テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
羽海汐遠
16,711
麗太
239
41
#ほのぼの
教師を初めてから、早いもので13年が経った。今日は8月12日、金曜日。
去年の今日のことはよく覚えている。
なぜなら、あの子が居なくなった日だからだ。
そう、今日はあの子の命日で、一周忌となる。
真夏の通り雨にあたりが侵され、じっとりした空気に満たされる。新山家に行く道の途中にあるバス停で一瞬雨宿りをし、雨が去るのを待つことにした。 空をふと見上げるとどんより灰色で、気分もどんどんブルーになっていくのがわかる。 心の臓が活気を失って、目が虚ろになり、顔の堀が深くなる感じだ。
15という若さで死んだあの子は、飛び降り自殺だったという。
一体何がそうさせたのか、学校のある月火水木金毎日見ていたのにまったく理解できない。
いっつもにこにこしていたし、周りにも優しかった女の子だった。
ほかの女子生徒となんら変わらない、
一生懸命前髪を整えていたり、スカート丈を気にしていたり。ほんとうに、普通の女の子だった。いきなり訃報を聞いた時は、うっかり脳の血管がぶちぎれるところだった。ほんとうに、衝撃的な知らせだったのをよく覚えている。
最近、あの子のことを考えていると本当に死にたくなってくる。身内でもない。プライベートな仲でも無い、が、なんかの力が働いてそうなっているのだろう。
でも、どれだけ悲しくて生きたくなくても、月35万を稼いで、うち28万を家に納めなければならない。たとえ俺が死んでも、嫁と子供は生きてゆくのだから。
…でもこの言葉は、もう生きる必要がないともとれる。俺がいなくてもいくらでも世界はぐるぐるまわる。俺だけじゃない。去年死んだ新山さんも、居なくても学校はあるし、行事だってするし、夏休みも抜かりなく来る。今だって、セミも鳴いてるし雨も降るし、バスもあと10分で来るそうだ。それに、新山さんを語る上で欠かせない合唱コンクールも、予定通りなら今年9月27日にある。
欠かせないというのは、彼女がとてもピアノが達者だったからだ。毎年クラスの伴奏をしていたし、3年生の卒業を祝う会や、校歌の合唱伴奏も、オーディションの上、正当な評価ですべて勝ち抜いていた。正真正銘、学年1ピアノの上手い女の子だった。さっき記したように、合唱コンクールは彼女が居なくても回っている。べつにいちばん上手い人が死んだところで、別に上手い子もいる。それも中々絶望的だが、それよりやるせないのが、彼女が死んだことにより、それまで新山さんに勝てずにオーディションで負け続けた子供たちが、伴奏の座を勝ち取れるようになったことだ。この事実は非常に何とも言えないが、俺はただただ悲しいと思う。
他の子のピアノの音を聞いても、何も満たされない。どうしてもどうしても新山亜璃珠のピアノが聴きたくなるのだ。これもきっとなんかの力のせいだ。ゆえに、死にたくなってくる。死んで、彼女に会いたいと思ってしまう。
会いたい、会いたい、会えない。
死にたい、死にたい、死ねない。
ぐるぐるぐるぐる、みぞおちの辺りが煮えくり返る。
そうしているうちに、通り雨は通り過ぎて行った。 こんなふうにしてたら一周忌が来てしまうのだから、時の流れの持久力たるもの、この宇宙が誕生してからということなのだから怖いものだ。そう思いつつ再び歩を進める。
なぜ新山家に向かっているかというと、あの子の初盆だから仏壇に手を合わせて欲しいと、母親からお願いがあったから、断る理由もないので承ったというわけだ。
この街は田舎じゃないけれども、自然はそこそこたくさんだ。夏の日本にふさわしい、若緑がわさわさ揺れる木の群と、古びたカーブミラーに青い空が乱反射する、お手本のような風景だ。
伊藤商店という駄菓子屋のような酒屋のような店を曲がると、まもなく新山さんの家に着く。
この時代珍しい木造の、縁側のある一軒家。
表札のそばについてるインターホンを1度押すと、すぐに「はーい」と返事があった。
ガラリと格子扉がひらくと、母親の顔があった。
………ああ、亜璃珠さんによく似ている。
「暑い中ありがとうございます、雨会いましたか?とりあえず中へどうぞ」
「雨宿りしたので大丈夫ですよ、失礼します」
「あの子も先生が来てくれてきっと喜んでます。」
「そうだとうれしいです。」
室内はひんやりしていた。焦げ茶の木の床があたりを暗く照らして、外と家の明るさの違いが際立ち、目がチカチカとしてくる。
そして、右奥の襖から、微かに線香の匂いがする。
お母様が静かに戸を開けると、こじんまりした和室に、立派な仏壇が鎮座している。この部屋の主役は仏壇というわけだ。
