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間もなく5月になろうというのに、朝晩の冷え込みは未だに厳しく、手に添えた枝木には桜の花が色めいている。散り際の美しさを残すのみとなった自宅の桜。
槇村はこの木に触れ、語り、病んだ精神を落ち着かせていた。
3ヶ月ぶりの我が家で、昨夜は家族水入らずで過ごせた。
子供達の緊張した笑顔を酒の肴に、槇村は発泡酒を飲んだ。
時間の経過と共に、家族は柔和な表情へと変わっていった。
水炊きを囲みながら笑い、あすかとも久しぶりにキスを交わした。
総理大臣という身分でありながら、幸せを感じている。
その想いに、後ろめたさがあったのも事実で、眠れないまま陽が昇るのを感じていると、久保キリカが自宅を訪れた。
今日は総理談話を発表する予定なのだ。
その後に、アメリカ合衆国も大統領の演説を行う。
全ての手筈は整えていた。
槇村は、老木に手をあてがい、昨夜の倉敷との会話を思い返しながら悩んでいた。
決めきれない小心者が、此処にいる。
槇村は自分を卑下していた。
「倉敷君…」
「はい」
「君は幣原さんに何を話したのかな?私の知らないところで君は何を考えてるのかね?」
「総理、何故…?」
「幣原さんが電話して来たんだよ。新党を立ち上げようと目論む輩がいるって。君は何を考えてる?」
「私は!」
冷静沈着な倉敷が、珍しく声を荒げた瞬間だった。
槇村は言葉を待った。
「私は、槇村内閣の存続こそが救いの道だと考えてます。それ以外には何もありません」
「国民に真を問うのは間違いだと?」
「その為の新党です!衆参同日選挙など暴挙に等しい」
倉敷はそう言い残して、槇村に背中を向けて去って行った。
目の前の老木が朽ち果てる様を、自分は決して見る事はないだろう。
何故なら、この桜の木は気品と逞しさに満ち溢れ、思春期のまま永遠に歳をとらないからだ。
後援会長と交わした言葉が頭をよぎる。
ザラザラとした感触と、その中の温もり。
槇村は額を老木に押し当てて目を閉じた。
東京ジェノサイドでいなくなった後援会長の声も、はっきりとは思い出せないでいた。
合衆国空中司令機の事故原因と、東京ジェノサイドの因果関係。
アメリカ側の事故調の所見は、今日の槇村の会見の後で、大統領が直に演説に取り入れる方針を固めていた。
その内容は伏せられたままで、それは相互の信頼関係の破綻を意味している。
槇村は思う。
東京ジェノサイドに兵器が使用されたとすれば、その恩恵に預かれる国は何処か。
中国が東京テロに関わっていたのは間違いなかった。
では第3国はどうだろう?
テロリストの多くは、工作員として長年日本で暗躍していた。
しかし、何故防衛省を狙ったのかが不明だった。
誰だ…何処と交わっている…?
ロシア。
韓国。
アメリカ。
この国を葬り去ろうと企む敵が、未だに掴めなかった。
『見えない敵』
は、タチの悪いウイルスでしか無い。
その存在に、頭を悩ます気苦労は図り知れなかった。
数10万人の生命の灯りも、確認出来ないままでいる。
人為的な計画ならば、相手はホロコーストを躊躇しない集団。
そして統制も取れている。
倉敷の言葉が胸に刺さっていた。
「解散総選挙など暴挙に等しい」
それは槇村にも解っていた。
選挙か、国家存続事態法に基づいての内閣続行か。
槇村の心は揺れていた。