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シエルの邸宅は、彼が奏でる音楽のように静謐で、気品に満ちていた。
馬車を降りてからというもの、彼は私の足元を隠すように抱きかかえ
誰の目にも触れさせぬまま、広々とした客間へと私を運び入れた。
「しばらくはここで過ごすといい。君が必要なものは、すべて僕が用意するから」
シエルはそう言って、私に絹のように滑らかな寝衣と、温かい紅茶を与えてくれた。
そこから数日間
私は彼の屋敷で夢のような時間を過ごした。
彼は演奏会の合間を縫っては私の元を訪れ、10年間の空白を埋めるように語り合ってくれた。
けれど、私の心には常に、魔女のあの言葉が冷たい楔のように突き刺さっている。
(水に濡れれば鱗が現れ、彼と結ばれなければ、私は消えてしまう……)
分かっていたけれど、結構な至難な道かもしれないと今更後悔しそうになる。
それでも、私はシエルに会いたかった。
なら、頑張らなきゃ。
◆◇◆◇
そんなある日の夕暮れ───
シエルが真剣な面持ちで私の部屋を訪れた。
その手には、雪のように白い封筒が握られている。
「王宮から、仮面の舞踏会の招待状が届いた。僕も演奏家として招かれているんだけど、ラム、君を僕のパートナーとして連れていきたい」
「王宮の……舞踏会に、私が?」
思わず息を呑んだ。
華やかな場所への憧れよりも、真っ先に恐怖が込み上げる。
もし、あんな大勢の人がいる場所で雨に降られたら。
もし、誰かに飲み物をかけられでもしたら。
「…ただでさえ人間界に慣れてないのに、急にこんなふうに誘われても怖いよね」
シエルは私の不安を察したように、そっと私の手を包み込んだ。
「でも、仮面の舞踏会だから顔は隠せるし、僕がずっと君の側にいる。君に、この国の最も美しい景色を見せてあげたいんだ。君を一人にしておく方が、僕はよっぽど心配だから」
彼の真摯な瞳に見つめられ、私は小さく頷いた。
彼がそこまで言ってくれるのなら、信じてみたい。
舞踏会の当日、シエルが用意してくれたのは
深海の底で揺らめく光のような、深い青のドレスだった。
「とても綺麗だ…ラム」
仮面をつけたシエルが、私の腰に手を添える。
会場となる王宮の大広間は、数え切れないほどのキャンドルが灯され、黄金の装飾が光り輝いていた。
人々は色とりどりの仮面をつけ、正体を隠したまま優雅にステップを踏んでいる。
「少し、踊ろうか」
シエルの誘いに導かれ、私は夢心地でダンスの輪に加わった。
オーケストラの調べ、揺れるドレスの裾。
仮面で顔を隠しているせいか、自分ではない誰かになれたような気がして
私は一時、呪いのことさえ忘れて彼の腕の中で微笑んでいた。
けれど、幸福な時間は、あまりにも唐突に終わりを告げる。
「……あ」
ダンスが一段落し、シエルが挨拶のために少し離れたときだった。
背後から、慌てたような足音が聞こえたかと思うと、冷たい感触が私の背中を襲った。
「申し訳ございません! 粗相を……!」
給仕の持つトレイから、氷のように冷えたシャンパンが大量に溢れ
私のドレスの背中を、そして肌を、ぐっしょりと濡らしたの
(ど、どうしよう……っ……!)
背中の皮膚が、焼け付くように熱くなる。
仮面の下で、私の顔は一瞬にして血の気が引いた。
ドレスの薄い生地の下で、硬い鱗が広がり
皮膚を突き破らんばかりに輝き始める感覚が伝わってくる。
「申し訳ありません!今、拭くものを……」
「い、いい、来ないで!!」
駆け寄ろうとする給仕を、私は悲鳴のような声で拒絶した。
人々が驚いたようにこちらを振り返る。
その視線が、針のように私の肌を刺す。
背中のドレスは濡れて透け、虹色の異形な光を漏らし始めていた。
「ラム!?」
異変に気づいたシエルが人混みを割って駆け寄ってくる。
けれど、私は彼にさえ、今の姿を見られるのが怖かった。
私は濡れた背中を庇うように抱きしめ
人々の好奇の目を逃れるように、夜風が吹き抜けるテラスへと必死に駆け出した。
#ロマンスファンタジー