、笑い声だった。
エースにデュース、それにセベクの大声やエペルのきらきらとした笑い声も聞こえた。
「え? セベクにエペルもいるの?」
『俺も居るぞ』
返ってきたジャックの素っ気ない声に唖然とする。
「え……皆勢揃いで僕らを待ってたの?」
『まっさかー! 偶然居合わせただけだっつーの! 自意識過剰すぎんだろ!』
エースの軽い口調に戸惑いつつ、きょろきょろと辺りを見回す。グリムはオルトとイグニハイド寮を探検しているため談話室にいない。
「とにかく……僕だけでもオンボロ寮に戻ろうか?」
『良いってことよ! それじゃ、ごゆっくりぃ』
エースの言葉を最後に通話は切れた。ユウはぽかんと目を丸くしたままスマートフォンの画面を見つめた。
「お話は終わり?」
振り向くと、ヴィルはクスクスと笑いながら腕を組んでいた。
「はい……」
「あの……ユウ氏?」
イデアはおずおずとユウの顔色を伺う。
「僕の事はいいから、寮、戻ってあげなよ……友達、心配してるんでしょ?」
「いや、まだ夕飯の準備もしていないですし……それに元はと言えば、説明しなかった僕が悪いですから……」
すたすたとイデアに歩み寄ると、ユウの薄い手のひらがイデアの肩にぽん、と置かれた。
「ああ、そうそう。コレ、良かったら参考にして頂戴」
ヴィルは制服の内ポケットから紙切れを取り出す。
「これ……」
「アンタの事だしワンパターンな食事くらいしか作れないでしょう。アタシが昔食べて良かったと思った和食の献立、幾つかここに書いてあるから」
「わ! 助かります! ありがとうございます!」
ユウはぺこりと頭を下げると、ヴィルはフフ、と笑みを挟んで踵を返す。
「それじゃ、邪魔物はお暇するわ。ごゆっくり」
「え! 良ければお礼に夕食、ご一緒したかったんですが……」
ヴィルはふるふると頭を振る。
「嬉しいけど、遠慮しとくわ。寮務もあるし」
それに……とヴィルは口角を上げる。
「ご家族の時間を邪魔しちゃ悪いから」
へ? と二人は間抜けな声を揃えた。そのまま高い靴音が遠ざかり、談話室は静まり返る。
「とっ……とりあえず……コレ僕の部屋に置いてくるね」
「はい……僕も夕食作ってきます」
視線を反らす二人に反して、グリムの上機嫌な歌声が近づいてきた。
*
「なぁんだよ……人騒がせなヤツ」
「全くだ!」
オンボロ寮の談話室。通話を終え、場の空気は一気に緩んだ。
「まあ、アイツの事だしな。よっぽど困ったらあっちからお前らに頼ってくるだろ」
ジャックはそう言うと、談話室の扉に向かう。
「俺はこれで失礼するぜ」
「僕もそうしよう! これで若様に良い報告が出来る!」
次いでセベクも談話室を後にする。
「俺も帰ろっと」
「そうだな。門限までは……うわ! もうこんな時間だ! 急げ、エース!」
「ヤッベ! また寮長に首跳ねられるー!」
エースとデュースがバタバタと出口に向かう。その後ろ姿をクスクスと笑いながら眺めるエペル。
「あれ」
エペルは、視線を落とす。手に持ったままのバスケット。
「……そう言えば、美容品のこと、ユウクンに言うの忘れちゃった……」
エペルはそっと談話室のテーブルにバスケットを置く。
「……ヴィルサン、何で突然ユウクンにコレ渡そうとしたんだろう……」
*
「いっただっきま~す!」
イグニハイド談話室に響くグリムの元気のいい声。次いでイデアもぼそりといただきます、と手を合わせた。
「今日の献立はいつもより海藻系ミネラルが多めだね!」
オルトは食事の栄養成分の分析を欠かさない。ユウはオルトの力も借りて献立を考える重要なサポーターだ。
「ヴィルのヤツは相変わらず口うるさいんだゾ~」
グリムはツナとマカロニのマヨネーズ和えサラダを頬張る。グリムにツナは欠かせない。油が多い食材だけにヘルシーな献立に組み込むには扱いが難しく、ツナを扱う献立はオルトの力も借りて試行錯誤している。
「そんなこと言っちゃダメだよ、グリム。ヴィル先輩には感謝しなきゃ」
