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歌を教えていたら、いつの間にか閉館時間が迫っていた。急いで保管庫を出て館内へ向かったが、内部はさっとしか見られなかった。ゴンには「ごめんね、俺が余計なこと言ったから」と謝られたが、また来る口実ができたと思えば良い。学芸員と受付スタッフに礼を述べて、博物館を後にした。 ビーノ区の新市街は都会的でモダンな雰囲気だ。ホテルや土産物屋、レストランが並び、砂漠らしさと新しさがうまく融合している。中心にある広場はオアシスを模した造りになっており、多くの商店が軒を連ねている他、露天を中心としたマルシェやビアガーデンも開催されているらしい。基本的に新市街は商業区・行政区で、住民の多くは旧市街に住居を構えているようだ。
時間は夕刻前。砂漠の向こうに落ちかかった残暉が僅かに目を刺す。店仕舞いを始めているところもあり、昼間は賑わっていた広場も閑散としてきた。今から移動するよりはここに留まった方が効率的だと、新市街で宿を探すことにした。
博物館の入館時から携帯の電源を切ったままだったことを思い出し、クラピカは携帯を取り出して電源を入れた。途端にコールが鳴る。液晶には同居人兼主治医の名。これは苦言を呈されるヤツだと深く嘆息して、クラピカは受話器のボタンを押した。
『あ、やぁっとつながった!お前な!電源切ってんじゃねぇよ!』
案の定、受話器から耳を聾するような大声が聞こえてきた。思わず、携帯を耳から離す。再度溜息を吐いて、クラピカは受話器に向かった。
「博物館にいたんだ。電話が鳴ったら、他の客の迷惑だろう?」
『マナーモードにしとけば良いだろうが!電源切っとけば俺が諦めるとでも思ったのか?』
「……信用がないな」
『まず信用されるような行動してから言え』
少し電源を切ったくらいでなんだ、束縛の激しい恋人じゃあるまいしと言いたいところだが、反論すると喋々と説教が始まるので止めておく。
ふと、ゴンに袖を引かれた。スピーカーにするように指示されたので、スピーカーボタンを押すと、ゴンとキルアが自分を挟むようにして液晶を覗き込んだ。
「レオリオ、久しぶり!」
「やっほ~」
2人の声を聞いた同居人―――レオリオが「おう」と応えて「なんだ、一緒かよ」と安堵したように呟いた。どうやら自分は信用されていないが、ゴンとキルアは信頼しているらしい。
「クラピカならちゃんとご飯も食べたし、元気だよ」
「レオリオの言いつけ通り、栄養バランスを考えたメニュー選んでたぜ。ホテルの部屋も一緒にするし、ちゃんと休ませるから、心配すんなって」
『……なら良い』
電源を切っていたことには納得していないが、言いつけを守ったことは納得したらしい。が、声はまだ僅かに不満そうだ。
「レオリオも来れば良かったのに」
『特殊な風邪が流行っててな。長期休暇なんかとれる状況じゃねぇよ』
レオリオは少し前に医師免許を取得した。現在は通っていた大学病院の研修医として勤務している。「ハンター協会会長のお墨付き」という鳴り物入りで就職したせいか、病院からの期待値が高く、さまざまな経験をさせてもらっているようだ。最近は居住地域で新しいウイルスを原因とした風邪が流行しており、毎日対応に追われている。泊まり込みになることも多く、自分が出発する日も、簡単な朝食と『気を付けて行ってこい』というメモだけがリビングのテーブルに残されていた。
そっと携帯から目を逸らす。
「……忙しいなら、私のことは放っておけば良いだろうに」
『聞こえてんぞ。つか、お前も俺の患者だからな。逃げられると思うなよ』
小声にしたつもりだったが、しっかり聞こえていたらしい。携帯の性能が良いのも、時に困りものだ。過保護な発言に、クラピカは思わず長嘆した。
「お前は他にも多くの患者を抱えているだろう?私はいわば自業自得だし、そのときの覚悟もできている。そんな人間より、もっと生きたいとお前を頼ってくる人を助けたらどうだ」
言うと、電話口の声が消えた。その静けさに、僅かな怒気を感じ取って浅慮だったと気付く。左右を見ると、ゴンとキルアが悲憤とも憂思とも言える複雑な表情でこちらを見つめていた。
ばつが悪くなって顔を伏せると、携帯から積憤を絞り出すようなレオリオの声が聞こえた。
『……お前、いい加減にしろよ。俺もゴンもキルアも、お前の寿命があといくつもないの知ってて、その上で1日でも長く生きてほしいと思ってんだよ。てめぇは、どんだけ俺らの気持ち踏みにじれば気が済むんだよ』
「……すまない。失言だった」
3人に寿命のことが知られたとき、何より堪えたのが自分の誓約が彼らを苦しめたことだった。一族を皆殺しにされた日から自分の誇りも人生も復讐のためにあった。両親や友人、見知った人々の空虚な眼窩。拷問を受け、無残に打ち捨てられた子供や女たちの遺体と、それを守ろうと手を伸ばす男たちの躯。何年経過しようと忘れることのできない光景が、自分から復讐という目的以外のすべてを奪い、前に進ませていた。
しかしあの日、レオリオの罵詈雑言に、キルアの呆れた様子に、ゴンの惆悵した表情に、初めて自分の生き方が彼らを苦しめていると悟った。かつての親友が自分を守るために自らを犠牲にしたことは、身を切るような思いだった。怪我をしたときの記憶を失っていた親友は「僕なら大丈夫だよ。クラピカに怪我がなくて良かった」と言った。その言葉が、より自分を艱苦に突き落とすとも知らずに。
―――自分は、同じことを彼らに強いている。
気付いてから、自重するようにしたのだが、もはや癖とも言える考えはなかなか治りそうにない。
小さく謝罪すると、レオリオの声音が変わった。
『帰ったらすぐバイタルチェックだからな。あ、土産はナッツのオイルで。その辺りで有名なブランドあるだろ?』
「フェリペ・マウラか」
『それだ。んじゃ、楽しみにしてるぜ』
締めの言葉に、ゴンとキルアが身を乗り出した。
「レオリオ、またね。今度は俺たちが遊びに行くから」
「おもてなしはチョコロボくんでよろしく」
『へいへい。じゃあな』
ピッと軽い音がして通話が切れる。どうやら特別用事があったわけではなく、本当に電源を切っていたことに対する小言だけだったらしい。
キルアが「はあ」と息を吐いて肩を竦めた。
「前言撤回するぜ、クラピカ。ありゃ女房役じゃなくて、親馬鹿だわ」
「相変わらず仲良しだね」
ゴンのにこりとした笑顔は、彼が目線を落として再び上げたときには消えていた。
「でもクラピカ、レオリオの言ったことはちゃんと考えてほしい。俺もキルアも、クラピカがいなくなったら悲しいから。ちゃんと、大事にして。自分のために、ができないなら、俺たちのために、大事にして」
「……ありがとう、ゴン」
ゴンの表情は厳しいが、言葉は染み入るように温かい。彼の心遣いに、意図せず口元が緩んだ。
今ならわかる。レオリオの罵詈雑言、キルアの呆れた様子、ゴンの惆悵した表情は、自分の希望を後押ししてくれた母、外に出ることを心配してくれた父、自らを省みずに助けてくれた親友、本当は送り出したくないと言った長老と同じだ。自分が彼らを巻き込みたくないと、助けたいと思った気持ちと同じだ。
つまるところ「愛」だ。