忍術学園の朝は、いつもどこか騒がしい。
食満留三郎と潮江文次郎の小競り合いが始まると、それが起爆剤になって教室のあちこちでわちゃわちゃとした声が上がる。
「お前さ、昨日の実習少しばかりしくじったんだってな?それでも忍術学園の最高学年かよ」
「は?お前があの時言ったことを思い出して笑っちまったんだよ、誰のせいだと」
「知らねーよ、俺が悪いっていうのかよ。このやろ!」
「いてっ、やったな?あはは」
「わはは」
笑いながら肩をぶつけ合い、適当に突き飛ばし合って、今日も一日が始まる。
いつもと同じ、ふざけた、でもそれなりに心地のいい日常。
──そのはずだった。
・
「なあ、……見たかあの二人」
「うん。ここ最近ずっとあの調子だよな」
「肩を抱きながら笑い合ってるなんて、ありえない!」
校舎の窓から忍たまたちが、まるで異様なものを見るように、訝しんだ目で二人の様子を見下ろす。
「うげ、見てるだけで気分が悪くなってきた」
「あんなおかしな状況なのに、空には雲一つ流れていないんだぜ?」
その異変に、最も敏感に反応したのは仙蔵だった。
彼は開け放たれた窓の外を睨むように見つめながら、小さく唸る。
「……おかしい。かつての雷神、天の機嫌をも左右した文次郎と留三郎があの様子で、空に一切の変化がない。これは……ただ事ではない」
何かの……天災の、前兆か?と、あの二人にしてはあり得ない光景を前に、仙蔵は呟いた。
嵐の前にしか訪れない静けさとはこれを指すのだろう。
・
夕方、食満は忍装束のまま、ひとりで校舎裏の坂を登っていた。お気に入りの訓練場所、少し開けた林の奥へ。
決まった時間、決まった場所──ここに来るのが習慣になっていた。
途中で、背後から声がかかる。
「おーい、留三郎」
振り返れば潮江。肩に小さな布袋を抱えて立っている。
「仙蔵から、焙烙火矢をいくつかもらったんだ。一緒に試し撃ちしないか?」
いつもの鍛練の誘いと変わらない。
ただ、ほんの少しだけ、潮江の目に熱がこもっていた気がした。
「……んー、」
少しの間を置いて、食満はふっと目を逸らした。
風はぬるく、雲もない。
何も異常はないように見える。
「悪い。俺、今日はひとりで鍛練がしたい気分なんだ」
そう言って、踵を返す。
潮江は一瞬、何かを言いかけて、けれどその背中を黙って見つめた。
──そのまま終われば、ただのすれ違いで済んだのかもしれない。
・
何かが、潮江の中で引っかかった。
(……なんだよ、断るくらいなら来るなよ)
最近では異常とも言える仲の良さで、まさか断られると思わなかったショックで、少しばかり気に食わなかった。
軽く上に放る程度、遊びの一環、軽口の延長。
その背が木々の間に消えかけた時。
潮江は、焙烙火矢の一本を取り出して火をつけた。
──いつもの調子なら、
──あいつはきっと避ける。
──それか、打ち返してくる。
「留三郎ォ!」
声を張り上げ、高く空へ放った焙烙火矢。ちょっとした挑発、あるいは呼び戻しのつもりで。
その瞬間、食満はふと立ち止まり、声の方へ顔を向けた。
次の瞬間、上空から音を立ててそれが落ちてくる。
──視界の隅に何かが見えた。
でも、気づいた時には遅かった。身体を動かすより早く、空気が爆ぜた。
轟音と共に爆風が辺りを巻き上げる。土煙が視界を覆い尽くす。
「……おい……?留三郎……?」
潮江は爆心地へ駆け寄る。
「このやろぉ……!」
そんな風に笑って出てくると、心のどこかで思ってた。
だが──
そこにあったのは、仰向けに倒れた食満の姿だった。顔に血が流れ、皮膚が裂け、目元には焼けたような痕跡がある。
