みんなと別れて大葉とふたり。
居間猫神社のお賽銭箱へお金を入れて、再度ゆっくりとお礼の報告をしたら、おばあさんがいたときには姿を消していたふくふく三毛猫がやってきて、境内の片隅へ避けた羽理と大葉の間を8の字を描くみたいにグルグルグルグル回りながらすり寄るのだ。
「ねぇ三毛ちゃん、貴女があのおばあさんなんでしょう?」
羽理の問いかけに、猫は大葉言うところの『不思議の国のアリス』に出てくるチェシャ猫スマイルを浮かべてニィーッと口元をゆがめてみせると、およそその体型には似つかわしくない素早い動作で走り去ってしまう。
羽理と大葉の足元には、可愛い足跡で出来た無限大(∞)マークと、その丸と丸が交わるど真ん中にひとつ、猫マスコット付きの御守が落ちていた。
大葉が何の気なしに拾い上げたら、チリン♪と澄み切った鈴の音が境内に響き渡る。
たくさんの人出で賑わっていてガヤガヤと騒がしいはずなのに、一瞬だけシン……と静まり返った気がして、大葉は羽理とふたり、思わず顔を見合わせた。
金色の鈴が付いた御守には、肩を寄せ合うようにくっ付いた四匹の猫たちが一塊。真ん中に挟まれた猫二匹が、両サイドの猫たちより小さいのは仔猫だからだろうか。
だとすれば両サイドは両親?
そう思って大葉がその御守を空へ向けてかざしたら、横で一緒にそれを見上げていた羽理が、「猫ちゃんたちの裏っかわに【家内安全】って書いてあります」とつぶやいた。
家内安全といえば、家族全員が元気で幸せにいられますようにと祈願する御守だ。家族全員といっても、自分たちのもとには子供は出来ていないはずなのだが、真ん中のちっこい二匹は何だろう……?
「うちにはまだ子供いませんし、一匹がキュウリちゃんだとしても、家族がひとり多いですね」
小首を傾げた羽理が、「私、居間猫神社の御守は参拝者によってしかるべき形態のものが用意されるんだと勝手に思ってました」とかやたらこの神社を過信したことを言う。それを聞きながら、(そういえば岳斗が子宝祈願の御守をくれていたっけ)と思い出した大葉だ。
結婚式までまだ間があるし、避妊はばっちりしているはずなのだが、妙な胸騒ぎがするのは何故だろう?
(まさか羽理の腹ん中にはすでに双子が!?)
なんてこちらも突拍子もないことを思いながら、羽理とふたり手を繋いで鳥居を抜けて……浴衣姿のまま車へ乗り込んで市役所を目指した。
***
今日は日曜で閉庁日だ。
裏手にある時間外受付窓口で守衛に婚姻届を出した羽理と大葉は、「多分不備はないと思います。月曜日に担当職員がチェックして、何も問題がなければさかのぼって今日がお二人の入籍日になるはずです。おめでとうございます」と仮初めの祝いの言葉を頂いた。
「まだ絶対じゃないですけど……私、今日から屋久蓑羽理になるんですかね?」
ソワソワと羽理が浴衣の袂を揺らしながら大葉を見上げてくるのがたまらなく可愛い。
「ああ。お前は今日から俺の奥さんだ」
そう言ったら、何だかやたらと照れてしまった大葉だ。
「もぉ、そんな赤くならないで下さいっ。私まで照れてしまうじゃないですかっ」
きっとこんなに照れ臭いのは、お互い見慣れない浴衣姿のせいに違いない。
そう結論付けて二人して真っ赤になりながら、それでもすっごく幸せだ。
どちらからともなく伸ばした手をギュッと離さないよう指を絡ませて握り合って、何となく恥ずかしくて無言で庁舎をあとにする。
裏口から市役所を出て、駐車場に停めた車を目指して歩いていたら、今日は閉ざされている正面入り口のあたりでいきなり小さな毛玉に駆け寄られた。
「おっと!」
「ひゃっ!」
行く手を阻むみたいに足へまとわりついてくる小さな生き物にふたり同時に驚きの声を上げて、小さいのを踏みたくなくて同じように二の足を踏んだ。
毛玉が駆け寄ってきた先を見遣れば、正面玄関のすぐ横にダンボール箱が置かれていて、「かわいがってください」と子供の筆跡と思しきヨロヨロとしたマジック書きのたどたどしい文字が箱一面に大きく踊っていた。
「今日は市役所休みだぞ。誰も通りかからなかったらどうする気だったんだよ……」
溜め息混じり。仔猫が無事でよかったという思いから思わずぼやいた大葉だったのだが、この仔猫はそこから出てきたとみて間違いないだろう。
まん丸な目でこちらを見上げて「ニィー……」と赤ちゃん猫特有の、どこかくすぐったくなるような高めの声で鳴くのを、猫好きな羽理が放置できるはずもない。
「お腹すいたの?」
あっという間に強く握っていたはずの手指をほどかれてしゃがみ込んだ羽理に、仔猫がスリスリと擦り寄る。
(こら、チビ! 俺から羽理を奪るなよ!)
なんて心の狭いことを思う大葉の気持ちなんて知らぬげに、
「大葉ー……」
猫を抱き上げた羽理から、大きなアーモンドアイでキュルルンッと見上げられた大葉は、はぁっと吐息を落とした。
あの御守の真ん中の小さいのは、双子とかじゃなくて片方がウリちゃんで、どうやらもう片方はこういうことだったらしい。
小さな三毛猫を愛し気に抱えた羽理へ、半ば諦めモード。気持ちを切り替えた大葉が「名前はどうするんだ?」と問い掛けたら、羽理が「連れて帰ってもいいの!?」と、瞳をキラキラと輝かせた。
***
「貴女のお名前、なんにしようか?」
助手席で仔猫をひざに載せたまま、羽理が新入りちゃんの呼び名を何にすべきか悩んでいたら、大葉からいきなり、「なぁ、トマトとかどうだ? ウリちゃんがキュウリで、夏の野菜繋がりだ!」と、とんでもない提案をされる。
羽理は夏の、と一緒に告げられたトマトに思わずテンパって、「夏乃トマトはダメです! 私と同じになっちゃいます!」とか言わなくてもいいことを口走ってしまった。
「……何でお前と同じなんだ。お前はトマトじゃなくて瓜だろう?」
大葉のキョトンとした声音に、 ハッとして口をつぐんだ時には後の祭り。
「あー、それで思い出した! 前にお前、〝ナツノトマト〟がどうのって口走ったことがあっただろ? あれ、あとで検索してみたら、結構面白い小説を書く〝夏乃トマト〟っていう、同じ響きの名を持つ書き手がいたんだ。……ひょっとして知り合いか?」
大葉にさらりと「お前もWeb小説書いてるとか言ってたもんな?」と付け加えられた羽理は、「こ、この子の名前、オクラにします!」と、大葉の言葉を無視して畳みかけるように口走っていた。
そんな羽理の様子を見て、さすがの大葉も先程からの挙動不審極まりない羽理の言動と照らし合わせて、(夏乃トマトはうちの嫁だな)と確信したのだが、本人には言わずにおいた。
(こっそりファン登録しておこう)
そう思ったからだ。
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あらら(笑)