「父さん?」
ロウムははっとする。
我が子の声で意識は現実に引き戻されたのだ。
隣には、心配そうなアルゴがいる。
二人は似ていない。
リアムはロウムの息子だが、むしろアルゴの方がロウムと似ている。
ニンゲンとロウムたち種族を隔てるものは、単に見た目だけではない。
それは、大昔に刻まれた深い軋轢によるものでもあった。
ロウムは振り返る。
「助けて。助けて……」
そこには、ニンゲンがいる。女である。
ロウムは、ニンゲンであったコバルトと愛し合っていたから、ニンゲンの言葉を学んだことがある。
だから、少しなら分かる。
女は、必死に助けを求めている。
私たち……ロウムとアルゴの姿を認めて怯え切っている。
どうしたものだろうかとロウムは悩んだ。
このまま置いていくわけにもいかないし、村へ連れて行ってもパニックを起こしてしまいそうだ。
今なお山中を一人彷徨っているリンも探し出さなくてはならない。
収拾をつけなくてはならない。
ロウムは口を開いた。
「リアム。リンのことも心配だが、今はこのニンゲンを何とかしなくてはならない」
「でも、リンが」
リアムは息急き切ってロウムを遮る。
ロウムは落ち着いて答えた。
「大丈夫だ。リンは賢い。道に迷ったなら、無闇に動かず助けを待つさ。とにかく、単独行動は認められない。お前は地形を覚えたというが、経験が浅い。今は私を信じてくれ」
「父さん」
しょんぼりとした表情で、リアムの視線はロウムと女の顔を行ったり来たりしている。
リアムの気持ちは分かっていたが、やはりこの状況を打開しなくてはいけなかった。
ロウムは片膝を付いて、ニンゲンの方に顔を向ける。
「ひっ」とまた声を出して、女は顔を背ける。
ロウムは安心させるように、ゆっくりとニンゲンの言葉を話した。
「驚かせてすまない。私はロウム。この名もなき山の向こうに住むものだ。私たちは、君に危害を加えるつもりはない。君を助けたいんだ」
「え、え?」
「そうなんだ。私はニンゲンの言葉が話せる。亡くなった妻がニンゲンだったんだ。だから、この通り君と会話ができる。ほら、このニンゲンに似てる子はリアムと言って、私と亡くなった妻の子どもだ。少しは、安心したかい?」
「あ、ああ」
女は口をパクパクさせている。
何か言おうとしているらしいが、動揺からか言葉にならないようだった。
ロウムは間をおいて、明るく尋ねる。
「君、名前は何というんだ?」
「わ、わた、し」
「大丈夫。ゆっくりでいい」
「わた、私は、チタ……チタ、と言います」
「チタ、か。いい名前だ。それではチタ。君はなぜ、この山にいるんだい? ここは、化け物が出るという恐ろしい山だ。ニンゲンも私たちも近寄らない山のはずだ。何かあったのかい?」
チタはごくりと唾を飲み込み、震える声で述べた。
「ば、化け物は……あなた方のことじゃ、ないのですか」
「私たちが、化け物……?」
ロウムは目を見開いた。
ロウムは自分たちの種族のことを化け物などと考えたことがない。
確かに、ニンゲンより圧倒的に力が強く、ニンゲンを襲ったいう過去がある。
しかし、それは本当に大昔のことで、ロウムはその時代を生きていない。
いまの世代のニンゲンたちにも、きっと口承で伝わっている話に過ぎないだろう。
ロウムはコバルトを愛したし、コバルトもロウムを愛していた。
ニンゲンと同じように、狩りや採集をし、村を作って平穏に暮らしている。
それなのに、化け物とは……。
ロウムはそこで思い至る。
「伝わるところによれば、名もなき山の中には、恐ろしい化け物が棲んでいる」
この口伝は、ロウムたち種族のものではないのか。
ニンゲンにとっての話が、いつの間にかロウムたち種族に伝わったものなのか。
ロウムは衝撃に打ち震える。
