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宵美夜 綺月@受験生🐢&🦥
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#感動
みずもち
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プロローグ 雨の港町・昭和最後の冬
昭和六十二年、十二月二十四日。
青森県の端っこの小さな漁港・霧崎(きりざき)は、朝からみぞれ交じりの雨が降っていた。波止場のコンクリートは黒く濡れ、漁船のエンジン音だけが虚しく響いている。
その日、港の一番端にある古い木造アパートの二階で、十三歳の少年・神崎 湊(かんざき みなと)は、母親の手が冷たくなっていくのを感じていた。
「湊……ごめんね。もう、働けないみたい……」
母親の声は、風にさらわれた紙切れのように薄かった。近所の鮮魚店で早朝から働いていた母親は、半年前から咳が止まらなくなり、最近は血を吐くようになっていた。病院に行く金がなく、近所のおばさんが持ってきてくれた風邪薬を飲み続けた結果だった。
父親は、湊が五歳のときに海で消えた。時化の日に無理をして出漁し、帰ってこなかった。遺体は見つからなかった。残されたのは、古い釣り針の箱と、借金の束だけだった。
「湊は、強い子だから……大丈夫……」
母親はそう言いかけて、目を閉じた。湊は母親の額に手を当て、熱が急速に下がっていくのを感じた。外では、クリスマスのイルミネーションが、雨に濡れてぼんやり光っていた。
その夜、湊は母親の遺体を抱えながら、初めて本気で泣いた。そして同時に、心の奥で何かが固く閉じる音がした。
「俺は、絶対に……貧乏なんかで死なねえ」
第一章 針一本の世界
母親の葬儀は、近所の人たちが持ち寄ったお金で、なんとか済ませた。火葬場の煙が灰色の空に溶けていくのを見ながら、湊は「これからは一人だ」と腹を括った。
親戚は誰もいなかった。父親の兄弟は借金を理由に縁を切り、母親の実家はすでに離散していた。児童相談所の人が来たが、湊は「親戚のところに行く」と嘘をつき、なんとか施設行きを免れた。実際には、港の端の廃屋に潜り込んだ。
冬の廃屋は、氷のように冷たかった。湊は、父親の形見だった古いタックルボックスを開けた。中には、錆びた針、傷だらけのリール、色あせたルアーが詰まっていた。
「これで、食うしかねえ」
湊は港で拾った魚のアラを餌に、防波堤で釣りを始めた。最初はほとんど釣れなかった。針が古くて弱く、糸がすぐに切れる。それでも毎日通った。寒い朝も、雨の日も。
ある日、港で一番腕のいい爺さん・源さんに声をかけられた。
「おめえ、針の向きが悪い。魚は賢いぞ。針先がちょっとでも外側向いてたら、すぐバレる」
源さんは、湊の針を手に取り、指で軽く曲げてみせた。その瞬間、湊の中で何かが繋がった。
「針一本で、世界が変わるのか……」
それから湊は、廃屋の隅で針を研ぎ、曲げ、試すようになった。夜中にろうそくの明かりで作業し、朝になると防波堤に立つ。徐々に、魚がかかるようになった。最初は小さなメバル、次にアイナメ、やがて立派なヒラメまで。
売れる魚は、近所の鮮魚店に持ち込む。店主のおばさんは、湊の事情を知っていたので、少しだけ高く買ってくれた。
「湊ちゃん、ちゃんと学校行きなさいよ」
「行ってます。午後から」
嘘だった。学校にはほとんど行っていなかった。教科書は図書館で盗み読みし、必要なところだけノートに写した。頭は悪くなかった。むしろ、針や仕掛けのことを考えるとき、頭の中が異常にクリアになるのを感じていた。
第二章 最初の発明
湊が十五歳になった春、大きな転機が訪れた。
その日、湊は源さんから古いルアーを譲り受けた。プラスチックのボディに、傷だらけのフックがついた、ただの中古品だった。だが湊は、そのルアーを分解し、内部の構造を観察した。
「重りが後ろに寄りすぎてる。これじゃ、アクションが単調になる」
湊は、廃材の鉛を溶かし、小さな型を作って重りを鋳造した。位置を微妙に変えた試作品を何個も作り、港でテストした。すると、明らかに魚の反応が変わった。同じ場所で、隣で釣っている大人たちより明らかに多く釣れる。
ある日、観光客らしい中年男が、湊の手元をじっと見ていた。
「おい、坊主。そのルアー、どこで買った?」
「自分で改造したんです」
男は興味深そうに目を細めた。
「売ってくれないか。三千円でどうだ」
三千円。湊にとって、それは一ヶ月分の食費に近い金額だった。迷わず頷いた。
その夜、湊は廃屋で、初めて「商売」というものを意識した。
「針やルアーを、自分で作って売る。それで生きていけるんじゃねえか」
