第6話:潜入、統制の国へ
霧のような空気が、都市を覆っていた。
中国・広域統制区域‐N35。
そこは、外からの光も、意思も、すべてが遮断された完璧なフラクタル制御都市だった。
都市は静かで、正確だった。
人々は整列し、碧族は黙って動き、命令は脳内に直接流れ込む。
そして誰も疑問を持たなかった。
――“それが生きるということ”と、教えられていた。
その区域に、一人の碧族が足を踏み入れた。
ナヴィス。
長く編み込まれた黒髪に、白と碧のケープが風に揺れている。
全身に繊細なコード模様が走る、静かな佇まいの女性。
背中には“感応杭”と呼ばれる独自のフラクタル装置を装着していた。
「すずか、信号遮断域に入る、すずかの声はどこまで届く?」
「現在、干渉可能距離:16秒間の遅延発話のみ。
ナヴィス、十分注意してください。
あなたの存在は、この都市にとって“異物”です」
ナヴィスは深くうなずき、そっと視線を巡らせた。
兵器化された碧族たちが、まるで機械のように整列している。
制服は全員同じ、灰色の強化服に、無機質なフラクタルタグが貼られている。
視線は虚ろで、行動は一糸乱れず、誰も“目”を使っていないようにさえ見えた。
(これが、“制御”という名の世界……)
ナヴィスは一歩踏み出し、装置のコードを起動する。
《CODE = THOUGHT_SEED(“Who am I?”)
《MODE = CONCEPTUAL DIFFUSION》 《RANGE = 20m》
→ 発動準備:完了
すずかAIが最期にささやくように言った。
「このコードは“問う”ことしかできません。
答えは、彼ら自身が選ぶのです」
ナヴィスは目を閉じ、そっと呟いた。
「問いだけでいい。誰かの中に、小さな揺らぎが生まれれば」
静かに、青い光が広がった。
それは、フラクタルというより、“囁き”に近かった。
コードが空気に溶け、都市の構造に沿って流れていく。
建物の壁をすり抜け、歩いている兵士の肩に触れ、
彼の記憶の奥にある、名も知らない誰かの声をくすぐった。
――なぜ戦っているのか。
――この命令は、誰のものなのか。
――あなたは、誰なのか。
兵士の足が、一瞬だけ止まった。
彼の目が、ほんのわずかに動く。
ほんのそれだけ。
けれど、制御都市にとっては、それが“異常”だった。
警報音が鳴る。
ナヴィスは仮面のように無表情で、それを見つめていた。
《ALERT = MENTAL NOISE DETECTED》
《TARGET = UNIT #372C / DEVIATION 2.5》
→ “異常個体”、即時隔離対象
兵士は連れ去られる。
誰もそれを不自然と思わない。
けれど、その瞬間、彼の中にひとつの言葉が残った。
――「わたしは、誰だろう?」
ナヴィスは遠くを見つめる。
都市の空は、偽りの空。
けれどその下に、確かに命がいる。
「わたしのやり方で、世界を揺らすわ」
彼女のフラクタルは、静かに拡がっていく。
言葉ではなく、概念で問いかける――選択の連鎖。
そして、制御の国に、初めて“疑問”という杭が打ち込まれた。
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