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今更になってカントボーイ沼になった糸羽なつほです
隠し花っていうらしいよ、。カントボーイ。(AI情報)
横浜の空を厚い雲が覆い尽くし、叩きつけるような豪雨が石畳を白く煙らせていた。
ポートマフィアの「双黒」として恐れられる二人の少年、中原中也と太宰治は、任務を終えた直後の帰路でこの天災に見舞われた。普段なら組織の車が迎えに来るはずだったが、不運にも敵対組織の残党による足止めと、この悪天候による交通網の混乱が重なった。
びしょ濡れのまま立ち往生する二人の元に、首領である森鴎外から連絡が入ったのは、ちょうど近くの高級ホテルの軒先を借りて雨宿りを始めた時だった。
「太宰君、中也君。近くに私が懇意にしているホテルがある。今夜はそこに泊まって体を休めたまえ。手続きは済ませてあるよ。……ああ、言っておくが、部屋は一つしか空いていなかったから、仲良く共有するように」
受話器の向こうで愉しげに笑う首領の意図を測りかねながらも、中也は「承知しました」と短く応えて電話を切った。
案内されたのは、最上階に近いスイートルームだった。広大なリビングに柔らかな絨毯、そして夜景を一望できる全面ガラス張りの窓。だが、今の二人にとって重要なのは豪華な設備よりも、冷え切った体を温める熱源だった。
「ひどい雨だったな。おい太宰、さっさと脱げ。風邪引くぞ」
中也は自身のハットを脱ぎ、水滴を払いながら言った。一方の太宰は、いつもの飄々とした態度はどこへやら、濡れて肌に張り付いたコートの裾を握りしめたまま、所在なげに部屋の隅に立っている。
「……中也こそ、そんなに急がなくてもいいじゃないか。私は、少し休んでからでいいよ」
太宰の声は、雨音に紛れてしまいそうなほど細かった。
付き合い始めてからそれなりの月日が流れていたが、二人の関係は未だに「手を繋ぐ」という範疇を出ていない。中也は太宰を大切にしたいと思っていたし、太宰もまた、中也の隣にいることに安らぎを感じていた。しかし、太宰にはどうしても越えられない壁があった。
太宰治は、生まれながらにして「普通」ではなかった。
体格も声も、戸籍上の性別も男であることに疑いはない。だが、その股間に宿る器官だけは、女性のそれであった。精通の代わりに月に一度訪れる出血。男としての誇りを削り取るような、自身の肉体への違和感。彼は、自分が「欠陥品」であるという強烈なコンプレックスを抱えて生きてきた。
この秘密がバレれば、今の幸福は砂の城のように崩れ去る。相棒として、あるいは恋人として自分を見てくれている中也が、この「異形」を知った時、どんな顔をするのか。それを想像するだけで、太宰の心臓は凍りつくような恐怖に支配されるのだった。
「何言ってやがる。唇が紫だぞ。いいから入れ、風呂は広いんだ、一緒に入った方が効率がいいだろ」
「……一緒なんて、冗談じゃない。中也は野蛮だなあ。私は一人でゆっくり入りたいんだ」
「あ? 誰が野蛮だ。お前がいつまでも突っ立ってるから心配してやってんだろうが。ほら、来い!」
中也が強引に太宰の腕を引く。普段なら巧みにかわすはずの太宰だったが、寒さで思考が鈍っていたのか、あるいは中也の体温に無意識に惹かれたのか、抵抗する力は弱かった。
広々とした大理石のバスルーム。湯気が立ち込める中、中也は手際よく服を脱ぎ捨て、シャワーを浴び始めた。太宰は壁に背を向け、できるだけ自分の体を見られないよう、そして中也の体を見ないようにしながら、縮こまって体を洗う。
太宰の指先が、自身の腹部に巻かれた包帯に触れる。この包帯の下には、彼が最も忌み嫌う「印」が隠されている。濡れて重くなった布が、鉛のように心にのしかかる。
「おい太宰、隅っこで何コソコソしてんだ。もっとこっち来いよ、湯船も広いんだから」