仏壇の傍には、白菊の花と、学生証用に撮った写真が置かれている。あの子にはあまり笑っていないのに、弾けて滲み出すような色彩を感じた。
─あまり笑っていない、これが、なんだか引っかかる気がする。
「失礼します…」
と一言言って、座布団に縮こまる。
去年の今頃は、もっと唖然とした感じでこうしていた。 やはり時の流れというものはおそろしい。
チーンと、あの叩くヤツを叩いて手を合わせ、
瞼を閉じる。
「新山さん、亜璃珠さん、ご無沙汰です、中村です。1年てあっという間だね、みんな元気だよ。最近寂しくて仕方ないけど、タバコ吸って頑張ってますよ。またピアノ聴きたいよ、ピアノでは圧倒的だったもんね。俺の人生で会ってきた人で1番ピアノが上手いんじゃないかな?この先もそれは変わらないかな。天国でもお元気でやってます?来年、きっとこうしてまた来るよ。 」
と、
心の中で話しかける。
最後に、持ってきたお供え物、今年の合唱コンの楽譜を置いて、またね、と呟く。
呟いたところで、彼女はもう二度と現れないというのに、馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しいうえに、虚しくて仕方ない。
「…ありがとうございます、済みました。」
「…あの、とりあえず お茶出しますので」
「あっ、お気遣い感謝します…」
そうして、花柄のクロスの敷かれた木のテーブルのあるダイニングに通された。
すこしすると水滴のついたとても綺麗なグラスに入った緑茶を渡された。そのグラスに太陽の光が当たると、テーブルに虹色が滲んで、灯りを灯した。
「綺麗なグラスですね。」
「これですか?…そうですね。」
「ありがとうございます、いただきます。」
きんと冷たい音がして氷が揺れる。とても夏の風情があってよろしい。
「今日はわざわざ御足労ありがとうございます。」
「こちらこそ、おもてなし感謝いたします。」
「変に…暗い気持ちにさせてしまったみたいですね」
「いえ、そんな…。お母様も、本当に大変だったでしょう。」
「でも…私はもう、ひと波超えてるので 」
「ひと波。」
「…もしまだ、亜璃珠のことを気にしているのなら、もう大丈夫ですから。」
「…はい」
「先生も、お疲れのように見えます」
「そうですかね…」
「しっかり寝れてますか。」
「一日4時間は寝てますね」
「ちょっと、短いですね…」
「そうなんですか?」
「はい…大丈夫ですか、?」
「今のところは。」
「どうか、お気をつけて」
「はい、心配かけてすみません…」
「とんでもない、こちらこそ、色々とお世話になっております」
「いいんですよ。」
「…そういえば、実は遺品を整理してたら
意外なものを見つけたんですが、見たいですか?」
「意外なもの?」
「ご興味ありますか。ちょっと持ってきますね!」
そういうとお母様は、パタパタと足音を鳴らしてどこかに走っていった。
会話に入り込んで見えていなかった部屋の中の景色が、いっそう鮮明になる。目線の先にあったのは、古びた写真。ピンク色の着物を着た小さな女の子がひとり、むすっとした顔をしている。それがあの子の幼少期だと理解するのは、 そう時間はかからなかった。彼女はこの家で、育ったきたんだ。育って、それで…
「お待たせしました!」
「……あっ、いえ、大丈夫です」
「これです。」
パサっと音を立てて横たわるそれは、何やら埃をかぶったノートだった。表紙には、小さく〈日記帳〉と書かれている。 …新山さんの字で。
「日記なんて付ける、マメなタイプじゃないと思ってたんですが…」
「そうですね、それで意外なもの。」
「はい。」
「中を見ても…?」
「いいですよ。私は見ないですが…」
「…!本当にいいんですか?」
「はい、母親に見られたら、あの子も小っ恥ずかしいでしょうし。」
「それを言ったら、自分も…」
「いやいや、先生は良いんですよ。」
「…?」
妙にその言葉が頭に残った。
表紙をめくると、パラパラと消しカスが落ちる。きっとあの子が消した時に出た消しカスなんだと思うと、生きた足跡を、かき消した気分になった。母親も見ていない遺品を俺が見てもいいのだろうか。
母親は黙って、なんだか力なく微笑してこちらを見ていた。 良いんですよと言わんばかりに。この母親は、どんな思いをしてきたのだろう。ひと山って、なんなんだろう。 心配でたまらなかった。
ページを捲るごとに、字数は少なく、筆圧は弱くなってゆく。どんどん力なくなってゆく。
俺が見ていた平日も、別々に生きていた休日も、生きる気力を感じさせない、薄ら寒い日記だった。にこにこしていたあの子をまったく思い起こさせないほどに、冷たいノートだった。
夏休みが始まってからそれは顕著になったように思えた。
