テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
温泉から戻ったあと。
阿部は一人で廊下を歩いていた。
身体はまだぽかぽかしている。
深澤の神力が残っているせいなのか。
いつもより身体が軽く。
遠くの音までよく聞こえた。
「不思議……」
自分の手を見ながら歩いていると。
前から目黒がやって来た。
「あべちゃん」
「めめ」
阿部がいつものように笑う。
「どこ行ってたの?」
「館さんと話してた」
「そっか」
すれ違おうとした時。
目黒が止まった。
「何?」
じっと阿部を見て。
少し近付く。
そして肩の辺りへ顔を寄せた。
すん。
「……何してるの?」
目黒の眉間に皺が寄る。
「嫌だ」
「え?」
「ふっかさんの匂いする」
「……匂い?」
「さっき温泉入ったからかな」
「温泉?」
「ふっかが作ったやつ」
目黒の顔がさらに不満そうになる。
「……嫌」
阿部は笑いそうになる。
「何が?」
「ふっかさんの匂い」
目黒が阿部の袖を掴む。
「こっち」
「どこ行くの?」
「俺の部屋」
「なんで?」
「匂い消す」
阿部はとうとう吹き出した。
「ふふっ」
「何?」
「めめ」
少し楽しそうに聞く。
「それって嫉妬してる?」
目黒が止まる。
「……嫉妬?」
「他の人と仲良くしてるのが嫌だったり」
「匂いが付いてるのが嫌だったり」
「自分だけ見てほしいって思うこと」
目黒は少し考える。
「……それ」
「俺、嫉妬してる」
素直すぎて。
阿部はまた笑った。
「認めるの早いね」
「だって嫌だから」
目黒は阿部の手を少し強く握る。
「ふっかさんの作った温泉入ったのも」
「匂い付いてるのも」
「楽しそうにしてたのも嫌」
「見てたの?」
「遠くから」
「怖」
「なんで?」
「監視みたい」
「監視じゃない」
「じゃあ何?」
「気になった」
阿部の胸が少しざわついた。
目黒の部屋へ入ると。
阿部が笑う。
「で?」
「どうやって匂い消すの?」
目黒が止まった。
「……」
「考えてなかった?」
「考えてなかった」
「ふふっ」
目黒は阿部の前に座り。
また袖へ顔を寄せる。
「まだする」
「そんなに?」
「する」
「あべちゃん」
「何?」
「ふっかさんと毎日温泉入るの?」
阿部は少し考える。
「毎日入ると思う」
目黒の顔が露骨に沈んだ。
「嫌だ」
「そんな顔しないでよ」
「じゃあ入らないで」
「それは無理」
「なんで?」
阿部は少し真面目になる。
「俺、早く神様になりたいから」
目黒が阿部を見る。
「……なんで?」
少し言葉に詰まる。
どうせいつか神様になる。
この世界も。
力も。
もっと知りたい。
それに。
ずっとここにいられる。
その理由の中に。
目黒が少し混ざっている。
でもまだ言えなかった。
「色々」
「色々って?」
「色々は色々」
「教えて」
「やだ」
目黒がむっとする。
阿部はまた笑った。
「嫉妬って結構面倒だね」
「じゃあやめる」
「やめられるの?」
「分かんない」
「ふふっ」
目黒は少し近付く。
「でも、ふっかさんの匂い嫌」
本当に嫌そうな顔。
でも怒っているわけではない。
ただ。
自分以外の気配が阿部に残っているのが嫌。
それが少し嬉しい。
そう思ってしまった。
「……じゃあ」
阿部は少しだけ目黒へ寄る。
「めめの匂い」
「付ければいいんじゃない?」
言ってから自分で固まった。
目黒も固まる。
「……あべちゃん」
「今のなし」
「なんで?」
「恥ずかしいから」
「でも」
「なし!」
耳まで熱い。
目黒はそんな阿部を見て笑った。
「じゃあ、ここにいて」
「どれくらい?」
「ふっかさんの匂いなくなるまで」
「長くない?」
「嫌?」
阿部は小さく笑う。
「嫌じゃないよ」
目黒の顔が一気に柔らかくなった。
その顔を。
少し長く見てしまった。
しばらく二人で部屋にいる。
阿部は自分の袖を鼻へ近付けた。
「……やっぱり」
「ふっかの匂いなんてしないよ」
目黒がすぐ言う。
「匂いっていうか」
「何?」
「力」
「力?」
目黒は阿部の手首を取る。
「ふっかさんの力が」
「あべちゃんの中にいる」
「……中?」
「うん」
言われてみれば。
温泉から出てから身体が軽い。
音もよく聞こえる。
暗い廊下も前より見える。
そして妖怪まで見えた。
「温泉のせい?」
「多分」
目黒は不機嫌そうだった。
「ふっかさん、力強いから」
その時。
阿部の視界が少し揺れる。
