テラーノベル
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夜は、深く沈んでいた。
風もなく、ただ静かに、世界が息を潜めている。
崩れかけた建造物の奥。
かろうじて形を保った部屋の中で、淡い光が揺れていた。
その中心で。
クレハは壁に寄りかかり、荒い呼吸を繰り返している。
「……っ」
肩口から脇腹にかけて、大きく裂けた傷。
再生は始まっているが、まだ不完全だった。
「……無茶しすぎだ」
低く、抑えた声。
シオンは、すぐ傍に膝をついていた。
その手には、淡く光る蔓。
それをそっと、クレハの傷へと当てる。
じんわりと、やさしい光が滲む。
「……別に」
クレハが息を吐く。
「置いていってもよかったのに」
軽口のつもりだった。
でも。
シオンは、ほんの少しだけ眉を寄せる。
「……置いていくわけないだろ」
小さく、呟く。
クレハは、一瞬だけ言葉を失う。
「……なによそれ」
「事実だ」
淡々とした声。
けれど、その手つきはさっきよりもずっと丁寧だった。
痛みを逃がすように、ゆっくりと蔓を這わせていく。
「……痛むか」
「ちょっとだけ」
「我慢しろ」
そう言いながら、少しだけ力を弱める。
矛盾した優しさ。
クレハは、ふっと笑った。
「やっぱり優しいのね」
「違う」
即答。
でも否定しきれていない声。
少しの沈黙。
その中で――
シオンの口から、ふと旋律が零れる。
静かな歌。
壊れた世界には似合わないほど、やわらかい音。
クレハが、目を細める。
「……その歌」
シオンは、止めない。
ただ、少しだけ声が揺れる。
「よく歌ってるよね」
「……ああ」
短い返事。
歌は、そこで途切れる。
静寂が戻る。
「好きなの?」
クレハが尋ねる。
何気ない問い。
けれど、どこか探るようでもあった。
シオンは、少しだけ目を伏せる。
その顔は――
ほんの一瞬だけ、寂しさを滲ませる。
「……ああ」
かすかに頷く。
「昔な」
そして。
静かに続ける。
「僕と……アルトで作った歌だ」
クレハの視線が、わずかに変わる。
「へえ」
小さく息をつく。
「そういうの作るんだ」
「……あいつが言い出した」
シオンは、遠くを見る。
「“消えないものを作ろう”ってな」
かすかに笑う。
それは、今のシオンからは想像できないくらい、やさしい表情だった。
「で、作った」
「その結果がそれ?」
「ああ」
短く答える。
「くだらないだろ」
「……ううん」
クレハは首を横に振る。
「いいと思うわ」
まっすぐな声。
「ちゃんと、残ってるじゃない」
シオンは、何も言わない。
ただ、ほんの少しだけ視線を落とす。
「……そのアルトってやつ」
クレハが、静かに言う。
「まだ、大事なんでしょ」
手当てをしていた手が、一瞬だけ止まる。
光が、かすかに揺れる。
「……大事さ、苦しいくらいに」
シオンは、ほんの少しだけ苦く笑う。
「お前、そういうとこ鋭いな」
「観察力は高いのよ」
軽く返す。
その空気は、少しだけ柔らかくなる。
やがて。
シオンは、最後の処置を終える。
蔓がほどけ、光が消えていく。
「……これでいい」
「ありがと」
クレハが、素直に言う。
シオンは、少しだけ目を細める。
「……無理するな」
ぽつりと、付け足す。
クレハは、一瞬だけ驚いた顔をする。
「命令?」
「違う」
少しだけ間を置いて。
「……忠告だ」
クレハは、小さく笑う。
「じゃあ、聞いとく」
シオンは立ち上がる。
背を向けて、歩き出す。
その途中で――
一度だけ、足を止める。
振り返らないまま。
「……あいつは」
低く、呟く。
「まだ、歌ってるかもな」
クレハは、静かに目を細める。
「だったら?」
シオンは、答えない。
ただ。
再び、あの旋律を――
今度は少しだけやさしい声で口ずさみながら。
闇の中へ、消えていった。