ユウははじめて作ったひじきとニンジンの豆腐ハンバーグの味に満足した。食の細いイデアでも無理無く食べれるように癖の無い料理を選ぶ。
ちらり、とイデアに目を向ける。細々と箸を操るも、以前より食が進んでいる。はじめて料理を振る舞った時はそれぞれの料理をほんの一口、二口つまんだ程度だった。ユウは嬉しさに頬を熱くする。ふと、イデアと視線が合ってしまい、即座に反らした。
「それにしても、談話室なのに人居ないね」
慌てて何か話題を持ち上げる。
「そう言えば、メシの途中誰とも合わねーな」
グリムも口周りに食べかすをくっつけながら辺りを見回す。
「イグニハイド寮生は、あんまり談話室に集まらずに自室で食べる人がほとんどだからねぇ」
オルトはふよふよとユウとグリムの間に寄る。
「そういや”陰キャ”? ってヤツが多いって聞いたゾ」
「そうだねぇ、僕はそんなことないって思うんだけど……お話しすれば皆いい人達ばっかりだもん。皆兄さんの事、凄く尊敬してくれるし」
せっかく広くて綺麗な談話室があるのにもったいないなあ、と思いながら、ユウはしいたけとえのきの味噌汁を啜る。
「……うちの寮生は」
視線がイデアに集中する。その視線から逃げるように目は伏せたまま、イデアは続ける。
「ここを使うとしたら研究とか、機材の調整に使ったりはしてる……そもそも食事をとる場所とは多分思ってないかも」
グリムはほあ~と声をあげる。
「オメーらの寮のヤツらは随分と研究熱心なんだゾ」
オルトは何か嬉しそうに頷く。
「魔法工学を勉強するってなると、色々な機材を使うからね! ここなら一式揃ってるし!」
「……まあ、だから食べた後は綺麗にしといて……僕が言えたことじゃないけど……」
「そうだよ兄さん! お部屋はちゃんと綺麗にしないと!」
ユウはつい箸を止める。イデアが食事中に会話をするのは初めてだったからだ。
イデアは再び箸を細々と進める。大成功した豆腐ハンバーグは既に半分も減っていた。
*
「全部食べてくれた……」
ユウはシャワーを浴びながら、空になったイデアの分の食器を思い浮かべる。イデアの食事量に合わせて調節してきたのが吉となったか、彼の食欲が上がったのか。いずれにしろ、ユウにとっては嬉しいことには違いない。
エペルが置いていってくれたのだろう、ヴィルより届けられたシャンプーやリンス、トリートメントといった類いのものを順々に蓋を開けていく。浴室中に花の香りが広がり、ユウの嬉しさに拍車を掛けてくれた。
「次の映画研究会の打ち合わせ、いつだったっけ……」
トリートメントを髪に馴染ませるために、キャップを付け、以前の合同合宿の際にヴィルから預かったバスローブを羽織る。
浴室からあがり、自室に戻り、スケジュール帳を開く。既に二週間後に迫った日程を確認すると、次いで机の上に置いた一冊の小冊子に目をやる。
手にとって、最初の一ページを開く。
元の世界の記憶の中で、最も美しいものがユウの目の前に現れた。
一つの短歌だ。
この短歌を基盤に繰り出される恋愛映画をヴィル率いる映画研究会の部員達が製作を進めている。
それも他校の演劇部と交流を目的に、主演はヴィルと女優を勤めるある程度世間に名の知れた他校の女子生徒という、大がかりなプロジェクトだ。
機材持ちという名目で、ユウもそのプロジェクトに参加する運びとなった。
打ち合わせは、その参加校の生徒達とのものだとヴィルから伝えられていた。
他校の生徒とは言え、外部との交流になる。その為、参加する生徒は徹底的なスキンケアをするようにとヴィルからお達しが来たと言うわけだ。
「それにしても……」
ユウは思わずトリートメントの事を忘れて冊子を熟読した。
「イデア先輩の脚本、凄いなあ……」
小説とは違い、名前と台詞の並ぶ脚本ではあるものの、ユウにとっては最高の読み物だった。
ユウは以前、イデアにこの短歌を教えた。