「……あれ」
「どうしたの?」
もう一度目黒を見る。
「めめ」
「何?」
「なんか見える」
目黒の身体の周り。
薄い紺色。
煙でも光でもないものが。
ゆっくり揺れている。
深い夜の海みたいな色。
「めめの周り」
「紺色」
目黒が阿部を見つめる。
「神力見えてる?」
「これが?」
「うん」
意識すると。
もっとはっきり見えた。
目黒の身体だけではない。
部屋。
柱。
襖。
庭。
いろんな場所に薄く残っている。
「すご……」
阿部は笑う。
「めめ、どこにでもいるみたい」
「俺の結界だから」
「そっか」
そして自分の手を見る。
指先にほんの少し。
紫。
「……え」
目黒の顔がまた不機嫌になる。
「ほら」
「何?」
「ふっかさん」
「これ、ふっかの力?」
「うん」
阿部は少し嬉しそうに手を見る。
「本当に神様に近付いてるんだ」
目黒は黙った。
「めめ?」
「……変わるの早すぎる」
「でも俺、早く神様になりたいって」
「聞いた」
「じゃあ」
目黒は眉を寄せる。
「分かんないけど」
「嫌」
阿部は少し笑う。
「今日、嫌って言いすぎ」
「嫌なもの多いから」
でも目黒は笑わない。
紫色の光をずっと見ている。
「俺の知らないあべちゃんになるの」
「嫌かも」
阿部の笑顔が止まる。
「神様になったら俺じゃなくなると思ってる?」
「分かんない」
「翔太は翔太だよ」
「でも」
目黒が阿部を見る。
「あべちゃんはまだ人間でしょ」
「うん」
「俺」
「あべちゃん好きだから」
胸が大きく跳ねた。
好き。
目黒はいつも簡単に言う。
でも。
今は少し違って聞こえた。
「……めめ」
「何?」
「そういうの急に言わないで」
「なんで?」
「……もういい」
阿部が目を逸らす。
その時。
繋いだ手の間に。
ほんの一瞬。
細い赤い光。
「……え」
瞬きをすると消えた。
「どうしたの?」
「今」
阿部は二人の手を見る。
「赤いの見えた気がした」
目黒が固まる。
「赤?」
「うん」
でももう何もない。
「気のせいかな」
阿部は小さく笑う。
目黒は何も言わなかった。
縁。
翔太と涼太。
深澤と照。
その間にある赤いもの。
今見えたものがそれなのか。
まだ分からない。
目黒は阿部の手を握り直した。
すると。
紫色の光へ。
目黒の紺色がゆっくり重なる。
「わ」
紫と紺。
二つが混ざり。
やがて紫が薄くなっていく。
「あ、消えてく」
「俺の力流してるから」
「そんなことできるの?」
「できた」
「できた?」
「今やったらできた」
阿部は吹き出した。
「相変わらず適当」
「でも消えてる」
目黒は満足そうに手を見る。
「こっちの方がいい」
「何が?」
「俺の力になった」
「また嫉妬?」
「多分」
目黒は手を離さない。
阿部も離さなかった。
目黒の神力が自分の身体へ流れてくるのが分かる。
温かい。
身体の奥。
胸の辺りが妙に安心する。
「……めめの力」
「うん」
「なんか落ち着く」
「本当?」
「うん」
目黒が嬉しそうに笑う。
その瞬間。
胸がまた跳ねた。
翌朝。
阿部は目を覚ました。
いつもなら布団から出ると少し寒い。
でも今日は何も感じない。
「……?」
布団を出ても。
庭へ出ても寒くなかった。
自分の手を見る。
紫色の光はほとんど消え。
代わりに。
ほんの少し紺色が残っている。
「……まだいる」
阿部は少し笑った。
「あべちゃん」
後ろから翔太の声。
「おはよう」
「おはよう」
翔太は阿部を見る。
「寒くない?」
「うん」
「全然?」
「全然」
翔太の顔が真面目になる。
「昨日、温泉入った後何かあった?」
「めめと手繋いだ」
「それだけ?」
「神力流してた」
「どれくらい?」
「分かんない」
「ふっかの力消すって」
翔太が大きくため息をつく。
「めめ、加減してないでしょ」
「多分」
「多分じゃないよ」
翔太は続ける。
「お腹空いてる?」
そこで初めて気付く。
空いていない。
「……あんまり」
「眠い?」
「全然」
「喉渇いた?」
「渇いてない」
「……早」
「何が?」
「神様になるの」
翔太が阿部を見る。
「進むの早すぎない?」
阿部の表情が止まる。
昨日。
自分で早くなりたいと言った。
でも。
実際に変わり始めていると聞くと。
少し胸がざわつく。
「そんなに?」
「まだ入り口だと思う」
「でも人間なら、寒い朝は寒いよ」
風が吹く。
木の葉が揺れる。
でもやっぱり寒くない。
「……そっか」