まさかそれを投げられていたとは思わなかったし、気付いたときには目の前に飛んできた時点で対処なんてできるわけない。
「…………え……?」
鼓膜が震えるほどの沈黙の中で、食満かわずかに呻いた。
「う、あ……っ」
潮江は膝から崩れ落ちるように駆け寄り、震える声で呟いた。
「は……だって……避けると思って……俺、……そんなつもりじゃ……」
でも、その言葉を誰が聞いていたかは、わからなかった。
・
夕暮れの医務室は、いつにもまして静かだった。戸の隙間から差し込む光が、ゆっくりと部屋を染めてゆく。
その中で、食満は仰向けになったまま、真っ白な布団の中に沈んでいた。
目元はもちろん、顔の大半を包帯で覆われているから何も見えない。 痛み止めのせいか頭も少しぼうっとしている。
「無理しないで、眠ってていいよ、傷には睡眠が一番だ」
傍にいるのは怪我の重さに誰よりも知っている伊作だった。優しいが、その声の下に何か張りつめたものがあった。
「ん……退屈なんだよ、寝てばっかりじゃ」
ほんの軽口を交わす。食満は笑っているような声を出すが、その笑いに力はない。
そのとき、戸が開く音。
ススー……、とゆっくり開いたそれを聞いて、食満はその音の方へ顔を向ける。
目は見えなくても、気配だけで誰かが立っていることが分かった。
「伊作」
ゆっくり体を起こした。低く、抑えた声で短く名を呼ぶ。
伊作は一度食満を見てから次に潮江の顔を見た。
伊作の相手を冷ややかに睨みつけるその瞳は、
「何かしたら、これ以上傷が増えたら、ただじゃおかないよ」
と言っているようだった。
・
ピシャ、と医務室の戸を閉められる音だけが響く。潮江は食満と向き合うように布団の目の前に座った。
潮江は言葉を探せず、ただこの場で拳をきつく握りながら俯く。
そしてしばらくの沈黙の末、やっと、口を開く。
「……留三郎」
本当は頭の中でごちゃごちゃと何を言おうか考えていたが、すべて吹き飛んでしまった。
「……来たのか」
その声は、以前のような軽さはなかった。白布の下で、どんな顔をしているのか想像がつかない。
「……様子、見に来ただけだ」
「……」
何も言わない。しかし、その沈黙で何かを見透かされたような気がした。
「…………俺、だから言ったのに」
かすれた、熱に浮かされたような声が空気を震わせる。
「嫌だって言ったのに」
「……ごめん」
それがすべてだった。本当に、何も思い浮かばなった。
何も変わらない、昔と同じように”いつもの喧嘩”の延長だと思ってた。
でも、違った。
ふと顔を上げた時、巻かれた包帯の目元あたりが薄く塗れて色を変えていることに気づいて、息を呑む。
「あ……」
喉の奥から絞り出すように呟いた。
「……ごめん」
外では夕暮れの日差しによって暖められたぬるい微風が吹き、まるで、いつもと変わらないと告げるようにカラスが鳴いていた。
初めから決まっていた、予兆などではなかったのだ。そう、いつもと変わらない。
その一言で何かが終わると分かっていても、それしか言えなかった。
その瞬間、包帯の下でまた何かがこぼれたのが分かる。
「……痛ぇよ」
苦しそうでもなく、怒っているでもなく、ただ事実だけを呟くように。
その一言に、潮江の心が軋んだ。
「…………ごめん」
その後に続く言葉は、どれも意味を持たない。何度つぶやいても、戻るものなど、どこにもなかった。
・
──もう、元のようには戻れない。
それだけが、はっきりとわかった。
終
これ後々漫画に起こしてツイッターに投稿するつもりです。(期限は問わない)
感想くれると嬉しいです、続きも一応考えています。
コメント
3件
小説書くの上手ですね!! 性癖に刺さりまs(