テラーノベル
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逃げ出そうとした身体が、背後からの圧倒的な熱に包み込まれる。
「っ……!?」
ぐいっ、と強い力で引き寄せられ、私の背中は陽一さんの胸板に沈んだ。
(……あつい。それに陽一さんってこんなに腕太かったっけ?……)
私を逃がさないように閉じ込めているこの腕は、私が普段知っている「優しいけど、少し頼りない陽一さん」じゃない。私を行かせまいとする、一人の「男」の体温だった。
(……だめ。流されちゃだめ)
頭では分かっている。この人は、もうすぐ元カノと結婚して、お腹の子供のために生きる人なんだと。けれど、背中から伝わる鼓動と、彼のもたらす熱に、決心したはずの心が揺らぎそうになる。
私はその太い腕を剥がそうと抗ったけれど、ビクともしなかった。その事実が、私の惨めさを加速させる。
「……離してっ! 元カノさんが待ってるんでしょ!?」
「……うそっ! だって、私見たんです……!」
溢れ出る涙もそのままに、悲鳴のような声を絞り出した。
「銀座のジュエリーショップ……! 金髪の、マタニティマークをつけた女の人と一緒にいたじゃない……!」
思い出すだけで、呼吸が詰まる。あの時の陽一さんの、彼女を気遣い、慈しむような視線。
「あの人と結婚するんでしょ!? もうすぐパパになるんでしょ!? なのに、どうしてこんなに優しくするのよぉ……ッ! 私のことはもう、放っておいて!」
泣きじゃくりながら叫ぶ私に、陽一さんが息を呑む気配がした。
「……銀座? 金髪? 妊婦……?」
耳元で、陽一さんの困惑した声が聞こえた。
そして――ハッとしたように、彼が大きく息を吸い込んだ。
「……白石さん。もしかして、見てたんですか?」
「……う、うん……。全部、見てた……」
私の肯定を聞いた瞬間。陽一さんは、路地裏に響き渡るような大声で叫んだ。
「ち、違います!! あれは妹!! 妹の美咲です!!」
「……へ?」
私の口から、間の抜けた声が漏れた。涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、私はゆっくりと瞬きをした。
「…元カノとよりを戻したんじゃ……ない?」
「そんなこと、あるわけないでしょう!!誓って言います、僕には白石さん以外、好きな人なんていません!!」
陽一さんの必死すぎる叫びが六月の終わりの、生ぬるく湿った空気に溶けていく。私の脳内で、巨大な「誤解」という氷山が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。
安堵と、回ってきた酔いのせいだろうか。私はそのまま、その場に崩れるように座り込んだ。
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