きっかけは、オーバーブロットの事件であり、そこから親しくなったオルトにグリムが勉強を教えてくれと懇願した事であり、ついていった自分がお礼にと、イデアに数少ない、元の世界での美しい思い出の一部を共有したのだ。うろ覚えの知識ではあるものの、イデアはしっかりと聞いてくれた。
「他の寮長だったら……どんな反応するだろうなあ」
いや、とユウは頭を振る。きっと教えなかっただろう。自分にいつも厳しく、辛い境遇を幾度も乗り越えてきたヴィルにさえ、きっと教えなかっただろう。
「あ~……」
ユウは天井を仰いだ。と、同時にようやくトリートメントの事を思い出して浴室へと足早に戻った。
*
「は~……」
イデアはトリートメントを雑に洗い流すと手早くジャージに着替える。言い渡された美容液を面倒くさそうに塗ったくるとベッドに倒れ込む。
「シャワー浴びるだけで重労働だってのに……更に意味わかんない液体を顔やら身体やらに塗れなど陰キャのすることじゃないですぞ……」
イデアは鬱陶しそうにカレンダーに目をやる。オルトが書き足したのであろう。二週間後に控えた打ち合わせの日付を見上げるとすぐに枕に顔を伏せる。
「……何故に引き受けた……」
映画研究会から脚本を頼まれた。ただそれだけのつもりだった。それがいつの間にやら評価され、更には一大プロジェクトとして発展していた。
「陰キャには迷惑な話でござる……」
男子校で男子生徒同士のガチ恋愛ものを撮るとなると爆笑ものだが、今や事は大きく発展してしまった。
「まあ……気に入ってはいるけれども」
駄菓子のパッケージが散乱した机に手を伸ばして、自分が手掛けた台本を開く。
「…………」
一ページ目に堂々と載せられた一つの短歌。
どこかに発表する気もなかった落書きが偶然ヴィルに見つかり、説教の後に黒歴史ノートを広げられた。あの時こそ一環の終わりだと腹を括るも、ヴィルの反応は意外にも好評価だった。
『中々良い話書くじゃない。コレ、使わせてくれない?』
公開処刑も良いところだが、ヴィルはこれを使わせてくれたら先生達にサボっていた事を黙っててあげると言われ、渋々台本として書き直す運びとなった。
そしてこの脚本が他校でも認められ、交流と名ばかりに恋愛映画としてデビューする。
そして脚本家として、他校との打ち合わせの為に二週間後の休日を使って遠征に出る。
小遣いが貰える美味しい話とは言え、言わずと知れた陰キャのイデアには酷な話だった。
「……せめて……ユウに読んで欲しかったんだけどな……台本じゃなくてちゃんとした小説……」
仰向けになったイデアは顔に広げた冊子を被せる。
思い浮かぶのは、暗闇から差し出された手。オーバーブロットをしたあの日、目が覚めたイデアが見た景色。優しく微笑む少女。
彼女はあれから夕飯を一緒に食べる仲になり、時折勉強を教えている。それだけだ。
たったそれだけの仲なのに。イデアは内心で呟く。
「あ~……」
*
満月の燦々と輝く夜に、二人の声が遠く重なった。
『なんで好きになっちゃったんだろう……』
*
晴れて二週間後、いよいよ他校との打ち合わせの日時と迫った日。ヴィルによって鏡舎に集められたのは、意外なメンバーだった。
脚本を手掛けたイデアと補佐のオルト。機材持ちのユウにグリム。そしてなんとエース、デュースにエペル、更にジャックとセベクが追加され、賑やかな面々での出発となる。
鏡舎に集まった顔ぶれを見回して、ヴィルは満足げに頷く。
「全員揃ったわね」
「いや……揃ったとかそう言うことじゃなくてっ……!」
「何? 文句でもあるのかしら? イデア」
「大アリですぞ……! 何でもってこんな陽キャだらけな打ち合わせになったでござるか?」
イデアはオルトの影に隠れてぶるぶると震えている。
「若様の護衛として本来勤める筈の僕をここまで引き連れた理由はいかに!」
大声で不満をぶちまけるセベク。どうやら集められた一年生にも詳しいことは知らされていないらしい。
「着いたら説明してあげるわ。さあ、早速行きましょう」
