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⧉▣ FILE_033: 決断 ▣⧉
LがNSAと交渉を続けているそのすぐ隣で、Aは第二層の制御テーブルを開いていた。
第二層──それはストラトスの“操縦そのもの”を動かしている部分だ。機体を右に向けるか、左に傾けるか、高度をどうするか。全部ここで決まる。重要な層。
それが、今は、コイルに書き換えられている。
だが──完全ではない。
第二層の優先テーブルの最上位にあるのは“軍用モード”だ。
民間運用時は無効化され、ロックされている。
それを、軍用に切り替われば──
──優先順位が逆転する可能性がある。
(……軍用に戻せば、上書きできるかもしれない)
やってみる価値はある──
「L」
短く呼ぶ。
Lの視線が動く。
「ストラトスを軍用に戻せば、第二層の優先順位が反転する可能性がある。民間ロックが外れれば、物理制御層に割り込めるかも」
ほんの一瞬の沈黙。
「可能性は?」
「低い。でも、2パーセントはある」
Lは即座に指示を出した。
「ワタリ、英国CAAへ直通──CAAの協力を仰ぎましょう」
数秒後、回線が繋がる。
〈──CAAオペレーションセンターです〉
「Lです」
そう名乗ったのは、Aだった。
〈……L?〉
「はい。現状は分かっていますね?ストラトス機の登録区分を、ただちに軍用へ再切替してください。緊急事態です」
回線の向こうでキーボードの音が走る。
〈当該機は現在、民間登録です。軍用復帰には国防省承認および──〉
「承認は後でいいです。今、制御を奪還する必要がある」
〈……しかし、軍用復帰には“最高司令官クラスの《生体認証》”が必須です〉
「生体認証……?!」
Aの思考が一瞬止まる。
最高司令官クラス?
つまり──国家レベル。
「……誰が通るんだ?それ」
回線越しの声は淡々としている。
〈詳細な登録者名は機密ですが、原則として現職の統合軍最高指揮権者および、指定されたごく一部の戦略承認者のみ。それと──国防大臣です〉
Aの喉がひくりと鳴る。
国防大臣。
「L」
Aは振り向いた。
「今すぐ、英国国防大臣に繋げてくれ」
Lは即座にマイクを手にする。
「分かりました。私が出ます」
声が変わる。
低く、無駄がない。
「GCHQ経由で国防省直通。緊急安全保障事案と伝えてください」
回線が切り替わる。
数秒。
その数秒が、異様に長い。
〈……国防大臣官房です〉
「Lです。時間がありません。国防大臣に代わってください──」
その横でAは続ける。
「CAA、聞こえますか?」
〈はい、聞こえています〉
「ストラトス機の軍用復帰プロトコルを“待機状態”にしておいてください」
一拍。
「生体認証できる者は、こちらで確保しますので、認証が通った瞬間、遅延なしで第二層の再構築を開始できるよう準備してください」
〈……了解。即時反映待機に入ります〉
Aはモニターを睨む。
認証が通れば──『ストラトスは民間機から軍用機へ切り替わる』。
その“数百ミリ秒”が、唯一の突破口。
あとは──国防大臣が応じるかどうか。
なのに……。
その隣で。
〈──何を言っているんだ、君は〉
低く、しかし明確に怒気を含んだ声が回線越しに響いた。
〈“国家安全保障上の最高機密”に触れておきながら、よくも私に協力を求められたものだ〉
「………………」
Aの指が止まる。
最高機密……まさか。
〈“ゼカイン”の内部流通データを閲覧しただろう〉
「ッ……」
空気が凍る。
〈アクセスログは消せなかったようだな、L。いや──君の“代理”か?〉
Aの背中に冷たい汗が伝う。
バレている……。
〈あれは国家機密だ。承認もなく侵入した。窃取だ。犯罪だ!〉
Lは声色を変えない。
「今は責任追及の場ではありません」
〈違う。今だからこそだ〉
怒りがはっきりと滲む。
〈国家機密を盗み見る者の言葉を、なぜ私が従わなければならん?〉
Aの呼吸が浅くなる。
「ッ……」
〈ゼカインは機密兵站案件だ。その生産情報は“同盟国との極秘合意”に属する。君はそれを破った〉
“君は”──
ってことは、矛先はLに向いている。
〈その上で、私の生体認証を要求する? 軍用復帰だと?〉
怒号に近い。
〈ふざけるな!国家はお前のパズルじゃない、L〉
Lは、一瞬だけ口元を撫でた。
だが、次の言葉は揺れない。
「ストラトスはまもなくアメリカ本土へ侵入します」
〈それは報告を受けている〉
「迎撃が行われれば、外交危機は不可避です」
〈それも承知している〉
「ですが今は──それを議論している時間がない」
わずかな沈黙。
国防大臣の呼吸音が荒い。
〈君は国家機密を侵した。その責任も取らずに、私に指を差し出せと言うのか?〉
Aは思わずLを見る。
言い返せない。
ゼカインの件は事実だ。
報告もしていない。
“信用”という一点において、こちらは圧倒的に不利。
〈そんな者の判断で、英国の軍事モードを解放できると思うな〉
静まり返る部屋。
ストラトスの到達予測時間が、さらに減る。
Lはゆっくりと口を開いた。
「お怒りはもっともです」
素直な肯定。
Aの胸が締めつけられる。
「ですが──」
低く。
冷たく。
