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#シリアス
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紫香楽
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長く、凍てつくような冬が、ようやくその幕を閉じた。
あの日、青白い月明かりの下で震えながら交わした誓いは
煌様の並々ならぬ覚悟と尽力によって、陽だまりのような確かな現実へと姿を変えた。
軍の重鎮であり、名家を背負う煌様が
身分の低い、しかも過去に「泥棒猫」と罵られた傷を持つ私を
「公認の婚約者」として迎えると宣言したとき
周囲の反対やどよめきは凄まじいものだったと聞く。
けれど煌様は、そのすべてを鋭い軍刀で一閃して断ち切るような峻烈な意志で撥ね退け
私を泥の中から救い出し、眩しい日向へと連れ出してくれた。
そして今日、私は身を寄せていた鳳凰館を去る。
使い慣れた厨房の勝手口から差し込む陽光は、あの日、絶望の中で見上げた雪の色とは違い
透き通るように温かく優しい。
まるで、私の新しい門出を祝福してくれているかのようだった。
「……最後の一皿、できました」
私は、ありったけの感謝と真心を込めて作り上げた小鉢を盆に載せ
あの方が待つ馴染みの離れへと向かった。
廊下を踏みしめる音さえ、今日はどこか誇らしく響く。
部屋に入ると、そこにはいつものように背筋を厳かに伸ばし
静かに私を待っている煌様の姿があった。
煌様に出会ってから、何度この畳の感触を確かめながら往復しただろう。
最初は恐れ多くて足が震え、畳の目を見つめることしかできなかった。
けれど今はただ、世界で一番愛おしい人の元へ向かう喜びで、胸がはち切れそうに満たされている。
「雪。……鳳凰館での最後の一口を、私にくれるのだな」
煌様は、盆を置く私の手元を、深い慈しみと隠しきれない情熱を湛えた眼差しで見つめた。
私が差し出したのは、あの日、煌様が初めて私の料理を口にし
「美味い」と笑ってくださった一膳。
あの時、煌様の笑顔がどれほど私の凍えた魂を救ってくれたか、言葉では言い尽くせない。
煌様はゆっくりと箸を取り、神聖な儀式を執り行うかのように一口、その料理を口に運んだ。
咀嚼するわずかな時間さえ、私にとっては永遠のように長く、そして愛おしい。
あの方の喉が動くたびに、私の想いが届いていることを祈った。
「……やはり、君の味だ。私の魂を震わせ、戦場の冷徹さに凍てついた心を溶かしてくれた、世界で唯一無二の、私だけの味だ」
そう言って微笑んだ煌様の目尻が
微かに、本当に微かに潤んでいるように見えた。
その柔らかな、私だけに向けられた表情を見て、私の胸にも熱いものが込み上げてくる。
視界が潤み、あの方の姿が揺れて見える。
「煌様。鳳凰館の給仕としての私は、今日で終わりです。……でも、これからは」
私は、膝に置かれた煌様の大きな掌の上に、自分の手をそっと重ねた。
あの方は一瞬驚いたように目を見張ったが、すぐにその手を力強く
けれど壊れ物を扱うような繊細な優しさで握り返してくれた。
その手のひらの厚みが、私のこれからの盾であり、居場所なのだ。
「これからは、一生お隣で。煌様のためだけに、この味を届けさせてください。嬉しい時も、苦しい時も、あの日救ってくださったこの手で、あなたを支えるお料理を作らせてください」
「ああ、約束しよう、雪。君の料理を、君の笑顔を、一生私が、命を賭して守り抜く」
「煌様…」
「……これからは一人の客としてではなく、君を愛する夫として、君の紡ぐ味を生涯共に分かち合おう」
窓の外では、満開の桜が柔らかな春風に舞い、私たちの門出を盛大に祝っていた。
かつて髪を切り落とされ、心まで切り裂かれ
居場所を失った「泥棒猫」と呼ばれた悲しい私は、もうどこにもいない。
ここにいるのは、最愛の人の隣で
一生の愛と忠節を誓った一人の、この上なく幸せな私。
繋いだ手のひらから絶え間なく伝わってくる、確かな体温。
それは、どんな豪華な料理よりも
どんな美しい宝石よりも、私の冷え切った人生を温め続けてくれる「永遠の味」だった。
煌様にエスコートされ、私は光に満ちた庭へと一歩を踏み出す。
これからは、二人で描く、苦難さえも愛おしい物語の、輝かしい第一頁が始まるのだ。
春の光が、私たちの行く末をどこまでも明るく照らし出していた。