それでも、ロウムの信念は変わらなかった。
言葉を声に乗せる。
「それでも、私たちは人なんだ」
確かに、ロウム自身はクリプトンたちを殺害したあの日、自らが化け物の身に堕したという自覚がある。
だが、私たち種族自体は人であることをやめない。
ニンゲンと大差ない存在。
人、なのである。
女がやはり震える声で言った。
「ごめんなさい。あ、あなたを傷つけるつもりはなかったの……その……」
「いいんだ。ニンゲンからすれば、私たちはそう映ってもおかしくなんかないさ。それで、改めて問うが、チタはなぜ、この山にいるんだ?」
「私は、逃げ出してきたのです」
「逃げ出した?」
「はい」
チタは、少し落ち着いたようだった。
ようやく、まともに会話ができそうだ。
両手でぎゅっと肩を抱きしめるようにして、うつむき加減にチタは話を続けた。
「私は、数ある国の中でも最も大きな国……大国の生まれです。そこでは、都市が形成されていて、人の交通も多い喧騒にまみれた街です」
『国、か。私たち種族にもある」
「そう、なのですね。それで、私は、そんな騒々しい街にも、日々しつこく言いつけるお父様やその側近たちにも、すっかりうんざりしてしまったのです」
「それで、国や父、側近から逃げ出した」
「はい。言葉にすると、何だかつまらない理由ですけれど、私は本当に嫌だった。そんな生活から逃れたかったのです」
チタの顔に翳りがかかる。
彼女なりに悩み、苦しんでいることなのだろう。
気持ちをわかってやりたかったが、事情を詳しく問いただすことも躊躇われた。
しかし、そこでリアムが話に入ってきた。
「ねえ、父さん。そっきんって何だい?」
「ん? 側近とは、国の偉い人たちの身の回りの世話や護衛を務める人たちのこと……」
そこで、ロウムは気付く。
側近だと?
チタは、側近を必要とする立場にあるのか。
慌ててロウムはチタに向けて尋ねる。
「チタ。君、国ではどんな立場なんだい」
「私は、国王の娘。王女です」
ロウムは仰天した。
ニンゲンの国の王女がこんなところに来てしまったのか。
それでは、今ごろ国では大変な騒ぎになっているのではないか。
これは、まずい。
非常事態だ。
いますぐに、何とかしなければ。
ロウムは立ち上がる。
「チタ。君はここにいてはならない。今すぐ、元いた国に帰るんだ」
「でも、私は」
「事情は分かった。しかし、ここに居ては、君たちニンゲンは大混乱に陥る」
「分かっています。だけど私は帰りたくないんです。だから、こんなところまでやって来て、誰にも見つからないようにしているのです」
「いずれ見つかるだろう。王女が行方不明になったのだ。あらゆるところを捜索する。そして、この名もなき山へもいつかやって」
パキ。
遠くで枝が折れる音がした。
リアムとアルゴも気付いたようだ。
私たち種族は、五感が優れている。
微かな気配も分かるのだ。
足音が、聞こえる。
どんどんこちらにやって来る。
これは、リン。
ではない。
そう分かったのは、音の数が多いからだった。
10、20……いや、50。
それ以上の音があちこちで聞こえる。
前方に、ロウムたちを囲むようにして何かが大勢潜んでいる。
これは。
「逃げろ。リアム。アルゴ」
「え?」
リアムとアルゴが同時に声を出す。
その瞬間。
パン!
破裂音とともに何かが飛んできた。
ロウムは飛んできたものを捉えた。
これは、鉄の球。
狙われたのは、アルゴだった。
ロウムは駆け出す。
アルゴに向かって猛突進する。
しかし、アルゴは少し離れていた。
一番、遠くに位置していたのだ。
鉄の球が、アルゴの脳天に向かっていく。
アルゴもそれを捉えたようだった。
しかし、遅い。
パンパンパン!パンパン!