ヴィルは魔法の鏡に向き直る。鏡に光が満ち、景色が一転する。
*
穏やかな草原の中に、真っ白な教会が立っている。一目でここは、あの台本のラストシーンの撮影場所だとユウは見当をつける。
「あの……ヴィル先輩、ここって……」
「そうよ? さ、台本を開きなさい」
「え?」
「アンタもよ、イデア」
「は……はい?」
突然の注文に慌てふためく二人を呆然と見つめる一年生の面々。
ヴィルは二人に指示を与えると次いで彼らに向き直る。
「アンタらを呼んだのは言うまでもないわ。機材持ちをして頂戴」
はぁああ? と声を揃えて異義を唱える彼らに目もくれず、ヴィルはオルトとグリムに歩み寄る。
「アンタ達は撮影をして頂戴。グリム、アンタはオルトと一緒に二人の様子をしっかり観察してね」
そう話すヴィルは心なしか浮き浮きしている。
困惑する一同に、一人ジャックは顎に手を当てる。
「今からラストシーンのリハーサルをするわ。この場面は一番大切なシーンだから、一度アタシ以外の役者が演じるところが見たいの」
パン、と手を打つと、機材持ちを任された一年生の面々の方へと歩み寄る。
「あっあの……ヴィルサン、これって……」
「ふふ、まだ察しがつかないのね、エペル。ホント鈍感な子」
位置に立たされた二人は台本を手に依然と困惑している。ユウは堪らずヴィルに駆け寄った。
「あの……ヴィル先輩、話と違います!」
「あら、今更何よ」
「だ……だって今日は他校との打ち合わせって……!」
「そんなの、もう一週間前に済ませちゃったわよ」
呆然とヴィルを見上げるユウ。彼女の肩を押して、教会の真ん前に彼女とイデアを向かい合わせる。
ユウの耳元で、ヴィルは小さく呟く。
「舞台は整えたから、後は好きに演じてみなさい」
意味を問う暇もなく、すたすたとヴィルは去っていく。
所定位置に戻ったヴィルは、木陰から二人の様子を伺う。
「ヴィル先輩」
「あら? まだ何か文句でもあるのかしら、ジャック」
「いえ……」
ぽりぽりと頭を掻くジャックは、向かい合う二人を見つめると、照れ臭いのか視線を下げる。
「……ユウの事を心配する俺たちに、答えを見せてくれるんスね」
「あら? 何の話?」
フフン、とヴィルは鼻を鳴らす。やはりどこか得意気だ。
「……ヴィル先輩らしいッスね」
そういうと、ジャックは反射板を手に所定位置へと向かった。
「……」
ヴィルは、急いで台本を捲るユウを見つめる。
美容に気を付けている事は何ですか、と聞かれたのが始まりだ。ユウは文化祭で行われたVDCでも見事にマネージャーとして立ち回ってくれた。
そのお礼として、何か軽く話を聞くつもりでいたら、ユウは頻繁にヴィルに相談を乞うようになった。
その時までは、誰を思って美を求めるかなど、どうでも良かった。何より後輩が美に関心を持ってくれたのは純粋に嬉しい。
そしてイデアが書いた小説に偶然目を通して、相手を確信した。小説は書く者の精神を鏡の様に映し出す。あの純文学レベルの文章を生み出すには、作家自身が経験を積まなくてはならない。それがもどかしく進まない恋愛を書くなら尚更だ。
いや。ヴィルは目を閉じて思い出す。オーバーブロットの件で、イデアの手をとったユウの姿。あの時から、何となく確信していたのかも知れない。
孤独な異世界の流れ者と、孤独を選ぶ呪われた血の息子。どこか似通うものがあるのだろう。
そして今や、同じ釜の飯を食う者同士になるまで距離を縮めていた。
「……さあ、アタシの判断が吉と出るか、凶と出るか……果たして恩返しになるかしら」
台本を持ったまま、二人は向かい合う。
「イデア先輩……大丈夫、ですか?」
「だっ……大丈夫な訳ないでしょ……? こんなにギャラリーがいる中で、このこっ恥ずかしい台詞読まなきゃいけないとか、これこそまさに公開処刑……ああ……早く家に帰りたい……」
ですよね……と溜め息を吐いて、機材を持つ友達の所へ視線を向ける。
「頑張れよー! ユウ!」