それから湊は、夜な夜なルアーを作り始めた。ボディは廃材のプラスチックを削り、塗装は近所のホームセンターで安くなったスプレーを使った。フックは、錆びたものを研磨して再利用した。完成したルアーは、港の釣具屋に持ち込んだ。
店主は最初、鼻で笑った。
「子供が作ったもんを、うちで売れるわけねえだろ」
だが、湊は引き下がらなかった。
「じゃあ、置いてみてください。売れなかったら全部引き取ります。売れたら、半額でいいです」
店主は面倒くさそうに「まあ、棚の隅に置いとくか」と答えた。
一週間後、そのルアーは全部売れていた。しかも、買った客が「またあるか」と聞きに来ていた。
店主の態度が変わった。
「お前……本気で作ってるのか」
「はい。もっと作れます」
その日から、湊は店の片隅で「下請け」のような形でルアーを作り始めた。材料費は店が出してくれ、完成品を買い取ってくれる。一個三百円。一日十個作れば三千円。学校をサボって作る日もあったが、湊にとっては、生きるための必然だった。
第三章 借金と別れ
湊が十七歳のとき、突然、過去が牙を剥いた。
父親が残した借金の債権者が、湊を見つけ出したのだ。当時の利息を含めると、残債は二百万円近くになっていた。債権者は、港の近くで小さな金融をやっている男だった。
「親の借金は子供が返すもんだ。お前、毎日釣具屋で働いてるって聞いたぞ。稼いでるなら、払えるだろ」
湊は、身ぐるみを剥がれる思いで、稼いだ金を少しずつ返していった。それでも追いつかない。利息が利息を生む。
その頃、湊を支えてくれていた源さんが、港で倒れた。脳梗塞だった。病院に運ばれたが、半身不随になり、もう釣りには行けなくなった。
病室で、源さんは弱々しい声で言った。
「湊……お前は、ただの貧乏人じゃねえ。針を見る目がある。俺みたいに、この港で一生終わるな。もっとでけえ世界に行け」
湊は、源さんの手を握りしめ、初めて「逃げたくない」と思った。
「爺さん、俺、会社作る。釣具の会社。爺さんが使ってくれたような、ちゃんと魚が釣れる道具を、ちゃんと作る会社を」
源さんは、かすかに笑った。
「アホだな……でも、やってみろ」
源さんは、その三ヶ月後に亡くなった。湊は、源さんの形見として、古い研ぎ石をもらった。
第四章 最初の店
湊が二十歳になった年、債権者への返済がようやく終わった。最後の一万円を渡したとき、男は不機嫌そうに「まあ、親の借金を全部返したのは珍しい」とだけ言った。
その日、湊は港の小さな空き店舗を借りた。家賃は月三万円。狭いが、作業場と販売スペースを兼ねられる。看板は、手書きで「神崎釣具」と書いた。
最初の客は、ほとんど来なかった。地元の釣り人は、すでに馴染みの店を持っていた。湊は、自ら作ったルアーを持って、週末になると隣町の釣り場に通った。そこで実際に釣果を出し、興味を持った人に名刺代わりの紙を渡した。
「うちの店で、これと同じの作れます。注文も受けます」
徐々に、口コミが広がった。特に、湊が開発した「重心移動式のメタルジグ」が、地元の青物狙いの間で評判になった。従来のものより飛距離が出て、アクションが独特だったからだ。
一年後、店は黒字になった。従業員はまだいない。湊が一人で、朝から晩まで作り、売り、修理もした。夜は、設計図を引きながら、次の製品を考えた。
その頃、湊は初めて「人を雇う」ことを考え始めた。
第五章 最初の仲間
二十五歳のとき、湊は一人の青年を雇った。名前は、佐藤 健太。近所の工業高校を出たばかりで、機械加工が得意だった。最初は時給八百円だったが、健太は文句一つ言わず、夜遅くまで残って金型の調整をしてくれた。
「湊さん、この重心の位置、もう少し前にずらした方がいいっすよ。シミュレーションしてみました」
健太が持ってきた簡易的な計算結果を見て、湊は舌を巻いた。自分の感覚でやっていたことを、数字で裏付けてくれる人間が、初めてできたのだ。
その後、湊は一人、また一人と仲間を増やしていった。塗装が得意な元板金工、梱包と発送を完璧にこなす元郵便局員、営業が上手い元スポーツ用品店の店員。みんな、どこかで「大きな会社では居場所がなかった」人たちだった。
湊は、彼らにこう言った。
「俺たちは、ただの釣具屋じゃねえ。魚を釣るための道具を、本気で考えてる人間の集まりだ。給料は最初は安いかもしれねえ。でも、会社が大きくなったら、必ず還元する」
その言葉を、湊は本気で守ろうとした。
第六章 倒産の危機
三十歳を目前にしたある年、大きな試練が訪れた。
大手釣具メーカーが、湊のヒット商品に酷似した製品を、大幅に安い価格で発売したのだ。デザインはほぼ同じ。素材も似ている。だが、細部の精度と、実際の釣果では湊の製品の方が上だった。それでも、価格差には勝てなかった。
