堕天の夜が明けたあと、
この地は二度と“朝”を迎えなかった。
空は裂け、灰が雪のように降り注ぐ。
焼けた翼の羽根が散り、大地は光を拒んでいる。
その中心を、ルシエルはひとり歩いていた。
かつて“暁の光”と呼ばれた天使。
今は黒い翼の断片を背に、終わりなき荒野を彷徨う亡霊。
風が吹くたびに、焦げた大地の奥から、誰かの祈りの残響が聞こえる。
それは、死にゆく人間たちが最後に口にした神の名――
しかし、彼にとってそれはただの嘲笑だった。
神は沈黙し、天は崩れた。
光を信じた者たちは滅び、闇を恐れた者たちは逃げ出した。
それでも彼は、生きている。
いや、“生かされている”のかもしれない。罰として。
彼の手には、一枚の黒い羽。
それはエリシアのものだった。
燃え落ちる天の炎の中で、ただ一枚だけ残った羽。
触れるたび、微かな温もりが指先に蘇る。
「おまえは……まだ、この世界にいるのか。」
その囁きに応える声はない。
けれど、風のざわめきが、どこか懐かしい旋律を運んでくる。
まるで、彼女が微笑みながら歌っていた夜の祈りのように。
彼はそれを追い、朽ちた花園《エルダ・ノア》の跡地に辿り着いた。
かつて、禁を破った場所。
神の光が最初に堕ちた地。
そこには、焼け焦げた石と枯れた樹々だけがあった。
だが、その中心で――小さな光が揺らめいていた。
それは一輪の花のようで、灰の中でひっそりと燃えていた。
「……まさか。」
手を伸ばすと、風が囁いた。
“あなたが堕ちても、
私の夜はあなたを照らすでしょう。”
あの日の声。
瞬間、彼の胸に再び火が灯った。
希望なのか、錯覚なのか――
それでも構わなかった。
「待っていろ、エリシア。
この灰の底からでも、おまえを見つけ出す。」
彼は再び歩き出す。
闇の果てに消えた彼女を探すために。
だがその背に、黒き炎が揺らめいていた。
それは愛の形を失った、純粋な憤怒の種。
世界を焼き尽くす予兆を孕んだ、静かな火だった。
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