「僕達もVDCでプレッシャーを経験したんだ! お前も出来る!」
エースとデュースは音響機材を支えながら手を振ってきた。
エペルは配線を整えながら、にこやかにガッツポーズを見せる。
セベクは大きな撮影機材を軽やかに持ちながら頷く。
ジャックは反射板を持ちながら歯を見せて笑った。
台本に目を落とす。ユウの一番好きなシーンだ。
「……それじゃあ、三十二ページ、場面六の箇所から! よーい……アクション!」
イデアは即座にクルーから目を背ける。その前には、真っ白な教会。イデアの目が、刹那見開かれた。教会の頂点に飾られた十字架。
「……僕は」
ああ、本当に口に出すのか。このセリフ。イデアは刺さる視線を感じながら、渋々口を開く。カメラに背を向けたまま、ぼそぼそとした口調で。ユウは努めて優しく寄り添うように演技した。
「……いつ死んでも良いと」
いよいよ最後の場面。あの短歌に準えた台詞に差し掛かる。自然と唇が台詞を口に出していた。
「思っていたんだ」
ユウは、今しがた頭に叩き込んだ台本の通り、相手役のイデアに視線を向け、え……? と問う。
イデアはゆっくりと、ユウに視線を向ける。目を丸くする、思い人。これが二人きりの、どこか静かな場所ならどれだけ良かったか。
いや、きっと口に出すことは出来なかっただろう。何せ自分は極度の引っ込み思案なのだから。
気がつけば、イデアの意識の中には、あれ程気にしていたユウの友人達も、厳しいヴィルの視線も、増してや弟であるオルトの視線ですら感じなくなっていた。
──僕は、この時を待っていたのか
「君に出逢うまでは」
その時、風が吹く。イデアの炎によって造り出された蒼い髪が靡く。空中に溶け、自然なグラデーションに、ユウは見とれた。
「そんな僕でも──」
続きの台詞を言おうとしたイデアの口が止まる。ユウを見つめる瞳が揺らいで、僅かに潤いを湛えた。
台本では淡々と紡ぐ筈の台詞を、イデアは感情のままに口に出そうとしている。本来ならば確実にカットが出されるであろうそのNG場面に、さながら監督のヴィルは何の指示も出さない。
「今は……っ」
切れ長の目から、次から次へと涙を落とす。白い肌に筋を作る雫があまりに美しく、ユウは自らの目も熱くなっている事に気がついた。
「君と、少しでも長く生きたいと、思えたんだ……」
ユウは、静かに泣いていた。口からは続きの台詞が出てこない。頭の中では、確かにある筈の台詞が、呼吸と共に薄れていく。
ユウの脳裏から、台本が消える。そして目の前の思い人に駆け出していた。
背の高い彼の肩に飛び付き、ユウを支えきれずによろめく。しかし、自然と腕はユウの細い身体を包んでいた。
かたく抱き合う二人を見つめ、ヴィルは静かにカットの指示を出した。
「すげえ……! すげえぞユウ!」
「くっ……クソ……ここまで引き込まれるなんてっ……!」
エースとデュースは二人の演技に機材を置いて拍手を送る。
「ヴィルサン……だからユウクンとイデアサンを選んだんだ……」
エペルは大きな瞳からぼろぼろと涙をこぼした。
「大成功じゃないスか。ヴィル先輩」
木陰で二人の様子を見守っていたヴィルの肩を、ぽんと叩くジャックは、そのまま依然と抱き合う二人を見守る。
「アンタも、少しは柔軟になったじゃない」
「まさか……驚いてますよ……ただ……ヴィル先輩なりにあの二人の事を考えて作ったステージだと思うと……こう……」
「フフッ……」
ヴィルはジャックの口元に人差し指を突きつける。
「勘違いしないで。これは、リハーサルよ。ただの」
ヴィルが視線を戻すと、撮影をしていたオルトとグリムが二人に駆け寄っていた。四人は抱き合いながら、笑顔を見せる。
「うぉおおおおお……!」
突然響く轟音。撮影機材をその場に落として、セベクは天を仰いで涙を流している。
「諸君! よく聞け! いいか──?」
セベクは涙を垂れ流しながら、ビシッと抱き合うユウ達を指差した。
「ここを式場とする!」
~Fin~