とうとう迎えたダンスパーティーの日。
髪を結ってもらう約束があるので、先にドレスに着替えることにした。
楽しみに待っていた包。丁寧に紐を解き、紙をめくった。そこに包まれていたのは、淡いブルーが美しいドレスだった。控えめにあしらわれたパールが光を反射してキラキラ輝き、所々に縫い付けられたレースの蝶が、今にも飛び立ちそうな様子で待っている。早速着てみると、まるで自分のために採寸されたそれのようにフィットした。姿見に自分を写し、横を向いたり振り返ったり、裾を掴んで一周回ってみたり。鏡に映る自分がまるで自分ではないかのように思えるほど、そのドレスは息を飲む美しさだった。
パーティーが始まるまではかなり時間がある。少なくとも1時間前には来て欲しいと頼まれていたので、少し早いが先生の元へ向かうことにした。向かうあいだ、このドレスはまだみんなに内緒にしておきたいと思い、誰ともすれ違わぬように注意した。
赤茶色の大きなドアの前に立ち、コンコンコンと3回ノックをする。中から返事が聞こえたので、そっとドアを開けて中に入る。
先生は私のドレスを見て、少し驚いたあと、優しく笑った。
菊田「似合ってる。すごく」
イ「私には素敵すぎる。でも、ありがとう」
ものすごく照れくさくて、つい目を逸らした。
こちらへどうぞと言わんばかりに腕を椅子の方へ向けた。普段閉じられている3面鏡の前に座り、先生が私の髪に手をかけた。
イ「先生に任せていい?」
菊田「責任重大だな…」
鏡越しに目を合わせ、苦笑いをした。
子供を撫でるような穏やかな手つきで髪をとき、毛束を持ち上げては編むことを繰り返す。こんな感じで髪結んでもらったっけ、と懐かしい気持ちに浸っていると、どうやら完成したようだ。
菊田「……どう?」
心配そうにこちらを見つめ、具合をたずねる。
網目模様のように美しく編み込まれた髪が、お団子に括りあげられ、綺麗に納まっている。
イ「素敵…素敵すぎる…!」
私の反応に安堵した様子の先生は、思い出したというように小さな箱を取りだした。
菊田「これをつけなきゃまだ完成じゃない」
そう言って最後に飾ってくれたのは、ガラス細工の蝶があしらわれた髪飾りだった。光を幾重にも反射させて、美しさを増している。
菊田「立ち上がって、こっち見て」
言われた通り椅子から立ち上がり、先生の方を見る。すると先生はまた微笑んで、少し寂しそうな、悲しそうな顔をした。
菊田「べっぴんさんだな」
嬉しさ半分恥ずかしさ半分で、私は素直に笑えなかった。
イ「ママとパパにも見せてあげたかった。」
そういう私の肩に手を置いて、鏡を見るよう促した。普段閉じられている3面鏡。そこに写っているのは……
ママとパパだ。
目を見開いて、思わず鏡に手を触れそうになる。しかし、咄嗟にこれは現実では無いと気づき、手を止めた。鏡に映るはずの私がママで、先生がパパ。私は、鏡に映る母が私と同じドレスを来ていることに気が付いた。
菊田「そのドレスな、エカチェリーナのものなんだ」
イ「ママの?」
菊田「イーヴァのために、今日まで取っておいたそうだ。イーヴァに着て欲しいって」
母の思いに、いよいよ涙を止めることが出来なかった。そんな私を先生は何も言わずそっと抱きしめた。今までそうしてくれたように。そして私も先生の背中へ手を回して強く抱き締めた。
菊田「きっと見てるさ。ずっとお前を見守ってる。姿は見えなくても、会うことは出来なくても、心で繋がってる。俺もそう。何があってもお前の味方だ。約束したんだ。」
イ「約束…?」
菊田「そう、約束。イーヴァ、お前が生まれた時のことを俺はよく覚えてる。俺にも娘ができたみたいで嬉しかった。一生お前とお前の家族を見守ってやりたいと思った。
でも、ずっとお前には申し訳ない気持ちでいっぱいなんだ。」
イ「どうして?」
菊田「両親を守ってやれなかった。お前をひとりぼっちにしちまった。」
思わず抱きしめる手を緩め、先生の顔を見上げた。先生は今までにみせたことの無いような悲しさと悔しさを含んだ表情をしていた。
菊田「ほんとにごめんな。お前らを見守るとか大口叩いたくせに、守れたことなんて1度もなかった。お前にとって両親が大事なように、俺にとってもアイツらが大事だったんだよ。俺はそんな大切なものさえ守れないような弱い人間だ。ずっとお前に謝りたかった。…ごめん。ほんとにごめん。」
私を包む腕に力が籠った。先生の厚い胸板を押し返して、先生の目を見る。
イ「何も分かってない。何も分かってないよ、先生」
先生は困惑していた。
イ「先生は私の憧れだよ。今までもこれからも、ずっとずっと。かっこよくて優しくて、ちょっとおっちょこちょいだけど仲間思いで…私のそばにいてくれてたでしょ?辛いはずなのにちっとも辛い顔しないで、私といてくれた。私、ずっと言いたかったんだよ。いつもそばにいてくれてありがとうって。ママとパパに会えないのは辛いけど、それは先生も同じ。でもさ…2人でいれば何も怖くない。私に色々教えてくれたのは他の誰でもなく、先生なんだよ。先生は私の光。人生の宝物。どこにいても何をしててもそれだけは変わらない。」
先生の目から涙がこぼれた。そういえば、この人の泣き顔を見るのは初めてだ。つられて私も泣いた。声が震えて、顔が熱くなる。
イ「だから、もう自分を責めるのはやめて欲しい。先生が私のそばにいてくれるように、私も先生のそばにいる。頼りないかもしれないけど、味方でいるって約束する。だから先生、自分を許して前に進んで欲しい。」
両親をなくしてから今日まで、菊田先生は献身的に私の面倒を見てくれた。色々な場所に連れて行ってくれて、色々なものを見せてくれた。私の世界を広げてくれた。私はひとりぼっちではないと、身をもって教えてくれているのだ。そんな先生に、私は頭が上がらない思いをしている。今まで完璧で憧れだった存在が、私の前で初めて弱みを見せた。その時初めて先生の本心に触れた気がして、私は今まで先生を理解できたことなんてなかったのだと、少し悔しくなった。いつもお世話になってばかりで、私から先生に何かしてあげたことなどほとんどなかった。いつまでも受け身になっていてはいけない。先生のためにも、そして何より両親のためにも、私は変わらねばならないのだと確信した。
私の言葉に、先生は驚きの様子を見せた。見開かれた瞳はしっかりと私を捉えたまま離さなかった。
菊田「……そうか、そうか……」
伏し目がちに返事をする。先生はいつものような柔和な笑顔を見せた。どこか儚げな顔だった。
菊田「立派になったな、イーヴァ。綺麗になった」
少し崩れた私の前髪に、優しく手を触れる。
菊田「今夜限りのパーティーだ。楽しんでこい」
イ「うん。ありがとう、先生」
最後に軽くハグをして、部屋を出た。
時計はパーティー開始の15分前を指している。
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