中也の声が背後から聞こえる。中也にしてみれば、ただ純粋に相棒の体調を案じての言葉だった。だが、追い詰められた太宰には、それが破滅への招待状に聞こえた。
「嫌だ……あっちに行ってよ、中也」
「なんだよ、さっきから変だぞお前。具合悪いのか?」
中也が距離を詰め、太宰の肩に手をかける。
「触らないで!」
太宰が激しく拒絶し、中也の手を振り払おうとした。その拍子に、濡れたタイルで足が滑る。
「わっ、危ねえ!」
中也が太宰を支えようと手を伸ばしたが、勢い余って二人して床に転倒した。
重い衝撃とともに、視界が回る。
中也が目を開けた時、目の前には、仰向けに倒れ、無防備に足を開いてしまった太宰の姿があった。
そこにあるはずのものがなく、あるはずのないものが、淡い照明の下で露わになっていた。
静寂がバスルームを支配した。雨音さえも遠のき、中也の荒い鼓動だけが響く。
太宰は、自分の股間を見つめる中也の視線を痛いほど感じていた。全身の血の気が引き、指先がガタガタと震える。
(終わった)
その確信が、彼をどん底へ突き落とした。蔑まれる、気味悪がられる、あるいは「女」として扱われる。どんな罵倒よりも、中也に「怪物」を見る目で見られることが一番怖かった。
「……あ」
太宰の目から、大粒の涙が溢れ出した。声にならない悲鳴が喉を焼き、震える唇から、ようやく一つの言葉が漏れる。
「最低……」
それは自分自身への呪いか、それとも見てしまった中也への恨み言か。太宰は顔を両手で覆い、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
中也は、呆然としていた。
目の前の光景に驚かなかったと言えば嘘になる。だが、それ以上に中也の胸を締め付けたのは、太宰が今、この世の終わりであるかのような絶望に染まっているという事実だった。
太宰がずっと包帯を巻いていた理由。人一倍、肌の露出を嫌っていた理由。時折見せていた、あの消え入りそうな寂しげな瞳の意味。そのすべてが、一瞬にして繋がった。
「太宰……」
「見ないで……お願いだから、もう見ないでよ……! 中也なんて大嫌いだ、消えてよ!」
太宰は狂乱したように叫びながら、這いずって逃げようとした。だが、その体は冷え切り、心労とショックで力が入らない。
中也は、迷わなかった。
彼は大きなタオルを掴み取ると、それで太宰の震える体を包み込み、そのまま力強く抱き寄せた。
「離せ……! 気持ち悪いだろ、こんなの……! 男のくせに、こんな……こんな身体で……っ」
「誰が気持ち悪いなんて言った」
中也の低く、静かな声が、太宰の叫びを遮った。
「離さねえ。絶対に離さねえよ」
中也の腕に力がこもる。太宰の背中に回された手は、まるで壊れ物を扱うように繊細で、それでいて決して逃がさないという意思に満ちていた。
「お前、ずっと一人でこれを抱えてたのか」
中也の声には、嫌悪も、憐憫も、驚きもなかった。ただ、そこにあるのは、愛しい者を慈しむための深い熱だけだった。
「……中也?」
太宰が涙に濡れた顔を上げ、恐る恐る中也を見る。中也の瞳は、いつもと変わらぬ力強い光を宿し、まっすぐに太宰を見つめていた。
「いいか、よく聞け太宰。俺が惚れたのは、お前なんだ。お前の身体がどうなってようが、そこに何がついてようが、そんなことは俺が太宰治を愛する理由には一ミリも関係ねえ」
「でも……私は普通じゃない。子供だって、産めるかもしれないんだよ? そんなの、気味が悪いじゃないか」
「産みたきゃ産めばいいだろ。俺がお前と、お前の子供を守ってやるだけだ」
あまりにも直球で、迷いのない言葉だった。太宰の高度な論理思考をもってしても、このあまりに純粋な肯定を拒絶する術を彼は持たなかった。
中也は、太宰の濡れた髪を優しく掻き揚げ、その額にそっと唇を寄せた。