注文が激減した。在庫が倉庫に積み上がる。銀行の融資も渋られ始めた。従業員の給料を払うのが精一杯になり、湊自身は三ヶ月ほど、カップ麺だけで過ごした。
ある夜、健太が事務所に残って、湊に言った。
「湊さん、俺たち、もうダメっすかね」
湊は、源さんからもらった研ぎ石を握りしめながら答えた。
「ダメなら、また最初からやればいい。針一本から始めたんだ。また針一本から始めりゃいい」
その言葉が、不思議と皆の心に火をつけた。従業員たちは、自ら給料の一部をカットすることを申し出、代わりに新しい製品の開発に全力を注いだ。
湊は、そのとき初めて「社長」という肩書きを意識した。ただの作業者ではなく、皆の生活を背負う人間として。
第七章 転機のルアー
倒産寸前の会社を救ったのは、一本のルアーだった。
湊が夜な夜な試作していた「完全シンキング型のミノー」が、ある大物狙いのプロアングラーの目に留まったのだ。そのプロは、全国大会でそのルアーを使い、優勝した。しかも、インタビューで「このルアーは、小さなメーカーが作ったものだ。大手には出せない精度がある」と名指しで褒めてくれた。
注文が殺到した。電話が鳴り止まない。ウェブサイトはアクセス過多で落ちた。湊たちは、寝ずに作り続けた。それでも追いつかない。
その年、神崎釣具は、売上を前年の五倍に伸ばした。銀行の態度も、一変した。
湊は、従業員たちに、約束どおりボーナスを出した。そして、初めて自分の給料を「普通のサラリーマン並み」にした。
第八章 全国へ
三十五歳のとき、湊は東京に小さな営業所を構えた。最初は一人だけの出張所だったが、徐々に人が増え、展示会にも出るようになった。
ある展示会で、湊は初めて「海外」という市場を意識した。アメリカのバイヤーが、湊のメタルジグに興味を示し、「これをアメリカで売りたい」と言ってきたのだ。
言葉の壁は高かった。湊は、夜学で英語を学び、翻訳アプリを片手に交渉を重ねた。最初のコンテナがアメリカに出荷されたとき、湊は港で、一人で涙を流した。
「母さん……爺さん……見てるか。俺、ちゃんとやってるぞ」
その後、ヨーロッパ、アジアと市場は広がっていった。神崎釣具の製品は、「小さくても本気で作っている日本のメーカー」として、徐々に名を知られるようになった。
第九章 社長の椅子
四十歳を迎えた年、湊は正式に「株式会社神崎釣具」の代表取締役社長に就任した。従業員は百二十名を超え、工場も二つになった。本社は、かつての廃屋からそう遠くない場所に、新しいビルを建てた。
ある日、湊は本社の屋上から、港を見下ろしていた。波止場には、昔と変わらず漁船が並び、若い釣り人たちが竿を出している。
隣に立った健太が、静かに言った。
「湊さん、ここまで来ると思ってました?」
「思ってなかったな。ただ、貧乏のまま死にたくなかっただけだ」
湊は、ポケットから古い研ぎ石を取り出した。源さんからもらった、あの石だ。表面は滑らかに擦り減っていた。
「これで、針を研いでたんだ。最初は」
健太は笑った。
「今でも、たまに工場で研いでますよね。社長が」
「ああ。忘れるとダメな気がしてな」
最終章 錆びた針の先に
五十五歳になった湊は、今もたまに工場に下りて、自分で針を研ぐことがある。従業員たちは「社長がまたやってる」と微笑ましく見守る。
ある日、湊のもとに、一通の手紙が届いた。差出人は、見知らぬ若い女性だった。
「私の父親は、昔、湊さんの店で働いていました。病気で亡くなりましたが、死ぬ前に『神崎さんのところで働けてよかった。貧乏でも、ちゃんと生きられるって教えてもらった』と言っていました。私も、今、釣具の仕事をしています。ありがとうございます」
湊は、その手紙を机の引き出しにしまい、窓の外を見た。港の向こうに、夕陽が沈みかけていた。
「貧乏から始まったって、終わりまで貧乏じゃなくていいんだよな」
湊は、静かにそう呟いた。
そして、明日もまた、針を研ぐのだろう。
錆びた一本の針から始まった物語は、まだ終わっていない。
コメント
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みぅです🤍🥀 読了しました……ずっと湊くんの人生を追いかけて、気づいたら胸が熱くなってました。特に、源さんに針の向きを直された瞬間、「針一本で世界が変わる」って気づくあの場面、すごく好きです。貧乏のまま死にたくない、って一心で針を研ぎ続けた強さが伝わってきました。最後の「貧乏から始まったって、終わりまで貧乏じゃなくていい」って言葉、沁みました……。岡田さんの描く「丁寧な闇と光」、ちゃんと受け取りました。続きも静かに読みに行きます🌙