「今、あなたが拒否すれば、数分後に“撃墜”か“墜落”のどちらかが実行されます」
一拍。
「その結果、国家間で何が起こるかは、私よりもあなたの方がご存じでしょう」
沈黙。
〈……脅迫か?〉
「いいえ?現実です」
画面のカウントが減る。
「あなたが私を信用しなくても構いません。ですが、“時間”はあなたを待ちません」
声が、ほんのわずか低くなる。
「国のために、今すぐ指を差し出していただけますか?」
〈……。君は、私に命令しているのか〉
「してませんよ。私がしているのは、お願いです」
即答。
「ですが、応じられないのであれば──こちらから、迎えに上がります」
Aの背筋が総毛立つ。
「現在地はホワイトホール。警備動線、回線、警護人数、把握済みです」
淡々とした報告。
「物理的にお時間をいただくことになりますが、虹彩認証だけなら数秒で済みます。お願いできますか」
〈……正気か、L〉
「ええ。極めて正気です」
冷たい。
さすがはLだ。
「国家の命運が懸かっています。合法性は後で精査しましょう。今、あなたが差し出す指一本で、数千の命が救われる可能性があります」
間。
重い、長い沈黙。
Lは最後に、言った。
「決断してください、大臣。私はもう、決めています」
回線の向こうで、まだ何か言い争っている声が続いている。
Lは一歩も引かない。
でも──
分かる。
あれは……僕のせいだ。
喉の奥が、ひりつく。
ゼカインのデータを盗み見たのは僕だ。
ログを消し切れなかったのも僕だ。
報告しなかったのも……僕だ。
あの一手がなければ。
あの時、ちゃんと伝えていれば。
今、Lはあんな風に疑われなくて済んだかもしれない。
どうしよう……。
怒られるかな。
終わったら、言われるかな。
……いや、終わったら、って何だ。
終わる保証なんて、ない。
モニターに視線を戻す。
ストラトスの到達予測が、さらに短くなった。
第二層──排他制御中。
セッションID:E.C
優先順位テーブル。
……優先順位。
僕は息を吸い込んだ。
言い訳してる場合じゃない。
Lが政治をやっている間に、僕は技術をやる。
僅かな希望に縋り付くんだ……!
それしか道はない。
画面を下へスクロールしたとき、見慣れない項目があった。
《IFF-MGMT》
Aの手が止まる。
「……IFF?なんで、これがここにある?」
IFFとは──“飛行機が味方だと知らせる識別信号”のことだ。
空の上には当然たくさんの飛行機がいる。
レーダーで見ると、どれもただの“点”だ。
その点が、どこの国か、味方か、敵なのか、民間機なのか、軍用機なのか、外からは分からない。
そこで使うのが IFF(Identification Friend or Foe)。
地上のレーダーや軍の管制が電波で問いかける。『お前は誰だ?』と。それに対し、機体側のIFF装置が登録された信号を返す──
戦争時には──このやり取りが生死を分けた。
なぜなら、防空システムや戦闘機は、その信号を基準に“撃つか撃たないか”を決めるからだ。
正しい信号が返れば──味方、もしくは正しい機体と判断され、ミサイルは発射されない。
信号が返らなければ──敵機、あるいは未確認機とみなされる。即座にロックオンされ、撃墜される。
空では、判断に使える時間は数秒しかない。
目視確認などできない。
レーダーとIFFの応答だけが頼りだ。
つまり──IFFは、敵か味方かを判断して、撃つか撃たないかを決めるための識別信号だ。
それだけの装置。
本来、操縦系統とは無関係。
機体の進路を変えることも、高度を下げることも、エンジン出力を操作することもない。
なのに──
それが、第二層に接続されている。
本来、IFFは“外向きの応答装置”だ。
操縦系とは独立しているのが普通なのに。
だが、このストラトスでは違う。
IFF管理モジュールが、制御優先順位テーブルに接続されている。識別信号の状態によって、操縦コマンドの優先順位が変わる設計。
──なぜ識別装置が、第二層の奥に入り込んでいる?
(──軍用だからか?)
Aはログをさらに掘り下げた。
《ID Configuration Log》
《Legacy Combat Mode》
旧作戦モード。
ストラトスが、まだ純粋な軍用機だった頃のデータだ。
「……消してない……」
通常、民間転用する際には、こうした軍用設定は削除される。
だがストラトスには残っている。
Aは過去の『識別設定履歴』を開く。
そこには三種類のモードが並んでいた。
・軍用識別コード
・特殊作戦用コード
・民間機用コード
その中に、ひとつだけ異様な設定がある。
──“民間機コードを発信しながら、内部制御は軍用優先モードを維持”。
Aは画面を見つめたまま、動けなくなる。
つまりこれは──
外から見れば“民間機”。
だが中身は“軍用機”。
民間信号で身分を隠しながら、軍用のまま行動できる設計。
画面の右下に、【起動条件】が表示されている。
─────
本機能の発動は、“最高司令官”──
『ゼニス・“フラッシュハート”』の直接命令に限る。
指示なき起動は命令違反と見なす。
戦域責任は最高司令官が負う。
─────
「………………」
ゼニス、フラッシュハート……?
……………
………
……
……………父さんの名前だ。