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「何だってんだよ、こんな店に連れ込んで、飯でも奢ってくれんのか? なぁ⁉ 大隊長さんよぉ」
「遣《つか》いの者の話だけでは私にも状況が良く分らないんだ。申し訳ないがヴェイン殿、少しお付き合い願いたい」
「あっ⁉ わかったぜ。若しかして俺が入れる大きさの牢が無《ね》ぇってか? 悪ぃが身体は小さくなんねぇぞ? ガハハ」
「ははは、貴殿は本当に諧謔的《かいぎゃくてき》な物言いをする。民衆が虜になる訳だ。安心して頂きたい。只の喧嘩だ。牢等《など》に入れたりするものか、あっても厳重注意だろう。抑々、先に飛び掛かって行ったのはうちの若い兵達だ、而も貴殿は剣を抜いていないのだからな」
二階席の窓際の丸いテーブルに案内されると、遣いの兵士は右手を胸に当て「サラーム《平和》」と言葉を発し、敬意の所作であろう頭を垂れると、背を見せる事無く後ろへと下がっていった。
丸いテーブルには、イスラー教の女性信者が身に纏う、全身を黒いニカブと呼ばれる衣服で隠した人物が座っている。ベールに隠された顔は、瞳の部分しか確認する事が出来ず、その表情を知る事は叶わなかった。
その姿を間近で見た大隊長は顔を強張らせ、慌てて緊張した面持ちで右手を胸に当てると、頭を深く下げる。その対応に、この人物が如何に重要な存在であるのかを伺い知れる事が出来た。
「こっ、これは大変失礼致しました」
「構わぬ、気にするな」
その人物が立ち上がりニカブを脱ぐと立派な煌びやかな甲冑に身を包んだ一人の女を目にする事となった―――
「へぇ、こりゃまたびっくりだぜ、俺になんか用かい? 女騎士さん」
「こっこら貴様、無礼だぞ!! 」
側近であろう人物が慌ててヴェインを叱責する。
「構わん。身を慎め、彼等は客人である」
「はっ! 失礼致しました」
「呼び出してすまない貴殿に少し話があってな、まぁ気負わず気楽に頼む、酒でも遣りながら話そうではないか、さぁ掛けてくれ」
「奢って貰うのは嬉しいけどよぉ、あんたは一体」
浅黒い肌と風雅な濡れ羽色の髪をした女騎士。その端麗な顔にはそぐわない、眉間から頬にかけて壮絶な過去を物語る切創は、神が見放した者であるとはっきりと定義を示し、全てを諦め地獄を見て来たであろう深淵に据わった目顔は、生気を失い、淀みを含み悪魔と同居していた。
「これは失礼した。私はウッディーン・アルマイール・サハリアと言う、まぁこの辺りの領主と思ってくれたら良いだろう」
ヴェインはその危険な誇り高き美感に惑わされ、綺麗な顔立ちに残る尋常では無い剣痕《けんこん》から目が離せず仕舞いだった。
「女の顔に傷が有るのは居た堪れんか? 憐憫《れんびん》の情は頂けんな。なんなら奪って来た命の数を、貴殿と此処で競い合っても良いのだぞ? 」
ヴェインは背中にゾクリとしたものを感じ慌てて視線を逸らす。
「かっ勘弁してくれ、俺ぁそんなつもりじゃ…… 」
「私はな、随分昔に女は捨てているのだよ、貴殿には知っておいて貰っても良いだろう」
女騎士は鎧の肩口を持つと、勢いよく肩から右腕を引き抜きゴトンとテーブルの上に重い金属音を落とした。
なっ⁉―――――
「右足も一罰百戒《いちばつひゃっかい》の為、脚を馬に繋がれてな、付け根から持って行かれた」
―――――!!
