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ベランダに向かうと月明かりの下で凪ちゃんがマニキュアを塗っていた。人工の光ではなく月明かりを頼りにして一心不乱にボルドー色のマニキュアを塗っていた。ボルドー色のマニキュア。凪ちゃんの好きな色。そして、凪ちゃんの嫌いな色。彼が血によく似ているその色を塗るのは、いつだって辛い時。別に本人から聞いたわけじゃない。第一、本人は気づいてないはずだ。何かのきっかけで誰かにバレてしまうかもしれない、そんなことをやるようなではない。人に相談もしないで自分一人で解決しようとする人だから。でも、凪ちゃんが辛い顔をしている時、仕事の進みが恐ろしく速いとき、運動やタバコや作業に没頭しようとしてるとき、その手には必ずその色がある。逆にそういう時以外にその色を見かけることはない。
それは、凪ちゃんから俺への無意識のメッセージだと思ってる。
「凪ちゃん。」
「あ、セラ夫。起こしてしまいましたか?」
俺のことを認識した瞬間に申し訳なさそうにしつつも花が綻ぶような笑顔を見せてくれるのは嬉しいけど、
「んや、喉が渇いて目が覚めただけだよ〜ん。」
「そうですか。」
最初に俺のことを気遣ってくれるのも嬉しいけど、
「何してんの?」
「マニキュアを塗っているんです。後は左手の2度目を塗ったら終わりですけど。」
やっぱり、自分のことを第一にして欲しいと思うわけで、
「俺が塗っても良い?」
「え、構いませんよ。はいどうぞ。使い方は分かりますよね?」
「うん、大丈夫だよ〜。」
凪ちゃんが自分で自分のことを大事にできないなら、代わりに、俺がアキラのこと大事にするから、
「セラ夫って相変わらず器用ですね。慣れてないと、ここ暗いでしょう?」
「細かい作業は得意だし、俺は凪ちゃんと違って夜目がきくからね〜。」
一人で壊れていなくなるなんてことにならないで欲しい。
俺が寂しさも、切なさも、何もかもを半分受け持つから……
「よし、できた。」
「…………はみ出しもない。さすがセラ夫。相変わらず器用ですね。」
「ふふん。」
少しの沈黙が落ちる。俺らの間では何ら不思議ではない、いつも通りのもののはずで、現に凪ちゃんも俺が塗った爪に気を取られているように見える。でも、実際は違う。凪ちゃんはこちらを伺っている。怯えている。何に怯えているのか、俺は知らない。でも、
「ねぇ、凪ちゃん。」
「はい?」
「もし、もしもだよ。もしも、凪ちゃんが凪ちゃんを[四季凪アキラ]を忘れたとしても、俺は、俺達はちゃんと覚えてるから。俺は絶対[四季凪アキラ]を忘れないし、絶対忘れさせない。」
そう。絶対忘れない。俺が彼に渡してきたモノはまだまだ彼から貰ったモノに達せていない。
「君が俺を[Ares]から[セラフ・ダズルガーデン]にしてくれたように、もし、万が一があったときは、俺が君を[名もなき誰か]から[四季凪アキラ]にしてあげるから。だから……、」
“いなくならないで”も“壊れないで”も“相談して”も。伝えたいことはたくさんある。でも、きっと君には伝わらないし、俺はそれを君に伝えることはできないから。全部を載せて、
「だから、…………これまでもこれからもずっと。ずっとずっと、愛してるよ。凪ちゃん。」
ただ、ただ君の隣で君を心配することくらいは許してほしい。
「…………ありがとうございます。セラ夫。」
いつでも君を引き上げてあげるけれど、叶うならば、君のその諦めと嬉しさが滲んだその笑顔の作り方を君が忘れてしまうことを願わせてくれ。