「俺はお前が太宰だから好きなんだ。他の誰でもねえ、この世でたった一人の、俺の相棒で、俺の恋人の太宰だ。お前が自分を欠陥品だなんて思ってんなら、俺が一生かけて、お前がどれだけ最高か教えてやる」
「……中也は、本当に馬鹿だね」
太宰の瞳から、再び涙が溢れる。だが今度の涙は、先ほどまでの冷たい絶望の色をしていなかった。
中也は太宰を抱き抱えたまま、ゆっくりと浴槽へ向かった。適温に保たれた湯の中に、二人でゆっくりと沈んでいく。
温かな湯が、冷え切った二人の肌を包み込んでいく。太宰は中也の胸に顔を埋め、彼の心臓の鼓動を直に感じた。ドク、ドクと刻まれる規則正しいリズムは、太宰にとって何よりも確かな救いだった。
「ごめん、太宰。怖がらせるつもりじゃなかったんだ」
中也は湯の中で、太宰の腰をそっと抱き寄せる。その手つきには、性的好奇心など微塵もなく、ただ太宰の体温を確かめようとする深い愛情だけがあった。
「……中也は、本当に私を嫌いにならないの?」
「なるわけねえだろ。何度言わせるんだ」
「……どんなことがあっても?」
「ああ。たとえお前が世界を滅ぼしても、俺だけはお前の味方だ」
太宰は、中也の首に細い腕を回した。
ずっと、この身体を呪ってきた。自分を愛してくれる人が現れても、いつかこの秘密がすべてを壊すと信じて疑わなかった。だが、中原中也という男は、彼が築き上げた論理も、恐怖も、コンプレックスも、その圧倒的な肯定感ですべてをなぎ倒してしまった。
「中也……」
「なんだ」
「キスして」
太宰が、初めて自分から強請った。
中也は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに愛おしげに目を細めると、太宰の顎を優しく上向かせた。
重なる唇は、雨音をかき消すほどに熱かった。
初めて交わすキスの味は、涙の塩分と、石鹸の香りと、そして確かな生命の熱に満ちていた。
太宰は、自分の内側から何かが解けていくのを感じた。今まで自分を縛り付けていた包帯が、心の奥底でようやく解け、剥がれ落ちていくような感覚。
中也は、太宰の背中を大きな手で撫で続けた。
「太宰。これからは、一人で隠そうとするな。生理が辛い時も、腹が痛い時も、全部俺に言え。俺がお前の全部を背負ってやる」
「……中也にそんなこと言ったら、毎日看病させちゃうよ?」
「望むところだ。俺の仕事が増えるだけだろ」
中也の不敵な笑みに、太宰はついに、彼本来の小さな微笑みを返した。
浴室を出た後、中也は太宰をふかふかのベッドに横たわらせ、丁寧に髪を乾かした。
太宰は借り物のパジャマに身を包み、中也の腕の中に収まっている。窓の外ではまだ雨が降り続いていたが、もう、あの冷たさを恐れる必要はない。
「中也、大好きだよ」
太宰が囁くように言った。その声には、もう何の迷いも含まれていなかった。
「……ああ。知ってるよ」
中也は少し照れくさそうに顔を背けながらも、太宰の手をぎゅっと握り返した。
太宰治にとって、自分の身体は「欠陥」ではなく、愛する人と繋がるための一部になったのだ。
中也の温もりを感じながら、太宰は深く、穏やかな眠りに落ちていった。
明日になれば、また「双黒」としての過酷な日常が始まる。だが、この部屋の扉を開ける時、太宰の心は昨日までとは違う、確かな強さを宿しているはずだった。
降り止まぬ雨は、二人の絆をより深く、より強固に洗い上げるための祝福だったのかもしれない。
中也は眠る太宰の寝顔を見つめながら、心に誓う。
この孤独な天才が、二度と自分の身体を呪うことのないように。
その全てを愛し、守り抜くと。
横浜の夜は更けていき、雨音だけが優しく、二人の安らかな眠りを包み込んでいた。
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