その間にも、アルゴとロウムに向かって何発も鉄の球が浴びせられた。
その数、48発。
鉄の球は速い。
これを喰らえば、流石にロウムたちもただでは済まない。
ロウムは踏ん張り、飛んでくる鉄の球に向かって構えた。
そして、凄まじい衝撃波とともに鉄の球を手や尾で弾き出した。
リアムやチタに当たらないように、手で鉄の球を掴み取り、残りは尾で上空に向かって吹き飛ばす。
ロウムに向かって来た弾丸は、全弾無効化された。
ロウムは隣を見る。
左方にいた、アルゴを。
アルゴは。
血飛沫をあげて、絶命していた。
リンは抜け道をいそいそと歩き続けた。
このままでは、山の中で遭難してしまう。
みんなを追ってきたというのに、自身が迷っては笑い話にもならない。
陽が傾いてきた。
時間感覚も方向感覚も見失ったまま、犬のリアムが走って行ったであろう方向へ向かい続けている。
「どうしよう」
不安から一人そんな言葉が漏れる。
本当に、このまま一人ぼっちで夜を明かさなければならなくなったら、リンは泣き出してしまうだろう。
何か頼りになるものが欲しかった。
何でもいい。
少しばかりの灯りでもあればいいのに……。
そこで、リンは立ち止まった。
前方の暗闇から、うっすらと灯りが漏れている。
人だ。人に違いない。
リンは歓喜した。
一目散に走っていく。
しかし、そこで立ち止まる。
灯の先にある音が、多い。
何人もいる。
村の人たちが総出でリンを探し出しているのだろうか。
でも、ここは山の奥だ。リンより先にいるのは妙だった。
しかし、迷っているうちにどんどん音は近づいて来る。
リンは。
リンは、音の先に進んで行った。
「アルゴ?」
リアムはぽかんとして呟いた。
アルゴは、スローモーションがかかったようにゆっくり倒れていく。
脳天から、血が吹き出している。
ざざっ。
枯葉と枝に埋もれて、アルゴが倒れ込んだ。
時が止まったかのようだった。
騒々しい破裂音が嘘だったかのように静まり返っている。
そして、リアムの脳内も思考停止していた。
その無音の世界を打ち破ったのは、リアムが見つけたニンゲンの女だった。
「きゃあああああああああああああ」
絶叫。
その刹那。
ものすごい勢いで風が唸り、視界が加速した。
地震でも起こったのかと思った。
しかし、自身の手を見ると硬く握られていた。
引きずられている。
引きずっているのは。
「逃げるぞ、リアム」
ロウムだった。
リアムは状況が飲みこめず、ただこう言った。
「ア、アルゴが。アルゴが」
「アルゴはもうダメだ。死んだ」
「え?」
「殺されたんだ。ニンゲンたちに」
殺された?
ニンゲンに?
リアムの頭の中はぐるぐると渦を巻いた。
わけがわからない。
うそだ。
そんなはずは。
痛い。
リアムは自身の手を見る。
ロウムが、強く手を握っていた。
血管が浮き出て、鬱血するほどに。
リアムはロウムの顔を見る。
影になっていてよくは見えない。
しかし。
ロウムが、尋常じゃないほど怒りに燃えていることは分かった。
リアムはロウムの手を強く握り返した。
「……チタ王女を確保しました」
銃を持った男が報告する。
「そうか。それで、そこに這いつくばっている化け物は死んでるのか?」
同じく銃を持った一際背の高い男が確認する。
「はい。どうやら死んでいるようです。あれだけ撃ちましたからね。流石の”テラー”もひとたまりもありませんね」
長身の男が歩み出す。
化け物。
テラーを足で小突く。
反応はない。
確かに死んでいるようだ。
そこで、離れたところからわっと声が上がった。
長身の男が問いただす。
「なにかあったか?」
「隊長。こちらに来てください」
隊長と呼ばれた男が声の方へ向かう。
その威圧感と堂々たる歩み方は、見るものに恐れを抱かせる佇まいだった。
声のあった場所までくると、そこは崖っぷちだった。
隊長は部下の顔を見る。
「この下に、何かあるんだな?」
「はい。とにかく、見てください。凄い光景ですよ」
隊長は大きな身体をかがめて見下ろす。
そこにあったものは。
「……複数体のテラーの死骸。これだけの数をやったものは、一つしかないな」
「隊長。それは?」
ふんと笑って応え、隊長は数歩下がる。
それを見た部下は不思議そうに眺めた。
「隊長。一体……」
次の瞬間、隊長は勢いよく走り込み崖に飛び込んだ。
「隊長!」
部下たちが叫ぶ。
崖の高さは数十メートルはくだらない。このままでは、死んでしまう。
しかし、隊長は思い切り身体に力を込める。
筋肉が肥大し、全身の硬度が増す。
衝撃に備えて、空中で体勢を整える。
そして。
ダアアアアアアン!!
