レオン様の伝書鳥であるエリスは、ジェムラート邸の敷地内で待機している。先ほどルーイ先生と一緒に作成した報告書を渡すために、俺は屋敷の外へ出た。周囲を軽く見回し、比較的高めの木が植えてある場所に向かって指笛を鳴らす。ピーッという音が庭に響き渡った。そのまま2、3回ほど鳴らして様子を見る。すると、まるでこちらに対して返事をするかのように『クーッ、クーッ』という鳥の鳴き声が指笛の後に続いたのだ。
「おいで、エリス」
エリスがちゃんといることが確認できたので、今度は名前を直接呼びかける。彼は俺の事はもちろん、レオン様と関わりの深い人間の顔と声を認識している。知っている者に名前を呼ばれた事で、『仕事』であると理解したようだ。木の上から赤い塊が飛び出して来た。それは俺の元へ一直線に向かってくる。
「よしよし、お利口だな。レオン様にこれを届けてくれるか」
エリスを腕に止まらせると、最初に彼の大好物である木の実を渡す。嘴と足の爪を器用に使い、あっという間に実を完食してしまった。おやつを貰ってご機嫌であろう彼に、報告書の入った鉄製の筒を差し出す。エリスは筒を数秒ほど眺めると、これまた器用にその筒を足で受け取った。筒を両足でしっかりと握ると、翼を大きく広げてエリスは俺の腕から飛び立った。
障害物の無い空を行き来するエリスが、王宮に到着するのにかかる時間は数十分程度だ。フットワークの軽い主の事だから、手紙を受け取ったらすぐに何らかの行動を起こすに違いない。こちら側ものんびりしてはいられない。
報告書をエリスに託すと、次はルーイ先生が最初に使っていた客室へと向かった。リズさんとジェフェリーさんをそこで待たせているからだ。ふたりにもこれからの事を説明しておかなければならない。
リズさんとジェフェリーさんも中庭に居合わせたのだ。特にカレン嬢については気になっているに違いない。彼女の処遇はこちらに委ねて貰えないかと、公爵に許可は取ったが……果たしてどうなるか。レオン様のお考えを聞いてみない事にはなんとも言えないな。
そして、更に問題なのはニコラ・イーストンについてだ。彼女はどこへ行ってしまったのだろう。これ以上先生の『もしも』が当たってしまうのが怖かった。
屋敷に出入りしていた魔法使いの正体である『エルドレッド』が接触していたのは、ジェフェリーさんだけのようだし……ニコラ・イーストンがニュアージュの魔法使いと関わりがある可能性は低くなったのではないだろうか。けれど、それにしたって彼女の行動には不審な点が多すぎる。ミシェルが気にしていたバングルもそうだが、分からないことばかりだ。ニコラ・イーストンが島で起きた事件と関係があるかどうか……今後の調査で明らかになれば良いのだが……。少なくとも、彼女の身に何かが起きているというのは間違いない。
今回も考えごとをしながらの移動だったため、気が付いたらルーイ先生の客室の前まで到着していた。リズさんとジェフェリーさんにこの部屋での待機を命じてから、2時間以上経過している。待ちくたびれているだろうな。
「セドリックです。お待たせしてしまい、申し訳ありません」
部屋の中に向かって呼びかける。すると、すぐにリズさんの声が聞こえた。
「今開けますね」
扉の隙間からリズさんが顔を覗かせる。いつもなら実年齢にそぐわない毅然とした態度を心掛けている彼女だけれど、中庭での出来事がそれなり堪えたようで顔には疲れの色が浮かんでいた。
「すみません。待ちくたびれたでしょう?」
「いいえ。ジェフェリーさんも一緒だったので……お話ししながら待っていました」
リズさんに促されて部屋に入る。ジェフェリーさんは椅子に座っていた。テーブルの上には、俺達がお茶を飲んだ時の食器類がそのままの状態で残っていた。慌てて出て行ったからすっかり忘れていたな。
俺の視線の動きを見て、放置されている食器の事を考えているのだと察したのか、リズさんが気まずそうに口を開いた。
「……私が勝手な行動を取ったせいで、セドリックさん達にご迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい」
自分が中庭にいるのが見えたから急いで駆け付けてくれたのだろうと、リズさんは己の行動の軽率さを反省したのだそうだ。この食器を見ただけで俺たちの行動を推察したのか。本当にこの子は……レオン様と張るくらいに聡いな。
「迷惑だなんてとんでもない。リズさんの協力に、我々はとても助けられているのですよ。ありがとうございます」
強張っていた彼女の表情が緩んだ。僅かでも気が楽になったのであれば良いけれど……
食器を放置するくらい慌ただしくしていたのは本当だ。けれどそれは、リズさんだけが原因ではない。彼女を中庭で発見するより少し前……俺たちを動揺させる出来事があったからだ。そう、ルーイ先生によるニコラ・イーストンについての考察だ。これを受けて俺とミシェルは、食器を気にする余裕がなくなってしまったのだった。
「うっかりしていました。すぐに片付けますね。ついでに新しいお茶を淹れ直してきます」
「あっ、それなら私がやりますよ。ジェムラート家の厨房なら私の方が慣れていますし……」
「いいんですよ。ここで待っていて下さい」
リズさんとジェフェリーさんも浮き足だっているように見える。まずは温かいお茶でも飲ませて気分を落ち着かせよう。話をするのはそれからだな。
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