テラーノベル
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月明かりだけが照明の音楽室。
若井と涼ちゃんは、数ヶ月ぶりに元貴を挟んで向き合っていた。
元貴は、ピアノの鍵盤に指を置いたまま、微動だにしない。
彼の意識は、今や現実と夢の境界線を彷徨っている。
視界は完全に閉ざされ、音も届かない。
けれど、涼ちゃんが持ってきた楽譜が元貴の膝の上に置かれた瞬間、その指先がピクリと跳ねた。
「……元貴、聞こえなくても分かるよね。これ、君が僕に託した曲だよ」
涼ちゃんは、元貴の手にそっと自分の手を重ねた。
その温もりを通して、涼ちゃんの「覚悟」が伝わったのか、元貴の表情に微かな生気が宿る。
若井はギターを抱え、弦の感触を確かめた。
「涼ちゃん。外はどうなってる」
「……校門の前に警察が来てる。
僕が裏門を細工したのも時間の問題でバレるだろうね。
……夜が明けたら、彼らは踏み込んでくるよ」
「そうか。」
若井は短く答えた。恐怖はなかった。
あるのは、この音楽室を、元貴の最期の場所ではなく、彼が最も輝く「舞台」にしてみせるという決意だけだ。
「……涼架、合わせよう。元貴の、最後の曲を」
涼ちゃんがピアノの椅子に元貴と一緒に座り、彼の左手を鍵盤に導く。
右手は、涼ちゃんが担当する。若井はアンプのスイッチを入れ、ボリュームを最大まで上げた。
元貴には、自分の出す音は聞こえない。
けれど、若井がギターを一掻きした瞬間——。
その**「振動」**が床を伝い、ピアノの筐体を震わせ、元貴の指先から脳へと直接流れ込んだ。
(あ……あぁ……っ!)
元貴の脳内で、真っ黒だった世界に「オレンジ色」と「水色」の閃光が走る。
若井の激しい鼓動と、涼ちゃんの優しい旋律。
二人の色が混ざり合い、元貴の凍りついていた感覚を強引に呼び覚ましていく。
元貴は、声にならない声を漏らしながら、鍵盤を叩き始めた。
視覚障害も、聴覚障害も、言語障害も——。
音楽という言語の前では、何の障壁にもならなかった。
3人の音が重なり、共鳴し、深夜の校舎に響き渡る。
それは、誰に聴かせるためでもない。
ただ、自分たちがここに存在したという、魂の絶叫。
曲の合間に、元貴が若井の方を向いた。
何も見えていないはずの瞳が、真っ直ぐに若井を捉えている。
元貴は唇を動かした。
( わ・か・い ・ ぼ・く ・ た・の・し・い ・ よ )
若井は涙で視界を滲ませながら、ギターをかき鳴らした。
「俺もだよ、元貴! 最高だ!」
しかし、その至福の時間を切り裂くように、校庭に大型のサーチライトの光が差し込んだ。
スピーカーからの無機質な声が、夜の静寂を壊す。
『大森元貴くんを保護している若井滉斗! 直ちに建物の外へ出なさい! 繰り返す——』
「……来たね」
涼ちゃんが静かに立ち上がった。
「滉斗、演奏を止めないで。
……僕が時間を稼ぐ。
この曲が終わるまで、絶対に、誰もこの部屋に入らせない」
「涼ちゃん、お前……」
「僕を誰だと思ってるの?
Mrs. GREEN APPLEの、
最強のサポーターだよ」
涼ちゃんは優しく微笑むと、音楽室の重い扉を内側からロックし、廊下へと出て行った。
一人、光の中へ向かう涼ちゃんの背中は、かつてないほど大きく見えた。
音楽室に残されたのは、若井と、限界の淵でピアノを弾き続ける元貴の二人だけ。
「……行くぞ、元貴。ラストスパートだ」
若井は元貴の隣に寄り添い、その肩に自分の頭を預けた。
外の世界がどれほど騒がしくなろうとも、この一瞬、この振動の中だけが、二人の真実だった。
コメント
3件
めちゃくちゃ好きです😭😭😭