足先から地面に着地した。
ばっと鳥たちがけたたましく飛び立った。
衝撃が枯葉を舞い上がらせる。
上から覗き込んでいた部下たちは、ただただ口を開けてその光景を見ていた。冷や汗が止まらなかった。
隊長は、表情一つ変えず骨となったテラーの死骸に近寄る。
かがみ込んで、一つ一つ丁寧に調べる。
骨にヒビが入っている。
なかには原型をとどめていないものまである。これは、テラーの中でも化け物のような存在がいたに違いない。
この時、隊長はすでに目星をつけていた。
あいつだ。
さっき目の前で逃げおおせた大きなテラー。
あの化け物がやったに違いない。
それも、一人で。
その証拠に、死骸と一緒に投げ捨てられたであろう槍の先に骨片が付いていた。
これは、自分の槍が折れたので、仲間の槍を奪い取って使用したのだろう。
そう推測し、さらに調査を進める。
そして。
「こいつは」
見たことがあった。
テラーの中に一体だけ特徴的なマークがある。
装備品の表面に刺繍が入っているのだ。
人間が公認した数少ないテラー。
「……クリプトン」
人間が暮らす国へ内密に足を運び、テラーの情報を売っていた男だ。
この男をきっかけに、テラーにも理性があり、文明を築いていることが明らかとなった。
そうか、ここ数年音信が途絶えたと思っていたら殺されていたのか。
「自業自得だな」
無情に隊長は吐き捨てる。
そして、矢入れのケースを開けた。
中を弄る。
何かある。
それは、一枚の紙片だった。
折り畳まれた紙片を広げ、読んでみる。
その内容。
隊長と呼ばれた男。
カミームはくしゃりと紙を握りしめた。
そして、ニヤリと笑った。
「そうか。我ら人間に楯突くとは、命知らずな奴らだ」
隊長はまた数歩下がり、数十メートル以上離れた木に向かって走り出す。
それを思い切り蹴飛ばし、崖の断面向かって右足を突き出す。
そして、再び木に向かって左足を突き出し、木が倒れんばかりに蹴飛ばした。
音もなく、部下たちのいる崖上へ舞い戻った。
「た、隊長……」
部下が後退る。
カミームは、指示を出す。
「チタ王女を早急に国へお送りしろ。王がお待ちだ」
「は、はい!」
「残りの者はこの山中を調べ上げろ。テラーと遭遇した場合、頭を狙え。慌てず、命中させることだ」
「分かりました!」
「俺は帰還する。だが、報告はお前たちでやることだ。少し用があるのでな」
「用、と言いますと?」
「チーム”キニゴス”を招集する」
部下たちは一斉に騒ぎだす。
口々に何かを言い立てる。
部下の一人が意見する。
「隊長。お言葉ですが、彼らを呼ぶのはこの任務には適していないのではないでしょうか。何せ、彼らは対テラー特殊部隊です。今回任ぜられたのは、チタ王女の捜索です」
「しかし、テラーが近くにいただろう」
「近くには居ましたが、襲撃前に奪還できましたし、ここは撤退をした方が……」
「怖気付いてるのか?」
「え?」
低い、低い声が地響きのように問う。
部下は何も答えられない。
恐怖だ。
人間界の化け物。カミームに逆らえる者はない。
固まった部下から視線を外し、カミームはゆっくりと歩く。
そして、口笛を吹く。
不気味な音色が狂ったように弾み出す。
狂想。
一体、どちらが化け物で、どちらが人なのか、それを決めるのは歴史という勝者なのである。
後ろで騒がしく部下たちが動き回る音がする。
山がざわざわと震え出す。
悲鳴が聞こえる。
鳥が羽ばたく。
口笛が響く。
カミームは満面の笑みで独りごちた。
「さあ、戦争の始まりだ」