「腹の中も生きる機能を果たすので精一杯の状態だ、内臓は金属には出来んからな。余程の物好きで無い限り、神も目を背けるだろうな」
「何てぇ事しやがる…… 」
「良い目をする。見知ったばかりの私の為に滾《たぎ》ってくれるか、まこと熱き男よ。ふふふ、感謝致す」
「人が悪《わり》ぃ、もぅ止めてくれ、暴れた事なら悪かった、この通りだ、牢にぶち込まれても文句は言えねぇ、さっさと連れて行ってくれ」
「ははは冗談だ、揶揄って悪かった。人を試すのが好きでな、しかしヴェイン殿。正直な話、ここ迄はそちら側の戯曲《シナリオ》通りなのだろ? 」
恐ろしい一隻眼の持ち主は、鋭くヴェインの心を正面に捉える。
―――――⁉
「先達《せんだっ》て我等は聖地奪還を掲げる民兵含む二万の十字軍と交戦し、撤退を余儀なくされた。物資の不足と断食の時期と相まって不利な状況下であった為だ。疲弊した兵力では叶わず、立て直しを鑑み私が撤退を命じたのだが、怒りの矛先が兵に向いてしまってな、民衆の兵に対する不満や不信感がここ最近爆発寸前だったのだよ」
イスラール軍に於《お》いて、イスラー教の断食は非常に重要な宗教的事項の一つであり、軍隊でも広く行われていた。特に、ラマダンの月には、軍隊内で断食が厳格に守られ、また戦場では、断食による肉体的苦痛を己が耐える事で、精神的な強さを維持する事が出来るとされていた。
ラマダンとは、イスラル暦の断食の月であり、教徒にとって最も重要な月となる。1か月の間、日の出から日没までの時間帯で断食を行い、ラマダン中は、飲食や性行為を含むあらゆる欲望を禁じ、精神的な浄化を目的とした断食を行う。
但し戦況が激しく、長期戦になる場合は断食を中断することが許され、また、傷病兵に対しては、断食を行う事はさせず、その場合、代わりに善行を行う事で神への信仰を示す形としていた。先の見えない戦いで断食と云う信仰が招いた体力不足と、精神的不安が募り士気が下がり今回の撤退に至ったとされる事も否めなかった。
「そして兵達が久し振りに街に出れるラマダンの月《断食明け》のイド・フィトル《祝宴祭》を狙い密かに計画を立てていた者が居たという訳だ」
漸く酒にありつけた兵達は苛立ちを隠せずに居た。惨めであり、情けなさに圧し潰されそうになりながら肩を竦《すく》めて酒を煽った。
民衆達と兵達の溝は深く、正に一触即発だった。
そんな時に民衆の声を代弁し、そして鬱憤の堪った兵士の怒りをも受け止めてくれる存在が現れた。民衆は魅了され、その強さと男気に蟠《わだかま》りはいつの間にか消え失せ、街は一つになった。その威風堂々たる姿は正に英雄そのものであり、その力は本物であった。
「そんな姿を見せられては、勧誘しない訳にはいかんだろう、なぁ策士殿。いや…… 軍師殿かな? 」
―――――⁉
「お初に御目に掛かり光栄に存じます将軍《アミール》閣下」
部下達が道を開くとその後ろから端然《たんぜん》と右の掌《たなうら》を胸に当て首《こうべ》を垂れた男が現れた。
「しょっ!! 将軍だって⁉ 」
ヴェインが今更ながら驚愕する……
「元レンイスター王国《キングダム》。参謀本部所属グランド・シュナイザー・リッツと申します。どうぞお見知り置きの程を閣下」
「あぁ、まったくだ、やってくれたな司令官殿。民衆も兵達も今やヴェイン殿を求めている、そして私もな。まんまと騙された気分だ。面倒な事をせずとも、何故軍に参加したいと願い出なかった? 」
「恐れながら閣下、閣下は商品価値も分からぬまま商品をお求めになるので御座いますか? 」
「ぬ…… 」
「こう見えましても我等は気高きケルトの端《はし》くれ、一兵卒からではなく真《しん》に評価を受け、高く買って頂きたく思って折ります。即戦力としてお考え頂く為に」
「成程な、ではこちらからも聞きたい事が有る。このイスラールには他にも将軍《アミール》が五人居るが何故私の元に現れた? 私が唯一の女将軍だからか? 」
ウッディーンは訝し気に瞳を細くして見せると本心を探る。
「いいえ真逆《まさか》。閣下が保守派では無く改革派だからです」
「ほう、それで? 貴様、一体私に何をさせるつもりだ」
「閣下…… 此処からはどうか人払いを…… 」
「なんだよびっくりしたぜ、真逆の将軍閣下だったなんてよぉ。なぁ大隊長、俺の首ちょっと見てくんねぇか? きちんと繋がってるか? 」
「ははは、ヴェイン殿、きちんと繋がってるぞ! 然しこのような話になるとはな…… 」
二階席から階段を下りて行くと一階席が人混みでごった返していた。
「おいおい、なんなんだぁ⁉ 何でこんなに人が沸いてやがる? そんなにこの店の料理は評判なのかよ」
「違うぞ、皆ヴェイン殿を一目見ようと集まった者達だな」
「へ⁉ 俺⁉ 」
「我が軍の将軍様からの直々の誘いを受けた人物が、どう言う人間なのか皆興味深々なのだよ」
「へぇそうかい、んじゃ俺ってぇ奴を教えておいてやるか」
「ふふふ、竜驤麟振《りゅうじょうりんしん》な姿を皆に見せてやってくれ」
「おい! てめぇら、俺様にアラックを樽でよこしやがれ!! 」
「やはりこうなるか…… 」
シャマールは残念そうに溜息をついた。
彼方に響く奏りは、紡ぎ出したる奇跡を謳い、新たな時代と闇を裂く。繰り返したる因果の念は、移ろう邂逅の始終を告げる。大いなる天の悪戯は、星の太河に未来を示す。