7⁄24 学校が終わった
7⁄25 塾に行った
7⁄26 なにもしてない
7⁄27 ピアノを弾いた
7⁄28 なにもしてない
7⁄29 なにもしてない
なにもしてない
なにもしてない
日にちを数える元気もなくなってゆく。
そして…
8⁄11 疲れた
8⁄12 空を飛んでみたかった
その日、彼女は願いを叶えた。
絶望と革命を残された俺たちの生活に遺して。
日記だと、中三の6月ごろから、内容がどんどん暗くなっている。あの子の転換点は、時期で言うとその辺だったのだろう。
全記憶と思考を巡らせた。が、やっぱりいつもにこにこしていたからわからない。彼女の友達とかなら分かるだろうか。
俺は一体、あの子の何を見ていたのだろうか。
「…ありがとうございました。」
そう言ってノートを返した。
「いえいえ。なにか、分かりましたか。」
ああ、この母親はどこまでも切ない。
「いえ…」
「そう、ですか。」
少し間があったあと、母親が口を開く。
「私も、分からないんです…。どれだけ考えても、どれだけ思い返してみても。」
「亜璃珠さんは、自分の気持ちを素直に言葉にしない所がありますからね」
「よく見ててくれてたんですね…昔から、そうなんです。体調とか崩しても、事後報告なんです。」
咳き込むように笑いながら、母親はそう言った。15年という時間を含んだ、笑顔だった。
チリン、と氷が傾く音が響く。テーブルクロスに滲んだ結露が、水溜まりになっている。やがてそれは空気の中に消えて、無くなってゆくのである。
「実はそのグラス、ガラス細工体験で、亜璃珠が作ったものなんですよ。」
「ああ、そうでしたか。どおりで素敵なわけです。」
「どおりで?」
「美術の授業のときも、あの子が出す色彩は妙に目を引くんです。きっと、たくさんの色を見て、たくさんの景色に触れたから、ああいう色が作れるんですね。」
それだけじゃなく、本人からも、そういう空気が漂ってることは、きっと自分にしか伝わらないから言わないでおいた。
「亜璃珠にそんな凄いところがあったんですね。」
「はい。」
「世界は人の目の数だけありますね。先生が見ていた亜璃珠と、私の見ていた亜璃珠も、きっと違うんでしょうね。」
「そうかもしれません。」
来年も来るという約束だけして、その日はそれで終わった。帰り際、しまい込んでいたというもう1つのグラスを貰って。
家に帰ってそのグラスを見ると、やっぱり独特の、目を引く色彩があった。あの子の見てきた世界は、きっととても美しかったのだろう。
あの日、あの子はどんな空を見たのだろうか。まだ、世界は美しく見えていただろうか。
それとも、色のない世界だったのだろうか。
日常に彩りを失ったあの子は、どんな世界を生きていたのだろうか。
分からないから、分からないなりに、あの子が見た世界が、せめて美しき色でいっぱいであるように、遺された俺たちは生きていかなければならないのかもしれない。それが、俺の愛の在り方だとすれば、自分にしか伝わらないので、亜璃珠さん以外には言わないでおく。
《亜璃珠》
誰かが、助けてくれると思っていた。
誰かが私の箱庭の扉を開けて、色彩をくれると思っていた。
でも、その思いは自分にしか伝わらなかった。
私の心の扉を開けかけた人物は、何人かいた。
でも全員、踏み込むことはしなかった。
言葉にして、助けてと大声で言えたなら
退屈なんて思わなかったのかもしれない。
私の理想の世界は、もしかしたら
言葉の森の奥深くにあるのかもしれない。
なにか辛いことがあったとかじゃなかった。
ただ、何もない。
毎日なんにもしていない。
何も生まれない。
何も失わない。
なにも…
小さい頃は、何も考えなくてよかった。
目に映るもの全てが、鮮やかに輝いていて、世界のすべてが神秘の宝庫のようで、退屈なんてしなかった。でもいつのまにか、何かしないとなにも感じなくなっていた。それがどうしようもなく私は嫌で、それを誰かにわかって欲しかった、それだけだった。
その日は夏休みのど真ん中。
カーブミラーに乱反射する太陽に目が眩む、暑い暑い日。
17時57分。
夕日が、何故か綺麗に見えて
空を飛びたくなった。
end.
コメント
1件
花子さんの『かくしごと』、第1話読み終えました。 中村先生が「いつもにこにこしていた」と繰り返すほど、自分は何も見えていなかったんだなという痛みが伝わってきました。日記が「なにもしてない」と続く空虚さが、あの子の世界の色のなさそのもので…。最後の亜璃珠さんの独白で、彼女自身も「助けて」を言葉にできなかったもどかしさに気づく構成が巧みです。グラスに宿った独特の色彩が、彼女の見ていたはずの美しい世界の象徴で、とても切なかったです。続きが気になります。