翔太の声が少し柔らかくなる。
「怖い?」
阿部は考える。
「まだ分かんない」
「最初は便利なんだよ」
「寒くない」
「お腹空かない」
「疲れにくい」
「でも」
翔太の声が静かになる。
「そのうち」
「人間だった頃の感覚」
「忘れるからね」
阿部は自分の手を見る。
それは少しだけ怖かった。
目黒が歩いてくる。
「あべちゃん」
「めめ」
目黒は近付くと翔太を見る。
「何話してたの?」
「めめのせいで」
「あべちゃんの神様化進むの早いって話」
目黒が固まる。
「……俺のせい?」
「昨日、力流したでしょ」
「うん」
「どれくらい?」
「分かんない」
翔太が頭を抱える。
「だからふっかに見捨てられるんだよ」
阿部が思わず笑った。
「ふふっ」
その瞬間。
目黒の周りの紺色がふわっと揺れる。
「あ」
「何?」
「めめ」
「今、嬉しかった?」
目黒が驚く。
「なんで?」
「分かる」
阿部は紺色を見る。
さっきより柔らかく広がっている。
翔太が面白そうに言う。
「あべちゃん」
「神力だけじゃなくて」
「感情まで拾い始めてるかも」
「感情?」
翔太が目黒を見る。
「今、あべちゃん笑ったから嬉しかった?」
「うん」
即答。
翔太が笑う。
「当たり」
阿部は目黒を見る。
紺色の光。
本当に嬉しそう。
「すご……」
目黒は少し不満そうに眉を寄せる。
「ずるい」
「俺はあべちゃんの気持ち見えない」
紺色が少し濃くなる。
阿部はじっと見る。
「……今、拗ねた?」
目黒が止まる。
「なんで分かるの」
「ふふっ」
笑うと。
また紺色が柔らかくなった。
「分かりやすい」
「嫌だ」
「全部じゃないよ」
「でも嬉しいのも拗ねたのも分かった」
その時。
翔太が阿部の肩へ手を置く。
「でも気を付けて」
「何?」
「人の気持ち」
「分かりすぎるの結構疲れるから」
阿部が真面目になる。
「全部見ようとしなくていい」
「必要な時だけでいいよ」
「分かった」
目黒が阿部を見る。
「俺のは見てもいいよ」
「なんで?」
「隠すことないから」
また紺色が柔らかく揺れる。
阿部は少し目を細める。
「今、心配してる?」
目黒が黙る。
「うん」
「何を?」
「あべちゃん」
笑顔が少し止まる。
目黒の神力は。
さっきより重い。
濃い紺色。
阿部を包もうとするように広がっていた。
「神様になるの」
「早すぎるって聞いたから」
「嫌?」
「分かんない」
「またそれ?」
「でも」
目黒が阿部を見る。
「あべちゃんが怖いなら」
「ゆっくりでいい」
阿部は黙る。
「昨日は早く神様になりたいって言ってたから」
「いいと思った」
「でも今、ちょっと怖そう」
阿部が目を瞬く。
「めめには俺の気持ち見えないんじゃなかった?」
「見えない」
「じゃあなんで?」
「顔」
阿部は少し笑った。
「そっか」
目黒も。
色が見えなくても。
表情。
声。
仕草。
人間を少しずつ分かるようになっている。
それが嬉しかった。
目黒の紺色がまた柔らかくなる。
「あ」
目黒が警戒する。
「何?」
「今、嬉しい?」
「……うん」
阿部がくすくす笑う。
「やっぱり分かりやすい」
「嫌だ」
「でも」
阿部は笑ったまま言う。
「かわいいよ」
言ってから固まる。
翔太も。
目黒も。
「……」
阿部はゆっくり顔を逸らした。
「今のなし」
目黒の周りの紺色が。
一気に明るく広がる。
見なくても分かるくらい。
「……すごい嬉しいじゃん」
目黒が少し笑う。
「うん」
阿部は顔を隠した。
「見えるの」
「やっぱりちょっと嫌かも」
翔太が楽しそうに笑った。
神様に近付いたことで。
阿部には。
今まで見えなかったものが見えるようになった。
妖怪。
神力。
結界。
でも。
一番困るのは。
目黒が自分を見る時。
その紺色が。
いつも一番。
優しくなることだった。
kaede🍁
25,553

908
#mmab
七瀬⛄️
1,551
コメント
1件
第9話、読み終わりました。 神力が見えるようになった阿部と、それに対する目黒の反応がすごく繊細で…特に「ふっかさんの匂いがする」からの嫉妬の流れ、素直すぎる目黒に思わず笑ってしまいました。そして阿部が「めめの匂い、付ければいいんじゃない?」って言っちゃうところ、自然に出た言葉なのに後で恥ずかしがる感じがすごく人間らしくて好きです。 紺色と紫色が混ざり合う描写、色で感情が伝わる設定がとても綺麗。読み終わったあと、胸の奥がじんわり温かくなるお話でした。