コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
いつしか、人を自殺に追い込む、殺し合いをさせる、などということを一切しなくなった。
昔から、記憶喪失のような感覚に日々追われている。それは突如この世に産み落とされたような感覚だけがあって、目の前が目の前のままとして頭は認識していた。
例えば、俺は塵まみれの広い草原で一人突っ立っている。ここまでは理解に及ぶが、その状況に至るまでがさっぱり抜け落ちていた。それどころか、疑問にも思わず、いや、薄々と感じてはいたのだが、こんなところまで来てしまっては、もうそんなことに関心を持っていなかった。
なぜだろう、なぜだろう、ともはや、自分が記憶喪失だったことよりも、なぜそれを不思議にも思わず生きていけたのか、の方が印象が濃い気がした。
そこで俺は、一度、本気で自分と向き合っておはなしを持ちかけることに決めた。これまで一時だって他人を気にかけることなく、常と自分に夢中だった俺が、ここまで自分に無関心でいられる理由。それすら無関心になってしまっては、もうおしまいだ。思い立ってすぐに思考した。
うーん、と海馬をぐんと進む。
まず、自分の行く末や生き様に絶望し、ヤケクソになった故に興味が薄れた、これを3割として、のこりの7割はなにかと聞かれよう。
あ、絶対に外せないものがあったな。
ハッと口を覆った。なぜそれを忘れていたのだろう。そしてのこりの7割を埋めようとしたところ、ない右目の視界側からギラリと光が飛び込んだ。
左目の端で微かに捉えたそれは、脳で理解するよりも、もっと早く横切っていく。ざっと、目先の5センチ離れたところだろうか。そこをさぞ気持ちよさそうにヒュンと飛んでいく光を反射したそれは、どうしたってナイフにしか見えなかった。そして、鋭利な刃物は、俺の左側にある壁に豪快な音をこれでもかと響かせて刺さった。左側の壁といっても、俺は滞在している広い基地の居間の中央ソファに座っていたため、程遠い距離がある。しかも、俺は横切るのを見ただけで、刺さった場面は視認していない。実際は音が遅れて聞こえたくらい、距離が遠かったか、ナイフの速度が速かったのだと思う。
と、まぁいらない解説はいらないままにしておこう。このようなナイフ投げをお披露目するやつを、俺は一人しか知らない。
悪化した胃痛と、それと止めどがない親愛をよそに、首を右へ半回転させた。
俺への殺意がないとはいえど、怪我をしないとはいえど、危うくナイフと接触しそうになる距離で投げたそいつを睨む。精一杯に眉間をしわくちゃにしたって、怯むことすらしないキラーは、その様子を見てクスクスとこちらをからかった。
反省の一つすらしないのか、この阿呆が。内心怒りがふつふつと漏れ出てしまいそうだったが、それが暴発せずにいれたのは、きっとコイツらがその7割だから。
ひとしきりニタリ顔をしたキラーは予備のナイフだろうか、まだ新品に見える刃物をくるりと手中で遊ばせ、口を開く。
「しけた顔してんじゃねえよ、根暗が移る。」
声色さえも無性に殴りたくなるこのサイコパスは、俺が拾ってきた…部下だ。
出会った頃から変わらない態度。昔ならそれを見て即、首をもいでいたな、と鼻で笑った。が、その当時でさえこいつはこんな態度だったので、本当に気狂いは処分に値すると意見したい、なんて。
「キラー、ナイフを投げるな。お前の馬鹿げたコントロールが俺に移ったらどうする。」
「いや、実際ボスは狙ってなかった。ほら、ナイフが刺さった壁を見てっ。」
耐えきれないと吹き出したキラーに、なんなんだ、と困惑し、キラーなんかに指図された苛つきを抑えながらナイフの刺さる壁を視界に収める。
おお、と感嘆すら湧く。
腰椎をナイフに貫かれ、流れ出る血を纏って脱力し、ぐーすかと寝息を立てているマーダーがいた。
キラーは、俺が壁に貼り付けられたマーダーを見た瞬間、ついに大声で笑い出した。
「…芸術的だな。個展でも開くのか?」
「っぶ…っぎゃはっははは!」
随分楽しそうな様子に、俺は微笑ましいような、憎悪とはちがう感情を再自覚する。
マーダー、という灰かぶりのスケルトンもまた、キラーと同じに俺が拾ってきた部下の一人だった。実を言えば、キラーよりマーダーのほうが付き合いは長い。キラーにいつも通り振る舞ってくれる安心感があるのだとしたら、マーダーは、その静穏な雰囲気が安心感を与えてくれる。
安心感、しばらく反芻したって、この俺から安心感なんてポジティブがすぎた単語が浮かぶとは微塵にも思えなかった。だが、事実。
俺は利用するために集めたカワイソウな化け物たちに安心感を覚えているらしい。
キラーの大きい笑い声で覚醒したマーダーは、ブチブチと音を立てて自身の骨を貫く鋭い刃から逃れた。ナイフが貫通したまま、笑い転げるキラーの方へ疾走するマーダーはとても見ていられない。